特急いなほが運行を開始したのは昭和44年の10月でした。
この鼻の形記憶にあります。秋田、上野間の特急料金が1,000円だったんですね。大きな勘違いをしていました。夜行鳥海が酒田上野間12時間、当初の特急いなほが9時間、後に6時間に短縮になったと記憶していたのですが違いました。
酒田から約6時間だったのですね。夜行の急行鳥海が9時間強だったようです。
「特急いなほ」と言えば思い出すのが昭和47年の2月28日、国鉄の公安官だった松戸のおじの家にいて上野まで送ってもらうことになっていたのですが、その日はかの有名な事件「あさま山荘事件」の最後の日、おじから今日はを見なければならないから一人で行けと言われ、たぶん上野を上の図の時刻の「特急いなほ」でしょうか、これで帰省したと思います。家に帰りついたらすべて終わっていました。
帰省の「特急いなほ」に乗るの時はいつもお金がない時で食堂車へ行くなんて贅沢は出来ませんでした。車内販売のコーヒーを買うお金もなく安い学割の切符を買うのが精いっぱいでした。今では朝からビール飲みながら「いなほ」に乗ります。
夜行寝台と書かないのはその頃の急行鳥海は三段式の寝台車両と普通座席車両があったからです。三段式寝台は上段が安いんですよね、天井までの高さが狭くうっかりガバッと起き上がると天井に頭をぶつけます。最初の頃は寝台料金節約して普通座席に乗って上京したのです。普通座席で座りっぱなしで上野まで行くのはしんどかったです。いつも満席、通路も埋まるほど、人で一杯の狭い通路をかき分けて便所に行き、扉を開けると中にはおばちゃんが便器の前に新聞紙敷いて座っている、昭和40年代はそんな時代でした。今では考えられませんね。
昭和45年の急行鳥海は次の時刻表でした。
酒田21:24→余目21:38→鶴岡22:07→温海22:39→村上23:30→坂町23:43/23:46→新発田0:08/0:09→新津0:36/0:46→東三条1:12→長岡1:34/1:44→六日町2:40→→水上3:53/3:57→高崎4:55/5:01→熊谷5:40→大宮6:15→赤羽6:30→上野6:43
車内灯が消えるという羽越線ならではの光景もありました。でもどうして羽越線ていうのは臭いんでしょうね。独特の臭いがします。あれ、服にまで染みつくんですよね。
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