教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

怒首領蜂 Aタイプ使いの誇り

2009-05-05 00:03:45 | シューティング
はるかいにしえの時代、シューティングの自機の選択はできなかった。
コインを投入すると、自動的に自機が割り当てられた。

いつのころからか、そうではないものが現れ始めた。
複数の自機のなかから、おのれの良しとする性能をもつ機体を選択できるようになったシューティングが現れた。
始祖はなになのかまでは知らないが、アイテムによるショット変更ではなく最初から自機を選択するタイプのものはグラディウスIIが始祖かもしれない。

自機の選択の可能なシューティングにおいて、ひとつの定番が生まれた。

広い範囲にショットを打て移動速度が速く、そのかわり前方への攻撃力が弱いタイプ。
仮に広範囲タイプと言おう。

ショットは前方に集中していて攻撃力が強く、そのかわり横や斜め方向にショットが打てず移動速度が遅いタイプ。
仮に集中タイプと言おう。

ここで注目したいのは移動速度である。
集中タイプほうが攻撃力が強い。したがって移動速度が遅いというハンデがあることで広範囲タイプと釣りあう性能になるはずである。
・・・と設計される場合が多かった。

しかし!

この設計は間違いだったと気付かされる。
ちゃんと調査はしていないが、はじめてこの設計コンセプトを覆したのは恐らくケイブの首領蜂、および続編にてコンセプトの完成をみた怒首領蜂ではなかろうか。

首領蜂や怒首領蜂は東亜系とよばれる弾幕避けのシューティングであり、製作元のケイブは東亜系の直系子孫である。
これら東亜系シューティングはとにかく弾が多い。
だから弾を吐き出すザコキャラを早々に退治できたほうが有利なことが多い。
したがって広範囲タイプが有利になりがちとなる。

しかし集中タイプにも魅力が無くてはならない。
よって、集中タイプには広範囲タイプより速い移動速度が与えられた。
シューティングのセオリーが覆った瞬間だ。

この大転換には、われわれシューターには当初思いもよらぬ旨みをもたらした。

1~2面あたりの最初のほうのステージでのクリアを優先するなら、ザコキャラを退治しやすく、また移動速度が適度に遅くて弾幕を避けやすい広範囲タイプ(怒首領蜂ではCタイプ)が有利である。
もちろんこれは不慣れなころの話だ。

腕前が上がってくると、集中タイプ(怒首領蜂ではAタイプ)の魅力があらわになってくる。
広範囲タイプではなかなか倒せない硬い敵を瞬殺でき、そして画面を大きく動いて反対側のザコキャラも瞬殺する、そんなスタイルをとることができる。

いわば
「蝶のように舞い、蜂のように刺す」
式の戦いかただ。
実際やってみなければわからないのだが、この戦いのスタイルは実に弾避けが心地よい。
広範囲タイプしか扱えないプレイヤーにとっては理解するすべの無い、集中タイプ使いにのみ与えられた楽しさだった。
見るものにも、敵に弾を撃たせ、そのうえで弾幕を縫うようにして超絶技巧で回避するそのプレイは、広範囲タイプでは得がたい美しさを獲得した。
どちらが強いかはともかく、後々の時代までシューターの多くにこの集中タイプが愛されることになった。

もちろん、いくら集中タイプが楽しいとはいえ、集中タイプのみ難易度が上がってしまってもバランスが悪い。
だから首領蜂においては、遅い広範囲タイプでは避けにくい、広範囲タイプ特有の難所がいくつか用意された。
これによりバランスが取れ、バランス調整についての方法論が完成した・・・かのように思われた。

ところが!

続編の怒首領蜂ではそのバランス調整がくつがえることになる。
道中のほぼ全てのあらゆるところで広範囲タイプが有利になった。
攻略に関しては、集中タイプはあらゆる意味で不利になった。
集中タイプ使いのシューターでさえ、クリア優先ならば広範囲タイプを使うべし、と言わざるを得なくなった。

これについての白熱した議論が展開された。
なぜ、わざわざクリアしにくい集中タイプが継続して用意され、そして前作の首領蜂のような広範囲タイプ特有の難所がなくなったのか。

長い長い討議の末、われわれシューターは一つの結論に到達する。

蝶のように舞い、蜂のように刺す、この集中タイプのスタイルは実に楽しく美しい。
しかし広範囲タイプより弾幕が濃くなり、攻略は実に困難である。
それでもなお、われわれは集中タイプを使いつづける。
なぜならば、集中タイプ使いであるわれわれは、濃い弾幕を避けることのでき、そして集中タイプにのみ許された楽しさを知ることのできる、自らの腕前を誇りとするからだ!
だからわれわれは集中タイプの難易度上昇を肯定しよう!!

・・・と。

だが、これには1つの悪い側面が発生した。
集中タイプ使いであることはシューターにとっての誇りとなった。
だから、広範囲タイプを使うものを見下すものがあらわれた。
広範囲タイプはチキンだと影でののしられる事態にまで発展した。

シューティングは自らのサイフから捻出したコインを投入し、そして自分だけで遊ぶゲームである。
だから他人からチキンだとか言われる筋合いはない。
みずからの美学に照らし合わせ、みずからがそれを選択しなければ良いだけのことで、他人に干渉すべきではないのは明白だ。



その後、ゲーセンから新しいゲームが入ると同時に古いゲームが引退していき、シューティングが少しづつ代替わりしていくようになり、いつしかチキン論争を聞くことはなくなったことで自然に解決することになる。

いまでは、ときおり怒首領蜂大復活にてAタイプをつかうとき、かつて怒首領蜂の到達したシューティング哲学、そのスタイルに熱狂した当時のわれわれの熱き魂を思いだすのみとなったのであった。

シューティングとはシューティングにあらず (下巻)

2009-05-04 00:09:25 | シューティング
(・・・前回からのつづき)



死と隣り合わせの恐怖、精神集中によりアドレナリンが過剰分泌される弾避けのハイテンションな快感、難所をくぐりきった自らの腕前への確かな手ごたえ、それこそがシューティングの本質だ。

世間のシューターのみなさんを見てみるといい。

ボス戦で
「死ねぇぇぇい!!!」
と叫びながら戦っているか?

そうではないであろう?
逆に、ボスに
「死ぬがよい。」 @怒首領蜂の大佐
と言われて、生命の危機におちいりつつ大喜びしているのが現実だ。

そうだ。
シューティングは弾を撃つことが目的ではないのだ。
シューティングは敵の弾を避けることが目的なのだ。

当時の大人の主張はどうだったか。
シューティングでは敵を攻撃してやっつけるからそれをやった子供も攻撃的になる。

さてどうだろう。
シューティングは敵を攻撃してやっつけるのが目的ではないのを理解していない。
さきの批判は物事の本質を理解するまえに、表面だけ見て理解したつもりになっているだけのことだ。
これでは整形大国の韓国人なみに見た目で中身を判断するような愚かな行為だ。
少なくともシューティングをまともに遊べる程度には理解して批判してほしいものだ。

さて表題にもどる。
わたしはこう言いたい。

シューティング(ゲーム)とはシューティング(射撃)にあらず、と。



追伸:

最近のTVゲーム批判には、上記批判はほとんど聞こえてこない。
おそらくシューティングそのものをほとんど見なくなったためであろう。

そのかわり、民主党副代表の円より子議員のように
「アダルトゲームで青少年は心を破壊され、人間性を失う」
とまで断定で批判するようなことになっている。

世の中には、アダルト成分がはいっていなくても心温まり涙を流すすばらしい作品があることを知ろうともしない。

それに、アダルト成分についても理解不足が甚だしい。
欧米に比べて性犯罪が極端に少ない日本の事情を性犯罪の多い欧米基準に適合させようとするのだから、理解不足と思い込みと感情論とインチキフェミニズムによって本来回避したいことが逆に激増するように自ら望んで選択しようとしていることに気が付かない。

TVゲームをやったこともないようなクソ女がTVゲームを語るとこうなる。

失笑ものの愚かさとはまさにこういう行為のことを言う。

シューティングとはシューティングにあらず (上巻)

2009-05-03 00:12:35 | シューティング
のっけから禅問答のようになってしまっているが、今回はシューティング全般のお話。
今回のお題は、シューティングとはシューティングにあらず、である。

むかしむかし、ハドソンのキャラバン全盛期のころ。
ゲーセンではなく家庭にゲーム機(つまりファミコン)がはじめて普及し、TVゲームというものが一般社会に認知されてき始めたころ。

そのころ、TVゲームというものを大人は理解できなかった。
大人はTVゲームを子供の悪影響の筆頭だとして大々的にネガティブキャンペーンを実行した。
いつの時代もそんなことはあるもので、ポケベルしかり、携帯しかり、ネット環境しかり、である。

そのころ、というかTVゲーム黎明期のころ、TVゲームというとシューティングが多くある時代が続いた。
当然ながらシューティングが批判の代表となる。

その批判とはこうだ。
「TVゲームは子供を凶暴化させる」
のだとか。

まあ、目が悪くなるというものも多くあった。
あと、コミュニケーション能力が身に付くのが阻害されるというのもあったが、どちらかというと凶暴化のほうが攻撃対象だった気がする。
ちなみに、ゲーム脳といってTVゲームをすると脳が破壊されるというオカルトまがいの説もあるが、これはもう少しあとの時代の風説である。

参考までにわたしの父親もTVゲーム諸悪の根源主義者である。
まあ当時の大人は多かれ少なかれ、博打や酒やタバコ以上にTVゲームは百害あって一利なし、TVゲームは日本の将来にとって最も有害なものだと思っているだろうから、これは特別ヘンチクリンな主義主張ではない。

では、当時の大人たちはなぜ「TVゲームは子供を凶暴化させる」と主張したのだろう。

彼らの説はこうだ。
TVゲーム(代表的にはシューティング)では敵を攻撃してやっつける。
だからそれをやった子供も攻撃的になるに違いない! ・・・と。

では、それは本当なのだろうか。

シューティングでは敵を攻撃してやっつける。
まあウソではない。

しかし!
シューティングのおもしろさは敵を攻撃してやっつけることにはない。

ゲーセンでも行って、シューティングのうまい人のプレイを見ていると多くの人は思うだろう。
うまい人のプレイを見て感動するところは敵をやっつけるところにはない。
うまい人が鬼のように降り注ぐ狂気の弾幕を紙一重でひらりとかわす、そのスーパープレイに感動するのだ。

実際にプレイしてもそれは同じだ。
たった1発被弾しただけで撃墜される貧弱極まる機体をみずから望んで手に取る。
そして死と隣り合わせの危険をかいくぐりつづけ、信じられないような敵の攻撃を受け続け、残機をへらしボムストックを減らし、それでもなお先に進む。



(次回へつづく・・・)

禁欲主義とバトルガレッガ

2009-04-19 00:13:52 | シューティング
禁欲主義とは物欲や性欲をガマンすることではない。
禁欲主義とは、豪奢で緩慢な生き方をせずつつしみ深く生き、それによって精神的な豊かさを得る生き方のことである。

実は、バトルガレッガというシューティングにその生き方を見ることができるのだ。(※1)

そもそもシューティングとは、比較にならない物量・圧倒的な火力・信じられない固さを誇る敵陣に対し、たった1機で、それも1発被弾だけで墜落するありえないような貧弱な機体で挑む、絶望的な戦いに駆ける何かである。

しかし多くのシューティングでは、パワーアップを繰り返すことにより自機は次第に強化されてゆく。ボムを回収することにより無敵の弾消しボムのストックが増える。
これはあたりまえのことだ。
批判するようなことではない。

しかし、バトルガレッガでは何かが違うのだ。

バトルガレッガでもオプション強化アイテムを取ればオプションが増えてゆく。
ショット強化アイテムを取ればショットが強化される。
ボムアイテムを取ればボムのストックが増える。

しかし、オプションを増やしショットを強化し、強力で弾数の多いショットを撃てば撃つほど敵の弾幕が強化される。
ボムのストック最大になりなおボムアイテムを取れば、残機が多ければ、得点アイテムを取れば、それによっても敵の弾幕が強化される。

プレーヤーは気をつけねばならない。
われわれは自機が強くなるのを良しとしないのだ。

オプションは4つつけることができる。
しかしわたしなら6面序盤まで1つで済ます。

ショットも同様に数段階にわたり強化できる。
しかしわたしなら6面中盤まで強化しない。

うまくやれば4面あたりでボムが余る。
しかしわたしならボムが満タンにならないよう注意しながら進む。

うまくやれば残機も4機まで埋まる。
しかしわたしなら4機にならないよう、血の涙を呑んで残機を減らして進む。

常になるべく弾を撃たないで過ごす。
でなければ恐ろしい勢いで難易度が上がっていく。

さすがにそこまでやれば、そこいらのクリア重視攻略動画よりもかなり低い難易度で5面ボスの宿敵ブラックハートと対面できる。
はじめてブラックハートを倒したときの感激はひとしおだ。

オプションを4機つけショットを最強にし、弾を撃ちまくってプレイした場合、鬼のように弾幕を撒き散らす5面ボスのブラックハートによりイヤがおうにでも自らの至らなさを痛感させられる。
仮に運良く倒したところで、6面道中の弾幕は人類を越えた恐ろしいものとしてわれわれに襲い掛かる。

わたしなら、ようやく6面序盤でオプションを2つにし、6面ボスの手前でショットを強化し、7面道中でオプションもショットも最強にする。(あくまでもこの辺の作戦はわたし個人のやりかたということで)

必要以上のオプションを好まず、豪奢なショットを避け、可能な限り弾を撃たず、ボムも満タンにせず、残機も減らし、得点アイテムも避け、そしてそれができた者のみがラスボスと対面できるのだ。

わたしはそこに禁欲主義の意味することが何かを少しだけ悟ることができた。
単に禁欲主義とはガマンすることではなかったのだ。
禁欲主義的なスタイルを貫くことで自己がさらなる高みへと到達する喜びだ。

バトルガレッガはこのような特異的なシステムにより多くの批判にさらされた。
それと同時に多くのファンに愛された。

バトルガレッガは誇り高いシューティングだと思う。
かなりとっつきにくいが、やってみてはいかがだろう。



【※1 バトルガレッガ】
↓攻略サイト
http://www.geocities.jp/garelabo/

↓公式サイト
http://www.8ing.net/prd/garegga/

↓wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AC

シュウォッチにかけた夏の思い出

2009-01-23 00:18:24 | シューティング
2003年はじめ、ある親友が宣言した。
「シュウォッチをWindowsに移植しコミケに出展する」
と。

わたしはこう言う以外にありえなかった。
「おもしろそうだ! おれにも何かやらせろ」

その男はとある国立大の情報工学をおさめた院卒の、いわゆるエリート教育をおさめた男である。仮にS氏とでも呼ぼうか。
なおかつ、あとの人気を考えれば発売日は驚くほど低調だったPCエンジン版のときメモを早期に発掘する慧眼もさることながら、ぷよぷよでも15連鎖くらい平気で組んでしまうようなゲーマーでもあり、同人ゲーを作らせたら名だたる大物ソフトをさしおいてvectorで日間ダウンロード2位になったこともあるという、すばらしい尊敬すべきオタだ。
そして今は某会社で産業用の巨大システムのソフト開発を行っている。
彼に言わせればわたしのほうが濃ゆいと謙遜なさるのだが、まあそれはおいておこう。

これから作るプログラムの規模自体はたいしたことはないので、スーパープログラマーなS氏以外に他にソフト屋を雇い入れる意味はなかった。

わたしはそれ以外のシゴト、広報パンフの作成と、ハードウエアを担当した。
広報パンフの作成は前回書いたやつなので、そちらを参照してほしい。今回はもう1つのほうについて書く。

コミケに出展する際、単にCD-ROMをスペースに陳列して売るだけでは目立ちはしない。
ではどうするか?
むずかしい問いだった。

そこでわれわれは決断した。
「ホンモノのシュウォッチをUSB対応に改造し、ホンモノのシュウォッチをつかって俺たちの同人ゲーを動かすデモをやろうではないか!」
わたしのやることは決まった。

さいわいにして、昔とあるレースゲーム用にメガドライブのコントローラーを改造して専用コントローラをつくった経験があり、それくらいならきっと何とかなろうと思った。

まずホンモノのシュウォッチを分解する。
液晶の裏にICがのっている以外は電子部品はのっておらず、ボタンを押したときの接触用に単層プリント基板があるだけだった。場所もあんがい空いていた。
つぎに別途買ってきた普通のUSBゲームパッドを分解する。
これもDIPのIC1個とコンデンサが2個のっているだけの簡単な構造だった。

USBゲームパッドのほうの部品3つをシュウォッチのほうへ移植し、USBゲームパッドのボタンの配線にそってシュウォッチ側のボタンのパターンなどに配線すれば完了。

しかしこれでは面白くない。
なぜなら、シュウォッチは電池駆動じゃないか。できたものが電池駆動できなかったら魅力が半減じゃないか。USBケーブルをつなげなければシュウォッチとして機能しないというのはどうなのか。電池駆動できてもすぐに電池が切れるようでは意味がないじゃないか。

わたしは新たな対策を考える必要があった。
思いついた解決策はこうだ。
かなり専門的な話になってしまうのでアレなんだが…、USBゲームパッドのICの入力端子に電流が流れないようにMOSFET(※1)でバッファする。FETの電源はUSBからもらい、ゲートを高抵抗を介してシュウォッチ側のボタンのパターンに並列に配線する。こうすればシュウォッチ側の電池のエネルギーをほぼ消費しない回路になる。

だが問題があった。
部品点数がすごく増える。FETだとか抵抗だとか。いったいこれでシュウォッチの中に納まるのか?

まず若松通商にいって現物のFETの大きさとCQ出版のデータシートをにらめっこしながら要求に合致するパーツを探した。さいわい表面実装のちっこい部品でいいのがあった。抵抗は米粒よりはるかに小さい1608サイズのチップ抵抗を用意した。(※2)
次に秋月無線に行ってハーフピッチで両面に部品がおけるユニバーサル基板を入手した。

さて用意はできた。
ユニバーサル基板をシュウォッチ内におさまるギリギリ大きい寸法に切り出してみた条件で部品レイアウトを検討してみたが、部品は入りきらなかった。
しかたがないからネジを1つ潰して空いたスペースも流用を模索。
これなら部品を実装することができた。
実装方法が確定すれば試行錯誤はすでに済ませてあるので作るのは早い。

ネジを締める。
シュウォッチとしてもバッチリ動いている。
PCにつなげてみてもゲームパッドとしてボタンのON/OFFにも反応している。
よし!

S氏はコミケのためだけに当時けっこうな値段がしたハンディーPCを買ってきていた。
わたしは完成したUSB改造シュウォッチを片手に自慢しにいったのだが、「この男できる!」と認めざるを得なくなり微妙に返り討ちにあった気がした。

そしてShwatch++(※3)は完成した。
本体部分は完成していたゲームとUSB改造シュウォッチをつなげてプレイしてみたときの喜びはひとしおだった。
大人気はムリにしても、何人かコアなお客のハートをガッチリゲットできると目配せした。

広報パンフの作成やら何やかんやあり、いよいよ当日。(※4)

わたしは直接面識はなかったがS氏のダチでコミケ事情に詳しい助っ人も入り、コミケの混雑具合を勘案した最適交通ルートを提案してくれ、われわれシロウトではアタフタするような事務処理なども手伝ってくれ、いざ決戦の時間となった。

まあ大混雑で目に留めてくれる人の割合は高くはなかったが、コアなお客さんはたくさん来てくれた。
パワーグローブ(※5)をはめた通なお客さんが来れくれたり、マジに16連射できるすごいお客さんが実演デモをかってでてくれたりと、いろんな思い出ができた。
CD-Rも思いのほか売れ、昼過ぎには完売した。
われわれの熱い夏は終わった。

そして今でも時折思い出す。
高橋名人にあこがれてシュウォッチをたたいた少年時代、高橋名人にあこがれてシュウォッチを改造しコミケへ出陣した青年時代を。



【※1 MOSFET】
トランジスタの1種。
ある端子とある端子の間の電圧である端子の電流を制御できる。

【※2 若松通商 秋月無線】
http://www.wakamatsu-net.com/biz/
http://akizukidenshi.com/

【※3 Shwatch++】
オリジナルのダウンロードはこちら
http://www.vector.co.jp/soft/win95/game/se326564.html

【※4 広報パンフ】
前回記事分

【※5 パワーグローブ】
ある意味で激レアなファミコン用コントローラ。
手に握って使うのではなく、手袋のように着用して使う。
http://www.ne.jp/asahi/oroti/famicom/cont23.html

俺たちの青春、16連射が帰ってきた!!!

2009-01-22 00:28:36 | シューティング
(注:本文は2003年夏コミでの同人ゲーShwatch++の販促パンフに記載された文章である。タイトルはこれと同じ)



あれは忘れもしない1986年、その年の夏、祖国日本の男子全てを震撼させる敵が突如として降臨した。
その恐るべき敵、刹那の間に16発の弾丸を打ち込まないと倒せない悪夢の人面戦闘艇ラザロ。
だれが忘れようか、俺たちにとって最大の敵、あの悪夢の人面戦闘艇を。
(公式には、ブレイン軍の航空・航宙機動兵器を束ねる中型機動兵器)

ラザロを倒す、そこには絶望が口を開けていた。
高度成長した日本に生まれ、多くのものに恵まれて育った少年たちにふりかかる、生まれて初めての絶望だった。
皆がその凶悪さに絶望した。
ある者は語るのを避け、黙して去った。
ある者はおのれの肉体の限界に涙し挫折した。
ある者は誘惑に魂をけがされ、邪道こすり派に転落した。
だれもが立ち向かえないと諦めかけていた。
もはや祖国日本にはあれを倒せるものは誰一人として現れない、皆が敗北感にさいなまれていた。
そんな時だった、その漢が現れたのは。
そうだ、一人だけ倒せる漢がいたのだ!

その漢は遠く北海道の大地より現れた、笑顔の似合う何の変哲もない青年だった。
だが、彼は恐るべきテクニックを引っさげて現れた。
彼はふらりとおもむき、1秒間になんと16発もの弾丸を撃ちこみ、みごとにラザロを撃破してみせた。
彼は一夜にして祖国の英雄となった。
100mを9秒台で走り抜けるのと同じくらい困難と言われた16連射、あれから17年が過ぎようとしている今日でさえ、人類からは彼を超える逸材はでてはいない・・・。

世間では、あの激動の時代を戦い、そして共に生きのびてきた俺たちのことを「ゲーム世代」と呼ぶ。
それは、友達と遊ぶよりも一人でTVゲームをしたほうが楽しい、と語る小学生が激増した時代、大人はだれからともなく侮蔑の意味をこめてゲーム世代と名づけた・・・。
そして今や月日は過ぎ、年齢だけは大人となった現在の俺たちゲーム世代。
俺たちは内に秘める誇りにかけてみずからの事を「ゲーム世代」と呼ぶ。
そう、俺たちはあの瞬間、日本で最も熱い夏を共有していた。
あの瞬間にあの場所へいたこと、そしてあの瞬間にあれを目指していたこと、それこそ俺たちが大人になった今でも誇れる大切な思い出ではないか。
あの頃、TVゲームすることそのものが悪だと見なしていた無感動な大人たち、俺は逆にやつらに問いたい。
「君たちは子供のころ、いったい何をしてきたのか答えられるか。何に命をかけていたか答えられるか。俺たちは誰に聞いても即答できる。それがゲーム世代だ」
と。
往年を知る、今や立派な社会人として成長した当時ゲーム世代と呼ばれた少年たちは、遠い眼差しをしながら皆そう語るだろう。
「あの年の夏は熱かった・・・」
と。
俺たちはあの時のあの瞬間に星空の軍隊(Star Force)に集う有志だったこと、そして星空を駆ける兵士(Star Soldier)だったことを忘れない。
俺たちだけの知るその戦場へ出向いたもとのあるものは今でも、その日々を懐かしむように物語っている。
ラザロは硬かった、ビッグスターブレインは強大だった、13面からの誘導弾は凶悪だった、思い出は尽きない。
みなの語るその笑顔からは、その辛かった日々を想像もできないような美しく輝かしい思い出に昇華している。

俺たちの好きなシューティングの歴史は深い。
弾を撃つタイミングによって高得点が狙えるスペースインベーダーから、反復練習と緻密な戦略によって難所を潜り抜け、見るものにTVゲームはかくも美しく儚いものかと感動を伝えつづけたグラディウス系、そして鬼のように降り注ぐ狂気の弾幕全てを避けきることで麻薬のような快感を得る東亜系と、シューティングは進化してきた。
だが、シューティングの原点ともいえる連射の素晴らしさを純粋に教えてくれるゲームは、遥か昔、ハドソン・スターソルジャーによって孤高の完成を得ていたのである。
そしてその連射の素晴らしさだけを蒸留し抽出したものがあの連射測定器「シュウォッチ」。

あの一世を風靡したシュウォッチは、今やどこへ消えたのだろう。
ブームは去った後、スーファミ型にメタモルフォーゼした新型機も投入されたが時代の波には勝てなかった。
俺たちの心の底から熱くさせてくれた16連射、全てと引き換えにして打ち込んだシュウォッチ、いったい、どこへ消えてしまったのだ。
もはや2度とはお目にかかれない、我々の青春に燦々と輝く金色のメカニズム「シュウォッチ」。
いったい幾人もの人々が、その復活を待ち望んでいた事だろう。
もはや某に命(株式)を握られたハドソンからは漢と呼べるしろものは復活しないのか、ただの焼きなおしではない魂の回生は起きないのか、だれもがそう諦めかけていた。
そんな時、ついに奇跡はおきたのだ!
日本最大の祭りコミケ、その3日目の同人ソフトコーナー、そこに何かが潜んでいる。
いまだ冷えきらぬ熱き魂を有している君はそこへ集うといい。
USB対応に肉体改造された古参シュウォッチ、そしてPC画面上に奇跡の復活を果たした新生シュウォッチが君の訪れるのを強かに待っているはずだ。
行ってみるといい。
きっと君の心にとどくものがある。



(次回はこれを配ったコミケでのことを語る)

シューティングで弾はどうやって避けるか?

2009-01-18 00:53:39 | シューティング
前々回と前回につづき今回もシューティングネタを書く。
シューティングで弾はどうやって避けるかについて。

ゲーセンにいっしょにいく連れなどによく言われる。
「いったいどんな反射神経してるんだ?」
とか
「こんないっぱいの弾なんかとても見てられない、ありえないし」
とか。

じつは反射神経については、測ってみたところわたしは人並み以下。
じゃあどうやって避けるかというと、実は自機は見ておらず、自分の反射神経分だけ自機の位置の上のほうを見ている。遅い弾ばかりなら自機のすぐそば、速い弾ばかりならずいぶん遠くを。じつはたまに自機の座標を読みあやまって避けたはずの弾にあたる(爆)。

死ぬほどたくさん狂気のごとく降り注ぐ弾をちゃんと見ているかというと、実はほとんど見ていない。
じゃあどうやって避けるかというと、例えば弾が通る軌跡が心眼で見えていて、心眼で見えた軌跡に触れないところに自機をすべりこませて回避する。例えば弾のかたまりごとに触れたらダメなエリアが心眼で見えていて、ダメなエリアの合間に自機をすべりこませて回避する。弾の現在位置を1個づつ把握なぞしてはいない。

ついでに言うとシューティングのプレー中は神経が超絶集中しているので、時間の流れが遅くなるし、あんなにうるさいゲーセンでもちゃんと音楽や効果音は聞こえる。あとで落ちついて他の人のプレーを見ていると、こいつけっこううまいなと思っても実は自分のほうがうまかった、なんてことはよくある。うしろで落ちついて見たら時間の流れは遅くならないからだ。大学入試でもこんなに集中していなかったと断言できますわ(笑)。

たぶん、弾を全部認識しなくてもいいように脳みそが情報を取捨選択し、弾の位置と移動方向からリアルタイムに認識しなくてもいいように脳みそが情報を簡素化し、反射神経を要求しないように脳みそが未来予測をし、さらには走馬灯の原理で脳みそがフル回転して時間の流れが遅くなるものと思われる。

ようするに弾避けできるように脳をカスタマイズしたものが勝つのだ。
将棋であるていど以上の腕前になれば盤をみただけでコマが勝手に動いて何手か先の未来を予測することができるようになるのと同じようなものだろうと思う。

シューティングでうまくなるのに必要なものは反射神経でも視力でもなく情熱だ。
だれよりもシューティングが好きならば、だれよりもシューティングをプレーしつづけ、そしていつのまにかクリアできるくらいの腕前になっているものだ。
スコアランカーのレベルになると才能は必要だろう。しかしワンコインクリアのレベルでいいならば、才能ではなく情熱により成し遂げられることはわたしにより証明できたのではあるまいか。

さあ、あなたもシューティングの世界へいかが?



(前回書いたようにわたしは達人でもなんでもないですよ(笑)。シューターのみなさん反論大歓迎なのでよろしく。)

シューティングとロープレの楽しみかたの違い

2009-01-17 00:51:29 | シューティング
前回につづき今回もシューティングネタを書く。
シューティングとロールプレイングの楽しみかたの違いを考えてみたい。

ロープレは(極論すれば)だれにでもクリアできる。だれでも達成感を楽しむことができる。
シューティングはまずクリアできない。だれも達成できないことを達成したことに対して達成感を感じる。

ロープレは対話やアニメーションによりストーリーを楽しむものが大多数だ。
シューティングにはストーリーは申しわけ程度についているが、あまり意味をなさない。

ロープレは(謎解きの要素もあるが極論すると)単純作業のレベル上げにより先に進む。
シューティングは弾を避ける技能を磨き、言語を絶する弾幕を避けることにより先に進む。

ロープレの主人公は特別な能力を与えられた勇者だったり王子様だったりすることが多い。
シューティングの主人公はなんの変哲もない自分自身。

ロープレは最後になればなるほど主人公が強くなる。
シューティングは最後になればなるほど敵が強くなる。

ロープレではそうやすやすと全滅しない。
シューティングではすぐ全滅する。

ロープレでは死にそうになったら回復魔法を使えばよい。つかえなくなったら街にもどればよい。
シューティングでは死にそうになったら魔法の弾消しボムを使えばよい。つかえなくなったら死を覚悟する。

ロープレは家でおちついて楽しむ。
シューティングは家でおちついてやったら面白くない。やはりアーケードに限る。

ロープレには達人プレーというものがほとんどない。
シューティングでは自分が達人プレーできなければクリアできない。

ロープレで強くなるには金をだして武器防具を買う。
シューティングで強くなるには自分の腕を磨いて奥地まですすみアイテムを得るしかない。

ロープレで死の恐怖を味わうようなら、いったん戻ってレベル上げをする。
シューティングで死の恐怖も味わえないようなら、おもしろくもなんともない。

ロープレでは敵の攻撃は避けられない。
シューティングでは敵の攻撃は避けなければならない。

ロープレの楽しみは家でじっくり本を読む楽しみに似ている。
シューティングの楽しみはスポーツカーをかっ飛ばしてスリルを楽しむのに似ている。



つまるところ、わたしは思う。
ロープレは熟練しなくても誰でも感動を味わえるように作られたのだと。
シューティングは誰も味わえない感動を味わうために熟練して感動するように作られたのだと。
だから、たかがゲームごときに熟練する必要のないロープレは隆盛を極め、シューティングは熟練が必須とするため凋落したのだ。

これはしかたがない。
しかし野球にしろ将棋にしろ、あるていど熟練してはじめて得られる楽しさはあり、それは初心者がちょっとやってみた程度の楽しさとは次元を超えた楽しさである。

だからわたしは言いたい。
ほんとうはもっと多くのひとに熟練してもらい、もっと多くのひととシューティングの面白さを分かち合いたいのだ。



(えっと、エラそうなこと書いていますがわたしは1周ALLがせいぜいで、達人でもなんでもないですよ(笑)。それにロープレも大好きですよ(笑々)。次回はそのわたしが、弾避けとはなんたるかを書いてみようかなあ・・・と。)

男子校でディズニーランドにいった思い出

2009-01-16 00:16:20 | シューティング
わたしが高校生のころの話なので、もうすげー前の話になる。
出身高校は男子校だったが、なぜか修学旅行でディズニーランドに行った。

過去の記事(2008.12.29)にあるように、その当時のわたしはけっこうロジカルに生きていたので、ディズニーランドなんかアホかと思っていた。

そして男子校でディズニーランドにいってどーすんだと思っていたので、まあ共学でも事態は変わらなかったに違いないとかいう諸事情はおいといてだ、アトラクションで遊ぶのはそこそこで置いておいて、ディズニーランド内のゲーセンへ急行した。
とうぶん行ってないからまだあるのかどうか知らんが、当時はみやげもの屋のとなりにあった。

そこにはファイナルスターフォース(1992年)というアーケードのシューティングがおいてあった。コンシューマーには移植されていないうえにシューターのうちでも評判は良いとは言いがたいようなので、けっこうマイナーな存在ではある。
当時は格ゲー黄金期でありシューティングは凋落の一途をたどっている時代だったが、過去の記事(2008.12.20)にあるように、それでもなおわたしはシューティングばかりやっていた。

わたしはここで生まれて初めてシューティングをワンコインクリアできた。

わたしにとってのディズニーランドは
「生まれて初めてシューティングをワンコインクリアできた思い出の地」
なのだ。

ディズニーには甘く切ない思い出は一切ない。
しかし、熱き血潮の煮えたぎる男のロマンを実現した思い出を、だれにも気づかれずひっそりとそこに置いてきたのだ。



(次回もシューティングネタを予定)

ギャルゲーシューティング考

2008-12-20 01:31:35 | シューティング
わたしはギャルゲーも好きだがシューティングも大好きだ。
ゲーセンに行っても、ひところの格ゲーやら音ゲーやらネトゲは完全スルーを決め込み、ひたすらシューティングにしかコインを入れないほど好きだ。
しかし、シューティングが少ないのはしかたないにしても、ギャルゲーシューティングにいたってはほとんど無いのはなぜだ・・・

ギャルゲーシューティングの始祖はなんなのかまでは知らないが、わたしがギャルゲーではじめて萌え、そして燃えたのはコナミのXEXEX、そしてイレーネ姫だった。
発売前にゲーメストやベーマガで特集が組まれるほど前人気が高く、当時にしてはイレーネ姫の挿入アニメーションや機体のCGがやたら凝っており、もちろんシューティングとしても熱中するに値するおもしろさ。

たった一人で世界を相手に戦うというシューティング世界共通のストイックさに、イレーネ姫のストイックさが妙にマッチしていて、グラフィックもいい感じにそれに同調していて、当時まだ若かったわたしの魂を鷲掴みにされてしまった。
17年がすぎたいま、XEXEXは商業的にはけっして成功したとは言い難いにもかかわらず、わたしのなかではギャルゲーシューティングでこれを超えるものは出ていない。

おそらく、アニメやビジュアルノベルにくらべてキャラを出す時間が全然少ないし、格ゲーのようにキャラそのものが常にでるわけでもないし、きっとシューティングはキャラに魅力を持たせるのはかなり難しいにちがいない。
そういう事情で、結論は"ある程度しかたがない"ということになりそうだ(笑)。

ケイブの怒首領蜂シリーズや虫姫さまシリーズもシューティングとしては大好きでしょっちゅうプレイしているんだけど、もうちょいキャラをたててほしいなあ・・・。
怒首領蜂大往生のエレメントドールとか、鋳薔薇のローズガーデンとかけっこう好きなんだけどなあ・・・。
オトメディウスはイマイチだしなあ・・・。