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朝焼けを見るために

神様からの贈り物。一瞬の時。

譲り合えば水は流れ、角つきあえば水は涸れる

2011-03-04 07:28:27 | 徒然に
流れにまかせながらことを運ぼうとするならば、互いの譲り合いが大きな要因となる。
そんなことは多少の大人になればだれでも学習していることで、
理屈ではわかっているのだが、感情としては人間である以上そう簡単にはいかない。

だれにでも欠点はあり、誰にでも長所はある。

心がささくれだっているときは、どうしても嫌なことばかりが目について、
それ以外のものは見えなくなってしまう。



わかってはいるのだが、どうしてもうまくいかない。


その人の持つ優しさや、極めのこまやかさや、想いやりなんてものが、
瞬時に捕えることができるとしたら、
人は人として、丸くなっていけるのだと思う。





言い訳ばかりの生活が、楽しいものではないことは、
重々承知の上で、なんとかしようともがいてみるのだが、
もがけばもがくほどに、その見えない想いやしがらみにまとわりつかれ、ほぞけなくなってしまう。





前を向いて、一歩一歩とのぼっていけば、そんなことは簡単なことなのかもしれない。
階段を上がる。
そのことだって、ちょっと前に重心をかけて、右の足に、そして左の足にと交互に体重をかけ替えていけばいいことなのだ。

むしろうまく階段を降りることのほうがよっぽど難しい。






人はどうして自らの命に見切りをつけようとするのだろうか?
そんなことを考えるときがある。

今がつらいから。
先が見えないから、
もうじゅうぶんにいきてしまったから、
夢をみることができないから。
もういい。
あきらめてしまったから。
生きている、生かされているその意味はどこにあるのだろう。

だれも自分を認めてくれないから
だれも助けてくれないから

助けを求めるところがない

ほんの少し、頭をなでてくれる人がいれば





それが甘えだといわれても、
だれでも、ほんのすこしだけ、心を癒されたいと願うのだと思う。





泣き叫ぶ場所もわからずに、ラタンをもって闇を彷徨い歩く





おいしいものでもたべよう。
食べることは生きることだから。

たったひとつの小さな塩むすびでも、それが一番のごちそうだってこともある。




冷蔵庫在庫整理。
肉みその残りをあんにして、里芋の煮物の残りでまんじゅうに。
カタクリをつけてこんがりをさっと揚げる。





ふらりと電車にのって、その土地の駅弁をひとつだけかってみる。





生きてるってそんな些細なこと。

そして、小さくて大きな喜び。








それなのに、私は生きたがってはいない。
逝きたがってもいない。

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