必ずしも、自分だけが正しいなんて思ってはいない。
むしろ、自分の考え方はある意味偏ったものであることは、周知の事実としてしっかりと認識している。
が、決して間違ったものの見方はしてはいない。そういう育てられ方もしてはいないと思う。何よりも証拠に、私は同じように娘達を基本的なところで育てている。
世間一般に顔向けできないようなことは、何もないし。胸をはって自慢の娘達だと言い切れる。
娘達のことではない。亭主のことではない。
自分自身に向けられること。
攻撃に防御することは、生きていくうちに自然と身についてくる。
世の中を上手く生きていこうとすることも、必然のものとして取得する。
そうやって身についていくもののが、どこかでほんの少しだけ方向性を見失うと、大変なものに大変なことになる。その上、それを自覚することなく、自分のほうが正しいと間違った認識をしてしまったときの悲劇は、本人よりもむしろ回りの人間に向けられる。
向けたほうは、間違いを認識するすべを持ち合わせてはいない。自分だけが正しいのだと、間違ってはいないのだと思い込んでいるのだから・・・。
それは悲しいこと。人間として悲しいこと。
だけど、その悲しさを哀れんであげるほどの、器量が自分にあるのだろうかと、またひとつ自分への問いをする。それほどの人間だろうかと、自分を苛んでしまうのだ。
その悲しさを、本当は相手にどうやって伝えたらいいのか、わからないだけなのかもしれない。
上手く伝わらない、そのことに自分の大きさをはかっているのかもしれない。
少しのズレが、日がたつほどに大きなズレをなって現れる。ほんの少しのものは、だれもが気付くことなく見過ごしてしまう。そのときならば軌道修正は案外簡単だったのかもしれない。はずなのに。
だから、無駄だと思うエネルギーを使っても、やらなくてもいい戦いを無意識の中で挑んでしまっているのだろう。
正しいことなんて、本当は何もないのかもしれない。
でも、人間としてまっすぐに前を向いて歩いていく、そんな生き方を崩したくない。
こんなにも嘘つきな私でも、正直に生きていきたい。
むしろ、自分の考え方はある意味偏ったものであることは、周知の事実としてしっかりと認識している。
が、決して間違ったものの見方はしてはいない。そういう育てられ方もしてはいないと思う。何よりも証拠に、私は同じように娘達を基本的なところで育てている。
世間一般に顔向けできないようなことは、何もないし。胸をはって自慢の娘達だと言い切れる。
娘達のことではない。亭主のことではない。
自分自身に向けられること。
攻撃に防御することは、生きていくうちに自然と身についてくる。
世の中を上手く生きていこうとすることも、必然のものとして取得する。
そうやって身についていくもののが、どこかでほんの少しだけ方向性を見失うと、大変なものに大変なことになる。その上、それを自覚することなく、自分のほうが正しいと間違った認識をしてしまったときの悲劇は、本人よりもむしろ回りの人間に向けられる。
向けたほうは、間違いを認識するすべを持ち合わせてはいない。自分だけが正しいのだと、間違ってはいないのだと思い込んでいるのだから・・・。
それは悲しいこと。人間として悲しいこと。
だけど、その悲しさを哀れんであげるほどの、器量が自分にあるのだろうかと、またひとつ自分への問いをする。それほどの人間だろうかと、自分を苛んでしまうのだ。
その悲しさを、本当は相手にどうやって伝えたらいいのか、わからないだけなのかもしれない。
上手く伝わらない、そのことに自分の大きさをはかっているのかもしれない。
少しのズレが、日がたつほどに大きなズレをなって現れる。ほんの少しのものは、だれもが気付くことなく見過ごしてしまう。そのときならば軌道修正は案外簡単だったのかもしれない。はずなのに。
だから、無駄だと思うエネルギーを使っても、やらなくてもいい戦いを無意識の中で挑んでしまっているのだろう。
正しいことなんて、本当は何もないのかもしれない。
でも、人間としてまっすぐに前を向いて歩いていく、そんな生き方を崩したくない。
こんなにも嘘つきな私でも、正直に生きていきたい。
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