日本。正直であることがイチバンの国。
韓国。祖先や親や身内を敬うことがイチバンの国。
これだけ見ればどちらが正しいというものでもなく、単に文化が違うんだということになる。
しかし!
実は文字通りの運用がなされたらどうなるかを観察したら思いもよらないことがわかる。
韓国では、祖先や親や身内の利益を確保するためなら、公然とウソをつくことが許される。
いや許されるどころか、ウソをついてでも他人から利益をかすめ盗ることが美徳とされる。
たとえばサムソンの元役員のインタビューであったものだが、新興国で商売をするとき日本人だと偽って韓国製のものを売りさばいていった話は美談とされた。
これが日本ならば
「そんな意地汚いことはするな! 日本人全体の品格を疑われる由々しき事態じゃないか!」
と軽蔑される。
しかし韓国はそうではない。
日本。八百万の神様の国。
韓国。一神教的な国。
もちろんこれだけ見ればどちらが正しいというものでもない。
しかし!
八百万の神様がいる日本は
「おたがいに言い分はあって、それぞれの立場でなら正しいことだってあるよね」
ということになる。
が、一神教的な韓国では
「俺様が絶対的な正義だ! おまえは悪だ!」
となる。
特に日本は絶対悪だ。
韓国人にとっては日本は絶対悪でなければならず
「日本の言い分ももっともな話だよ」
などと言うと
「被害者の心を傷つけた」
と言われて袋叩きにあい、場合によっては(例えば天皇を擁護したというような場合には)逮捕される(本当)。
宇宙戦艦ヤマトの第1期ではガミラスは絶対悪で交渉や譲歩をすることは道徳的に許されないように描かれていたのと同様に、韓国人にとっては日本の言い分を聞くことは道徳的に許されない。
日本。歴史が豊富な国。
韓国。歴史が豊富だと思われる国。
もちろんこれだけ見ればどちらが正しいというものでもない。
しかし!
韓国国内には歴史的な文献はほとんど残っていない。
おまけに僅かに残る文献でさえほとんどのものは中国のことが書かれており、自国のことなど全く書かれていないという有様であり、文献調査するには中国や日本の文献しか調査するすべがないほどである。
日本の統治が始まるまでハングルが弾圧されていたおかげでハングル文字で書かれた文献は数えるほどしかなく、しかもハングル文字が発明される以前となると朝鮮では何語が話されていたのかすら全くわからず調べる手掛かりすらないという有様である。
笑えることに今の韓国人のほとんどは自国にある漢字まじりの古代文献を読むことすらできないという。
しかし韓国では、韓国は日本より歴史が圧倒的に豊富だと信じられていて、それを疑うことは道徳的に許されない。
韓国では、古代朝鮮の人たちは日本にいろんなことを「教えてあげた」ということになっていて、それを気味が悪いほど恩着せがましく語る。
ところがその根拠とする日本の文献には、稲作は中国から直接伝わったと書いてある上に逆に日本から朝鮮へ伝播した可能性のほうがむしろ高く、任那日本府という日本の統治機関が朝鮮にあったという記述もあるし、文献や遺物の残りようからすると西暦700年頃以降は日本のほうが栄えていたのではないかとも思われるが、そういう韓国が「教えてあげた」という説に都合が悪いものは全て見なかったことにされている。
真実は恐らく、どちらかが上から目線で一方的に「教えてあげた」のではなく、お互いに影響されあったのだと思われるが、韓国では古代朝鮮が日本から影響を受けたという説は道徳的に許されない。
日本。和の国。
韓国。義の国。
もちろんこれだけ見ればどちらが正しいというものでもない。
しかし!
韓国でいう義は、自分が他人に義を尽くすことではなく、他人が自分へ義を尽くすことを強要することでもある。
韓国人としては、中国が親分で、韓国はその中国のイチバンの子分で、日本は韓国の後輩分にあたる。
それは先の恐ろしくねじ曲がった韓国人の歴史観がそうさせる。
だから後輩分の日本は先輩にあたる韓国に対して特別過剰に敬い慕う誠意を見せるべきだということになる。
たとえば韓国のキリスト教では
「韓国はアダムであり日本はイブである」
と教えるところもある。
韓国ではキリスト教の教義ですらこの有様である。
日本は和の国であり、他人に対して
「俺に誠意を見せろ! 俺をもっと敬い慕え!」
と恩着せがましく言って相手の心象を悪くするようなことは普通しない。
そして韓国の後輩分にあたる日本が先輩にあたる韓国より優秀であることが暴れ出したいほど許しがたく、事あるごとに日本に対してもっと先輩をたてろと強要してくる。
基本的に義の国というところには平等は存在しない。
あるのは自分が目上に立てるか目下にされた境遇にガマンするかだけである。
日本。家族を大切にする国。
韓国。親戚を大切にする国。
これは一見似てるが全然違う。
日本にとって親戚とは、宿無しになったとか破産寸前だとかでない限り普段からそれほど強く依存しあうべきものではないとされる。
自分で何とかしようとしないうちに会ったこともないような親戚にまで金銭面で頼るのはいかがなものかと日本では思われる。
しかし韓国はそうではない。
韓国人は、親戚の中に自分より少し銭を持っているヤツがいたら、そこにみんなでよってたかってタカリをはじめ、ついにはその家を食い潰す。
だから在日と結婚した日本人は、親戚ともいえない会ったこともないような遠戚が銭の無心をしに突然現れ、しかも断ったら玄関先で暴れ出すほどにまで逆切れされ、それで非常に嫌な思いをすることもよくある。
日本では都合のいいときだけ親戚というのは許されないし、世界中どこへ行ってもそれは当然成り立つと思われるのだが、韓国ではいったいどうなっているのだという気がしてならない。
これは韓国より裕福な日本は韓国に援助するのが当然だという考えにもつながっており、毎年のように日本に対してゆすりタカリを繰り返す韓国の外交がまさにそれを物語っている。
異文化交流といってお互いの文化を尊重するのが本来正しいはずだ。
しかしこうしてみると、相手側の文化の運用形態があまりにも稚拙すぎて不愉快なほどにまでになると、相手の文化をこちら側からだけ一方的に尊重してやることが本当に正しいのかと疑いを持たざるを得ない。
どっかの誰かは韓国人は5歳児だと言った。
実態はまさにそのとおりだと感じた。
5歳児に対して我々が紳士的計らいをしてやることにどれほどの意味があるのかということをよく考えてから我々は行動すべきだと思う。
韓国。祖先や親や身内を敬うことがイチバンの国。
これだけ見ればどちらが正しいというものでもなく、単に文化が違うんだということになる。
しかし!
実は文字通りの運用がなされたらどうなるかを観察したら思いもよらないことがわかる。
韓国では、祖先や親や身内の利益を確保するためなら、公然とウソをつくことが許される。
いや許されるどころか、ウソをついてでも他人から利益をかすめ盗ることが美徳とされる。
たとえばサムソンの元役員のインタビューであったものだが、新興国で商売をするとき日本人だと偽って韓国製のものを売りさばいていった話は美談とされた。
これが日本ならば
「そんな意地汚いことはするな! 日本人全体の品格を疑われる由々しき事態じゃないか!」
と軽蔑される。
しかし韓国はそうではない。
日本。八百万の神様の国。
韓国。一神教的な国。
もちろんこれだけ見ればどちらが正しいというものでもない。
しかし!
八百万の神様がいる日本は
「おたがいに言い分はあって、それぞれの立場でなら正しいことだってあるよね」
ということになる。
が、一神教的な韓国では
「俺様が絶対的な正義だ! おまえは悪だ!」
となる。
特に日本は絶対悪だ。
韓国人にとっては日本は絶対悪でなければならず
「日本の言い分ももっともな話だよ」
などと言うと
「被害者の心を傷つけた」
と言われて袋叩きにあい、場合によっては(例えば天皇を擁護したというような場合には)逮捕される(本当)。
宇宙戦艦ヤマトの第1期ではガミラスは絶対悪で交渉や譲歩をすることは道徳的に許されないように描かれていたのと同様に、韓国人にとっては日本の言い分を聞くことは道徳的に許されない。
日本。歴史が豊富な国。
韓国。歴史が豊富だと思われる国。
もちろんこれだけ見ればどちらが正しいというものでもない。
しかし!
韓国国内には歴史的な文献はほとんど残っていない。
おまけに僅かに残る文献でさえほとんどのものは中国のことが書かれており、自国のことなど全く書かれていないという有様であり、文献調査するには中国や日本の文献しか調査するすべがないほどである。
日本の統治が始まるまでハングルが弾圧されていたおかげでハングル文字で書かれた文献は数えるほどしかなく、しかもハングル文字が発明される以前となると朝鮮では何語が話されていたのかすら全くわからず調べる手掛かりすらないという有様である。
笑えることに今の韓国人のほとんどは自国にある漢字まじりの古代文献を読むことすらできないという。
しかし韓国では、韓国は日本より歴史が圧倒的に豊富だと信じられていて、それを疑うことは道徳的に許されない。
韓国では、古代朝鮮の人たちは日本にいろんなことを「教えてあげた」ということになっていて、それを気味が悪いほど恩着せがましく語る。
ところがその根拠とする日本の文献には、稲作は中国から直接伝わったと書いてある上に逆に日本から朝鮮へ伝播した可能性のほうがむしろ高く、任那日本府という日本の統治機関が朝鮮にあったという記述もあるし、文献や遺物の残りようからすると西暦700年頃以降は日本のほうが栄えていたのではないかとも思われるが、そういう韓国が「教えてあげた」という説に都合が悪いものは全て見なかったことにされている。
真実は恐らく、どちらかが上から目線で一方的に「教えてあげた」のではなく、お互いに影響されあったのだと思われるが、韓国では古代朝鮮が日本から影響を受けたという説は道徳的に許されない。
日本。和の国。
韓国。義の国。
もちろんこれだけ見ればどちらが正しいというものでもない。
しかし!
韓国でいう義は、自分が他人に義を尽くすことではなく、他人が自分へ義を尽くすことを強要することでもある。
韓国人としては、中国が親分で、韓国はその中国のイチバンの子分で、日本は韓国の後輩分にあたる。
それは先の恐ろしくねじ曲がった韓国人の歴史観がそうさせる。
だから後輩分の日本は先輩にあたる韓国に対して特別過剰に敬い慕う誠意を見せるべきだということになる。
たとえば韓国のキリスト教では
「韓国はアダムであり日本はイブである」
と教えるところもある。
韓国ではキリスト教の教義ですらこの有様である。
日本は和の国であり、他人に対して
「俺に誠意を見せろ! 俺をもっと敬い慕え!」
と恩着せがましく言って相手の心象を悪くするようなことは普通しない。
そして韓国の後輩分にあたる日本が先輩にあたる韓国より優秀であることが暴れ出したいほど許しがたく、事あるごとに日本に対してもっと先輩をたてろと強要してくる。
基本的に義の国というところには平等は存在しない。
あるのは自分が目上に立てるか目下にされた境遇にガマンするかだけである。
日本。家族を大切にする国。
韓国。親戚を大切にする国。
これは一見似てるが全然違う。
日本にとって親戚とは、宿無しになったとか破産寸前だとかでない限り普段からそれほど強く依存しあうべきものではないとされる。
自分で何とかしようとしないうちに会ったこともないような親戚にまで金銭面で頼るのはいかがなものかと日本では思われる。
しかし韓国はそうではない。
韓国人は、親戚の中に自分より少し銭を持っているヤツがいたら、そこにみんなでよってたかってタカリをはじめ、ついにはその家を食い潰す。
だから在日と結婚した日本人は、親戚ともいえない会ったこともないような遠戚が銭の無心をしに突然現れ、しかも断ったら玄関先で暴れ出すほどにまで逆切れされ、それで非常に嫌な思いをすることもよくある。
日本では都合のいいときだけ親戚というのは許されないし、世界中どこへ行ってもそれは当然成り立つと思われるのだが、韓国ではいったいどうなっているのだという気がしてならない。
これは韓国より裕福な日本は韓国に援助するのが当然だという考えにもつながっており、毎年のように日本に対してゆすりタカリを繰り返す韓国の外交がまさにそれを物語っている。
異文化交流といってお互いの文化を尊重するのが本来正しいはずだ。
しかしこうしてみると、相手側の文化の運用形態があまりにも稚拙すぎて不愉快なほどにまでになると、相手の文化をこちら側からだけ一方的に尊重してやることが本当に正しいのかと疑いを持たざるを得ない。
どっかの誰かは韓国人は5歳児だと言った。
実態はまさにそのとおりだと感じた。
5歳児に対して我々が紳士的計らいをしてやることにどれほどの意味があるのかということをよく考えてから我々は行動すべきだと思う。