襟裳岬知ってますか

2016-08-21 06:37:40 | 出来事

道民は知っていると思うけど、襟裳岬の知名度はどのくらいのものだろう。 地理に疎い私は竜飛岬は歌で知ってるけど同じく歌で名前を知ってる佐多岬は何処にあるか知らない、きっと襟裳岬の知名度もそんなものだろうと思う。 ~襟裳の春は 何もない春です~ と歌う森進一もすっかり爺さんだし、 ~風はヒュルヒュル 波はザンブリコ~ と同じく襟裳岬を歌う島倉千代子は亡き人。 その歌を知ってる世代もじじばば若しくはおじさんおばさん。

昔、広尾町に住んでいた事がある。 海へ降りていく道がそこから襟裳へ続く「黄金道路」となっている。 隋道とトンネルばかりで悪天候の時は走行している車まで波をかぶり、おっかない道路だった。 嘘か本当か分からないけれど「黄金道路」という名前の由来は、度々の決壊で費用がかかるからだと聞いたことがある。 そんな怖い思いで襟裳岬へ着いても髪が逆立つような強風で、小さな店が一軒あるだけの本当に何もない所だった。 

16日、台風上陸と共に名古屋から弟家族がやってきた。 然別湖と襟裳へ行きたいという。 翌日然別湖へ、降ったり止んだりだったけど然別湖へ着いたときが一番のどしゃ降りだったけど風がなかったから湖畔の近くまで行って湖と空の区別がつかない一面灰色の景色を見てきた。 

翌日は台風一過、気乗りがしなかった襟裳岬へ出発、晴天のドライヴ日和だった。 「黄金道路」は隋道よりトンネルが多くなり、しかも綺麗だけどで長くて閉所恐怖症の私は少々息苦しかったけど、海沿いよりずっと内陸に入った箇所も多くて安全だった。 襟裳岬へ到着して又びっくり、風はない! 駐車場は車もオートバイもいっぱい、途中にはオートキャンプ場もあった。 資料館も出来ていて一軒の小さなお店は大きくなって、中の食堂は大繁盛だった、ヒェ~~って感じ。 

考えてみると、私の「黄金道路」や「襟裳岬」に対する印象は50年くらい前の話、半世紀前? そう考えると恥ずかしい認識不足  
襟裳岬は健在だった  何もない春から、無骨な大自然で魅力的になっていた。

 

この岬の先、干潮には点在する岩場まで歩けた様な気がする、50年前の記憶?