女性登山家の草分けの一人、黒田米子(旧姓 村井、1901年11月23日 - 1986年12月19日)は山の魅力について「通り過ぎるだけの登り方では、本当の山のよさがわからない。ひとつところで暮れるのを眺め、朝を迎えるのでなくては、真の魅力を見過ごしてしまう。」と語ったそうです。
鳥海山に足しげく通ってあちらこちらの小屋に居続けましたが将に夕暮れを眺めるのは最高でした。幕営は禁止されているので小屋利用です。朝は前の晩飲みすぎるので御来迎はめったに拝みませんでしたが。やはり一つ所にいて誰もいない夕暮れを眺めるのは最高の楽しみです。今はやりませんが。そんな夕暮れの写真を何枚か。
日本海に陽が沈もうとしています。
吹浦港と日本海。
飛島沖に沈む夕日。
ここから瞬く間に沈んでいきます。
百宅の残照。
晩秋は釣瓶落としで暮れます。
日光黄萓の向こうに沈む夕日、御浜からの帰り道。
また黒田米子は、登山のゴールは絶巓を極めるだけでない、「高原こそは、親しみやすい山岳の広庭、人の子はここで安らかに浸り、山に浸り、山に馴れて落ち居ることが出来るのだ」と。登山というものが山頂のみ知ることだったら、どんなに索漠としたものか、ということを語っています。(黒田米子『山の明け暮れ』)
今なお山頂を極めることのみに血眼になる輩が多いというのに、その昔からすでにこういう捉え方をしていた方がいたとは。今は朝から晩まで、しかも泊まりでなんてできませんがやはり一つ所に居続けることが出来たからこそいろいろな感覚を味わえたと思います。
山から帰りがたくなり、夜も遅く家に帰った知人は父親から「山は何時までやっているんだ」と怒られたそうです。登山計画は家の人にもちゃんと出していきましょうね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます