昨日の夕方近くからエアコンがなくてもよくなり、昨夜は久し振りにエアコンを付けないで寝ましたが、涼しくって安眠出来ました。
今日がお昼まで雨が残るように言っていましたが、朝9時くらいからは快晴になりました。
従って、最高気温は昨日の288℃から32.1℃になりましたが、最低気温は24.5℃から21.9℃へ。
涼しい朝になりました。
こんな日にはよく歩けたはずですが、今日は朝寝坊しましたし(6時過ぎ)、スピリチュアルなお勉強や瞑想をする日でしたので、そのまま8時近くまでお部屋で過ごしました。
今朝の果物
気温は低く涼しかったのですが、9時頃からこのお天気。
暑くならないうちにゆうちょへ。
そのまま銀行へ行こうと思っていましたが一旦家に帰りました。
こんなに綺麗な青空を見たのは久し振りでした。
我が家のお花
朝顔は二輪咲いいたようですが、雨に打たれてこんな状態に。
しばし休憩して、やっぱり銀行に行くことにしました。
そして、ATMでも大丈夫だったのですが、よく我が家に来て下さる女性スタッフが窓口に出ていらしたので、窓口から入金。
あとから考えたらこの時間がないと出会わなかった人達と出会いました。
銀行からの帰り道、教会から出て来た外国人と日本人の神父様らしき方を見かけました。
一旦は素通りしたのですが、ユリの花が咲いているのが気になって写真を撮りに戻りました。
すると先程の2人が公園の出口あたりでご近所さんに何かを聞かれている風。
教会に用事に違いないと思い、声をかけましたら神父様に会いにいらしたそうで、時間が合えばごミサを一緒にお捧げしたいと思っていらしたようです。
どちらとも日本語が話せましたが、1人はスペイン人、1人は韓国人の神父様でした。
そこで立ち話をするのも暑いですし急ぐ旅でもなさそうでしたので、「では、私の家にいらっしゃいますか」とお誘いしましたところ大喜び。
1週間、お仕事を休んで、岡山の教会や修道院を廻っておられるようでした。
お遍路みたい
今日は岡山教会に寄られたそうですが、神父様は広島に行かれていたとか。
そこで、歩いて、南教会までいらしたようでした。
どの道をいらしたかわかりませんが、7kmくらいかな。
我が家には1時間半ほどいらしていろいろお話をし、玉野にも教会があることをお話しすると行ってみると言われていました。
又、帰って来て今夜は南教会に泊まろうと思っていらしたようですが、どうなったか。
とにかく携帯も持って歩かれていませんので。
一応、ごミサの時間等はお伝えしましたので、今夜の交流の家でのベトナム語のごミサと明日の金曜日の日本語のごミサの両方を考えておられました。
聞けば、スペイン人の方は6歳の時に新潟に家族で引っ越して来られたようです。
昔のことで、しかも引っ越した先が田舎だったので、いじめにあったりしたそうで、心がすさんでいたそうです。
親も神様も恨んで自暴自棄。
それでも、11人兄弟の真ん中で放っておかれたけれど勉強はよく出来たそうで、望みは全部叶ったけれどもすごくむなしくて、何歳の時だったかに教会で、毎日祈ったそうです。
その時には神父になってもいいからと願掛けみたいなこともしたと言われていました。
すると5日目だったかに、いろいろな苦しい時に神様はいつも一緒に居て下さったという絶対的な確信と深い平安を感じ、その時から生き方が変わったと言われていました。
結局、道は司祭への道ではなく、その直後に電話がかかってきた女性との結婚の道が示されたそうです。
彼女とは15歳の時にあったきりだったそうですが、なぜかその時に電話をくれて、交際が始まったそうです。
彼女はイタリア人で、ずっとうつ病を患っておられるようです。
韓国人の神父様は4人兄弟の2番目。
ずっと韓国に住んでおられたそうですが、初めは司祭になろうなんて思われていなかったと言われていました。
でも、いろいろあって(朝鮮が2つに分かれたとか)住んでおられたところと姉妹縁組をしていた高松市の神学校に入られて、そこからイタリアに送られて、イタリアで叙階(神父様になること)されたそうです。
そんなお話とか、イタリアの話、スペインの話など1時間半くらいを楽しく過ごさせて頂きました。
最後に母や私の家族の為に特に祈りますと言って下さっていました。
私は何だか、巡礼者のお接待をさせて頂いている気がしました。
知らない人を家に招き入れるなどまずないことですが、信仰が同じという点で不信感は全くありませんでした。
お遍路の場合きっとこんなに長く話すことはないでしょうけれども、四国の方々もこんな感じかなとふと思ったりしました。
今日は私との出会いが神様の思し召しだったと言われていましたが、こんな出会いは滅多にあることではないので、確かにそうかもしれません。
毎日、さほど変わらない日常を過ごしていますが、毎日、何かしら書くことがあります
母が帰って来る前の2時半頃、ケアマネさんが来られました。
そして、母の希望しているリハ付きのショートが3か月でなくても、30日+1日から可能であることを教えて下さり、一覧表を下さいました。
母は3時に元気に帰って来ました。
このことを話しますと「行く」と言います。
元々3か月は長いけれども1ヵ月なら行きたいと言っていました。
でも、本当に行きたいと言うとは思いませんでした。
母に「1ヵ月よ。大丈夫なの」と尋ねますと「このままじゃあ歩けなくなる。歩きたいから」と言いました。
リハ付きショートでは目標を設定して個別に毎日がんばるそうです。
早速、いくつかに連絡をしてパンフレット等を送って下さるように依頼しました。
97歳、すごい
昨年も同じようなことで悩んでいました
昨年の今日の記事
友人との時間&母のショートでの話&コロナ感染者数過去最多&カノン【Healing Classical Music"Canon"】
★致知一日一言 【今日の言葉】
聖光学院はなぜ甲子園で快進撃を続けるのか
うまい選手よりも強い人間になれ。
強い人間とは言い訳をせず、
何事も人のせいにしないこと。
強い人間の集まりになれば
絶対に強いチームになる
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斎藤智也
(聖光学院高等学校硬式野球部監督)
月刊『致知』より
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昨日、行われた甲子園三回戦で、
聖光学院(福島)が6年ぶり5度目の
ベスト8入りを果たしました。
平成11年より監督を務める
斉藤智也氏はいかに「強いチーム」を
作り上げてきたのでしょうか?
安岡正篤師にも影響を受けたという
斎藤氏のお話をご紹介します。
■聖光学院はなぜ、
甲子園の切符を手にし続けるのか?
斎藤智也監督流「強い組織」のつくり方
↓ ↓ ↓
【記事はこちら】
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