紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

奥石(おいそ)神社で

2009-04-07 23:57:00 | おでかけ
 駐車場がわからなかったので、そのまま通り過ぎたが、少し先に神社の駐車スペースを発見したので、裏手より神社に侵入することにした。

 御手洗場には、ヒバか檜かなにかの清々しい緑の葉っぱが敷き詰められ、とてもホスピタリティーを感じる。さすがは「いにしえ」よりの神社である。(写真をクリックすると拡大できます)

 神社の入り口すぐの場所には桜が満開である。しかし遠足の思い出の場所としては、桜の本数が圧涛Iに少ない(気がする)。
 ブランコなどの遊具が設置され、子どもたちが数人、楽しげに遊んでいる。最近ではあまり見かけない風景だ。やはりここは20世紀なのだ。別の桜の下では、父子がキャッチボールをしていた。


 そんなのほほんな風景をみつつ、いよいよ神社の境内へ。入ってすぐの建物の透かし彫りがあまりに精緻でキレイだったため、思わずシャッターをきる。が、全体像を写すのを忘れてしまった。

 この神社は別名「鎌宮神社」ともいう。中世の頃に「蒲生野宮(かまふのみや)」がなまって「鎌宮」になったらしい。そのため神社のマーク(旗印!?)はぶっちがいの鎌。いささか剣呑なマークではある。アブナい神様みたいだ。けど、デザイン的にはいさぎよくて、なかなかカッコイイ。こんな模様の手ぬぐいがあったら、ちょっと欲しいと思うかも?


 稲荷神社はそびえる大木の中にあり、そんな木々の下にいて上を見上げると、どきどきする。さっき車から見た参道を入り口に向かってあるいてみた。



 入り口からみると、こんな感じ。かなりエグゼクティヴな風格がある。
 

幟の下に、ナマケモノのようにぶら下がり「ヤッホー」とメ[ズしてくれた「サルボボ」(のようなもの。縁起物キャラ?)

後に調べてみると、どうも庚申信仰のお守り(身代わり?)である「くくり猿」(奈良町のものが有名)という人形にかなり似ているが、それは本来手足がすべて一括りにされている。
 でもここでは手がひとつだけ自由に使える。なんなんだろう??  シンプルだけど、ファンキーかつお茶目な人形である。

 神社に別れを告げ駐車場を出ようとしたら、最後に初見の「のほほんタイプ」の「飛び出しくん」を発見し、採取。こんなのどかなキャラは、飛び出したりしないと思うんだけどね。でも、そのミスマッチさが、またいいよね。


ところでもしかすると、「老蘇の森」のほんの一部しかみていないのでは?と翌日ふと不安にかられたりもして。太古よりの「森」は新幹線で二分されたらしいので、線路の向こう側にも「森」はあるのかも・・・。いずれ確認しないとね。

 それから「老蘇の森」が歌枕として有名で、ことに郭公(ほととぎす)とセットになって歌われていたことを、今回の調査で初めて知る。短歌の世界では重要アイテムである郭公(ほととぎす)。今もその鳴き声は聞こえるのだろうか?



老蘇(おいそ)の森へ

2009-04-06 18:43:00 | おでかけ
 風邪かもしれない・・・と思いつつ、Kちゃんが午前中は家にいたり、ゆっくりと用事などをこなしていたりしたため、タイムアウトで結局病院にはいかず、買い物にいったり、家でのんびりと家事をして過ごす。

 しかし、桜が気になって仕方がない。小学生の頃、遠足で行った『老蘇の森』の、思い出では素晴らしい満開の桜の森の一角に、今年こそ再訪したいと思っていたのである。

 今度の休みに出かけられるかどうかも不安だし、お天気も今日はピーカンで絶好のお花見日和である。2時を過ぎていたが、どうしても我慢できず郵便局にいくついでに(!!)、車で30分くらいらしい安土まででかけることを決意。実は午前中に地図で場所を確認していたのだ。8号線沿いだから、簡単だ。

 安土は信長が安土城をつくった、あの安土町だ。小学校の歴史でも習う、超有名な場所だけど、意外に観光地っぽくない町のような気がする。どちらかといえば、近江八幡の方が、観光バスを連ねて遠方からたくさんの観光客がみえているような気がする。(そして「たねや」のオレンジと白の市松模様のペーパーバッグを下げて、皆さんお帰りになるのだ)

 その要因としては「安土城が建物として残っていない」からかもしれない。城跡だけ見て当時を忍ぶなんて高度なワザは、少なくとも団体さんのツアー客に要求できることではない。よほどの歴史マニアか信長ファンか安土桃山時代好きでないと、ちょっとね。

 ところで以前日野町にいった時にも思ったのだけれど、安土もなんだか70年代の昭和の空気が漂っていた。国道沿いで、しかも国道と平行して新幹線の路線が通っていて、おまけに大きな工場の並んでいる場所の、ごく近くなのに、である。

 住宅街を抜けて、細い昔ながらの家並みが残る路地をゆっくり車で通ると、そこはいきなり20世紀で、おまけに70年代の空気なのである。お祭りの日だったようで、各家の軒先には提灯が下がっている。その道を通り抜けると古びた酒屋さんの横には「奥石(おいそ)神社」の幟と鳥居が見えた。



☆画像をクリックすると拡大できます。左の写真、石灯籠の裏手に自販機の並ぶ酒屋さんが。右の写真、幟の下端になぜか赤いサルボボらしきもの(??)が。



ふたたびタイムスリップ!

2009-03-27 23:44:00 | おでかけ
 本陣を出て、写真を撮り合った後、本陣との共通券を握りしめ、草津宿街道交流館なる場所へ移動する。

 ここではいくつかの体験が出来、東海道や中山道に関する学習ビデオなどがあるのだが、時間の関係でビデオはパス。

 1階では受付のお兄さんに案内していただき、ローラーとスタンプ台とステンシルの枠のようなものを使って、浮世絵摺り体験をする。あっという間に4色摺りの浮世絵?が完成した。無邪気に喜ぶ私たち。

 2階では
「旅の体験コーナー」
にて、しっかり掴まれてしまう。
 帯にキモノ、羽織、新撰組の法被から、手甲脚絆(てっこうきゃはん)、わらじ、振り分け荷物、三度笠? 果てはちょんまげゴムカツラまで揃っているのだ。しかも館内はやはり貸し切り状態なので、よりどりみどりである。☆紗さんの喜ぶまいことか! 

 それらを身につけて設置された駕篭に乗り込み、写真を撮ることに即決定。というか、完全に私は☆紗さんに呑まれるカタチに(笑) うーん、なんだかわからないけど、私の完敗だ・・・と心地よい敗北感を味わう(笑) 

 そんなこんなでお土産の交換会をして、交流館を出た後、お礼とともにお別れをした。私は未練がましいタイプなので、振り返り振り返り、元来た道を駅に向かったが、☆紗さんは、まっすぐ姿勢良く、次なる目的地目指して、かっこよく歩いていかれた。

 彼女の人生をフルに楽しむ姿勢や無邪気な心、なにげない心遣いや、豊かな感受性とそれに続くおう盛な好奇心をごく近くで見て、最近ちょっと体力的に弱腰で怠惰になっている自分を反省した。
 いやー、タイムリーに喝を入れてもらえました。ありがとうございます、☆紗さん。そして、翌日の京都三條到着による東海道踏破、おめでとうございます!

 いただいたお土産「かにが坂飴」。

 昔、カニの怪物が人々を襲っていたが、ある旅の僧がカニを成敗しつつも成仏を促した。するとカニは涙を流しながら喜び、甲羅が割れて厄よけの飴になった、といういわれ付き。

 すごい素朴な手作り感溢れるレアな感じの味。いかにも添加物ゼロ、なおかつ風味絶佳という感じ。窒フ皮に、丁寧にきちんと二個ずつ包まれているのが素晴らしい。



草津本陣へ

2009-03-26 23:43:00 | おでかけ
今回草津を観光することになったのは、ときどきノリのいい、元気で博識ななコメントをくださり、お忙しいにも関わらずブログ記事を読まれて、わざわざ関東から大山崎山荘美術館まで足をはこんでくださった☆紗さんが、東海道踏破の旅で滋賀県を通過されるので、会いましょう、とお誘いくださったからだ。

 待ち合わせ場所は、草津駅から近く、まさに東海道沿いにあり、江戸時代には東海道の要の宿でもあった草津本陣がいいのでは?というH氏の意見に従った。ジャストな選択であるので、即座に決まった。

 ☆紗さんと会った時に、ちょうどぽつぽつ小雨が降ってきたので、お天気を心配したのだけれど、幸いそのときがピークで、すぐにあがった。

 本陣はほとんど装飾がない。殺風景なくらいである。欄間もほとんどなく、あってもせいぜい菱形の格子の意匠である。わずかに板戸に着色された瀑布や高砂の絵があるくらいか。もっとも☆紗さんによれば、今まで見て来た本陣に比べたら、かなり立派なものなのだそう。

 しかし考えてみればお武家様はほぼ禅宗だ。仏間には木魚と寒山拾得の襖絵があったから、まさしくだ。それなら当然、装飾とは無縁の建築物である。雨露をしのぎ、身体を休め、食事ができる場所として機能すればいいのである。だから、台所用具については、見るべき物が多かったのだろう。

 もっとも質素ながらもお茶室はある。さすがはお武家さまのお宿である。

 それから漆塗りのトイレもあった。男性用大小ちゃんと二つ用意されている。しかも畳敷き! 豪勢だ。

 お風呂は大振りの木の桶である。☆紗さんによれば、大名行列を連ねるお殿様は、生活用品一式を持ってのご旅行で、お風呂なんかも「他人の使った風呂桶に入るのなんて言語道断」というお方もおられ、風呂桶持参で旅をしたお大名もおられるとか。

 それにしても地元民の私が、遠路はるばるこられた☆紗さんに、本陣の説明をいろいろとしていただいていたのだから、いまから考えると笑っちゃう。逆だろ!?
  でも、☆紗さんは、実際にご自分の足で東海道を歩かれ、街道沿いの本陣もいくつもご覧になっているし、知識も体験も場数も踏まれているのだ。 見学場所は貸し切り状態で私たちのみ。本陣スタッフで説明する方はいなかったけれど、☆紗さんの説明は詳細で面白い。いやいや、贅沢な見学である。たいへん勉強になった。

 そのあと炊事場(おくどさん)をみて、ああそういえば昔こういうの、実家にあったなあ・・・と懐かしんだ。もっともお寺の行事で大人数(といっても20~30人程度?)の食事の支度をするときのみ使用しただけなので、ほとんど利用しなかったのだけれど。

 井戸が屋内の三和土(たたき)にあり(超べんり~!)、野外にもかまどが一つ設置されていた。
 昔、焼き魚(さんまのシーズンのみ)は野外で七輪で母親が焼いていた記憶がある。匂いにつられて猫がにゃあにゃあ鳴いてやってきていたなあ。野外のあれは、だから焼き魚用なのかも、と空想する。
 当然のことながら、馬小屋、というか馬用宿泊スペースもあった。3頭は入れる。しかし足りたのだろうか。と、終わってしまった時代のあれこれを心配する。

 見学を終えて外に出れば、曇天ながらも雨は上がっている。ラッキー! 日頃の行いがものをいったのだ(笑) いえ、私ではなく☆紗さんのね。
もう一カ所を一緒に見学することにしていたのだ。  

タイムスリップ!

2009-03-25 16:28:00 | おでかけ
 今日は午後から草津におでかけ。最寄りの駅からJRの普通で三つ目の駅だ。草津といっても温泉場ではなく、江戸時代の宿場の本陣である。写真は暗渠の蓋のコンクリートだが、そこにこんなものが(写真をクリックすると拡大できます)☟


こんなに近場の観光地なのに、行くのは初めて。本陣のごく手前の本屋さんには、若い頃よく通っていたのに。その本屋さんは、今はもうない。

 本陣は草津駅から歩いて5分とあったが、もうちょっとかかったかも。駅から二つ目の筋を右手に折れてまっすぐ歩く。天井川を越えると(もちろん下をくぐるのである)、とたんに「ちょっとした場所」に出る。中山道と東海道の分岐点なのである(写真のバックの高架が天井川。クリックすると拡大できます)。

 実は帰りに発見したのだが、この付近のマンホールが大変なことになっていたのだ。いまでこそ車が走るには狭すぎる道だが、世が世なら、大変な交通の要所なのである。そう、思わず車も自転車も通らないときを待って、道路の中央で写真を撮るくらいに。☟ 


 思いっきり地元民なのに、もう気分はトラベラーである。天井川の短いトンネルを抜けると、そこは江戸時代の一大メインストリートだったのだ。

 しかし、実は本陣の先に私が発見したのは、昭和中期の匂いがするオモチャ屋さんだった。フラフープもシンプルな模型のグライダーもツイスターも人生ゲームもモールや紙風船や縄跳び縄も、独楽や風船やシャボン玉液だってところ狭しと並んでいた。アラフィフには、落涙ものかも(笑)
 しかもその真向かいにも、まるで鏡に映したかのように、まったく同様のオモチャ屋さんが! なぜ!? 



 そして、この話は明日へと続く。いや、オモチャ屋さんの件はナゾのままではあるのだが。