台風お見舞い申し上げます。皆さまご無事でおられますでしょうか。
昨日は立秋。今日は満月ですが、曇り空でたぶん月は見えないでしょうね。
昨日(8月7日)は台風の進路や各地の被害を氣にしつつも何も出来無いので、私は一日中読書していました。
地元の萬葉集講座の講師の村田先生からいただいた専門書がとても詳細で、
ちらっと眺めているだけでもすぐに眠くなってしまうのですが、
この御本(新潮日本古典集成)『萬葉集 一 』は講師の先生の恩師(伊藤 博 氏)が「萬葉集の生い立ち」についての解説を書かれている大変貴重なものなのです。
そして巻一の中には最寄りの「高の原」駅前に歌碑のある「長皇子」(ながのみこ)の歌が掲載されています。
秋さらば 今も見るごと 妻恋(つまご)ひに 鹿(か)鳴かむ山ぞ 高原(たかのはら)の上(うへ)
この歌は、「長皇子が志貴皇子(しきのみこ)と佐紀(さき)の宮にしてともに宴(うたげ)する歌」
という前書が付いています。
奈良市佐紀町の附近。大極殿の北の辺りにかつて長皇子の邸宅があったようで、高野原は佐紀の北にあり、今も小高い丘になっていると解説に書かれています。
解説によれば、二人の皇子は親交があったようで、両皇子の家系には著名な歌人が多かったようです。
長皇子(ながのみこ)というのは、天武天皇の第四皇子で母は天智天皇の皇女の大江皇女(おおえのひめみこ)。
この歌は「なら」(旧字ですが、漢字が打ち出せません)の宮に「天(あめ)の下(した)知らしめす天皇(すめらみこと)の代(みよ)」に書かれたものだそうです。
萬葉集巻第一の最後(八四首目)に置かれているのがこの歌なのです。
歌の意味は
「秋になったら、今ご覧のように、妻を恋うて雄鹿がしきりに鳴く山です。あの高野原の上は。」
鹿が鳴いている絵を見ながら詠んだ歌だそうで、「秋になったらまた来遊してほしい」の意をこめているそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、まあ、こういう感じで私には「解説の解説が必要」!?なぐらいに、大変難しく複雑に思える萬葉集ですが、
解説者が大変わかりやすく説明してくれていて、読み進むにつれて益々興味が増していきそうな予感がします♪
その時代には、歌こそが国をまとめ繁栄させる呪力や霊力を持ち、厄災を鎮め、天皇の絶大なる力を誇示するものでもあったようで、天皇がたくさんの妻を娶るのは、その女性の歌の力を借りるためでもあったそうです。
まさに古代より「言霊の幸わう國」だったのですね、この国は!!
国民のことを真剣に考えずに、首相自らが自己保身と権力保持ばかりに走り、「言葉の言い換え」や「言い逃れ」に終始しているようでは、台風が停滞し、迷走するのも当然のことかもしれませんね。
いかに内閣改造をしてその座を延命しようとしても、やがては「八日目の蝉」となるのではないでしょうか。
この本には他にも興味深い話がたくさん書かれてありますので、また折りに触れてご紹介出来れば幸いです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今日は別の話も書く予定でしたが、台風疲れで少々力尽きてしまいましたので、またいつかの機会に。。
皆さまもどうか台風に負けず、また向後暑さがぶり返してもどうぞお元氣にお過ごしくださいね。
暦の上ではもう秋です♪
本日もご愛読ありがとうございました。
昨日は立秋。今日は満月ですが、曇り空でたぶん月は見えないでしょうね。
昨日(8月7日)は台風の進路や各地の被害を氣にしつつも何も出来無いので、私は一日中読書していました。
地元の萬葉集講座の講師の村田先生からいただいた専門書がとても詳細で、
ちらっと眺めているだけでもすぐに眠くなってしまうのですが、
この御本(新潮日本古典集成)『萬葉集 一 』は講師の先生の恩師(伊藤 博 氏)が「萬葉集の生い立ち」についての解説を書かれている大変貴重なものなのです。
そして巻一の中には最寄りの「高の原」駅前に歌碑のある「長皇子」(ながのみこ)の歌が掲載されています。
秋さらば 今も見るごと 妻恋(つまご)ひに 鹿(か)鳴かむ山ぞ 高原(たかのはら)の上(うへ)
この歌は、「長皇子が志貴皇子(しきのみこ)と佐紀(さき)の宮にしてともに宴(うたげ)する歌」
という前書が付いています。
奈良市佐紀町の附近。大極殿の北の辺りにかつて長皇子の邸宅があったようで、高野原は佐紀の北にあり、今も小高い丘になっていると解説に書かれています。
解説によれば、二人の皇子は親交があったようで、両皇子の家系には著名な歌人が多かったようです。
長皇子(ながのみこ)というのは、天武天皇の第四皇子で母は天智天皇の皇女の大江皇女(おおえのひめみこ)。
この歌は「なら」(旧字ですが、漢字が打ち出せません)の宮に「天(あめ)の下(した)知らしめす天皇(すめらみこと)の代(みよ)」に書かれたものだそうです。
萬葉集巻第一の最後(八四首目)に置かれているのがこの歌なのです。
歌の意味は
「秋になったら、今ご覧のように、妻を恋うて雄鹿がしきりに鳴く山です。あの高野原の上は。」
鹿が鳴いている絵を見ながら詠んだ歌だそうで、「秋になったらまた来遊してほしい」の意をこめているそうです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
と、まあ、こういう感じで私には「解説の解説が必要」!?なぐらいに、大変難しく複雑に思える萬葉集ですが、
解説者が大変わかりやすく説明してくれていて、読み進むにつれて益々興味が増していきそうな予感がします♪
その時代には、歌こそが国をまとめ繁栄させる呪力や霊力を持ち、厄災を鎮め、天皇の絶大なる力を誇示するものでもあったようで、天皇がたくさんの妻を娶るのは、その女性の歌の力を借りるためでもあったそうです。
まさに古代より「言霊の幸わう國」だったのですね、この国は!!
国民のことを真剣に考えずに、首相自らが自己保身と権力保持ばかりに走り、「言葉の言い換え」や「言い逃れ」に終始しているようでは、台風が停滞し、迷走するのも当然のことかもしれませんね。
いかに内閣改造をしてその座を延命しようとしても、やがては「八日目の蝉」となるのではないでしょうか。
この本には他にも興味深い話がたくさん書かれてありますので、また折りに触れてご紹介出来れば幸いです。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
今日は別の話も書く予定でしたが、台風疲れで少々力尽きてしまいましたので、またいつかの機会に。。
皆さまもどうか台風に負けず、また向後暑さがぶり返してもどうぞお元氣にお過ごしくださいね。
暦の上ではもう秋です♪
本日もご愛読ありがとうございました。