連休の狭間の平日二日目。
うるう年の今年は今日が八十八夜。今朝はラジオから「茶摘み」の歌が流れました。イメージとしては青空の下、きれいな緑の茶畑で茶摘みをしている風景が浮かぶけれど、今朝も
どんよりとした曇り空。
今朝は起きたときから背骨、ちょうど肩甲骨の間くらいの場所の背骨が痛みます。傷めた覚えもないし、特に頑張って何かした、ということもないのに。
寝ている間、知らず知らず右肩を庇っていることがあるので、そうしたことが原因かもしれませんね。
頑張ってやったと言うほどのことはありませんが、2階の水屋タンスの上置きに埃まみれになっていた写真の中身を確認する作業を、日曜と昨日行いました。
積年の埃がえらいことになっていて、手袋とマスクは必須。
義父母の旅行の写真が貼られたアルバムの他に出てきたのは、ほとんどが親戚の結婚式の集合写真でした。なんとなく想像してはいたけれど。
相方のいとこたちの写真もあれば、もっと古いもの、義父母のいとことかその子どもの結婚式のものもあり、中には新郎新婦や新婦の写真も含まれていたり。昔はこうして出席した
親族にも配っていたんですね。
ということは、相方と私の結婚式の写真もあちこちにあるのだな、と思うとちょっと冷や汗。
遺品整理で一番厄介だなと思われるのがこうした写真。使わない食器などの不燃物や人形なども困っています。遺品ではありませんが、息子がUFOキャッチャーで取ってきたぬいぐるみ、
これもうんざりするほどある。
息子のものは本人に整理させようと思っているけれど、なかなか。一旦家を出てしまうと目に入らないからその存在を忘れてしまうのでしょう。
写真に話を戻すと、去年亡くなった姉の遺品整理のときも数は少なかったけれど、写真の処分をするのには少々抵抗を感じました。
でも独り身だった姉の写真を残しておいても後々次の世代が困るはず、と割り切って。
今回の親戚の結婚式の写真は、もちろん生存者もたくさんいますが主役のところにも必ず同じものはあるはずなので、遠慮なく?処分しようと思っています。こうした写真は台紙も
含めて紙なので、見えないように袋に入れて可燃ごみで出せるけれど、問題は義父母のアルバム。
昔よくあった、フィルムを剥がして台紙に貼り付けるタイプの台紙が増やせるもの。これ、写真を剥がそうとするとくっついちゃってきれいに剥がせないことが多いんです。
自分のアルバムで経験したのですが、最後には丸ごと可燃ごみで出したような。
そう、私はまず自分の写真からさっさと処分に取りかかっています。それでもまだ残っているものがありますが、主に私が幼いときのもので、去年亡くなった兄や姉、そして両親とか
さすがに見ているといろいろと思い出されて。
かといってしょっちゅう見返すわけでもない。普段は封筒に入れて引き出しに入れっぱなしなのだから、私の心の中にあればそれでよし、と思うことにしよう。
今ではわざわざプリントアウトすることも少なくなりましたけど、さて、私にもしものことがあったときに遺影に使える写真はあるんだろうか?と少し気になりました。
去年姉が亡くなった時も使う写真をどうしよう?と一時悩んだけれど、幸い娘の結婚式の写真に笑顔のものがあったのでそのデータを使いました。
私もそんなふうに、娘が撮った写真などから探してくれるかもしれないけど、出来れば自分で選んでおきたい。ただね、フォトジェニックな被写体じゃないのでそこが気がかりです。