2008年12月4日(木曜日)
先日タミヨさんは、伯父さん(タミヨさんの兄)の法事に
行き、ギンナンをどっさり、もろてきたんやそうです。
なぁ、あんた ギンナン好きか?
ウン、煎ったのに塩ふったんが大好きや
なんて、会話を交わしたのが2日前・・・
今日のディナーのテーブルには、なんと!
どんぶりにやまもりの、ギンナンの煎ったわらが・・・
あんなぁ、もろただけ全部、煎ったんか?
ウウン、半分ほどや
おかあさんなぁ、もうさっきから、20個以上は食べとるで
精が強いんにゃさけ、あたまのぼせて、鼻血だしてもしらんで
ほやけど、とまらんにゃわ・・・
ほんなうまいもんやないけど、なんでかしらん
つい食べてまうんにゃって
いくら好きでも、こんなぎょうさん、食べられんで
ほれにしても、ちょっと おおさわやわ・・・
残ったら、持っていんだらええやんか
今日の夕飯は、けっしてギンナンだけやなかったけどね・・・
(念のため)
こぐり(かわはぎ)の炊いたんと、ホウレンソウのおしたし、
大根とこいもの味噌汁にきざみづけ・・・
それに、どんぶりいっぱいのギンナン・・・
さっきからそのもろてかえってきた、
ギンナンをつまみにお茶を飲みながら
パソコンにむこてるわたしです。
さてさて、昨日は東京ドームでの
ジュリー・還暦コンサート・・・
そのニュースをネットで読みながら
なぜか涙があふれだしたわたしです・・・
唐突ですが・・・
♪片手にピストル
心に花束
唇に火の酒
背中に人生を
アア アア アア アアア
『サムライ』は阿久悠さんの作詞・・・
好きなんです・・・この歌詞・・・
それにしてもジュリーはすごい!
80曲を歌い続けた体力と精神力・・・
上野千鶴子さんにジュリー・・・
いま「ジャス・カン」(ジャスト・還暦)の人たちは、
ほんとうに熱い!
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081203-00000014-oric-ent
【還暦・沢田研二、壮絶6時間42分ドーム公演
80曲目は 「愛まで待てない」】
(12月4日9時32分配信 オリコン)
大団円は笑顔だった。
午後3時に始まった宴は、夜9時42分、
主役の思いきりのスマイルで幕を閉じた。
12月3日(水)、東京ドームでの
沢田研二「人間60年 ジュリー祭り」。
先週末の大阪・京セラドームに続くジュリー初の
巨大ドーム公演は、途中休憩を除いても
6時間20分に及ぶ、圧巻の超ロングライヴ。
ラスト80曲目は「愛まで待てない」だった。
沢田研二のプロフ
「6月25日に無事還暦を迎えました。今日は80曲歌います!」
前半は42年のキャリアのたどり直しである。
60年代のGSアイドルとして君臨したザ・タイガースの
「シーサイド・バウンド」「君だけに愛を」では
当時からのファンが大歓声。
萩原健一らとの短命のスーパー・バンド=PYGの
「花・太陽・雨」は重厚なサイケデリック・バラードだ。
続いてソロ期に突入し、
70年代前半の「許されない愛」「追憶」、
エキゾティクスを従えた80年代の
「6番目のユ・ウ・ウ・ツ」
「晴れのちBLUE BOY」。
ヤマ場は、内省的な「ある青春」に続いての26曲目
「いくつかの場面」
(75年作/作詞作曲は故・河島英五)だった。
<いつも何かが歌うことを支え 歌うことが何かを支えた>と
歌う沢田が感極まり、
「最近は涙腺がゆるくて、もうグチョグチョ!」。
その波動が客席に伝わってゆく。
第2部に入ると、甘さと強さの共存するボーカルが
そのロマンチックな味わいをより増してゆく。
なんという声のたくましさ!
しかも広い舞台を走り、花道を駆けて、だ。
これはコンサート・ツアーを毎年全力でやってきた
彼の積み重ねの賜物だろう。
「ありがとう。サンキュー。ありがとうね!」
48曲目はドラマチックな「サムライ」、
58曲目は東京ドームに似合いすぎの「TOKIO」、
手拍子が響いた66曲目「危険なふたり」。
しかしこうした昭和時代のスーパー・ヒットに
拮抗する存在感を見せたのは、アルバム中の隠れた名曲や
沢田自身が思い入れのある歌の数々だ。
とくに幸せをつかむことや生きる喜びを歌った
ここ20年あまりの楽曲には、彼の人生観が深く宿っている。
本編最後は最新アルバムの表題曲「ROCK’N ROLL MARCH」。
両翼スタンドに陣取る総計1000人の正装のコーラス隊が
4曲で加わった以外は、4人編成のシンプルなバンド演奏のみ。
特別なゲストも派手な演出もないのが
今の沢田らしさを示していた。
「勝手にしやがれ」「時の過ぎゆくままに」等を投下し、
ついに迎えた80曲目はポップな
ロックンロール「愛まで待てない」だった。
沢田は自身の頑なさゆえに楽ではない道のりを選んできた。
しかし過去を安売りしないその姿勢があったからこそ、
彼はシンガーとしての気高さと色気ときらめきを
保ったまま還暦を迎えられたのだと思う。
「明日からまた頑張りまーす! 夢をありがとう!」
3万人の多くは、笑顔で去ろうとするこの最高のシンガーに
拍手を送りながら思ったはずだ。
「感謝したいのはこちらです。
私たちに今でも夢を見せてくれているのは、
ジュリー、あなたじゃないですか!」と。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081204-00000046-spn-ent
【ジュリーが泣いた!41年で初ドーム80曲】
(12月4日7時4分配信 スポーツニッポン)
沢田研二(60)の還暦記念コンサート
「人間60年・ジュリー祭り」が3日、
東京ドームで開催された。
ザ・タイガース時代の曲をはじめ、
計80曲を約6時間半にわたって熱唱。
デビュー41年で初のドーム公演となり、
自己最多となる約3万2000人を動員。
「すごく気持ちいい」と感激し、
泣きながら歌う場面もあった。
ジュリーが泣いた。
26曲目の「いくつかの場面」。
80曲のうち唯一、ここで涙があふれた。
本名澤田研二の素顔まで垣間見えた瞬間だった。
75年に発売されたアルバムのタイトル曲。
当時無名だった故河島英五さんが作詞、作曲した。
♪まぶたを閉じれば、
数々の想(おも)い出が胸をあつくよぎる…。
振り返ればアイドル時代、ソロ転向、事務所からの独立、
離婚、再婚などを経て今がある。
そんな“いくつかの場面”が脳裏をよぎったようだ。
出会いと別れの60年だった。
久しく会っていないタイガースのメンバー。
河島さんだけでなく、ヒット曲の数々を提供してくれた
阿久悠さんや安井かずみさんも亡くなった。
どんな時も目の前にいるファンは支えてくれた。
沢田は誰かを抱きしるポーズをしながら男泣きした。
「僕は夢見る男ではありません。
でもみなさんが夢の中に連れていってくれました。
そしてまたきょう、夢の中に連れて行ってもらいました」
上ずる声であいさつした。
客席には妻で女優の田中裕子(53)や元タイガースの
岸部一徳(61)と森本太郎(61)の姿も見られた。
91年の25周年記念公演以降、
往年のヒット曲を中心としたコンサートを封印してきた。
現役にこだわり、過去を振り返ることを嫌ってきたためだ。
一方でファンへ恩返ししたい気持ちも強く、
今年6月25日の誕生日からスタートした
全国ツアーで封印を解いた。
京セラドーム大阪(11月29日)との
2大ドーム公演の開催を発表してからは大好きな酒も断った。
「40歳の時は60歳をジジイと思ってました。
でも、そうではないんですね」と語っていたが、
この言葉を証明するステージ。
序盤から幅50メートルのステージを
縦横無尽に駆けめぐった。
トークは少なく、ほとんどぶっ通しで歌いきった。
最後は「2008年12月3日、仏滅。
私はこの日を忘れません」と一礼。
ファンと一緒に関東1本締めで締めた。