今度は嘔吐の母&模様替え

2023年06月27日 21時50分45秒 | 掃除、片付け、断捨離

 今日は蒸し暑かったです

最高気温が今年最高の32.6℃もあったようです。

雨が降るのかと思っていましたが、一時晴れて、しかも湿度80%。

今年初めて少しの間、エアコンの除湿を入れました。

その後曇ってきて少し寒くなりましたので切りましたが、やはり夜になっても少し蒸します。

 

 

 今朝の果物

「世界街歩き」の初めでフランス・パリのカルチエ・ラタン( Quartier latin)をしていました。

大学生の時のフランス語のテキストがこの学生街についてでした。

とても楽しくフランス語を学べました。

ちなみに英語はシェイクスピアでした。

 

今日は9時半から「整理整頓のつねさん」が来てくれて、お台所の模様替えをしました。

食器棚の位置を変えることで、空間が出来て、すっきり。

そして、角に置いていたウォーターサーバーを母が小部屋風にしてお米などを入れていた場所を片付けて、そこへ入れましたので余計にすっきり。

 

これで、これから夏の間、ここのドアを開けていても見た目にも悪くないかなと思っています。

エアコンをかける時はドアを閉めたらいいわけです。

つねさんが午後から次に行かれるというので、何か一緒に食べたいなと思いましたが、何もない

あったのは万が一の為に買っていて賞味期限が大きく切れていた味噌味のカップラーメンだけ。

 二人してカップラーメンを食べました

午後からもブリが付いたので、お片付け続行。

そして、すっきりした空間で3時のマンゴージュース

ご近所のご主人が「掃除当番」の札を持って来て下さった時、「ユリが咲いた」と教えて下さいました。

少し涼しくなった4時過ぎ、見に行きました。

グーグルレンズに寄りますと「レインリリー」というようです。

 

その後、柏葉紫陽花がすごく大きくなってお隣に侵入していましたのでカット。

畑ではトマトが生っていました。

 

🍋レモンちゃん、健在。

 

少~し、大きくなったような。。。

柏葉紫陽花のお花とヒメヒオウギズイセンを切って生けました。

 

 

 

 

切り戻したビオラは6月まで咲くと聞いて切り戻しましたが、本当にまだ咲いています。

 

こちらは先日、大きなペチュニアを大胆にカットしたのですが、もうこんなに葉が出ています。

 

 

 夕方4時頃、ショート先から電話があり、今朝、母が嘔吐をしたとのこと。

細菌性なら続くけど1回きりだから、あまり食欲がないのに食べたのが原因かもと言われました。

心配をかけてはいけないと思われて、朝から様子を看て下さっていたようです。

その後母は眠気が強く、この嘔吐のことを覚えていないようだと言われました。

 7時過ぎ、母から電話がありました。

「ここのところ、下痢をしたり体調が悪い」と言いましたので、母はどうも覚えているように思いました。

「下痢はお薬を変えたからそのせいだと思う」と母には言い、とにかくよく寝たら身体が修復されると思いますので、寝るように言いました。

母も今日は暑かったと言っていました。

エアコンが効いていると思いますが、母も暑く感じたんだと思いました。

 

 

 

 

 昨日は私も夜更かしをしてしまいましたので、今夜は10時にはベッドに入れるようにがんばります

やはり、睡眠って大切だなあとつくづく思うこの頃です。

寝るのがもったいない気もすることが度々ですが、睡眠こそ大切にしなくてはと思っています

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2023.0627

 

食うことばかり考えるな 追悼・野見山暁治氏

 

どうやって食っていこうかと
そればかり考える生き方をしていたら、
一生涯、食うことばかり考えて
終わってしまう。
食うことを考えないでいると、
食べ物が向こうからついてくる
━━━━━━━━━━━━━━
野見山暁治(画家)
○月刊『致知』2023年6月号
特集「わが人生の詩」より
━━━━━━━━━━━━━━

●102歳の野見山氏のインタビュー記事の
紹介はこちらから

●『致知』6月号特集にご登場いただいた
現代日本を代表する洋画家・野見山暁治氏が
亡くなりました。102歳でした。

ご紹介した言葉は、野見山氏が中学生の時、
国語の教師から教えられたものだそうです。

野見山氏はこのように語られています。

「その時は嬉しかった。
食い物が向こうからやって来るなんて。
けれども、自分の人生を振り返ってみて
先生の言葉は本当だと実感しています。
ただ絵が好きでそれ以外、何もしなかったから、
いろいろないい出逢いに恵まれて、
今日まで歩いてくることができたように思います。

もちろん、生きる上では
いろいろなことがありましたよ。
最初の家内はフランスに呼び寄せて
僅か一年で病気になり闘病の末に亡くなりました。
その後、福岡でクラブを経営する女性と再婚しましたが、
もともと病気がちだったこともあって
彼女とも二十年ほど前に死別しました。

様々な人生の詩を奏でながら生きてきましたが、
いまこのようにしていろいろな人たちに支えられながら
絵を描き続けられることを、本当に幸せに思うんです」
(本文より)

コメント (8)
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