天地公道(人生の処方箋)

私達人も天地自然に生かされて、
人力を尽くし、自分の運命を切り開きましょう!

命と運

2022-06-07 11:09:00 | 運命
令和4年6月7日人生の処方箋
[今 この瞬間を照らす]ライン日記

ああ、ありがたい預かりもののこの命。生かされているこの時に感謝。こんな心を求められていながら、なかなかそんな人に出会えません。それほど、人は人生の荷物を背負っているのです。

そう簡単にいかないから、御神尊様が『運と命の関係、それに今の時』をとかれるのでしょう。命は昨日に、あるいは明日に存在するのでもありません。今日ただいまです。

その悟りは、やはりこのクセをつけることです。それは何かにつけて、手を合わせるというこれもクセ。ムカついたら、カッとなっても、両の手と心の手を合わせるクセ。感情の処理をそこにもってくることです。

命は、よそにあるのではなく、この両の手の間にあります。
これのクセにより、幸せは手に余るほどになりましょう。やります。!

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霊性開発

2022-06-07 11:07:00 | 運命の認識
令和4年6月6日人生の処方箋
[受容する柔らかさ を養う]ライン日記

赤ちゃんは周りのもので視覚を、抱っこで聴覚、触覚を、お乳は臭覚、味覚を育てます。五感と共に六感も発達するといわれています。

六感は感知能力といわれます。ところが親はそれぞれの性格という個性があって、子どもはそれに影響されます。なかには鈍感も存在することになります。

親が穏やかで笑顔で呼吸できれば、その子もまた柔らかく物事を観る霊性が養われ、六感に護られることにもなります。スピリチュアル的で、直感力、霊感などは、御神尊様の説かれる人間力につながるものです。

私のように親に縁のないものは、のちに御神尊様の霊力で鈍感から抜け六感の扉が開き、運命開拓の扉もひらきました。

とにかく、ものごとを柔らかく受け入れることが、霊性開発で思わぬ天地の恩恵によくするものです。やります!

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時間をむだ

2022-06-07 11:03:00 | 信仰と生活
令和4年6月5日人生の処方箋
[今に生きるは 心の鍛錬から]ライン日記


現に、今生きていながら、意外にも心は過ぎたことにこだわるものです。実はそこに存在していないにも関わらず、意識は目の前にあるかのように思ってしまうのです。

では、歳を重ねたから今を悟ったかといえば、性懲りもなく、家族を咎め、人に腹を立てては、後で後悔する日々は無駄な時間を痛感するだけです。

今のこの瞬間、どうすればいいのか。つまりはこの命の大切につながることです。『授かりものの命、もったいない』これが悟りの一歩です。

それは合掌の生活からうまれるものです。見えるものに合掌、聴こえるものに感謝は、日々の穏やかな心を育てます。
修羅のような荒んだ生活は、テレビの中だけにしましょう。
私たちは、苦悩を糧に心の鍛錬に励んでいます。やります!

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全ては己次第

2022-06-07 11:00:00 | 人生
令和4年6月4日人生の処方箋
[地獄の沙汰も あなた次第とは]ライン日記
(昨日に続く2)

世間では『地獄の沙汰も金次第』地獄のえんま様も金次第で、罪を軽くするといわれています。

6月1日の情報では、某国は30%の賄賂がなければ、交渉は成立しないそうです。国民は12時間の停電に苦しみ、国としても傾き、日本や諸国の援助でやっと生きています。これなどは、この世ですでに生き地獄ではありませんか。

日本にも、形こそ違えすでにこの世に『じごく、ごくらく』がウラオモテで存在しています。数千年の歴史を経て、運命は宿命と混同され、さわり祟りとどれほどの人々におそれを与えてきたでしょうか。

昭和21年の戦後、合掌の我が心に『運命とは心の使い方と生活の人間関係にあり』と、20年の苦行の中から叫ばれたのが御神尊様です。『あなたの心次第です』あの世を待つまでもありません。今、幸せな生涯をまっとうすることができるのです。やります!
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死後の世界は

2022-06-07 10:58:00 | 信仰人生
令和4年6月3日人生の処方箋
[じごく ごくらく 紙一重]ライン日記
(その1)

現在、佐賀城本丸歴史館では、かつての藩主と禅僧の関係絵図や真筆の文書などの、特別展が開催中です。
印象に残ったのは、『じごく、ごくらく図』で、えんま様の絵図には、思わず学芸員の解説に耳をそばだてました。

とくに私は、脳内出血で死線を体験し、臨死の境界をさまよいました。ベットに横たわりながら、有り余る時間で幽顕の世界は、私の宝ものとなっています。

これは十王絵図といいます。生前、知らない間に人を傷つける、悲しませる、わざと意地悪するなど、これを罪としています。じごく絵図で戒めています。

かたや、ごくらく図で心安らかな世界を思い、さてこそ人に親切にして罪の軽さを願うと『地獄の沙汰も君次第』とは、言いえて妙ではありませんか。?明日も少し触れてみましょう。やります!

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