紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

なるほど

2009-07-13 22:51:00 | ファミリー
 せっかく飛び石でお休みの勤務なのに、このところ寝たり起きたり状態で、どっかへ出かける元気が皆無。やっとのことで家事をしている状況なので、いつもより少し多めに家事ができたら、それだけで「おおお~」というくらいうれしかったりする。

 もっとも受験関係のあれこれがどんどん入ってくるので、気分的には横になってはいられない状態でもある。書類を作ったり、Kちゃんと話し合ったり、オープンキャンパスや学校説明会の予定をたてたり、情報を調べたり。

 でもって、この調子の悪さはきっと視力の変化から来ているのだろうとがっかりだったのだが、おばあちゃんの一言で「ああ」とあきらめがついた。

「紙魚ちゃん、きっとそれは更年期やで」

 なるほど。そうかもしれない。 

 でも「更年期」は通り過ぎていくものである。いつかは終わりがくる。あまり外聞がよくない言葉なのかもしれないが、私には希望の一言だった(笑) 待とう、通り過ぎて行くのを! (待つのは意外に得意)

誰に似ているのか?

2009-07-11 23:08:00 | ファミリー
 職場にて、『風光る』の斎藤一ファンの方と切実な想いを吐露して、あれこそ理想的な男性だと意見の一致を見た後、彼女がふいに尋ねられた。

「(紙魚子さんの)旦那さまも斎藤一さんに似てますか?」

 それはないだろう(笑) というか、『風光る』の斎藤キャラは、とても現実にいるタイプとは思えない。

 「どちらかといえば、土方歳三かも。それも職場限定(家庭内ではそんなにシビアではない)で。もちろん見た目も別ね(笑)」

 もっとも天然の「たらし」(女でなく人全般)なとこは、近藤勇っぽいとも言えるけど。

 

七夕のお願い、1日遅れ。

2009-07-08 23:50:00 | ファミリー
 明日は、夫のでかい仕事がある日。なんとなくH氏から漂う、ただならない緊張感が伝染するようだ。

 可哀想に疲労困憊なのだろう、夜は布団に入る前から爆睡だ。

 このところ、いつも彼は1FのPCの前で爆睡の夜を過ごしているのだ。フローリングに座布団を敷いた上で、あるいは寝返りを打ったためだろう、フローリングに直に、すーぴーと眠りこけている。

 朝まで木の堅い床の上で眠っているのだろうか? それともトイレに起きて、そのついでに、やっと布団に潜るのだろうか? どっちだろう? 聞くのがこわいような気がする。というか聞いてどうする?

 という私だって、2FのPCの前で、しょっちゅう爆睡しているのだからしょうがない。50歩100歩、目くそ鼻くそを笑う、というヤツである。

 そんな緊張感あふれる朝と疲労困憊の夜の日々なのに、今朝の話題は
「白黒テレビの時代のアニメ、『ゲゲゲの鬼太郎』のテーマソングは素晴らしい!! これを歌った天才声優・熊倉一雄はオバケの世界のコワ楽しい世界観を、完璧に表現した!」という意見の一致である。

 ちょっと前、ラジオから流れていたこの曲を、二人とも別々な場所で聞いていたのだった、ということをそのとき初めて知る。こういう話題では、他の夫婦の追従を許さないくらい意見が一致して盛り上がるのだな。しかも朝から。
 
 明日(書いている時点では今日だけど)のイベントが、うまくいきますように!

兄貴の薫陶

2009-06-30 23:35:00 | ファミリー
 塾帰りのKちゃんが、「ああ、あしたからもう、7月なんや!」とはっきりした声で言っていた。受験生でもあり、月日の経つ早さを、ひとしお感じるのかもしれない。それに明日からは学校の定期テストだし、負けず嫌いでひたむきな努力家のKちゃんは、必死のパッチである。

 先日、彼女と某高校のオープンキャンパスに出かけた。初オープンキャンパスだったが、暑くて体調が悪かったこともあり、今ひとつピンと来なかったが、来た事のない京都の道を歩くのが楽しそうだった。

 行く途中の道で、どこかのお店のラジオから、金管楽器の音楽が流れていた。

「おっ、これはA競馬場のファンファーレや」
女子中学生が、なんでこんなことに詳しいのかといえば、彼女の兄が高校時代に競馬にハマっていたからである。ふたりで休みの日に、テレビで競馬中継を見ていたのだ。

 ちなみに競馬の前には、ゴルフに凝っていたお兄ちゃんの影響で、ゴルフにも詳しい。ふたりでゴルフのテレビゲームなどもしていたようだ。彼女は兄貴の薫陶を受けて育っているのだ。仲良きことは美しき哉。

「それから京都競馬場のファンファーレはこんなんで」とメロディーを口まねしてくれる。
「女子中学生でそんなこと詳しい子って、ちょっといーひんで!」と歩きながら爆笑したら、気を良くして(?)
「東京競馬場はな、さすが都会やから、ファンファーレもかっこいいねんな!」と、ふたたびメロディーをくちずさんでくれる。「な、かっこええやろ?」「うんうん!」(笑)

 兄貴のおかげで、すっかりテリトリーの広い女子中学生になってしまったKちゃん。彼ら兄妹の会話を見聞きしていると、面白い程の凸凹コンビながら、意外に気の合う二人なのかもしれない。

あのおっさん。

2009-06-25 23:54:00 | ファミリー
 森絵都の『つきのふね』という小説で、主人公の少女たちが「あのおっさん」といまいましげに呼んでいたノストラダムス。でも、実はいまいましいのは、そんな昔の人物ではない。

 70年代の少年少女たちを、恐浮フどん底におとしいれたのは、『ノストラダムスの大予言』を書きベストセラーにしてしまった五島勉である。しかもその本の、でかい広告スペースには、めちゃめちゃコワい挿絵が付いていたのだ!

 だからその本を読んでもいなかった(広告の挿絵がコワすぎて本にすら触りたくなかった!)私でさえ、けっこうなトラウマだったりしたのだ。
 1999年に人類滅亡だったら、40歳まで生きられないんや~と人生計画(!?)に老後の人生を加算しなかったくらいである。

 当時本当にノストラダムスブームだったのだ。もしかしたら、平安時代の末法思想ブームだったときも、こんな感じだったのかもしれない。

 だからか80年代には、精神世界とか新興宗教とか流行ってたなあ。終末論がもてはやされ、ハラハラどきどきしながら1999年を迎えたもんなあ。

 というような事を思い出したのは、食後、魚焼きグリルを洗いながら、私がしゃべったことを「え?ノストラダムス??」と聞き間違えたH氏の返事から、突如、まだ少女だった頃に新聞広告を見た記憶が鮮やかに蘇り、五島氏への怒りがこみあげたのだった。

「恐浮フ大王が降りてくる、って、それ、あんた(五島氏)のことや! もう73年にしっかり恐浮フ大王降りて来たわ!!」

「『恐浮フ大王は五島勉だった!』っていうのが、今日のブログネタやね」と、「ノストラダムスの大予言」話で盛り上がる夫婦。

「ところで、あんたが、たぬき亭に持って行った予言やけど」

「(予言?)・・・」 この時の私を図化するなら、
こんな感じである☟
     
    ?   ?
   ?     ?
  ?       ?
 ? の の     ?
     O )      ?


しばしの私の重い沈黙の意味を数秒後に理解したH氏は
「ノストラダムスの予言の話してたし、ヤカンをヨゲンってゆーてしもたー! ノストラダムスのせいで失敗したー!」

天然で笑いが取れるようになったら、かなりのお笑い上級者かもよ(笑)