確かに、増えていると感じます。
以前、高校の美術教師をしていた頃、私の乏しい経験の中でも、少なくとも二~三人おりました。
例えば、よく“居残り”に来た「美術」好き男子。
いつものように美術室に“遊び”に来た彼が、突然「実は聞いて欲しい悩みがある。
僕の悩み、当ててみて下さい。」と云うので、冗談半分に「実は、好きな子が男子とか…?」と云うと、
ひっくり返って「なんでいきなり当てるん?」と苦笑しながら話したのは…
「好きな先輩(男子)に告白をしたが、それ以来冷たくされてどうしたらよいか?わからない」という、
一見どこにでもある恋の悩み。
同性同士という一点を除けば…。
「そうか。今は、こういうカタチもアリになってきたのか?」「そういえば、前の学校でも、画用紙のハシに、
ヘンな英語で悩みを訴えているような不思議な書き込みをした子がいたが、アレももしかしたら、
コレだったかも知れない。
意味不明だったので、そのまま放置して申し訳ないコトをした…」と、
イロイロ思い当たるコトがあるのでした。
“内心の葛藤を持てあます”タイプにしろ、“当たって砕ける”タイプにしろ、悩める「同性愛」志向の子らは、
各学校に何人かは必ず居るのではないかと思われます。
(だって、たまたま臨時講師で高校に行った途端の話なんですから…)
表に出せないタイプは、回りは気づかないので、内心の不安と葛藤が深くなるばかりでしょうし、
“当たって砕ける”タイプは、本人はそれで良くても、周囲が混乱に巻き込まれますし、「後始末」も大変デス。
どちらにせよ、今の社会では“障害(或いはアブ・ノーマル?)”としてハンデを自覚するしかないのが
現状ではないかと思われます。(先輩にふられた彼に何て云ったかな~?
「自分の気持ちに正直であるのはよいとしても、相手の気持ちも考えないと…。
ふられたんなら、潔くあきらめて、先輩の為にクラブに打ち込みなさい。
その先輩が喜んでくれると思うことをすれば、少なくとも嫌われないで済むでしょう。」位のコトは
云ってあげた気がするのですが…覚えてません。)
そして、同じ学校には(その当時は全然気がつかなかったのですが…)
美術部だった女の子(その学校では、驚くべきコトがたくさん起こりました。
特に「美術」には何故か“特殊な(よく言えば、飛び抜けた?)子達”が集まってくるようです。)が、
卒業後に電話をしてきた時には、男の声になっていたのには、ビックリ仰天でした。
その後会う機会がありましたが、かわいい彼女を連れてきて、顔の面影はそのままで、
完全に“男子”に成ってました。
会うと、これが本来の自分であるという自信と自覚がにじみ出ており、高校生の頃より
一段と明るく頼もしくなっているのには、目を見張りました。
(“彼”はホルモン治療を受け、性転換していました。)
彼(彼女)らのこれまでの胸の内の葛藤や今後現実に立ち現れてくる困難は、そう簡単に
解決する問題では無いでしょうが
「ひとそれぞれ、人に言えない葛藤や劣等感の一つや二つ抱えて生きていくのが人生。
「性同一性障害」もそのなかの一つでしかないと思えば、自分なりの人生が開けていくよ!」と、
せめて、高校生時代に云ってあげたかったものです。
(意外に、彼(彼女)らは、人間関係で配慮をしたり、我慢せざるを得なかった分、その辺の若者より
ずっとタフで、大人になるのも早かったりして…。
つらい思いや悲しい思いを経験した分、優しくなれたかも知れません。
現に、彼が連れてきた“彼女”に「彼のどこが好き?」と聞いたら
「優しい処」と云ってました)頑張れ、「性同一性障害」の子らとその予備軍!自分らしさを発揮する分には、男も女も関係無いですから、
どうか存分に自分を生かし切って下さいね~!この場を借りて、エールを送ります!ところで、ハンデがあることで社会的に差別されることは、あってはなりませんが、
「同性愛婚」を国として奨励するのは、別問題。
今の日本が奨励すべきは、「同性愛婚」ではなく、結婚した夫婦が子供を(出来ればたくさん…)つくること!
ですから、「同性婚」を禁じるというより、子供を産み、育てる世帯をもっと優遇し、共働きでも、
そんなに高収入じゃなくても、出来る限り子供を産みやすい(そして、育てやすい)環境を整備することで、
“健全な男女”が“健全な子供”をどんどん産み、育てる方向を、政府には推進していって頂きたいものです。
「性同一性障害者」が増えているのも、社会のひずみの表れではないでしょうか?
本人に罪はなくとも、あえて“ハンデ”を背負って生まれてくることで、これからどちらの方向に
向かうのが正しいのか?健全とは何か?を、
身を以て社会に問うてくれている気がしてなりません。
一朝一夕に答えが出る問題ではありませんが、例によって「リバティ」及び「幸福の科学」が
正面から問題提起をしています。
唯物論教育では答えが出ない問題が、現場には山積みです。
児童に広がる性同一性障害 学校教育では解決できない?
2014.06.16
文部科学省が、全国の小中高生の児童生徒の性同一性障害に関する初の調査結果を明らかにした。
それによると全国の小中高生で、少なくとも606人に性同一性障害がみられるという。
内訳は高校生が403人で過半数を占め、中学生110人、小学生93人
(低学年26人、中学年27人、高学年40人)だった。
性同一性障害とは、心で感じる性別と肉体の性別が一致しない状態のことだが、学校側が
特別な配慮をしている児童生徒は377人で、全体の62・2%だった。
約4割の児童生徒には別段、配慮はしていないことになる。
具体的には、男児がスカートで登校するなど服装面での配慮がもっとも多く、職員用トイレを
使わせていたり、戸籍名とは違う通称で呼んだりと、各校がさまざまな工夫をしている。
周囲が受け入れている場合もあれば、不登校状態で保健室に通う子供もいるという。
性同一性障害の人は子供の頃に違和感を覚え、成長するに従って性差に根源的な悩みを持つようになる。
性転換手術を受ける人もいるように、今後もますます社会問題としてクローズアップされる可能性が
高いと言える。
だが、根本的な解決策は見出せていないのが現状だ。
社会で広く知られるようになったのは近年だが、実際は、昔から性同一性障害はあったのではないだろうか。
人間の本質は魂であり、この世とあの世を何度も生まれ変わっている存在だ。
大多数の魂には、男性霊、女性霊の別があるものの、生まれ変わりの過程で、
ときには男性に生まれ、また別の時には女性に生まれるといったように、異なる性別で生まれることも珍しくない。
大川隆法・幸福の科学総裁は、著書『心と体のほんとうの関係。』のなかで、
魂が自覚している性別と異なる肉体の性で生まれたケースで、性同一性障害に
なることが多いと説いている。
つまり、性同一性障害は宗教的には病気ではない。人間は、自分の肉体の性別はもちろん、
両親などの家庭環境まで自分で選んで生まれてくる。ただ、実際に生まれてみると、
その環境に馴染むことが難しいケースがあるということなのだ。
しかし、「人生は一冊の問題集」であり、性別に限らず、皆が生まれる前の予想通りに人生を
歩めるわけではない。
その環境のなかで最善の生き方とは何かを考えることが、実はその人の魂修行なのだ。
肉体はいずれ、死を境に脱ぎ捨てられていくことになる。
違和感のある肉体も、魂修行を支えてくれている環境の一つともいえる。
こうした宗教的真理を知ることで、性同一性障害の意味も違ったものになってくるだろう。
違和感を受け入れて生きるか、性転換手術を受けるか、現在の性から積極的に魂の学びを発見するか。
学校教育においては、「なぜ性別の不一致で苦しんでいるのか」の問いに、答えを出すことはできていない。
これも学校教育から宗教を締め出したことの影響だろう。どこまで配慮するかという視点だけではなく、
児童生徒が自分の人生に積極的な意味を見出す生き方を教えられるような指導が期待される。(静)
【関連書籍】幸福の科学出版 『心と体のほんとうの関係。』 大川隆法著
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=124【関連記事】2014年2月号記事 性同一性障害や医療技術の進歩に宗教的真理の普及を急げ - The Liberty Opinion 4