朝焼けを見るために

神様からの贈り物。一瞬の時。

つまらぬことをつれつれ想う

2008-12-06 17:18:13 | 徒然に
つまらないことほど、つまらないことではなく、
真剣に考えないといけないことなのかもしれない。
かといってじっくり考えてみたところで、
何かが解決できるのか?と思えば、意外にそうでもなかったりし、
こうしてつれつれ思い悩むスパイラルに突入する。

ただ、当て馬やつなぎに使われるのは我慢できないな。
そう思いはじめていることだけは確かなこと。

かといって面と向かって、それは我慢できないことなのだ!と声を荒げて叫ぶこtもできないでいる。
なぜできないのか?
やっぱり、良い子でいたいだけなのだろうと思う。
良い子でいることの居心地の悪さと、自虐的な自己満足だけなのだが。

立場的には放り出せるじゃないかといいながら、そうすることの恐さがあり、
そうなったらどうなるのだろうか?と自分のしたことに後悔するだけなのだと。
自分が納得のいくことはどうすることなのか。
何もはじめなけらば、はじまることはない。

はじめようとする一歩はいつ踏み出すのか。
その時に、自己を押し出す強さはあるのだろうか。


言葉の端に、引っかかるものを覚えながら、まだいつまでも良い子を演じ続けようとする。
嫌だ!!
といえない、それが今までにどんなことを引き起こしてきたのか。
良かれと思ってしたことが、すべてが正解だったとはどうしても思えない。
それは、自分に対してのものなのか?結果的にそうなってしまった物に対してなのか。

自己の中で十二分に整理尽くしてからでないと、言葉に出していえない。
いや言わないからいつまでも整理をつけることができないのだろう。
言わないことが美徳だとでも思っているのか。
いい加減な思いだけで続けていこうとしているわけでもなく、
頑張りつづけることによって、自分が背負っていくものが多くなる。
背負わされてしまったものはおろすことはできないのだろうか。

安易には浴びせられる言葉の中に、それを間に受けていいものなのか、それとも馬の鼻先につるされた人参なのか。
いつまでも判断がつかない。

どのタイミングでNO!!と叫び、どのタイミングでYES!!と叫ぶのか。

すべてが整ったときに、チャンスは必ず来る!!
その整ったときはいつ?
その判断を間違わずにいられるのだとうか

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