昨日29日は午後から那覇に行き、県庁前広場で開かれた「9.29県民大会決議を実現させる県民集会」に参加してきた。集会は沖縄県老人クラブ連合会・県婦人連合会・県PTA連合会・青春を語る会・県青年団協議会・県子ども育成連絡協議会の6団体が主催し、約1000人(主催者発表)が集まった。「集団自決」の強制記述を削除させた検定意見の撤回と記述復活という2年前の県民大会の決議を実現させるため、新政権に要請行 . . . 本文を読む
「旧満州開拓団跡地を訪ねる旅」の初日はチチハルまでの移動で費やした。那覇空港に集合したのが午前6時半で、7時40分発の便で大阪へ。関西空港では昼食を入れて3時間半ほど待ち、中国南方航空の午後1時10分発の便でハルビンに向かった。ハルビンから列車でチチハルへ移動して国脈大厦ホテルにチェックインしたのが午後10時頃。ホテル近くのマチヤグヮー(町屋小)で缶ビール(哈尓浜啤酒と名月島 . . . 本文を読む
25日(金)は午後から名護市議会を傍聴した。問題となっている久辺三区の下水処理施設をキャンプ・シュワブ基地と一体化させて進める事業については、調査費を含む予算案が多数決で可決された。委員会付託で継続審議となるのではないか、という見通しも言われていたのだが、結局、多数与党に押し切られる。採決前の討論では、大城敬人、仲村善幸、東恩納琢磨、具志堅徹の四議員が反対討論を行い、宮城義房、大城秀樹の二議員が . . . 本文を読む
今帰仁の実家では夜になると三角サボテンの花が咲いている。月下美人と同じように一夜限りの白い大輪の花である。この実がドラゴンフルーツで、ヤンバルでは民家の庭に植えてあるのを見かけるのも珍しくない。
親戚がドラゴンフルーツを栽培していて、毎年もらってごちそうになっている。元々は建設会社を経営しているのだが、公共工事が減り、従業員を遊ばせてはいられないということで、農業にも手を広げている。そういう建 . . . 本文を読む
ハルビンからチチハルまでは寝台車に乗り、4人一組の部屋に入った。同室したSさんとGさんはともに旧真壁村出身で青雲開拓団に参加したとのこと。関西在住のSさんにGさんが今回の旅の企画を連絡し、一緒に参加されたとのことだった。もう一人のTさんは今帰仁開拓団に参加しており、私の実家から歩いて数分の所に住んでいる方。寝るには早い時間だったのでチチハルまでの3時間半余りの間、ずっと話をして過ごした。おかげで . . . 本文を読む
9月19日付琉球新報朝刊に〈北部10林道 費用対効果資料なし 県、所有せず 建設根拠に疑問〉という見出しの記事が載っている。
〈北部地域森林計画で建設作業が進められている楚洲仲尾線やチイバナ線などの10林道について、県が費用対効果の数値算出で根拠にすべき基礎資料を所有していないこと分かった。県は基礎資料なしで算出した可能性も示唆している。林野庁のガイドライン(指針)では数値算出は基礎資料に基づ . . . 本文を読む
9月11日(金)から17日(木)まで名護市議会の一般質問が行われた。野党議員の質問を中心に何度か傍聴に行ったのだが、民主党の圧勝と新政権誕生をふまえて、辺野古新基地建設に対する島袋吉和市長の見解を問い、あわせてキャンプ・シュワブ基地と一体化した久辺3区の下水処理施設問題や一般社団法人キャンプ・シュワブ・サポート事業協会(CSS)について問う質問が続いた。
写真は名護市の幹部たちである。向かって . . . 本文を読む
鳩山由紀夫氏が総理大臣に選ばれ、鳩山内閣が発足した。辺野古新基地建設をストップし、普天間基地の「県外移設」をたんなるリップサービスでなく実現できるのか。これから注目したい……、と書いて終わるわけにはいかない。注目しているだけなら実現するはずはない。これから沖縄県民がどれだけ強い意志を示し、具体的な運動として鳩山内閣に実現を迫ることができるか。全てはそこにかかっている。
社民党や国民新党が入った . . . 本文を読む
8月7日付の本ブログに〈『鉄の暴風』を訴えなかった理由〉という文章を載せた。それに対して「狼魔人日記」というブログで江崎孝氏があれこれと書いている。私が沖縄タイムスと連絡を取り合って上記の文章を書いたと捉えているようだが、現実から遊離した思いこみの激しさと憶測だけで書き飛ばすいい加減さは相変わらずだ。
ところで、江崎氏が8月10日に書いた文章の中に富村順一氏の『沖縄戦語り歩き』(柘植書房)とい . . . 本文を読む
9月8日から12日まで「旧満州開拓団跡地を訪ねる旅」に参加し、中国黒竜江省のハルビンとチチハルに行ってきた。写真はハルビン駅のホームで、チチハル行きの電車を待っているところ。手前の床に△の印があるのは、安重根が伊藤博文を射撃した地点を示している。数メートル離れた所には、伊東が被弾して倒れた場所が□の印で示されていた。1909年10月26日に起こった伊藤射殺事件から、今年はちょうど100年にあたる . . . 本文を読む
アメリカン・メモリアル・パークから歩いてホテルに戻る途中、ガラパンの街並みや奉安殿の内部の写真を撮った。奉安殿の中には御真影を置いたと思われる大理石らしい台座があったが、右上半分が壊れて欠けていた。
現地での催しの最後にホテルのホールで開かれた解散式に参加した。旅行企画を実施した国際旅行社の添乗員が司会をし、団長の平良善一氏があいさつをして、墓参団という形では最後となった旅を締めくくった。
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ウークイの翌日はアサギの庭でエイサーが行われる。仲宗根では今でも昔から伝わる手踊りのエイサーをやっている。子どもの頃は前後の大人の振りをまねして踊ったものだ。子どもから青年、壮年、お年寄りまでシマンチュみんなが一緒に踊れるのが、仲宗根のエイサーのいいところだ。それは祭りの本来の姿でもあるだろう。
今帰仁でも中部のエイサーをまねて太鼓を取り入れた字がいくつかある。見栄えがするし格好いいということ . . . 本文を読む
名護のとある所に咲いている鳳凰木の花。
旧盆で夜になるとあちこちでエイサーの歌声や太鼓、サンシンの音が聞こえている。
今日はウークイでこの世に帰ってきたウヤパープージをグソーにお送りする。仲宗根のでは今夜は、集落の外側のアジマー(十字路)を青年たちがエイサーを踊って回る。
ナーマティーダン上ガトイビークトゥ、クワッチーン酒ンウミチカウサガティ、ヨンナーシチ戻イミソーリヨー。
ウー . . . 本文を読む
サイパン島に戻り、ハファダイビーチホテルに荷物を置いてから、出発までの間に初日に行った軽食店で昼食を取り、歩いてアメリカン・メモリアル・パークに行った。時間が限られていたので歴史博物館を急ぎ足で見たのだが、サイパン戦を中心に写真パネルや戦闘用具などが展示されていて、英語と日本語で説明されている。日米両軍の兵士や住民の証言を読めるコーナーもあり、サイパン戦の経過や全体像を把握する上ではいいと思うが . . . 本文を読む
テニアンの港でサイパンに戻る船の切符を待っているところ。いかにも暑そうだが、実際に暑かった。半袖で歩き回っていたので、両腕がピーラチヤミしていた。
テニアンの現在の状況を聞くと、高い失業率や米軍に入隊してイラクへ行く若者のこと。在沖海兵隊のグアム移転問題がテニアンにも波及していて、米軍基地強化と地域振興の問題が浮上していること。カジノが地域社会に与えた影響など、過去の歴史だけでなく、現在の沖縄 . . . 本文を読む