昨日はじっとしているとちょっとひんやりと感じる一日でしたが、今朝起きて外へ一歩出た途端、空気が違うのを感じました。ムッとしています。
梅雨前線が陸地に近づいたということでしょうね。大雨が心配です。「ふるやのもり」が棲んでいるので(笑)。
このところ空模様はどんよりした日が多いですが、私の心の空模様もどこかどんよりとしています。
長年同居かつ認知症で悩まされた義母が施設のお世話になったことで、家にいる時間は確実にハッピーになったのに、なんでやねん?と自分ツッコミ入れまくり
ですが、おそらくこれ、コロナのせいでずっと家にいるからということと、仕事に行けない今の自分に対する歯がゆさのせい。
昨日は1日なので、これまで仕事をしていた役所関係の求人情報が出ているかも、と思ってサイトを確かめたらやっぱり出ていました。
これまでならそういうときには前もって打診があったりしたけれど、今回は全くなし。
それはおそらく、今年春に求人募集を出したときに思った以上の応募があったから、ということもあるだろうけれど、私に対する評価が低いということ
なのだろうと感じました。
なんだか定年後、毎日が日曜日になったお父さんの気持ちに近いものがあるな。世の中に必要とされていない自分にがっかり。
もちろん家族には必要な存在かもしれないけれど、それも子どもたちが成人したことで相方ひとりくらいですもんね。
ここでがっかりばかりしていても埒が明かないので、自己分析してみました。
今年初め、1月3月に短期バイトを久しぶりにしたときには、そういう短期でたまに仕事に来るというのがベストだなと思っていました。畑に行くのも比較的
都合がつけやすいので。
金銭的なこともありました。自営業専従者の私は相方から給料をもらっていて、それが経費として計上されています(配偶者控除はなし)。
その給料分とバイトでの給料分を合わせて毎年確定申告をしてきましたが、年の半分くらいバイトをしていたときには所得税も住民税もそれなりにかかってしまい
何のために仕事をしているのかわからないなと思っていたんです。
今は確かに税金はかからない程度の所得になっていますが、外で仕事をする、というのは単にお金を得るためだけじゃなくて、外の社会とのつながりを持つために
必要かつ大切なことだったのだ、という当たり前のことにようやく気づいたわけで。
バイトの就労ルールが変わったとき、義母の認知症が進んできたこともあって辞める選択をしたことは間違ってはいないとは思いますが、今考えるともう少し
仕事を続けたい気持ちを大事にするべきだったな・・・とあまり過去のしたことに後悔しないようにしている自分にしては、珍しくちょっとだけ残念に思う。
いや、その残念は今もって引きずり続けているんだな。
まあ何にしても自分で決めたこと。
機会があれば仕事をして収入を得たいとも思うけれど、外の社会との関わりが持ちたいのならば、仕事以外にも方法はあるわけだし。
まだまだ人生先がありますからね。63歳くらいでうじうじしていては!と自分にはっぱかけて。
そういえば、記事に書いた従叔父からまたスマートレターが届いていました。実は従叔父は医師で、今は現役ではないけれど、コロナワクチンについて多少不安が
あったので、お礼状の最後のほうでそんなことをちらっと書いたことに対する返信でした。
結論としてはワクチンは受けるべき、ということで、関係する資料も同封してありました。その資料の編集に従叔父も関わっていてしかも毎月発行しているようです。
93歳、ですよ。まだ頭バリバリです。30も若いんだもの、私ももっと頑張らないと!