今日は、福井の病院の日。
海沿いを走る国道8号線を北上し福井へ向かう。
台風の影響なのか、風が強い。
こんな日は、海をウサギが走る。
昔、漁師から「ウサギが走る日は、漁に出られない」と聞かされた。
白い波がしらは、ほんとうにウサギが走っているかのように見えた。
漁師さんは、なんてロマンチストなんだろうと感動した。
海にウサギが走るのを見ると、因幡の白兎の話を思い出す。
名古屋の妹が、5月7日の毎日新聞の夕刊を送ってくれた。
2面に私の写真が載っていたからだそうな・・・
とてもいい記事なのでアップする。
http://mainichi.jp/shimen/news/20150507dde012040002000c.html
特集ワイド:「忘災」の原発列島 再稼働は許されるのか 政府と規制委の「弱点」
毎日新聞 2015年05月07日 東京夕刊
「運転禁止」と「請求却下」−−。原発の再稼働中止を求める仮処分申請に対して、二つの地裁は先月、正反対の判断を示した。結果だけを見れば原告と被告、どちらの立場からも1勝1敗。だが両決定文を読み比べれば、原子力規制委員会や政府の「弱点」がくっきりと浮かび上がるのだ。【高木昭午】
◇判断分かれた「基準地震動」の合理性 実態は「平均より少し強い」だけ
「原発の耐震審査が行政の裁量任せになってしまった部分を問われた」。二つの決定を受け、規制委で耐震ルール作りに関わった藤原広行・防災科学技術研究所社会防災システム研究領域長は残念がる。
福井地裁は先月14日、関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)の再稼働を差し止める仮処分決定を出した。その8日後、鹿児島地裁が九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)の再稼働差し止めの仮処分請求を却下した。両地裁の決定を分けた重要な論点に、電力会社が想定する「基準地震動」がある。福井地裁は関電の想定を「合理性がない」と切り捨て、鹿児島地裁は九電の想定を「不合理な点はない」とした。
基準地震動とは、原発周辺の活断層などが起こし得る揺れの強さを指す。「それ以下の揺れなら大事故は起こさない」という設計の目安だ。「原発を襲い得る最強の地震」と言われもするが、これから説明するように実態は違う。
関電は、高浜原発から平均約19キロ離れた三つの断層(長さ計約63キロ)が連動した際に原発を襲う揺れの強さを計算した。この計算は、活断層が起こし得るさまざまな揺れの中で平均的な値を導くもの。結果は約630ガル(ガルは揺れの大きさを示す加速度の単位)。関電はこれを少し強めた700ガルを基準地震動と決めた。同様の決め方は、他の原発でも広く使われてきた。
だが、福井地裁はこの決め方は「信頼性を失っている」と断定。平均的な揺れより少し強い程度の想定では「万一の事故に備えるべき」原発で不合理とし、基準地震動の大幅な引き上げを求めた。05〜11年に5回、各地の原発で基準地震動を超える揺れが観測された事実も指摘した。
関電は「(揺れの強さに影響する)複数のパラメーター(要素)が、同時に極端に揺れを大きくする方向に動くとは考えにくい」(地裁への陳述書)と想定の正当性を主張したが、ほぼ一蹴された。
藤原さんも「実際の地震では(計算による)平均値の2倍以上強い揺れが全体の7%程度あり、3倍、4倍の揺れさえも観測されている」と、関電の主張の問題点を指摘。「平均から離れた強い揺れも考慮すべきだ」と訴える。
似た司法判断は昨年11月にもあった。関電高浜・大飯原発の運転差し止め仮処分請求。大津地裁は却下したが決定文で「地震の平均像を基にすることに、どのような合理性があるのか」と疑問を投げかけ、「最大級の地震」を基準にすべきだとした。
実は川内原発も、基準地震動の決め方は高浜と同様だ。鹿児島地裁がそれを容認したのは「(同じ長さの断層でみると揺れが小さめになりやすい南九州の)地域的特性を踏まえ、平均像を用いた分析も合理的」との判断からだ。
素朴な疑問は「世界で最も厳しい」と政府が自賛する新規制基準で、なぜ「平均より少し強い」だけの基準地震動が審査を通ってしまうのか、である。藤原さんが明かす。「基準地震動の具体的な算出ルールは時間切れで作れず、どこまで厳しく規制するかは裁量次第になった。揺れの計算は専門性が高いので、規制側は対等に議論できず、甘くなりがちだ」。電力会社の主張があっさり通るわけだ。運転禁止決定は、この審査体制の不備を突いた格好だ。
「今の基準地震動の値は一般に、平均的な値の1・6倍程度。実際の揺れの8〜9割はそれ以下で収まるが、残りの1〜2割は超えるだろう。もっと厳しく、97%程度の地震をカバーする基準にすれば、高浜原発の基準地震動は関電が『燃料損傷が防げないレベル』と位置づける973・5ガルを超えて耐震改修が必要になりかねない。コストをかけてそこまでやるのか。電力会社だけで決めるのではなく、国民的議論が必要だ」。藤原さんは、そう強く訴えるのだ。
規制基準そのもののあり方も、高浜、川内の仮処分申請に共通の論点だった。福井地裁は、最高裁が1992年に四国電力伊方原発を巡る訴訟の判決で「深刻な災害が万が一にも起こらないよう(国に)十分な審査を行わせる」べきだと論じたことを引用。最高裁の要求に比べ規制基準は「緩やかに過ぎ」ると断じた。
これに対し「リスクをゼロにしろと言うなら、(より死亡事故の確率が高い)自動車の差し止め請求ができてしまう」(仁坂吉伸・和歌山県知事)などの反発が相次いだ。確かに「事故ゼロ」は、福島第1原発事故後の原発対策の“建前”である「重大事故は起こり得る」とは食い違う。規制委は、文案作成中の「原子力安全文化に関する宣言」にも、この認識を盛り込む。
しかし、重大事故のリスクに触れたがらないのは政府自身だ。「再稼働は安全確保が大前提」(安倍晋三首相)とは、安全神話が生きていた福島第1事故以前と大差ない表現だ。福井地裁の「規制は緩すぎ」との批判は原発行政の矛盾を突いたともいえる。新藤宗幸・千葉大名誉教授(行政学)は「福島では十数万人が避難を続け、汚染地域も極めて広い。がんも心配だ。自動車事故とは性質が違う」と福井地裁判断を支持する。
一方、鹿児島地裁は規制基準の合理性を認めた。「(規制委が掲げる)安全目標が達成されれば、人格的利益が侵害されるおそれはない」ことが、この判断の前提だった。「安全目標」の中身は「放射性物質『セシウム137』の放出量が100兆ベクレル(福島事故の放出量の約100分の1)を超える事故は、テロなどによる事故を除き原子炉1基あたり100万年に1回程度以下に抑える」などだ。
これに関し先月22日の規制委の記者会見で質問が出た。「(目標達成は)川内原発の適合性審査で確認されたのでしょうか」。田中俊一委員長は「確認しています」と答えた。ところが同日、規制委はホームページで「確認していません」と訂正した。「目標は基準ではない」(原子力規制庁)からだ。地裁の判断の前提が揺らいでいるのだ。
米原発会社「ゼネラル・エレクトリック」で18年間、原発技術者だった佐藤暁さんは「米国では事故率を計算し、公表する」と言う。「福島の事故後、欧米はより進んだ安全対策を取り入れた。フランスは、原発職員が全員撤退しても事故対応に300人をヘリコプターで派遣する制度にした。事故率の問題も含め、日本は追いつけていない」
鹿児島地裁は破局的噴火を恐れる火山学者らの声を退けたが、決定文には「地震や火山活動は十分解明されていない」「さらに厳しい安全性を求める社会的合意があれば、その安全性を基に(再稼働の可否を)判断すべきだ」と書いた。結論は世論次第らしい。
福井地裁は原発を安全性不十分とみなした。鹿児島地裁の運転容認も、実は安全への懸念を残した留保条件つきだ。手放しで「安全確保」と言えない現実を踏まえ、再稼働の是非も、原発で発電する割合も再考すべき時だ。