夕方近くまで晴れ間が出たりしていましたが、予報通り雨になりました。
しかもかなり本格的に降っています。
この雨は月曜日まで続くようです。
今朝のお散歩より
教会のカラーも昨日までは3輪目がまだ咲いていませんでしたが、今朝は開いていました。
我が家のバラ
今朝の果物
朝から雨が降ると思っていましたが、晴れましたのでお洗濯。
お洗濯物を干しながら、空を見上げてはうっとり
ふと見るとレモンの花が咲いていました
甘い香りがします。
何ともう柏葉紫陽花が咲き始めました。
Rちゃんが撒いた種がこんなに成長しました。
それにしても何ともダイナミックな撒き方です
今日の母はまずまず。
以前、緑内障のお薬を飲んだ時にも元気がなくなり食欲不振になりましたが、今回もそんな感じです。
このお薬は1週間だけですので、明日で終わりです。
母は前回、ケアマネさんがいらした時に、「今の一番の希望はリハよりお風呂」と言い、ケアマネさんが「では、試しに」と言われて、月曜日から行っているショートを今回だけ日曜日から行くことに変更して下さいました。
3泊でなく4泊すればお風呂に2回入ることが出来ます。
と言うことで、母は明日からショートへ。
そして、私もいろいろな条件が揃いましたので、明日から友人とプチ旅行をしてきます。
お互いに介護をしていますので、まだまだ何が起こるかわかりませんし、宿泊先の予約も電話で何回か問い合わせたりネットでチェックしたりしてきましたが、まだ最終的に決定していません。
明日、無事に出発出来たら、午前中までに連絡すればOKのようです。
ありがたい。
母とは先程の9時まで、イギリス国王の戴冠式を観ていました。
母はその間、TVを観ながらゆっくりあれこれ食べていました。
そして、終わって9時のお薬を飲ませ、Pトイレに行ってベッドへ。
今日も無事に終わりました。
感謝
★致知一日一言【今日の言葉】2023.0506
幕末の志士・橋本左内14歳の決意
稚心を去る
気を振るう
志を立てる
学に勉める
交友を択(えら)ぶ
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橋本左内(幕末の志士)
○月刊『致知』6月号【最新号】
特集「わが人生の詩」より
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●幕末の志士・橋本左内が
14歳の決意を綴った『啓発録』。
5つの言葉には、左内の決意が漲っています。
左内の気骨が伝わってくる
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★致知出版社の「ご縁メール」
≪現代にも生きる橋本左内『啓発録』【最新号のすすめ】≫
幕末の志士・橋本左内。
惜しくも若くして散った左内の志は、
14歳で著した『啓発録』を通じて、
いまも現代に息づいています。
長年にわたって空手道場「瀬戸塾」で、
人間いかに生きるべきかを
子供たちに説き続けるのが、
塾長を務める瀬戸謙介さんです。
「瀬戸塾」では
『啓発録』を生き方の手本として、
左内の志を伝え続けてきました。
本誌では、橋本左内の人物像はもとより、
『啓発録』の本質的な教え、さらには、
その志に啓発された子供たちの様子も
お話しいただいています。
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左内が表舞台で活躍したのは
安政2年の10月から安政5年の10月までの僅か3年間でした。
しかしその学識、見識は誰もが認めるところでした。
松平春嶽は、
「彼の見識はどんな人よりはるかに優れ、
性格はあくまで温和・純粋で謙虚さを失わない人だった」
と高く評価しています。
また西郷隆盛は、
「自分は先輩として藤田東湖に敬服し、
同僚では橋本左内に敬服している。
この二人の学才、才器、見識は
到底自分の及ぶところではない」
と絶賛。
さらに左内と同様に安政の大獄で投獄された吉田松陰は、
「橋本左内と同じ獄中にいながら
逢えなかったことを残念に思う。
彼は幽閉中にも『資治通鑑』という書物の註をつくり、
獄中でも学問を論じた。
特に『獄制論』は私も共感するところが多く、
彼と会って論じ合いたいと思ったが、
彼は既に処刑されてしまった」
と、その死を惜しんでいます。
左内が処刑される1年前、偶然自分の部屋の中で見つけたのが、
14歳の時に綴つづった『啓発録』でした。
思うところがあったのでしょう、
彼は親友である矢嶋皡(あきら)に序文を書いてもらい、
1冊書き写して自分の弟と愛弟子に贈りました。
そのおかげで私たちはいま、
優れた先人の志に触れることができるのです。