鳥海山近郷夜話

最近、ちっとも登らなくなった鳥海山。そこでの出来事、出会った人々について書き残しておこうと思います。

河原宿小屋惨状

2020年08月03日 | 鳥海山
 いろんな方のブログ、山行き記録を拝見しても、通過記録に過ぎないものばかりです。誰も廃墟となった小屋に興味を示す人はいません。たまに写真の片隅に写っているくらいの河原宿小屋。昨日登って撮影したBLUEさんより三枚いただきました。
 BLUEさんのブログはhttps://bluesky-15.hatenablog.com/ でご覧ください。
 2011年(平成23年)3月11日 の東日本大震災、その年より震災を理由に見捨てられ現在に至っています。大物忌神社のHPでその旨が記載されていたことを覚えています。経費倒れのお荷物小屋になってしまっていたんですね。廃止になる前の最後の管理人さんの一人前の管理人さんは少し片足の不自由な方でしたが、これがなんとゴム長靴履いてわれわれよりも身軽にピョンピョンと薊坂を登っていく方でした。みんないい人たちばかりでした。
 屋根も大きく窪んでいます。そういえば、昨日行った東雲荘もこの冬の雪で管理人室の屋根が落ちたと言っていました。現在の河原宿小屋はいつ建て替えられたのでしょうか。おそらく解体もお金がかかりすぎてしないのでしょう。人の手が入っている間は何とか持ちこたえていましたが、10年経ってもまだこれだけ残っていたと驚くべきか、もうこんなになってしまったと驚くべきなのでしょうか。
 壁材の下地まであらわになっています。かつては多くの登山者で賑わっていたのですが。昔、滝の小屋の宿泊者が散歩がてらに河原宿まで登って来て、「ここにこんないい小屋があったのか!滝の小屋の親父おしえてくれなかったぞ!」(今の滝の小屋の管理人さんではありませんのであしからず。)
 二百年以上の昔から記録に残る河原宿の参籠所が消えてしまったのは全くもって惜しいことです。

 鳥海山の山小屋と言えば、昨日本荘の新山神社の方から聞いたのですが、矢島口氷の薬師にたしかに小屋があったという事でした。ただし氷の薬師より少し下にあったそうです。康さんの鳥海山日記にちょっとだけ出てくるので気になっていましたし、自分で登った時も確認できなかったのですがこれで実際にあったという事が確認できました。その方は佐藤康さんもようく知っていて、康さんは「やすし」さんと読むけれどみんな「やすさん」と呼んでいたし「やすし新道」とは言わず、「康(やす)新道」と呼ぶという事も確認しました。

 老朽化して、維持管理にお金がかかるようになれば山小屋の廃止はしょうがないのですけれど、大平小屋と言い、河原宿小屋といいまったく惜しくも残念なことです。またそれらに興味を示して記録に残す人もいないのですね。そういう自分も大平小屋の写真も記録も採っていなかったのですが。


4 コメント

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Unknown (BLUE)
2020-08-03 13:26:51
拙い写真を使って下さったこと、
ブログのアドレスを紹介して下さったこと、
大変恐縮しております。ありがとうございます。<(_ _)>

この河原宿小屋で忘れられないのが、初めてオコジョに会ったことです。
昼前の他に登山者がいない時間帯、
小屋の隙間から出てきてはグルッと回って別の隙間から小屋に入る・・・
を繰り返していました。
もしかしたら、河原宿小屋に住みついているのかなぁと思いました。

この時の写真は、ぜひ見ていただきたいです。( ´艸`)
2018年9月の山行の時の記事を 9月28日にアップしています。
  https//bluesky-15.hatenablog.com/entry/2018/09/28/170000
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Unknown (BLUE)
2020-08-03 13:40:27
追伸:この日の山歩きの記録の記事は、
   3週間後くらいになるかと思われます。 
   ご了承下さい。<(_ _)>
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Unknown (BLUE)
2020-08-03 18:10:52
あららっ! またまた失礼いたしました。
今度は どうでしょうか?
https://bluesky-15.hatenablog.com/entry/2018/09/28/170000
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Unknown (ayasiiojisann)
2020-08-03 18:12:10
こんどは飛びますよ。
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