流れにまかせながらことを運ぼうとするならば、互いの譲り合いが大きな要因となる。
そんなことは多少の大人になればだれでも学習していることで、
理屈ではわかっているのだが、感情としては人間である以上そう簡単にはいかない。
だれにでも欠点はあり、誰にでも長所はある。
心がささくれだっているときは、どうしても嫌なことばかりが目について、
それ以外のものは見えなくなってしまう。

わかってはいるのだが、どうしてもうまくいかない。
その人の持つ優しさや、極めのこまやかさや、想いやりなんてものが、
瞬時に捕えることができるとしたら、
人は人として、丸くなっていけるのだと思う。

言い訳ばかりの生活が、楽しいものではないことは、
重々承知の上で、なんとかしようともがいてみるのだが、
もがけばもがくほどに、その見えない想いやしがらみにまとわりつかれ、ほぞけなくなってしまう。

前を向いて、一歩一歩とのぼっていけば、そんなことは簡単なことなのかもしれない。
階段を上がる。
そのことだって、ちょっと前に重心をかけて、右の足に、そして左の足にと交互に体重をかけ替えていけばいいことなのだ。
むしろうまく階段を降りることのほうがよっぽど難しい。

人はどうして自らの命に見切りをつけようとするのだろうか?
そんなことを考えるときがある。
今がつらいから。
先が見えないから、
もうじゅうぶんにいきてしまったから、
夢をみることができないから。
もういい。
あきらめてしまったから。
生きている、生かされているその意味はどこにあるのだろう。
だれも自分を認めてくれないから
だれも助けてくれないから
助けを求めるところがない
ほんの少し、頭をなでてくれる人がいれば

それが甘えだといわれても、
だれでも、ほんのすこしだけ、心を癒されたいと願うのだと思う。
泣き叫ぶ場所もわからずに、ラタンをもって闇を彷徨い歩く
おいしいものでもたべよう。
食べることは生きることだから。
たったひとつの小さな塩むすびでも、それが一番のごちそうだってこともある。

冷蔵庫在庫整理。
肉みその残りをあんにして、里芋の煮物の残りでまんじゅうに。
カタクリをつけてこんがりをさっと揚げる。

ふらりと電車にのって、その土地の駅弁をひとつだけかってみる。
生きてるってそんな些細なこと。
そして、小さくて大きな喜び。
それなのに、私は生きたがってはいない。
逝きたがってもいない。
そんなことは多少の大人になればだれでも学習していることで、
理屈ではわかっているのだが、感情としては人間である以上そう簡単にはいかない。
だれにでも欠点はあり、誰にでも長所はある。
心がささくれだっているときは、どうしても嫌なことばかりが目について、
それ以外のものは見えなくなってしまう。

わかってはいるのだが、どうしてもうまくいかない。
その人の持つ優しさや、極めのこまやかさや、想いやりなんてものが、
瞬時に捕えることができるとしたら、
人は人として、丸くなっていけるのだと思う。

言い訳ばかりの生活が、楽しいものではないことは、
重々承知の上で、なんとかしようともがいてみるのだが、
もがけばもがくほどに、その見えない想いやしがらみにまとわりつかれ、ほぞけなくなってしまう。

前を向いて、一歩一歩とのぼっていけば、そんなことは簡単なことなのかもしれない。
階段を上がる。
そのことだって、ちょっと前に重心をかけて、右の足に、そして左の足にと交互に体重をかけ替えていけばいいことなのだ。
むしろうまく階段を降りることのほうがよっぽど難しい。

人はどうして自らの命に見切りをつけようとするのだろうか?
そんなことを考えるときがある。
今がつらいから。
先が見えないから、
もうじゅうぶんにいきてしまったから、
夢をみることができないから。
もういい。
あきらめてしまったから。
生きている、生かされているその意味はどこにあるのだろう。
だれも自分を認めてくれないから
だれも助けてくれないから
助けを求めるところがない
ほんの少し、頭をなでてくれる人がいれば

それが甘えだといわれても、
だれでも、ほんのすこしだけ、心を癒されたいと願うのだと思う。
泣き叫ぶ場所もわからずに、ラタンをもって闇を彷徨い歩く
おいしいものでもたべよう。
食べることは生きることだから。
たったひとつの小さな塩むすびでも、それが一番のごちそうだってこともある。

冷蔵庫在庫整理。
肉みその残りをあんにして、里芋の煮物の残りでまんじゅうに。
カタクリをつけてこんがりをさっと揚げる。

ふらりと電車にのって、その土地の駅弁をひとつだけかってみる。
生きてるってそんな些細なこと。
そして、小さくて大きな喜び。
それなのに、私は生きたがってはいない。
逝きたがってもいない。
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