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海鳴りの島から

沖縄・ヤンバルより…目取真俊

辺野古側沿岸部の護岸工事と仮設工事は休み。

2017-12-20 23:56:51 | 米軍・自衛隊・基地問題

 20日(水)は朝、カヌー10艇で松田ぬ浜を出発し、遅れて4艇が加わった。曇り空の下、K1護岸に行くと、いつもなら工事が始まっている時間なのに作業員の姿が見えない。海保のゴムボートも数が少なく、不思議に思いながらN5護岸に漕ぎ進んだ。

 途中の仮設道路工事現場やN5護岸の工事現場も作業員の姿はなく、工事は行われていなかった。ゲートから入る作業員の車が少なかったことを思い出したが、この日は3か所とも工事は休みとなったようだ。

 辺野古沿岸部での工事はなかったが、ゲートからの資材搬入はいつも通り行われた。辺野古岬近くの作業ヤードでは、ダンプカーが次々と石材を下ろし、根固め用袋材を作っている様子が見られた。また、ミキサー車が被覆ブロックの型枠に生コンを流し込む作業も行わていた。

 工事がなかったので練習を兼ねて長島や平島まで漕いだ。久しぶりに平島の浜に上がって休憩をとった。最近はK1やN5の護岸工事に対する抗議が続いて、平島に来る余裕がなかった。理由はよく分からないが、工事がなかったおかげでこの日は、ゆっくりとカヌーを漕ぐことができた。

 12月20日は1970年に起こったコザ暴動から47年目だった。普天間第二小学校の校庭に米軍のCH53Eヘリの窓が落下してから1週間も経たないうちに飛行が再開され、米軍の横暴さ、傲慢さは70年代と何も変わらない。 

 こういう米軍はそのうちまた事故、事件を引き起こす。その時は誰が犠牲になるのか。普天間から辺野古へと危険な基地をたらい回ししても問題は解決しない。沖縄人は犠牲を強要されたくなければ、自ら行動してそれを防ぐしかない。泣き寝入りすれば米軍の思う壺だ。


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