



5月9日は川俣町、相馬市を経て南相馬市へ行き、そのあと海岸近くを相馬市松川浦まで北上した。
前日と同じく国道6号線の福島第一原発から20キロ地点では検問が行われていたが、10日から警戒区域内へ2時間程度の帰宅が行われるということもあってか、検問所まで来てUターンさせられる車が前日より多かった。
脇道も封鎖されていたが、人気の絶えた畑に産業廃棄物施設建設反対の看板が並んでいた。







南相馬市原町区の海岸線近くを走る県道260号線を北上する。消波ブロックがあたりに転がり、遠くから見ると作業をしているように見えたパワーショベルも被災したものだった。




東北電力原町火力発電所も津波の被害にあい、復旧作業のトラックが出入りしていた。県道74号線・原町海老相馬線を北上した。





真野橋と鹿島区南右田あたりの状況。橋桁が折れて崩れ、松の巨木が引っかかったままになっていた。コワシテ下サイ、とスプレーで書かれた家が痛ましかった。





みちのく鹿島球場とその周辺の様子。球場入口に花束と白球が置かれていた。





いったん国道6号線に出て県道266号線・南海老鹿島線を東に進み、県道74号線を北上した。田畑には海岸沿いに生えていた松の木が津波によって根こそぎ押し流され、一部では畑の脇に片づけられていたが、まだ手のつけられていない所も多かった。
土壌には細かい木片やゴミが混ざり、赤っぽい溜まり水からは海草が腐敗したらしい悪臭が漂っていた。
塩分を含んだゴミを燃やすとダイオキシンが発生すると指摘されているのだが…、農家からすれば被災から2ヶ月が経っても復旧が進まず、居ても立ってもいられないのだろう。
乾いてひび割れた水田には塩が白く浮いていた。







梅川に架かる橋には漁船がめり込んだままになっていた。
県道74号線を北上して相馬市に入り、松川浦に向かったが、根こそぎに押し流されてきたおびただしい木の残骸が横たわっていた。







松川浦漁業協同組合周辺の様子。3月や4月頃の写真、映像に比べれば片づけは進んでいるのだろうが、農家や漁業者の生活を考えると胸の痛む風景が続いていた。東北太平洋沖地震・津波から2ヶ月以上が経ってメディアから伝えられる情報は原発事故に偏りがちだが、被災地の状況を実際に見て、沖縄からなにができるかを改めて考えさせられた。