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光陽展「広島展」によせて (4/6)-3 並ぶ優秀作品・・

2006-06-17 18:08:47 | 怒素人的美術蘊蓄録
(添付画像:光陽展広島展・「晩夏の浜」(左)と「ティータイム」(右)

<作品の紹介>(右側の作品)

 作品番号: 46
 作者氏名: 北 川 悦 子 (会員)
 作品題名: 『ティータイム』
 受賞名:  会員奨励賞
 住  所:   東 京

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 左側作品「晩夏の浜」です。既に掲載済みの画像を2枚と、見比べて頂きたい。おしろい対比、可能かどうか、、、。

 さて、読者の皆様それぞれ、発色が違うと思います。ならばこの画面での「晩夏の浜」は如何? 以前掲載2枚の作品の、いずれと同じ発色でしょうか?

 面白いもので、同じ絵画を撮影しても、全体の露出(被写体の光量とシャッター速度)は、変わってくるから発色が違ってきます。 この距離からですと、隣の作品『ティータイム』とのバランスから、むしろ「晩夏の浜」を色彩再表現にするには、一番平均的な露出ができているのではないかと思います。

 さて、如何でしょうか?・・・

   <・続く・・>

  (次回感想文掲載予定は6月26日月曜日。もちろん、鑑賞感想文は『ティータイム』について・・・)

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光陽展「広島展」によせて(4/6)-2『晩夏の浜』、続編

2006-06-17 15:42:45 | 怒素人的美術蘊蓄録
(添付画像:光陽展広島展・「晩夏の浜」)

<作品の紹介>

 作品番号: 78
 作者氏名: 渡 瀬 泰 志 (会員)
 作品題名: 『晩夏の浜』
 受賞名:  会員奨励賞
 住  所:   静 岡

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 先ずは御礼申し上げます。

 昨日記事(当日記事のオリジナル投稿)について、いつもながら多くのコメントをお寄せ下さり、たいへんありがとうございます。お寄せいただいたコメントそれぞれの読者様には、毎度ながら個々のコメントのお返しをするところ、一夜考えました。

 そして、
 コメントをお返しするよりももう一度本日あらためて、昨日関連記事続編を掲載させて頂きたく思いました。読者の皆様、是非もう一度、異なる視点と感性から、作品「晩夏の浜」をご紹介申し上げるに至りました事、どうぞ宜しくご了承頂きます様お願い申し上げます。

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 さて、
 
 昨日の添付画像は、本日の画像(オリジナル)から「明るさ」と「コントラスト」を増加し、さらに緑色と青色の「ガンマ値」をわずか10%程度増感したものである。
 加えて繰り返すが、本日の画像が、当日撮影のオリジナル版である。

 さて、こうして比較してみると、いかにも本日の画像全体は灰色に呆け、昨日の画像より鮮明さに欠ける。もって、昨日の画像はトリミングされたものであるけれども、鑑賞者の「当日のイメージ」により近い「作品イメージ」を追求した結果、上述内容での「画像調整」に至ったものである。
 やはり昨日画像の方が、緑と青の色調と全体のバランス、美術館展示中のものを「回想」するに、昨日の青と緑の色調に近いものであること、明らかである。

 したがって、究めつけは、
 こうして異なる画像を比較しても、水面及び背景に漂う赤色系等の色調は、本来存在するものである。と、確認できる。

 すでに昨日記事にて、この絵画の製作背景ならびに作者の製作意図など、鑑賞者の眼で追及し、思いを馳せた。
 しかしながら、美意識、感性と感受性、美術表現に対する人間の反応は、それこそ千差万別にて、1千人の鑑賞者に1千通りの異なる評価と異なる判断は可能となる。
 しかし、この絵画の中の小舟、誰が見ても「廃船」に見える。なぜなら、本来無いところに水がある。すなわち「舟の内壁内部」に水が溜まっている。しかも、夕立でふった水が溜まった程度にしては多すぎる水であるから、すでに廃船となった舟、放置されている舟に溜まった水。と、推測するのが妥当であると思う。
 昨日の最後の「くだり」、すなわち、小舟を「茶器」に例え、中の溜まった水を「茶の湯」に喩えた「くだり」。について、あまりにも、過ぎる喩え(例え)かも知れない。破棄されたものに溜まっている水を(茶の湯に喩えて)飲むなんて、度が過ぎているかもしれない。しかし、あえてそう感じたい意識が、なぜか作用した。

 壊れていくものに対する「美」意識。
 廃棄物に対する「あわれさ」を感じる感性。

 たしかに、あると思う。この絵の中にある。そして鑑賞者自身、鑑賞後の当初は、そう感じた。今もその印象は残っている。

 この絵画を観ていて、なぜかしかし、上記のような感情を持たくない鑑賞者が、今、ここにいる。
 
 滅んでいくもの、壊れていくもの、破棄され、捨て去られて往くものに対する「同情」や「あわれさ」、あるいは美しさを感じない「鑑賞者」、この絵からは「上述の印象」を受けない鑑賞者、今まさに、ここに存在する。。。

 何故か、なぜに、そう感じないか・・・

 理由を見つけ出している。

 何度見ても、この水は腐っていないし、生き生きしている。小舟の船体の小さな空間、数週間あるいはそれ以上の時間、この体積の内部に閉じ込められた「腐った水」には見えてこない。少なくとも我輩の眼には、そう写るのである。加えて、廃船は幾度か見ている。廃船の惨たらしさは、生に直視している。そして、この絵からは、その無残さと荒涼さは感じない。

 究めつけは、若し、この小舟が廃船ならば、このように水をたたえるだけの気密性は既に無いはず、ならば、この水も溜まらない。加えて、背景に見える木造船は現役船であり、廃船ではない。廃船ならば、かのように地面に対して垂直に、木造船を浜に引き上げ、管理しない。

 さあ、もう一度、この絵画を観て頂きたい。そして再度、この作品の作者に謝辞とエールをお贈りしたい・・・

*渡瀬泰志氏作品「晩夏の浜」、たぐいまれなる水面(みなも)表現の絵画芸術。
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