朝焼けを見るために

神様からの贈り物。一瞬の時。

どこまでが浮気で、何が本気なのか

2011-01-22 07:23:29 | 徒然に
こんなことを書いたりすると、きっと人間性を問われるのではないか?そう思うが、これは私自信の日記のようなものであり、一応WEB上に公開はしているというものの、人様の判断をどうのこうのというものではない。



なぜか、結婚当初から亭主の浮気(遊び)に関しては一向に腹がたったことがない。
平日も、当時はまだ勤めていたわけで、時間になればぴたりと終わる。
が、しかしそのままパチンコ屋へ直行、まっすぐに家に帰ってきたことはない。負ければほどほどの時間には戻ってくるが、勝っていれば閉店まであそんでくる。
休みとなれば、開店前から並び、閉店までもどってこない。
この間には、友達と飲み歩き、チャンスがあれば女遊びもする。パチンコだけではない。競艇、競馬、マージャン、一通りのことはする。

だからと言って、それをどう咎めるということもなく、そういう気になることもなく過ごしてきてしまった。
浮気?をしてきたときは、なんとなくわかる。ふ~~んと思いながら「何かいいことあったの?」なんて水を向けようものなら、自慢げに鼻hし始める。
別にどこのだれと遊んでこようがどうでもいいが、詳細まで亭主の口から聞くのはあまり気分のいいのもではない。
だからと言って、嫉妬に狂うということは一度もなく、私はどこかの螺子が外れて愛情というものが欠落しているのだろうと思っている。
だったらなぜ、結婚生活を続けているのか?
それは結婚してしまったからにすぎない。
そして、人間としては決して不真面目でもなく、人としての道にはずれるほとの非常式な人間でもない。どちらかといえば人のいい、優しさを持ち合わせた人間なのだとは思う。
むしろ、物事を斜めにしか見ない屈折した思いを抱える私のほうが、よっぽど心根の悪い人間なのだろう。





「同じようにあそぶことはないのですか?」
そう聞かれることもあるが、基本的にはない。
そして浮気をしたこともない。

が、浮気とはいったいどこをどうもって、どこまでを浮気というのだろう?
SEXをしたら浮気だろうか?
一緒に食事をしたら浮気だろうか?
それとも、相手のこと認めたり、気持ちが向いたときを浮気と称するのだろうか?

以前、仲間と飲んだ時に、浮気を一度もしたことがないという話になった。
その子(仲間の男の人)は、
「でもいつも妄想。自分の中で思う分には、言葉にだすわけでもなくその人に触れるわけでもなく自分だけで思うだけだから、いつでも妄想だけはしている。」
そう言った。
妄想は、自分のだけの思い。
誰に迷惑をかけるわけではない(ストーカーのような犯罪行為は別)。
だったら決して浮気ではない。
が、互いに思いが通じ、互いが思い合い、ただプラトニックな繋がりであったとしも、気持ちが心が伴侶を裏切っているとすれば、それは浮気になるのではないだろうか?

そういう意味でとらえれば、私は明かに浮気をしているのだろう。

行為としては、一度も亭主を裏切ったことはないのだが・・・



とあることをきっかけに、セックスレスになった。
亭主はそれを認めようとはしないが。
もう二度と、亭主とセックスすることはないだろう。
それでも、このままの生活はたぶん続く。
結婚生活というものが、セックスだけではない、生活を守るということにある。そう私は定義したい。




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