紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

ETV、松井冬子。

2008-04-20 23:41:44 | テレビ
 今日はなんか、えらく花粉症がひどいなあ!?と思っていたら、発熱しだしたので、どうも風邪だと気付く。
 他に書きたい事もあるけれど、またそれは日を改めて。PCの順番待ちをしているうちに遅くなってしまい、日付が越えそうなので、今日はあきらめておやすみなさい。

 PC待ちをしている間、NHKのETVでモデルの様に美しい若き日本画家、松井冬子のドキュメントを見る。http://www.nhk.or.jp/etv21c/backnum/index.html
彼女の絵の痛々しくも恐ろしいモチーフとイメージに、男性インタビュアーは、理解不能と遠巻きにする感じで、誰も歯がたたない(ように見えた)。
 きっぱりとした松井さんと互角、それ以上の立ち位置で、松井さんを抱擁するかのようなインタビュアー、上野千鶴子さんに、「ああ、彼女らしいな、優しい温かいひとだな」と、最後にやっと「いいもの」を見た。

 上野さんは論も立つが感性も鋭く、五感を総動員して松井さんを観察している様子がすごい。あれだけ「相手を出来る限り理解してみせる!」という決意を全身から発散させる、真剣に目の前の相手と対峙する人は、そんなにいない。

 上野千鶴子という人は、一般的なイメージとして猛者(なにしろ切れ者)かもしれないけど、担当の学生たちや傷ついた女性たちには、本当に優しい。全身全霊で受入れる覚悟なのだ。それはもちろん彼女自身が傷の痛みを身を持って知っているからだけど。

 松井さんに言った上野さんの言葉。
「シアワセになるのを躊躇しないで。シアワセになれば、それはそれで新しい道が広がるから。大丈夫」。

 「でも予想できないんですよね、そんな自分が。」と自嘲気味に微笑みながらきっぱり言い切る彼女に「人間ってね、自分の予想をはるかに超えて、変われるの。それくらい人間って、変われるのよ!」と、本気で真剣に言葉を届ける上野さんに、ぴしっと松井さんのガードがかすかだがひび割れたような気がした。

 上野さんには松井さんの現状だけでなく、未来をも予想できたのかもしれない。彼女の願いに満ちた言葉が、松井さんの心にきちんと届き、それが実現できることを私も願う。痛みと呪詛から解き放たれた後の松井さんの絵を、私も見たいから。

魔性の男

2008-04-10 14:11:44 | テレビ
 仕事を辞めたらどんなにか・・・と暗い想像ばかりしていた、こないだまでの自分に「アホやな~!!」とタイムマシンに乗ってツッコミ入れに行きたいくらい霧が晴れたような毎日を送っている。

 まず、時間に追われない! 

 これがなんともうれしい!

 やることは山のようにあるので、一日が終わってやっぱり「あーあ、今日もできひんかった・・・」と思うのは同じだが、「明日があるやん!」と思えるのは、うれしい余裕である。

 それから、「仕事にいかないとブログネタが見つからないのでは?」という危惧も、まったくの杞憂だった。なんとなく、ある。伊達に2年のブログ歴があるわけじゃないのだ(笑)

 このあいだ、とんでもないCMを見てしまった。こんな普通の時間(深夜帯でなく)にいいのか!?とむせてしまいそうになったが、ものすごく引き込まれてしまったことも、正直に白状しよう。だってトヨエツ(豊川悦司)なんだもの!!
 他の人がしたらセクハラ一直線かもなのに、トヨエツがするとものすごく魅力的っていうのは、なんなんでしょうね(笑)

 もう、ほんまに「やらしいわ~!」のだ、まぎれもなく! でも純度100%の「やらしさ」は爽快で、トヨエツに「やらしいやろ~?」といわれて、思わず深く頷いてしまったくらいだ。
 ちなみに商品自体はいかがわしいものではなく、普通にスーパーにも売ってる「キンチョール」。 

 そう、昨年「どうしようもない、しょーもない男やけど、魅力爆発なキンちゃん」のはまり役、トヨエツが、今年もやってくれました! しかもパワーアップ♪ 

 これ、大冒険CMだと思うのに、よくぞOK出してくれた! 金鳥、さすがである! キング・オブ・「魔性の男」は今年もトヨエツの頭上に輝くのである。

『ちりとてちん』最終回

2008-04-01 11:04:19 | テレビ
 私が昨日までの職場で働き出した頃は「女も経済力を持たなくちゃ」「仕事はやめちゃだめ」的な風潮が、わりかし女社会に漂っていた。

 そんな頃の私の疑問は「じゃ、私の母(=一度も「お勤め」をしたことのない専業主婦、のようなもの)の評価はどうなるんだろう?」ということで、まだ20代(後半とはいえ)だったこともあり、激しく悩んでいた。

 私自身の気持としては「ぜんぜん問題無し」だったのだけれど、もしかして私自身がどっか間違ってるのか?というところで壁に突き当たっていたのだ。

 で、『ちりとてちん』の喜代美の「おかあちゃんみたいになりたい」発言で、実にシンプルな答えが出された。「一生懸命自分の人生をちゃんと歩いて、自分自身の価値観で見つけた『なりたいもの』になればいい」(経済活動に参加するかどうかは無関係に)。 何てシンプルな答え。でも意外と見落とされがち。

 「おおきくなったら何になるか?」というのは、オトナになるまで、いやなってからも、実に切実な自分自身への問いなのだ。華やかだから、金儲けできる、有名になりたい、贅沢ができる、ラク出来る、と様々な理由で「なりたいもの」を決めたり、単純に「好きなので」(できることなら)なりたいものを夢見たりする。そしていつまでも見つけられないと、焦り始めたりする。でも、きっと「一生懸命いきてさえいれば、なりたいものになれる」のだ。なぜなら答えは自分自身の中にしかないから。

 ちょっと夢みたいな遠い職業(社長夫人も含む)に憧れたりして(妄想シーンのあれこれ)、身近にいる「おかあちゃん」の素晴らしさに、なかなか気付くことができなかった喜代美。他人は直ぐわかるんだけどね、おかあちゃんとしてでなく第3者が見た「糸子」さんは、大人気だったし(ドラマの中でも視聴者も)。

 仕事に没頭していても(奈津子さん、後のA子=清海ちゃんなど)、自営で働いていても(魚屋食堂のひとたち、咲ちゃん、菊枝さん)、主に主婦でも(糸子さん、後の喜代美)どんな立場もOK。ただし、「いやいや」「ムリムリ」はバツになる、「それじゃ人生幸せではないし、もったいない」という理由で。けれど今の世の中そうじゃない人の方が、やむを得ない理由もあり断然多いはず。

 自分さえ納得ずくなら「なりたいものになれる」。ひとりで「最後の高座」宣言をした喜代美を皆が反対するのだけど、そのときの喜代美は私には初めて見るような態度を示した。「えっ?」「あの、えっと」「ほやかて」「どないしょ」というのが口癖でいつもグラグラだった彼女が、全く動じなかったのだ。視聴者の反感買うくらいにね(笑)

 一方、彼女の夫、草々は、最終回で「そない落語好きやったら、やめへんかったらええのに」「冗談や」と妻に語りかけた。これは「別にずーっと『おかあちゃん』してなあかんていうこともないんやで。また気が変わったら、いつでも落語家に戻りや」という寛容で自由な職業(人生)観を示したような気がする。

 それと、この結末には、ものすごーいアイロニーも含まれているのだ。

 はたして現在なんの不安なく、経済活動に参加しないで「おかあちゃん」がやれる社会なのか? その前にあかちゃんが産める社会なのか? 子どもが産まれて手放しで喜べるような社会なのか? 子どもにとって幸福な社会なのか? というのも、反語として問われているような気が。ほら、古典の時間に習った「これは◯●なのだろうか?いや、◯●ではない」みたいなね。

 落語の世界を置き換えたドラマは、「こういう世界も『あり』なんだよ!」というイッツ・ワンダフル・ワールドを提示してくれた。

 『ちりとてちん』は理想と夢を語るドラマだったのかもしれない。ときに理想や夢を語ることは、鼻であしらわれることが多いが、このドラマでどれだけの人たちが、勇気と生きる力と感情とつながりを取り戻したか。高度なテクニックを持って、理想や夢を語ることの素晴らしさを、まざまざと見せていただいた思いだ。『ちりとてちん』に関わった全ての方々に感謝したい気持。

 さあ、次はみなさんの出番だよ、と鹿がしゃべる空耳が聴こえるようである。 

そして物語はふたたび始まる。

2008-03-30 21:56:26 | テレビ
 昨日の『ちりとてちん』では、もうひとつトリハダだったのは、草々が分娩室のドアをぴしゃりと閉められ、自分が今、喜代美のために出来る最善のこと、つまり落語『愛宕山』を彼女に聴こえるように語り、産声が聞こえて彼がついに『家族』というものを獲得した喜びにむせび泣くところ。

 しかもそこに沈黙の中キャスト名がどんどん流れてゆくのだ!! エンドロールでなく、スターティングロール?だ!

 これは『物語の始まり』じゃないの!! このエンディング(=スターティング)はすごいぞ! 『ライオンキング』の比ではない。

 私も今日で20年以上前からスタートしたお仕事の終了である。エンディング、そしてスターティングの記念すべき日。淡々と普段通りに仕事をした。きっちりやり遂げられて、とてもさわやかな気分。

 ピリオドの日に来ていただいて、どうもありがとう! しん平さん! すごいうれしかった!