麺麭旅の 北国の町 花便り(ぱんたびのきたぐにのまちはなだより)
朝日浴ぶ 桜盛りて パンちぎる
花片の こぼれて麺麭に 降りかかる (はなびらのこぼれてぱんにふりかかる)
(花便りがあって、満開の桜、花の散りゆくさま 桜は風情があって美しい!)
・・・・・・・・・・・
天保13年4月12日に、時の政府に命じられた軍学者の江川太郎左衛門は、自身の師である高島秋帆の付き人・作太郎を私邸のある伊豆の韮山に呼び寄せた。
彼は長崎のオランダ屋敷で料理番をしていたことから、製パン技術を習得していたのだ。
パン窯を作るところからはじめ、1842年4月12日に第1号となるパンを焼くことに成功した。
これが4月12日がパンの記念日と呼ばれるゆえんである。パン食普及協議会が1983年に制定、同時に毎月12日をパンの日とした。
・・・・・・・・・・・
いまから8000年ほど前、メソポタミア文明ではすでにパンのようなものが焼かれていたといわれている。
ただ、発酵を伴うものではなく、小麦粉と水をこねて焼いたものであったようだ。
現在のパンのルーツになる発酵を伴うパンは、古代エジプトで偶発的に誕生。
徐々に製パン技術が向上していったと考えられている。
日本にパンが最初に伝来したのは、戦国時代。
鉄砲などとともに伝来し、製パン技術も持ち込まれたが、豊臣秀吉がキリスト教を禁じてからは、パン作りも言語道断。
国内にいる西洋人のためだけに、ひっそり作られるものになってしまった。
その後、上記のように兵糧としてパン作りが再開されてからは、開国もあいまって、パンは一気に広がりを見せた。
とくに神戸や横浜などの港町では盛んだったようだ。
~~~~~~~~~~~
小学校低学年の頃アンパンが大好きで学校帰りには、学校の近くのお店でたまに買って帰っていました。
「〇〇ちゃんは大きくなったら何屋さんになるの?」と聞かれたときは「パン屋さん」と答えていました。
その後三年生のクリスマスに網走の町に引越ししたのですが、お菓子屋さんの跡を買ったのでそのまま母がお菓子屋さんを始めました。
食パンとか売っていたと思います。
その後パン熱は冷えて、月に2~3度くらいしかパンは食べていません。

今はお米が一番好きですが・・。
