色も焼けボロボロになった印刷での復刻版ですが」画像編集ソフトで何とか見られる状態にしてみました。百名山、鳥海登山にしか興味ない方はスルーしてください。
吹浦口のこういった絵図は見たことがありません。往時の蕨岡大物忌神社は隆盛を誇っていたのでしょう。
少し拡大してみます。
右に赤瀧大神、大沢神社が見えます。でも「澤」でなく新字体の「沢」になっているのがなんか変。
その上の方に読みにくいですけど、ツルマキ池と書いてあります。そういえば古絵図では鶴間池ではなくツルマキ池だなあ、と思っていたところ、今日鳥海山に詳しいAさんより、鶴間池はかつて弦巻池と呼ばれた、という事をききました。小鶴間池と大鶴間池とその2つを結ぶ水路の配置が、旧清吉新道から見下ろすと弦を巻き取るような構図になっているから そう呼ばれたのだそうです。
こうしてみると、由緒ある名前も変に美化しようとした?名前に変えられてしまっていることがわかります。別に鶴が舞い降りてくる池じゃないものね。
どこかの山には何やら気持ちの悪い横文字の名前を付けて悦に入っているところもあるようです。地名は大事にしましょうね。
作者は柳崖生駒雄と書いてありますがなんと読むのかはわかりません。この作者によるものは新田目大物忌神社に明治22年奉納の見立竜宮図というものが記録にあるくらいです。図は1801年(享和元年)の噴火以前の絵図を複写して発行したものでしょう。國幣中社と書いてありますので明治4年の太政官布告以降の作品という事になります。
鶴間池は弦巻池だったのですか。弦が巻かれたように見える角度から池を見下ろしてみたいものです。