紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

終わったドラマのことを考える。

2008-07-12 23:33:10 | テレビ
 辺見じゅんの『ダモイ遥かに』を今朝電車内で静かに読了。

 この中で過酷なシベリアの収容所の生活の中で、主人公が同じ収容所で生活を共にする友人に「ぼくはここにきて、シベリアの空の青さ、その美しさを初めて知った」と心からしみじみと言うシーンがあった。激しい飢えと過酷な労働と厳しい寒さの生活の中で、なにを暢気な、と友人はその時思っていたが、後になり彼は、その意味を知ることになる。自分の生存が極限状態になればなるほど、自然の美しさがリアルに身に染みてくるのだ。

 この場面を読んだ時、ふと思い出したのが、もうずいぶん以前の三谷幸喜/作のNHK大河ドラマ『新選組!』の最終回だった。近藤勇が処刑される寸前、時間が停止したような沈黙の中、彼の目には空が、鳥が、池が、虫が映るのだ。それらを映した彼の瞳は、確かに喜びを持って微笑んでいたような。トリハダものの場面だった。

 そして最近気になっているのが、『ちりとてちん』の主人公、喜代美と落語との関係である。彼女が落語を愛していたのは確かだけれど、そもそも本当に落語家になりたかったのだろうか? 彼女にとっての落語とは、過酷な、けれど最短距離で人生修行を行った場だったのかもしれない、と今さらながら考えているのだ。

 彼女は『ふたりっ子』でプロの棋士になった香子とは違う。自分にとっては将棋は抜き差しならないもの、何をおいても将棋、そして勝負!というのが香子であり、だから子どもを持つことより、夫婦を続けるより、棋士であることを選んだ。

 でも喜代美は、まるでハードル競技のように、目の前にせまったハードルを必死で跳んでいる内に、必然的に落語にぶつかり、落語家になることを選択したようにも思える。自分の中から出る必然ではなく、状況と時間の流れの中で産み出された必然。もちろん、そういう生き方も「アリ」、というか、そちらの方がむしろ一般的かもしれないと私は思う。

 子どもの頃から「これになる!!」と目標に向かって邁進するより、なんとなくこの道を歩いてたら、これぞという物件に当たってしまい仕事にしている、みたいな人生の方がありがちかもしれない。

 という風に終わってしまったドラマのことを、未練がましくあれこれ考えてしまうのである。

インフォ:ストロー笛/再放送

2008-06-14 13:59:00 | テレビ
 ストロー笛のおじさんこと神谷徹さんが出演された『熱中時間』は、6月17日(火)にNHK総合にて15:45~16:00に再放送されるそうです。もしかすると地方によっては見られないかもしれないので、念のためご確認下さい。

 再放送→http://tv.starcat.co.jp/channel/tvprogram/0432200806112245.html

 ということですので、ぜひお見逃しなきよう! ウチでははやばやと録画スタンバイです(笑)

笛ふきおじさん

2008-06-12 15:04:47 | テレビ
 インチキおじさんの次には「笛ふきおじさん」である。童子ではなく、おじさん。

 しかも笛は笛でも市販のビニールストローで作った手づくりの笛。それも1本ではなく曲がるストローを何本も組合わせ、楽曲のイメージそのままの形態を構築させた、1曲1作品という驚くべき作品群。

 なにげなく、H氏がチャンネルをNHK教育の『熱中時間』に合わせてくれたので、偶然に発見できた。『ストロー笛・熱中人』は神谷徹 (カミヤトオル)さん。

 彼は京都大学宇宙物理学科のご出身である。卒業後、彼の興味は宇宙物理学よりリコーダーに移り、リコーダー奏者へ転身された。その後、大阪音楽大学で講師を務めることになるのだが、彼はリコーダー奏者や音大講師という本業より、「ストロー笛のおじさん」として有名らしいのだ。日本全国から演奏依頼があり、スケジュールはいっぱい。特に小学校での演奏の、盛り上がること盛り上がること!

 特に人気があるのは、吹いている間「頭の上のタケコプターが回るドラえもんの曲専用」「しゃぼん玉が出てくるしゃぼん玉の曲専用」の笛。ファンタジックですよ!! 

 Kちゃんなどはクールに見ていたが、H氏の喜ぶまいことか(笑)!! 「タケコプター、まわってる!!」「すごいなー、ほんまのシャボン玉出てるでー!! みてみー!」「象の鼻がのびてる~!! オモシロい~!」「あーー!!カタツムリのツノでたーーー!!」 『篤姫』で堺雅人が演じている将軍さまより無邪気である。

 子どもたちの前で演奏する神谷さんは、サービス精神満載で、ウケればニコニコご満悦、ちょっと子どもたちには肩すかしというときには、ちょっと落胆ぎみ。心優しくかわいらしいおじさんなのだ。

それもそのはず、神谷さんのお母様は、あの神谷美恵子さんとか。

どおりで。

と思わず納得するほど、和やかであたたかく、サービス精神のカタマリで、柔軟かつ徹底的に究める求道者なのだ。

 たぶん神谷さんをナマで見たいだろうH氏は、そのうち何か仕鰍ッるのではないかと、ちょっと期待していたりする。お待ち申し上げております、神谷徹さん。

苦渋と輝きの一本道

2008-05-06 15:54:02 | テレビ
 今回の総集編/後編では、すっぽりと抜け落ちていたけれど、『ちりとてちん』の後半は、実はとても苦かった。

 ヒロインを演じた貫地谷しほりさんが『B子を蹴飛ばしたくなるほど』ひどいことをした女の子だと言っていたのをどこかで読んだ記憶があるが、確かに喜代美はいろんな人を傷つけて来た。その場の勢いから、保身から、欺瞞から、想像力の欠如から、自分の辛さから逃げるため、そして本気で、とさまざまな形で。A子を、小草若を、ときに草々を、そして母親を。

 それらがことさらに苦いのは、そのたぶんどれもが自分の身に覚えがあるからだ。決して他人事ではない苦さなのだ。

 ことに小草若に関しては、彼が一向に自分を振り向いてくれない喜代美に対して、どこまでもオープンマインドな温かさと優しさを向けているから、彼自身がどんなにあかんたれでも、(視聴者は)肩入れせずにはおられない。いつも小草若のことを気にし、彼を守り抜く決心をしていた四草のように。

 それでも喜代美が輝くのは、彼女が決して「間違えない」からだ。道を間違えることはあっても、ただやみくもなだけだったとしても、自分の心や思いに向かってはひたすらまっすぐに走る。「あれかこれか」という二者選択で迷うことはない。なにもわからないか、なしとげる方法だけがわからないかというときには、解決方法を知っていそうな人に聞きまくって、ひたすら一本道を疾走する。

 たまには、すでに走り出してから「こんなことできっこない!」とか「私にはムリ~!」とか叫ぶことはあっても、その時にはすでに自分でレール敷いちゃってるから、もう周囲が軌道に戻してあげるしかないし、実際誰かが彼女をフォローしてくれている。

 それに彼女は自分が傷つけたことを自覚すると、どうしたらいいか方法はわからないながらも、傷つけた人々に向き合い、お互いに成長し、あるいはより深い関係を築く事が出来るようになる。

 それは自分のことだけでなく、彼女の周囲の人々にとって、本当に幸せな事、心からの願いなどをも、彼女はまっすぐに、迷いなく見つめることができるからだ。そしてそれが実現するように奔走する。

 喜代美は小浜の町から出るために母親を傷つけ、一瞬共同生活を受入れたりして小草若を傷つけ、結果的にはA子も傷つけた。でもやっぱり誰かを傷つけることなしに歩めるほど、人生は甘くはないのだ。とくに不器用な喜代美には。

 自分が気付かないうちに人を傷つけていることがあるのなら、だからこそせめて意識的にまっすぐに人の幸せを願う(「おかあちゃんみたいになりたい」というよりもっと前からの)、喜代美のような人生は、しごくまっとうなのだ。

罰当たりかもしれない。

2008-05-04 23:46:09 | テレビ
 今日はなんとなくだるいのに加え、腕の調子もイマイチなので、午前中は家事をH氏にまかせて横になっていた。お兄ちゃんも今日はのんびりと家でテレビ視聴。なんでも今日はスカパー大開放デーなので、無料でスカパーが観放題だとか。と言う訳で、思う存分スカパー三昧するとのこと。

 そのとき彼が観ていたのはナショナル・ジオグラフィック・チャンネルの1700年前のパピルス文書『ユダの福音書』を修復・公開する過程と、ユダに関する新説を提示するドキュメンタリー番組だった。

 あ、私こういうの、好きなんだよねえ。それにユダ(キリストを裏切る弟子)とかダイバダッタ(仏陀に逆らう弟子)とか、聖人にたてついたスケールの大きい悪いヤツって、興味が尽きないんだよねえ。

 この情報については、とっくに本にまとめられ、雑誌に掲載されもしたし、DVDにもなっているようなので、今更なのかもしれないけれど、私は寡聞にして知らなかった。だから古代エジプト文字「コプト語」で書かれた『ユダの福音書』の写本が紆余曲折を経て、崩壊寸前の状態で発見されたこと、それをドリーム・プロジェクト・チームによって復元、解読されたことなどは、かなりどきどきしながら画面を追った。

 中でもユダが実はキリストの弟子の中でも、もっともキリストとその教えを理解していたことにより、イエス自身がユダに彼の最後の使命(イエスを売り、死に至らしめる事)を申し付けたという内容には唸った。それはなんだか私には、とても腑に落ちる解釈だったから。中学生の頃、太宰治の『駆け込み訴え』を読んで以来ずっと疑問に思っていたのだ。なんでユダはイエスを裏切ったのだろうと。

 それにしても再現映像のイエスとユダ、やたらイケメンだったな。しかも、ユダによるイエスへの接吻が裏切りの合図だなんて、出来過ぎ! 他の弟子たちがイマイチなので、BLファンならずとも、ついいろんな想像をしてしまいそうになる。いけない、いけない。