鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

RELUXIN'なのにSTEAMIN' 昔あったジャズ喫茶

2019年11月18日 | Jazz
よれよれのブックマッチ、わずかに使いさしが残っていました。
閉店の時に大量にいただいてきたのですが、残っているのはこれ一つ。
他には一本足の喫茶テーブルも頂いてきましたが、それもすでにありません。

店内にはALTECのA7がドーンと置かれ、アンプはパワー、プリともAccuphase だったと思います。当時の写真を撮っておけばよかったなあと思います。
深夜あんまり大きい音で皆で盛り上がって大家さんから苦情が来たこともありましたっけ。渡辺貞夫のOPEN ROAD 、LOVE SONG での本田竹曠 のソロに入ってからの盛り上がりでした。

いちどだけピアノ・ソロのライブをやったこともありました。伊藤文さんという方です。なんでも今では北海道で御住職をやっていらっしゃるとか。

初めて店に入った時、髭の長身のマスターがいました。
のちに聞いたことですが、初めての商売だったので、お客さんが来たらどうしよう、お客さんが来なかったらどうしよう、とドギマギしていたそうです。

家業を継ぐために店は閉鎖したのですが、今なおこの店のことを記憶にとどめられている方はいらっしゃるでしょうか。

そういえば、ロックグラスに水を入れ、冷凍庫で凍らせたものにウヰスキーを注ぐ、まさにオン・ザ・ロックはマスターの自宅で飲んだ時に教えられたものでした。

今もマスターは現役でバリバリ仕事をしています。

追記
ジャズ喫茶といえば、最近昔の先輩が目白にオープンした店のマッチがフリマサイトに出ていました。そのころの先輩の中には昼飯を節約してお金を貯め、LPにつぎ込んでいる人もいました。そのLPもその店で使われていました。オーナーは就職したものの、数か月で退職し、ジャズ喫茶を始めたのでした。

当時の人のジャズにかける熱い思いは、おそらく今の方々の考えもつかないほどのものだったのではないでしょうか。

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