文化の日、11月3日は晴れの得異日、確かに小春日和の穏やかな一日だった。 帯広菊まつりも最終日、親が行きたいと云っていたので出かけることになっていたけど、朝食後、熱が38℃あると云ってくる。 どこを触ってもそんなにある程の熱感はなく測り直すと血圧共に異常なかったけれど、結局行かない事にした。 タイヤ交換と美容院を後回しにしていたけれど何となく出かける気をそがれ、一歩も外へ出なかった。 去年はマイケルジャクソンの映画を見に行って帰りにカラオケに寄り満足の一日を過ごしていた。
昨日、新しい手帖と以前から気にかけていた三年日記を買った。 新年から3年間毎日日記を書く、それを自分に課すこととした。 3年って自分にとって何となく区切りが良い、後3年位なら生きているだろう、後3年くらいならこの程度の健康を保っているだろう、後3年くらいなら親もこのまま元気でいられるだろう。 それが5年だと何かしら状況が変わっているのではないかと思えるのだ。 日記と云うほどの物ではないけれど2000年から10年間使った手帖をとってある。 何となく捨てられずにいたけれど、新年になったらさっぱりと捨てようと思う。
十冊の手帖を拾い読みすると、それなりに頑張っていた自分がいた。
昨日、新しい手帖と以前から気にかけていた三年日記を買った。 新年から3年間毎日日記を書く、それを自分に課すこととした。 3年って自分にとって何となく区切りが良い、後3年位なら生きているだろう、後3年くらいならこの程度の健康を保っているだろう、後3年くらいなら親もこのまま元気でいられるだろう。 それが5年だと何かしら状況が変わっているのではないかと思えるのだ。 日記と云うほどの物ではないけれど2000年から10年間使った手帖をとってある。 何となく捨てられずにいたけれど、新年になったらさっぱりと捨てようと思う。
十冊の手帖を拾い読みすると、それなりに頑張っていた自分がいた。
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歓送迎会は緊張しましたね、100名弱の職員ですから役員はなかなか回ってきませんでしたが、回ってきたとき私も長でした。 新規採用がものすごく多いとき20名?位、紹介の名前読むのに気を遣いました。
今は昔です。
1997年4月1日(火)10時30分他の部署(?)に移動の為挨拶。やはり胸一杯で思うような挨拶が出来なかった。只、昨夜は皆さん、50名ひとりひとりに心込め感謝のメッセージを書かせて頂いて居りましたら夜中の2時すぎになってしまいました。本当に有り難う御座居ました。と、言うだけが精一杯。
今は亡き、くい込み○鍋さんが立派な言葉で送って呉れ
感激で涙。。。
夜は友愛会歓送迎会。幹事長であり超緊張!
。。。と、記録してありました。何で私が幹事長だったんだろう?。。。
お別れしてから約2か月、、、、asagao007さんの苦悩の様子を○○○○通信NO6で知り、心痛む私がありました~~{panda_2/}
手紙見たく→手紙みたく
すみませんm(__)m
処分しないでください。女手ひとつで四人もの子供さんを育て上げ、長男の嫁としてずっと姑さんとも生活を共にしてきたのですから、頑張った生き様を残してください。 私の十年は短い言葉の綴りです。楽しいこともあったんだろうけれど、辛かったこと苦しかったことばかり鮮明に思い出されます。
異動で就いた部署での2年目の年度末、毎日血圧が上がっていました。当直の日は測るのが怖いくらいでしたが、仮眠も取らずいつも仕事してましたね。 数ヶ月前に辞めた二人の職員が受け持っていたケースを引き継ぎ、自分の分を入れると18名分のケース記録を書かなきゃならない、あらゆる書類を綴じなければならない、台紙を作りテプラを打ち、物品の在庫整理、併せて職員で作る会の役員でもあったので、歓送迎会の準備、私は司会進行をしなければならない・・・全部抱えてしまって、他の協力が得られず、得ようとせず、つくづくと自分の不徳を感じた日々でした。 4月2日の歓送迎会、朝、不整脈で時間給を取って病院へ行ってからの出勤でした。 それからずっと高血圧と心臓の薬が定期薬になりました。
いや~ぁ 手紙見たくなっちゃいました^_^;
3年って、本当に区切りと言うか、3年前の自分と?今と?の比較や色んな世の中の変化とか?結構面白いものがあるものです。
今だから、、そんな面白い!なんて言っていますが,色々な事が有り過ぎて、、、でも、本当にそれなりに良くぞ、へたばらないで?今日まで頑張って来たもんですね~。人には見られたくないし、あと2年程で処分しようかな?
三年日記って楽しみです。 10年の過去は自分だけの思い、もう必要有りません。 来年からはきっと後々まで残っていくもの、多分誰かに処分して貰うものだから、それは私の生きてきた証になるのでしょうか。
手帳とサヨナラしないでください
どんなふうに生きてきたのか?
自分の老いをどうしていくのか・・・
生きる速度を少し落として無理せず生きていければ・・