名護から今帰仁に車で向かう途中、淡い藤色のシンダンギー(栴檀)の花が新緑の合間に煙るように咲いているのを目にした。沖縄では昔、女の子が生まれると庭にシンダンギーを植えた。結婚するときに成長したシンダンギーで箪笥を作り、嫁入り道具として持たせるためである。私の母も父と結婚したときに、祖母がシンダンギーで箪笥を作り持たせてくれたという。1950年代の後半まで、そういう習わしが今帰仁には残っていた。
今帰仁の家では今ツツジが咲いているのだが、花の盛りを過ぎた鉢から剪定し、お礼肥を入れないといけないので、帰って作業をしていたら、男がタンカンを売りに来た。見ると高校の同級生だった。本部町伊豆味にタンカン畑を二万坪持っていて、タンカン狩りやスーパーに出荷しているそうだが、まだだいぶ実が残っているという。早く収穫しないと木が疲れるし、開花の時期も来ているので、車で行商しているとのこと。今年はタンカンの出来がよく、農家は豊作貧乏になりそう、という県内紙の記事を思い出した。3キロで500円だというので二袋買ったのだが、少しでも多く売れることを願った。
父が元気な頃は家でもタンカンを作っていたので、只で好きなだけ食べるのが当たり前になっていた。そのせいもあって、名護のスーパーでタンカンを売っているのを見ても、余りの高さに買って食べようという気が起こらなかった。そのあと名護のスーパーでも、値段が以前の3分の2くらいに下がってきた。先の新聞記事を読んだとき、タンカン農家も大変だな、と思ったのだが、知り合いが家を一軒一軒回って売っているのを見ると、その思いが余計に募る。
今帰仁は純農村で県内の主産地となっているスイカのほかに、マンゴー、ドラゴンフルーツ、タンカン、ブドウなどの果樹や野菜、花卉、肉牛などの生産が盛んに行われている。最近は今帰仁アグーやおっぱ牛乳も知られるようになっている。私の小・中・高の同級生で今帰仁の農業を担っている者も多い。私の家は農家ではなかったのだが、伯父・伯母が農業をやっていて、農業は身近なところにあった。高校の教員時代、宮古農林高校や北部農林校を希望して勤務していたのも、農業に関心があったからだ。
ツツジの剪定など庭作業を終えて、シャワーを浴び夕食をとっていると、今年は近所で高校の合格祝いをする家が一件もなかった、と母が話しかけてきた。以前は何件か合格祝いの祝儀を持っていったのだが、今年はそれがなかったという。高校生だけでなく小・中学生を含めて、近所で子どものいる家がそもそも少ない。年寄りが夫婦二人や一人で暮らしている家がほとんどになっているのだ。
かつて今帰仁村には今帰仁中、兼次中、湧川中、古宇利中と四校の中学校があった。それが今は一校に統合され、一学年で三クラスになっている。私が今帰仁中学校に通っていた70年代の前半、私の学年が四クラスで一つ上の学年は五クラスだった。ほかの三校も合わせれば、今の三倍ほどクラス数があったことになる。これだけ中学生の数が激減しているのだから、北部地区の高校のほとんどが定員割れで危機的状況にある。すでに北部工業高校と名護商業高校が統合されているが、北山高校や本部高校、辺土名高校などの普通高校も統合の議論が行われているだろう。
県内の高校の二次募集の状況を見ると、私の母校の北山高校は理数科で20名も二次募集をしている。一次募集では一クラスの半分しか集まっていないということだ。北山高校の理数科は1993年に進学クラスとしてスタートしている。翌年、臨時教員として私はその一期生のクラス担任になった。当時から二クラス80名の定員に満たなくて、一クラス30数名という状況だった。それからさらに状況は厳しくなり、二クラスが一クラスになり、それさえ今は維持するのが難しくなっている。
北部の中学校からは、他府県や中南部の進学校、スポーツ有名校に進む生徒もいる。本人や家族の希望なのだから、無論、それを止めることはできない。進学クラスといっても、早朝や放課後の課外講座は今ではどこの高校でもやっている。塾や予備校などの受験環境は今帰仁と都市地区とでは比較にならない。ただ、地域外の高校に受験していくという問題があるにしても、募集減の最大の原因は、やはり北部地域における生徒数の減少にある。それは単なる少子化ではなく、中南部の都市地区に若者が流出することにより、子どもを生み、育てる世代が北部地域に少なくなっていることによる。
今帰仁村でさえこのような状況なのだから、国頭村や大宜味村、東村、名護市東海岸地域が置かれている状況はさらに厳しいだろう。マスコミでは名護市東海岸の天仁屋小、嘉陽小、三原小が閉校されることが報じられている。嘉陽小学校の最後の海亀放流の様子や、天仁屋小学校の最後の卒業式がテレビのニュースで流れていた。このような北部地域の生徒減少、過疎化の進行は今に始まったものではない。20年、30年も前から問題になっていながら、有効な打開策が見出せないまま、ここまで来ているのだ。この間沖縄全体では人口が増えていても、それは都市地区への集中化でしかなく、僻地・離島の問題の解消にはつながらなかった。
こういう状況で、嘉手納より南の米軍基地が返還され、辺野古新基地や高江のヘリパッドが建設されて、北部への軍事基地の集中化が進めばどうなるか。これまで何度も繰り返し書いてきたが、再開発が進んで商業圏が拡大する中南部への人口集中がさらに進み、北部から若者がさらに流出していくのは目に見えている。沖縄の南北間、東西間の格差は今以上に拡大していく。いくら北部振興策を打ち出され、地域で懸命に努力したとしても、そのような大きな格差の構造が作られれば、人の流れは止められない。それは人の流れだけでなく、情報や金、物の流れもそうであり、一極への集中がさらなる集中を生み、格差と不均衡が拡大していくのは世界各地で起こっていることだ。
一方で北部地域へ県内外から移住してくる人たちもいる。しかし、それが簡単に人口増にはつながらない。子どもも一人前になったので、定年後の人生を自然に囲まれて過ごしたいという人たちが多く、これから子どもを生み、育てる若い人は少ないというのが現状だろう(地域によって多少の差はあるが)。老人会の活動が活発なのはいいことだが、医療・介護・福祉の問題はこれまで以上に重い課題になっていく。県立病院の独立法人化の問題にしても、人口や地域の経済力、民間病院の数など都市地区と離島・僻地では、条件の厳しさが最初から違う。
基地問題にしても、林道問題にしても、北部地域が抱えているこういう切迫した状況を踏まえて運動を進めていく必要があるのは言うまでもない。自分たちは住んでもいないくせに、中南部の人間が環境問題ばかり持ちだして、地域住民の生活はどうするつもりか。そういう不満や反発は辺野古や国頭に限らず、北部の住民の中に根強くある。ジュゴンの保護を訴え、林道工事に反対するのはいい。しかし、そのときに北部地域の置かれている状況の厳しさ、学校が統廃合されていく寂しさ、切なさ、過疎化が進む辛さ、有効な手だてが打てない苛立ち、将来への不安などを共有し、一緒にそれを克服していく努力が示されなければ、どんなに立派な正論も地域住民を動かすことはできない。
辺野古の新基地建設に係る環境アセスメントについて、台風時の調査が未実施であることにこだわるのも、もっと地域住民の生活との関わりの中でアセスの問題を考える必要があるのではないか、と思うからだ。ジュゴンやサンゴの保護という視点から環境アセスメントの問題点を指摘し、批判するのは当然必要であり大切なことだ。しかし、それだけが大きく前面に出てしまうと、ジュゴンやサンゴの保護と住民の生活のどっちが大切なのか、という二項対立的な図式が喧伝され、感情的な対立、反感が作り出されかねない。実際、今は地域でジュゴンという言葉も口にしにくい、という住民もいる。
台風時の調査の未実施の問題は、推進派、反対派に関係なく、辺野古住民全体に関わる切実な問題としてある。辺野古新基地建設に当たっては、辺野古川河口の干潟も埋め立てられる。辺野古の下の方の集落では、過去に台風時に床下・床上浸水の被害が生じているが、台風や大雨と満潮が重なったとき、埋め立て工事はどのような影響を及ぼすのか。そのことを環境アセスメント調査できちんと調べておくべきだが、昨年は沖縄島に本格的な台風接近はなく、沖縄防衛局は台風時の調査を行っていない。にもかかわらず、沖縄防衛局は3月14日をもって調査の終了を打ち出しているのだ。
それがどれだけデタラメなことであり、地域住民の生活の安全を無視したものであるかを、推進派の人たちも含めて考えてもらえないか、と思う。自分たちが必要と認めた調査さえ行わずに調査を打ち切り、準備書を作成、提出しようとしている沖縄防衛局の姿勢には、いったん基地ができてしまえば、沖縄防衛局が地域住民にどのような態度を示すかがすでに現れている。金武町伊芸区の流弾事故に見られるように、住民の生命が危険にさらされても、沖縄防衛局は何の対処もしないのだ。
話がどんどん広がっていきそうなのでここで止めるが、今の時期はヤンバルの新緑を見に中南部からドライブに来る人も多い。自然の美しさに感動したあとに、そこで暮らしている人たちが抱えている問題にも目を向けてほしい。沖縄の中の南北問題、東西問題に目を向けないで、基地問題や環境問題が解決の方向に進むことはない。
今帰仁の家では今ツツジが咲いているのだが、花の盛りを過ぎた鉢から剪定し、お礼肥を入れないといけないので、帰って作業をしていたら、男がタンカンを売りに来た。見ると高校の同級生だった。本部町伊豆味にタンカン畑を二万坪持っていて、タンカン狩りやスーパーに出荷しているそうだが、まだだいぶ実が残っているという。早く収穫しないと木が疲れるし、開花の時期も来ているので、車で行商しているとのこと。今年はタンカンの出来がよく、農家は豊作貧乏になりそう、という県内紙の記事を思い出した。3キロで500円だというので二袋買ったのだが、少しでも多く売れることを願った。
父が元気な頃は家でもタンカンを作っていたので、只で好きなだけ食べるのが当たり前になっていた。そのせいもあって、名護のスーパーでタンカンを売っているのを見ても、余りの高さに買って食べようという気が起こらなかった。そのあと名護のスーパーでも、値段が以前の3分の2くらいに下がってきた。先の新聞記事を読んだとき、タンカン農家も大変だな、と思ったのだが、知り合いが家を一軒一軒回って売っているのを見ると、その思いが余計に募る。
今帰仁は純農村で県内の主産地となっているスイカのほかに、マンゴー、ドラゴンフルーツ、タンカン、ブドウなどの果樹や野菜、花卉、肉牛などの生産が盛んに行われている。最近は今帰仁アグーやおっぱ牛乳も知られるようになっている。私の小・中・高の同級生で今帰仁の農業を担っている者も多い。私の家は農家ではなかったのだが、伯父・伯母が農業をやっていて、農業は身近なところにあった。高校の教員時代、宮古農林高校や北部農林校を希望して勤務していたのも、農業に関心があったからだ。
ツツジの剪定など庭作業を終えて、シャワーを浴び夕食をとっていると、今年は近所で高校の合格祝いをする家が一件もなかった、と母が話しかけてきた。以前は何件か合格祝いの祝儀を持っていったのだが、今年はそれがなかったという。高校生だけでなく小・中学生を含めて、近所で子どものいる家がそもそも少ない。年寄りが夫婦二人や一人で暮らしている家がほとんどになっているのだ。
かつて今帰仁村には今帰仁中、兼次中、湧川中、古宇利中と四校の中学校があった。それが今は一校に統合され、一学年で三クラスになっている。私が今帰仁中学校に通っていた70年代の前半、私の学年が四クラスで一つ上の学年は五クラスだった。ほかの三校も合わせれば、今の三倍ほどクラス数があったことになる。これだけ中学生の数が激減しているのだから、北部地区の高校のほとんどが定員割れで危機的状況にある。すでに北部工業高校と名護商業高校が統合されているが、北山高校や本部高校、辺土名高校などの普通高校も統合の議論が行われているだろう。
県内の高校の二次募集の状況を見ると、私の母校の北山高校は理数科で20名も二次募集をしている。一次募集では一クラスの半分しか集まっていないということだ。北山高校の理数科は1993年に進学クラスとしてスタートしている。翌年、臨時教員として私はその一期生のクラス担任になった。当時から二クラス80名の定員に満たなくて、一クラス30数名という状況だった。それからさらに状況は厳しくなり、二クラスが一クラスになり、それさえ今は維持するのが難しくなっている。
北部の中学校からは、他府県や中南部の進学校、スポーツ有名校に進む生徒もいる。本人や家族の希望なのだから、無論、それを止めることはできない。進学クラスといっても、早朝や放課後の課外講座は今ではどこの高校でもやっている。塾や予備校などの受験環境は今帰仁と都市地区とでは比較にならない。ただ、地域外の高校に受験していくという問題があるにしても、募集減の最大の原因は、やはり北部地域における生徒数の減少にある。それは単なる少子化ではなく、中南部の都市地区に若者が流出することにより、子どもを生み、育てる世代が北部地域に少なくなっていることによる。
今帰仁村でさえこのような状況なのだから、国頭村や大宜味村、東村、名護市東海岸地域が置かれている状況はさらに厳しいだろう。マスコミでは名護市東海岸の天仁屋小、嘉陽小、三原小が閉校されることが報じられている。嘉陽小学校の最後の海亀放流の様子や、天仁屋小学校の最後の卒業式がテレビのニュースで流れていた。このような北部地域の生徒減少、過疎化の進行は今に始まったものではない。20年、30年も前から問題になっていながら、有効な打開策が見出せないまま、ここまで来ているのだ。この間沖縄全体では人口が増えていても、それは都市地区への集中化でしかなく、僻地・離島の問題の解消にはつながらなかった。
こういう状況で、嘉手納より南の米軍基地が返還され、辺野古新基地や高江のヘリパッドが建設されて、北部への軍事基地の集中化が進めばどうなるか。これまで何度も繰り返し書いてきたが、再開発が進んで商業圏が拡大する中南部への人口集中がさらに進み、北部から若者がさらに流出していくのは目に見えている。沖縄の南北間、東西間の格差は今以上に拡大していく。いくら北部振興策を打ち出され、地域で懸命に努力したとしても、そのような大きな格差の構造が作られれば、人の流れは止められない。それは人の流れだけでなく、情報や金、物の流れもそうであり、一極への集中がさらなる集中を生み、格差と不均衡が拡大していくのは世界各地で起こっていることだ。
一方で北部地域へ県内外から移住してくる人たちもいる。しかし、それが簡単に人口増にはつながらない。子どもも一人前になったので、定年後の人生を自然に囲まれて過ごしたいという人たちが多く、これから子どもを生み、育てる若い人は少ないというのが現状だろう(地域によって多少の差はあるが)。老人会の活動が活発なのはいいことだが、医療・介護・福祉の問題はこれまで以上に重い課題になっていく。県立病院の独立法人化の問題にしても、人口や地域の経済力、民間病院の数など都市地区と離島・僻地では、条件の厳しさが最初から違う。
基地問題にしても、林道問題にしても、北部地域が抱えているこういう切迫した状況を踏まえて運動を進めていく必要があるのは言うまでもない。自分たちは住んでもいないくせに、中南部の人間が環境問題ばかり持ちだして、地域住民の生活はどうするつもりか。そういう不満や反発は辺野古や国頭に限らず、北部の住民の中に根強くある。ジュゴンの保護を訴え、林道工事に反対するのはいい。しかし、そのときに北部地域の置かれている状況の厳しさ、学校が統廃合されていく寂しさ、切なさ、過疎化が進む辛さ、有効な手だてが打てない苛立ち、将来への不安などを共有し、一緒にそれを克服していく努力が示されなければ、どんなに立派な正論も地域住民を動かすことはできない。
辺野古の新基地建設に係る環境アセスメントについて、台風時の調査が未実施であることにこだわるのも、もっと地域住民の生活との関わりの中でアセスの問題を考える必要があるのではないか、と思うからだ。ジュゴンやサンゴの保護という視点から環境アセスメントの問題点を指摘し、批判するのは当然必要であり大切なことだ。しかし、それだけが大きく前面に出てしまうと、ジュゴンやサンゴの保護と住民の生活のどっちが大切なのか、という二項対立的な図式が喧伝され、感情的な対立、反感が作り出されかねない。実際、今は地域でジュゴンという言葉も口にしにくい、という住民もいる。
台風時の調査の未実施の問題は、推進派、反対派に関係なく、辺野古住民全体に関わる切実な問題としてある。辺野古新基地建設に当たっては、辺野古川河口の干潟も埋め立てられる。辺野古の下の方の集落では、過去に台風時に床下・床上浸水の被害が生じているが、台風や大雨と満潮が重なったとき、埋め立て工事はどのような影響を及ぼすのか。そのことを環境アセスメント調査できちんと調べておくべきだが、昨年は沖縄島に本格的な台風接近はなく、沖縄防衛局は台風時の調査を行っていない。にもかかわらず、沖縄防衛局は3月14日をもって調査の終了を打ち出しているのだ。
それがどれだけデタラメなことであり、地域住民の生活の安全を無視したものであるかを、推進派の人たちも含めて考えてもらえないか、と思う。自分たちが必要と認めた調査さえ行わずに調査を打ち切り、準備書を作成、提出しようとしている沖縄防衛局の姿勢には、いったん基地ができてしまえば、沖縄防衛局が地域住民にどのような態度を示すかがすでに現れている。金武町伊芸区の流弾事故に見られるように、住民の生命が危険にさらされても、沖縄防衛局は何の対処もしないのだ。
話がどんどん広がっていきそうなのでここで止めるが、今の時期はヤンバルの新緑を見に中南部からドライブに来る人も多い。自然の美しさに感動したあとに、そこで暮らしている人たちが抱えている問題にも目を向けてほしい。沖縄の中の南北問題、東西問題に目を向けないで、基地問題や環境問題が解決の方向に進むことはない。
一方で、よく知る70過ぎの男性が一生懸命、柑橘類の新品種開発に力を注いでいる。カーブチィは、皮の利用で某企業と連携しているようだが、地元でそれをやっていかないとあまり意味は無いと思うのだが。
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センダンの薄紫色の花が咲き、ソウシジュの黄色の花、一重のクチナシ(カジマヤー)、沖縄自動車道ではイジュ。何だかオカシナ地球環境になっている印象を受けるのは私だけなのだろうか?
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私の母校の小学校で、来月の新入生は3人。中学校は、2010年4月からは統合。
学校選択制は、過疎地域をさらに淋しくすると思う。小学生らがいない(学校が無い)村ほど淋しいものはないのでは。(続く)
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私の母校(高校)も北山で、私は3年間の寮生活。毎日の0講時。ときには7講時まで。辛い授業(受験勉強)の中にも、今振り返れば楽しかった想い出。そんな母校の募集状況がこのようだとは…驚きです。
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実は私は、中学3年の時に塾でもお世話になり、その後、高校(直接クラスにいた訳ではございません。)でも。
その節はお世話になりました。有難うございます。
その事実を、ごく最近知った私自身が一番驚いていたりします。
これからも、ご活躍をお祈り致します。
元気で頑張ってください。
タンカンも最近は鹿児島産が県内スーパーで売られています。
県内農家は豊作で困っているのに、この減少は何なのでしょうか。
マンゴーやゴーヤーも他府県との競争が厳しくなっています。
農家は大変だなと思いますが、県内やヤンバルの農家を消費者として支えて、それ以外にも何ができるか考えながら、応援したいと思います。
地域から子どもの声が消えていくことほど、寂しいものはありません。
ヤンバルをもっと盛り上げたいものです。