令和2年11月7日
[何を見ても 何を聞いても 何をいうても 何をしても
ただ 嬉しく楽しき日暮らしの処]
人は心が愉快であれば、1日が短く、心が辛いとわず4キロも歩けなくなります。
これが心のありようを感じさせます。
そこには、過ぎたことで心を煩わせている様子を、かいまみるようです。
とにもかくにも、今日も新しい朝なんですよ。
幸せになりたい気持ちの良い朝でありたい、そう思うのは誰も同じです。
でもそこには、必ずしなければならないことがあります。
それは、『起きればおはよう』『行ってきます』『ただ今』『ごちそうさま』『お休みなさい』
当たり前のこと。何ら目新しいことではありません。
でも、3日もすれば飽きることを、幸せを実感している人は知っています。
だから、合掌の力を借りて日々を清算しながら、倦まず弛まず実行しています。
今日も生きて、生かされていることがわかっているからです。
どんなに正義に感じても咎めることは、幸せの条件、健康の条件にはありません。
今日こそは、人を赦してみませんか?相手はほっといてもいいんです。
相手の気分まで心配してこれを治す必要はありません。どうせ、直すことはできませんから。
努力する人は希望を語り、咎める人は不満を語ります。
それだけはやめましょう。
結論、為すべきは私にあり、成るは天の慈悲にあります。やります!
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