8月初旬。
いつも通る公園の地面に蝉の亡骸が点在していることに気付いた。
その短い生涯を終えたのであろう蝉の体はカラカラに乾燥して土に還る準備を整えているようにも見えた。
「蝉の一生って短いのかな?それとも蝉にとっては長いのかな?」
ふとそんなことを思いながらうっかり踏みつけないように地面に目をやると足元に点在しているのが蝉の亡骸だけではないことに気付く。
鉄板の上に焦げ付いた焼きそばのように乾燥しきったミミズの亡骸もアスファルトの上に散らばっている。
虫達の亡骸は微生物が分解してくれるのだろうと思いつつ、
今年も猛暑がやって来たことを実感した。
それから暫くたった8月中旬のある日のこと。
部屋の中で一匹のカナブンを発見する。
部屋の中でカナブン、決して珍しい光景ではないと思う。
どこからか紛れ込んだのだろう。床の上でじっとしている。
「そのうちどこかに行くだろう」と思い放置していたが、
翌日の夜もそのカナブンは部屋にいた。昨日よりも体が色褪せて見える。
「こんな土も草もない無機質な人間の部屋で生涯を終えることもなかろうに」
抓んで窓から外に出してやろうと思ったが、
手を差し出した瞬間にカナブンは勢いよく走り出し、部屋の隅に置いてあるキャスター付のワゴンの下へと潜り込んだ。ちょっとした逃走劇である。
カナブンを捕獲しようとすぐさまワゴンを動かす。しかしそこにカナブンはいなかった。
「消えた?」
部屋のあちこちを見渡すがカナブンの姿は見当たらない。
次にカナブンを見たのはそれから数時間後だった。
いつものように晩酌を終えて、そろそろ寝ようかと思い部屋の明かりを消すために立ち上がると背後にカナブンがいた。
うっかり踏み潰しちゃ駄目だと思い捕まえようと思ったが、酔いのせいもありまたもや逃がしてしまう。
それより眠い。その日はそのまま眠りについた。
そしてその翌日のこと。
帰宅すると玄関でカナブンが待ち構えていた。
さらに色褪せて生気がない。心なしか小さくなったようにも見える。
「死んだ?」
そう思って指で突くと足をピクピクと動かした。
今度こそはと思い、指で抓んで玄関がら外に出してやろうとした瞬間、ふとしたことが頭を過ぎった。
「あ、お盆・・・」
お盆になると先祖の霊が虫に乗ってやって来るという話を聞いたことがある。
迷信かも知れないが意外とそんな話を信じる性質なのである。
そう言えばこのカナブンは何がなんでもこの部屋から出ようとしない。そこに何やら意志みたいなものを感じた。
気が済むまでここに居てくださいなと思い、とりあえず窓を少しだけ開けて、その近くにカナブンを置いた。気が向けば外に飛んで行くだろう。
暫くカナブンを観察しいていると窓のサッシに仰向けに落ちてジタバタしだした。指を差し出すとその指に捕まり体勢を立て直してからカナブンは窓の隙間から空へブーンと飛び立った。その後ろ姿をしっかりと見た。
カナブンが飛んでいく後姿をしっかり見るなんて珍しいことだなと思った。
「そうか」
空に帰ってゆく後姿をしっかりと見送ったので、これで良し。
そう思った。

そしてまた何日かが過ぎた。
台風の影響だかなんだかよく分からないが、変な雨雲が日本列島上空に滞在し雨が続いていた。
そんなある日、雨の中を歩いていると一匹の蝉が歩道の上を這っていた。
アスファルトの上を流れる雨水に逆らうように歩道の上を横切っている。
一旦はそのまま通りすぎたが妙に気になって振り返る。
人、自転車、車に潰されてしまうかも知れない。
後戻りし、その蝉を抓んで公園の木の幹まで運んだ。
蝉はしっかりと木にしがみつく。その力の強さに驚く。生きる本能、いや個人の意志みたいなものを感じた。
こんな時なぜか複雑な気分になってしまう。余計なことしたのではないだろうかと思ってしまうのである。もしかしたら蝉はアスファルトの上を這いたくて這っていたのかも知れない。蝉の眼前には蝉の目的地があったのかも知れない。
自分が偽善者のように思えて心がチクっと痛くなる。
「俺は犍陀多(かんだた)か?地獄に堕ちた時、お釈迦様に救って欲しくてポイント稼ぎでもしているのだろうか?」
素直じゃないって言うのだろうか、我ながら面倒臭い性格だ。
そう言えば去年の夏も道端に落ちている蝉を木に戻したことを思い出した。
這う這うの体、虫の息。
空を見上げれば蜘蛛の糸は下りてこず雨が降るばかり。
こんな人間世界に生きている今の自分こそが犍陀多なのかも知れない。
関連記事 去年の蝉の話はこちら
2020.7.15『偽善蝉』
いつも通る公園の地面に蝉の亡骸が点在していることに気付いた。
その短い生涯を終えたのであろう蝉の体はカラカラに乾燥して土に還る準備を整えているようにも見えた。
「蝉の一生って短いのかな?それとも蝉にとっては長いのかな?」
ふとそんなことを思いながらうっかり踏みつけないように地面に目をやると足元に点在しているのが蝉の亡骸だけではないことに気付く。
鉄板の上に焦げ付いた焼きそばのように乾燥しきったミミズの亡骸もアスファルトの上に散らばっている。
虫達の亡骸は微生物が分解してくれるのだろうと思いつつ、
今年も猛暑がやって来たことを実感した。
それから暫くたった8月中旬のある日のこと。
部屋の中で一匹のカナブンを発見する。
部屋の中でカナブン、決して珍しい光景ではないと思う。
どこからか紛れ込んだのだろう。床の上でじっとしている。
「そのうちどこかに行くだろう」と思い放置していたが、
翌日の夜もそのカナブンは部屋にいた。昨日よりも体が色褪せて見える。
「こんな土も草もない無機質な人間の部屋で生涯を終えることもなかろうに」
抓んで窓から外に出してやろうと思ったが、
手を差し出した瞬間にカナブンは勢いよく走り出し、部屋の隅に置いてあるキャスター付のワゴンの下へと潜り込んだ。ちょっとした逃走劇である。
カナブンを捕獲しようとすぐさまワゴンを動かす。しかしそこにカナブンはいなかった。
「消えた?」
部屋のあちこちを見渡すがカナブンの姿は見当たらない。
次にカナブンを見たのはそれから数時間後だった。
いつものように晩酌を終えて、そろそろ寝ようかと思い部屋の明かりを消すために立ち上がると背後にカナブンがいた。
うっかり踏み潰しちゃ駄目だと思い捕まえようと思ったが、酔いのせいもありまたもや逃がしてしまう。
それより眠い。その日はそのまま眠りについた。
そしてその翌日のこと。
帰宅すると玄関でカナブンが待ち構えていた。
さらに色褪せて生気がない。心なしか小さくなったようにも見える。
「死んだ?」
そう思って指で突くと足をピクピクと動かした。
今度こそはと思い、指で抓んで玄関がら外に出してやろうとした瞬間、ふとしたことが頭を過ぎった。
「あ、お盆・・・」
お盆になると先祖の霊が虫に乗ってやって来るという話を聞いたことがある。
迷信かも知れないが意外とそんな話を信じる性質なのである。
そう言えばこのカナブンは何がなんでもこの部屋から出ようとしない。そこに何やら意志みたいなものを感じた。
気が済むまでここに居てくださいなと思い、とりあえず窓を少しだけ開けて、その近くにカナブンを置いた。気が向けば外に飛んで行くだろう。
暫くカナブンを観察しいていると窓のサッシに仰向けに落ちてジタバタしだした。指を差し出すとその指に捕まり体勢を立て直してからカナブンは窓の隙間から空へブーンと飛び立った。その後ろ姿をしっかりと見た。
カナブンが飛んでいく後姿をしっかり見るなんて珍しいことだなと思った。
「そうか」
空に帰ってゆく後姿をしっかりと見送ったので、これで良し。
そう思った。

そしてまた何日かが過ぎた。
台風の影響だかなんだかよく分からないが、変な雨雲が日本列島上空に滞在し雨が続いていた。
そんなある日、雨の中を歩いていると一匹の蝉が歩道の上を這っていた。
アスファルトの上を流れる雨水に逆らうように歩道の上を横切っている。
一旦はそのまま通りすぎたが妙に気になって振り返る。
人、自転車、車に潰されてしまうかも知れない。
後戻りし、その蝉を抓んで公園の木の幹まで運んだ。
蝉はしっかりと木にしがみつく。その力の強さに驚く。生きる本能、いや個人の意志みたいなものを感じた。
こんな時なぜか複雑な気分になってしまう。余計なことしたのではないだろうかと思ってしまうのである。もしかしたら蝉はアスファルトの上を這いたくて這っていたのかも知れない。蝉の眼前には蝉の目的地があったのかも知れない。
自分が偽善者のように思えて心がチクっと痛くなる。
「俺は犍陀多(かんだた)か?地獄に堕ちた時、お釈迦様に救って欲しくてポイント稼ぎでもしているのだろうか?」
素直じゃないって言うのだろうか、我ながら面倒臭い性格だ。
そう言えば去年の夏も道端に落ちている蝉を木に戻したことを思い出した。
這う這うの体、虫の息。
空を見上げれば蜘蛛の糸は下りてこず雨が降るばかり。
こんな人間世界に生きている今の自分こそが犍陀多なのかも知れない。
関連記事 去年の蝉の話はこちら
2020.7.15『偽善蝉』