自称「超貧困女子」うらら氏の問題はみなさまごぞんじのところと思われる。
【悲報】NHK公認・超貧困JKうららさんの超貧困スケジュールWWWWWWW
http://hosyusokuhou.jp/archives/48260243.html
超貧困JKうららとは (チョウヒンコンジェーケーウララとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%B6%85%E8%B2%A7%E5%9B%B0jk%E3%81%86%E3%82%89%E3%82%89
ヤツは本当に貧困なのか?
じつは貧困とは定義が2種類存在する。
絶対的貧困と、相対的貧困である。
絶対的貧困とは、1人あたり年7万円以下くらいでの生活を強いられている人のこと。
日本には生活保護というお上によるほどこしの制度があるため、該当者は単位がppmになるくらいと思われる。
相対的貧困とは、可処分所得の平均値の半分以下での生活を強いられている人のこと。
資本主義社会ではあるていどの不平等を容認しているため、相対的貧困は%のオーダーでほぼ必ず発生する。
共産主義社会ではみな平等というタテマエになっているため、相対的貧困はゼロ。これに異議がある国民はもれなくシベリア送り。
では自称「超貧困女子」うらら氏はどうなのかというと・・・?
金額ベースで絶対的貧困の年収の半分くらいを1月で散財しておりますな。
絶対的貧困だと仮定すれば、このねーちゃんはカスミでも食って生きておられることになりますわ。
だが、相対的貧困はありうる。
なぜか?
たかがその程度の散財でパソコンも買えないというのはやはり貧困だろう。
高校生の小遣いで買えないのは当然だが、世帯的にはそうなる。
では世間の反応は?
NHKいわく
> 取材した女子高生については、本人の家族のほか、行政機関などの幅広い取材を行い、経済的に厳しい環境で生活する高校生だと判断しております。
反社会集団しばき隊いわく
> 何が贅沢かは俺たちが決める
である。
これはどうなのか?
趣味に散財しておいて、経済的に厳しい、PCも買えないというのは言い訳にはならん。
これが贅沢かどうかでいえば、たしかに反社会集団しばき隊がささやかという程度の贅沢であるが、それをしておいてPCも買えないというのは言い訳にはならん。
わたしはこの問題を見て、
「ああ、これは貧困のS字カーブだ・・・」
と思った。
貧乏人の経済学―もういちど貧困問題を根っこから考える
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784622076513
↑この本で紹介されていることだ。
たかがワンピースのグッズ数1000円を買うのが贅沢という貧困に陥っているヤツは、その贅沢を10回分ガマンしてPCを買うという選択をするためにはすさまじい精神的なエネルギーを必要とする。
もちろん、100回分ガマンして塾に通い勉強する、または資格をとるための勉強をはじめるなど不可能である。
結果として貧困にトラップされて中流に行くための手がかりを自ら失ってしまう。
上記の本では、液晶TVもDVDプレーヤーも持っていながら
「食べるものがなくて困っています!」
という、うららまがいの人物がたくさん出てくる。
貧困から中流の間には壁があり、そこを越えるのは容易ならざるもの。
それが貧困のS字カーブである。
我々がすることは、ヤツに同情することではない。
そのような醜態を見物しながら、自分がそのトラップの向こう側へ落ちないよう、またはトラップの向こう側へ落ちたままにならないよう、注意することだ。
さて、この問題にはさらに大きな問題が潜んでいる。
それは何か?
こういうヤツらは共産主義者だということだ。
SEALDsと仲がよいことはすでにバレている。
貧困から抜け出せないのを政府のせいにし、政府の転覆をはかり、いまの生活に満足している一般人をふくめた全員を自分たちと同じ貧困帯に引きずり降ろそうとしている。
この女は社会に出たら熟練を要しない低賃金労働者になり、
生活は東京なのにときおり沖縄へいって米軍基地前で「沖縄に基地はいらない!」などと地元民でもないくせにデモ行進に参加し、
その飛行機代は出せるのに「食べるものにこと欠いています!」と同情をさそうセリフを口にするだろう。
マスコミはネトウヨは貧困層だというイメージを植え付けようとやっきになっていた。
だが蓋をあけてみれば貧困層はSEALDsのほうだった。
まあ、元よりネトウヨ呼ばわりされている我々からすれば、そんなものは肌感覚的には当然であり、たんに物証が出ただけにすぎないのではあるけれど。
【悲報】NHK公認・超貧困JKうららさんの超貧困スケジュールWWWWWWW
http://hosyusokuhou.jp/archives/48260243.html
超貧困JKうららとは (チョウヒンコンジェーケーウララとは) [単語記事] - ニコニコ大百科
http://dic.nicovideo.jp/a/%E8%B6%85%E8%B2%A7%E5%9B%B0jk%E3%81%86%E3%82%89%E3%82%89
ヤツは本当に貧困なのか?
じつは貧困とは定義が2種類存在する。
絶対的貧困と、相対的貧困である。
絶対的貧困とは、1人あたり年7万円以下くらいでの生活を強いられている人のこと。
日本には生活保護というお上によるほどこしの制度があるため、該当者は単位がppmになるくらいと思われる。
相対的貧困とは、可処分所得の平均値の半分以下での生活を強いられている人のこと。
資本主義社会ではあるていどの不平等を容認しているため、相対的貧困は%のオーダーでほぼ必ず発生する。
共産主義社会ではみな平等というタテマエになっているため、相対的貧困はゼロ。これに異議がある国民はもれなくシベリア送り。
では自称「超貧困女子」うらら氏はどうなのかというと・・・?
金額ベースで絶対的貧困の年収の半分くらいを1月で散財しておりますな。
絶対的貧困だと仮定すれば、このねーちゃんはカスミでも食って生きておられることになりますわ。
だが、相対的貧困はありうる。
なぜか?
たかがその程度の散財でパソコンも買えないというのはやはり貧困だろう。
高校生の小遣いで買えないのは当然だが、世帯的にはそうなる。
では世間の反応は?
NHKいわく
> 取材した女子高生については、本人の家族のほか、行政機関などの幅広い取材を行い、経済的に厳しい環境で生活する高校生だと判断しております。
反社会集団しばき隊いわく
> 何が贅沢かは俺たちが決める
である。
これはどうなのか?
趣味に散財しておいて、経済的に厳しい、PCも買えないというのは言い訳にはならん。
これが贅沢かどうかでいえば、たしかに反社会集団しばき隊がささやかという程度の贅沢であるが、それをしておいてPCも買えないというのは言い訳にはならん。
わたしはこの問題を見て、
「ああ、これは貧困のS字カーブだ・・・」
と思った。
貧乏人の経済学―もういちど貧困問題を根っこから考える
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784622076513
↑この本で紹介されていることだ。
たかがワンピースのグッズ数1000円を買うのが贅沢という貧困に陥っているヤツは、その贅沢を10回分ガマンしてPCを買うという選択をするためにはすさまじい精神的なエネルギーを必要とする。
もちろん、100回分ガマンして塾に通い勉強する、または資格をとるための勉強をはじめるなど不可能である。
結果として貧困にトラップされて中流に行くための手がかりを自ら失ってしまう。
上記の本では、液晶TVもDVDプレーヤーも持っていながら
「食べるものがなくて困っています!」
という、うららまがいの人物がたくさん出てくる。
貧困から中流の間には壁があり、そこを越えるのは容易ならざるもの。
それが貧困のS字カーブである。
我々がすることは、ヤツに同情することではない。
そのような醜態を見物しながら、自分がそのトラップの向こう側へ落ちないよう、またはトラップの向こう側へ落ちたままにならないよう、注意することだ。
さて、この問題にはさらに大きな問題が潜んでいる。
それは何か?
こういうヤツらは共産主義者だということだ。
SEALDsと仲がよいことはすでにバレている。
貧困から抜け出せないのを政府のせいにし、政府の転覆をはかり、いまの生活に満足している一般人をふくめた全員を自分たちと同じ貧困帯に引きずり降ろそうとしている。
この女は社会に出たら熟練を要しない低賃金労働者になり、
生活は東京なのにときおり沖縄へいって米軍基地前で「沖縄に基地はいらない!」などと地元民でもないくせにデモ行進に参加し、
その飛行機代は出せるのに「食べるものにこと欠いています!」と同情をさそうセリフを口にするだろう。
マスコミはネトウヨは貧困層だというイメージを植え付けようとやっきになっていた。
だが蓋をあけてみれば貧困層はSEALDsのほうだった。
まあ、元よりネトウヨ呼ばわりされている我々からすれば、そんなものは肌感覚的には当然であり、たんに物証が出ただけにすぎないのではあるけれど。