教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

ドマッシュノのない人生

2009-07-31 00:02:17 | 経済/経済/社会
そもそもわたしはあまりヨーグルト食べないのだが、にもかかわらずスーパーにいって売っていたら必ず買うヨーグルトがあった。
明治の「ドマッシュノ」というヨーグルトである。(※1)

最初に買ったのはホントに何となくだった。
単に値引きシールがついていたから買っただけだった。
あんまり期待はしていなかった。

食べてみた。
「こんなに美味いヨーグルトがあったのか!?」
と驚愕した。

それ以来、スーパーにいったらあれば必ず買うようになってしまったわけである。

そもそもにおいて、わたしはコクがあって味わい深いモノが好きな傾向にある。
たとえば紅茶でいえばアッサムよりセイロンが好きだし、スタバでいえばスラウェシみたいなのが好きだし、酒はあまり飲まないがスーパードライよりモルツのほうが好きだし、プロセスチーズは買わないが白カビがもっさりしたチーズは時々買っている。

さてヨーグルトはどうか。

キホン的にスーパーに売っているヨーグルトのほとんど全てはアッサリ系だ。
コクがないし、味わい深いモノは出てはいない。
砂糖や果物をマゼてごまかしているような気がする商品も多いし、かといってプレーンの無糖のものはイヤなすっぱさが出ててそれはそれでおいしくないものが多い。
値段だけはドマッシュノよりはるかに安い。

ドマッシュノは既存のナニモノとも違った。
無糖なのにイヤなすっぱさが出てないし、何よりコクがあってまろやかで、他の商品とはレベルの違う芳醇さを具えていた。
食べて驚愕したヨーグルトは後にも先にもドマッシュノだけである。

けっこう値段が高いにもかかわらず、わたしはしょっちゅうドマッシュノを買っていた。
しかし、ドマッシュノはもうない。
別の商品をてあたりしだい試してみたものの、ドマッシュノのあの感動はもう戻ってはこない。

いつしか、わたしはヨーグルトを買うのをやめた。
「やめた」というより「あきらめた」に近かった。
もとのヨーグルトを食べない生活に逆戻りした。

今でもときおり、あのドマッシュノの味を懐かしく思い出すのである。
「あれはうまかった・・・」
と。



【※1 ドマッシュノ】
http://www.meijibulgariayogurt.com/doma/
↑公式サイト

GONZOチャートとイベントリスト

2009-07-30 00:00:12 | オタネタ全般




(↑クリックしたらデカくなります)

明日になればGONZOの株価が見れなくなる。
ついでだからGONZO株のヒストリカルチャートをイベント付きで掲載しておく。
万が一だが再上場した暁には、きっと重要な判断基準になるに違いない。
(縦軸はlogスケールになっているので注意)

リーマンショック以降、JASDAQやマザーズに上場している株の多くは恐ろしいまでに値下がりしていて、まさに宝くじ状態であった。
そこで、おもしろいから年末ジャンボは買わずにJASDAQやマザーズの超小型株をいくつか仕込んでみた。
そこからさらに激しく値下がりして紙切れになったものもあれば、買ったほうがビックリするほど急騰して大当たりに化けたものもあればで、まさに悲喜こもごもの宝くじ気分を堪能できた。
(一応、過去形ね。仕込みの時期はそろそろ過ぎたと思っているので、今は買い増しはほぼ止め。)

そもそもにおいて宝くじは自分の選択が関与する余地がないのであまりおもしろくもない。
だが超小型株は自分で決算短信読んでそれで選ぶわけだから、バクチのおもしろさで言えば宝くじとは比較にならないほどおもしろい。
(わたしは馬はやらないが、馬もきっとそんな感じだろう。パチンコもやったことないが、あれは運の要素がかなり強そうだからおもしろくはなさそうに見える。)

GONZO株は買ったときから1/10以下になり上場廃止になったが、それでもハズレくじ確定にはまだ早い。
少なくとも株主優待を2回受け取れれば、あと15ヶ月生き残れば、トントン以上に分類してもいいと思う。

アフロサムライがバカ当たりし、万が一だが債務超過から脱して再上場されたとすれば、そのときはきっと大当たりのくじに化けているだろう。
まっ、気長に待ってますかね。

シューティングはノーボムから

2009-07-29 00:01:33 | シューティング
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1210108687


> 野球は2アウトからってよく言いますが、あれって、ここでヒット打たないとっていう気持ちからそういうようになったんですか??


> 攻撃側も守備側もどちらにも当てはまる言葉だと思いますね。
> 野球は9回2アウトからでも、10点差をひっくり返すまたはひっくり返される可能性はあるのですから、打者は諦めず、守備側は気を抜かずといったところから産まれた言葉ではないでしょうか。



わたしは野球はやりもしないし見もしないのでこれがホントかどうかは知らん。
そもそもわたしはインドア派であるからして、知る由も無い。

しかし!

シューティングにおいて、これと同等といってもいい意味がある。

「シューティングはノーボムから」

わたしはこの言葉を提唱したい。
のこり1ミスで全てのチャンスを失う2アウト、それはシューティングにおけるボムを全て消費しつくしたノーボム状態に等しいのだ。

まずボムとは何を意味するか?

ボムを使えば全ての敵弾が消え、たいがいは一定時間無敵になれる。
つまり、ボムとは緊急回避を意味する。
あたりまえか。

もうちょっと濃ゆいとこまで意味を考えてみよう。

本来ならばどんなに弾幕が激しくても、プレーヤーは弾幕をすりぬけて生き延びなければならない。

しかし、そんなものはタダの理想論だ!

実際問題としてノーミス・ノーボムでクリアできる者がいたとしたら達人級だ。
どうやったってボムは使わざるを得ない。

では、ボムを使わざるを得ないときとは何か?

自分の腕前では避けられそうにない鬼畜の弾幕が降り注いだときである。
そう、ひとは自分の腕前に対して敗北を認めたとき、はじめてボムを使うのである。

しかし、ボムは有限の資源である。
残機のつぎに大切な資源である。
ボムが尽きたとき、人はどうするか?

自分の腕前では避けられそうにない鬼畜の弾幕に対し、自己の持つ心眼をもってして鬼畜の弾幕を凌駕する驚異的な回避能力を発揮しようと欲する。

人はノーボムになったとき覚悟を決める。
そして、そのときこそ、自己の真価を発揮するときなのだ!

実際シューティングをやるものは、死なないように安全策をもってボムを使いボムが尽きて早死にして後悔するという悲観主義と、自己の腕前を信じて弾幕に飛び込みボムを余して早死にして後悔するという楽観主義と、常にそのはざまを行き来し、そしていつの間にか今まで到達できなかった深淵へとたどり着くものだ。

シューティングで1コインクリアするためにはボムは無くてはならないアイテムだ。
だが、ボムが尽きてなお戦うその時がなければ、決して自己の腕前は上達しない。
そして自己の腕前を超える驚異の弾避けを実現したとき、シューティングのおもしろさの深みにさらにハマっていくのだ。



「野球は2アウトから」
なのかどうかは知らん。
しかし、
「シューティングはノーボムから」
なのは間違いないであろう。

GONZO株主優待情報

2009-07-28 00:00:29 | オタネタ全般
今回のGONZOの株主優待が決定した。



その1:ポストカード

2009.07.27到着。
12枚構成。
1枚ごとに別の作品のイラストが描かれている。
どっかで見た絵柄なので描き下ろしではない。
「株主優待」や「Not For Sale」が明記されている非売品。
3月末時点で株主は5308名しかいないので流通数量はそれ以下。
他のポストカードセットの価格から推測するに、市販されていたら1500~2000円くらいの値段がつく品だと思われる。



その2:DVD

10株未満 → Aから1枚
10株以上 → Aから2枚もしくはBから1枚

[A]
SPEED GRAPHER ディレクターズカット版 Vol.1 初回限定版 (7,980円)
SPEED GRAPHER ディレクターズカット版 Vol.2 初回限定版 (7,980円)
バシリスク ~甲賀忍法帖~ 第一巻 初回限定版 (7,980円)
バシリスク ~甲賀忍法帖~ 第二巻 初回限定版 (7,980円)
BLACK CAT Vol.1 (4,980円)
BLACK CAT Vol.2 (4,980円)
SoltyRei Vol.1 通常版 (3,499円)
ウィッチブレイド Vol.1 (6,930円)
ガラスの艦隊 第1艦 通常版 (3,675円)
ガラスの艦隊 第2艦 通常版 (6,090円)
吉宗 第一巻 (5,040円)
吉宗 第二巻 (5,040円)
パンプキン・シザーズ Men of pumpkin 編 Vol.1(初回生産限定) (6,930円)
パンプキン・シザーズ Men of pumpkin 編 Vol.2(初回生産限定) (7,980円)
サムライ 7 第①巻 GONZO THE BEST シリーズ (2,940円)
サムライ 7 第②巻 GONZO THE BEST シリーズ (2,940円)

[B]
爆裂天使 特別限定版 DVD コレクターズセット・I "ジョウ"BOX (21,000円)
ガラスの艦隊 第1艦 ~オレの名は、疾風のクレオだ~ 豪華版 (6,720円)
ガラスの艦隊 第2艦 ~君も我が刻印を受けたまえ~ 豪華版 (9,975円)
SAMURAI 7 第一巻 限定版 (7,980円)
SAMURAI 7 第二巻 限定版 (7,980円)

カッコ内の数字は定価を別途調べて記載した。
発送は10月以降。



GONZO株は歴代最高値の675,000円から先週470円をつけるという破格の暴落っぷりをみせており、株主優待の利回りだけで2000%もあるという驚きの価格破壊に挑戦している。
本来なら自社製品を配るタイプの株主優待の場合は利回り2%相当くらいが妥当だろうと思うので、ふつうの会社なら何10万円くらいの株価になっていてもフシギはない。
なんでこんなに安いかってぇと、いま株を買っても、次の株主優待の権利を行使してブツを受け取るまで(つまり2010年の10月すぎまで)GONZOは存続していないだろうと市場に判断されているからだ。

悲しいかな、15ヶ月先の生存確率は1/20だと判断されているのだ。
(ちなみに計算上の1ヶ月あたりの倒産確率は20%くらいになる。)

わたしだったら400~500円くらい(時価総額1億円くらいになる株価)ならバクチ気分で買ってもいいと思うのだがねぇ・・・。
(で、先週買い増そうとしたけど買えなかったわけよ(笑))

さて、何のDVDもらおうかと思案している最中である。

リアルスタンド使い現る!

2009-07-27 00:00:08 | オタネタ全般
スタンドとは・・・

> スタンドとは、超能力を目に見える形で表現したものである。

とwikipediaに記されている。(※1)
“ジョジョの奇妙な冒険” という作品に出てくる架空の能力である。
もちろん実在しないことは言うまでもない。

しかし!

なぜかわたしは大学時代に友人からスタンド使い認定を受けたことがある。
べつに変な替身が出てくるわけではないんだけど(笑)。
今回はそのわたしのスタンドについて書いてみることにする。
(以下のスタンドの名称は、スタンド使い認定した友人が勝手につけた名称をそのまま用いる。)



① ホットテンプラチャー

わたしは体温をある程度コントロールできる。
体温を下げるのはムリだが、上げることはできる。
やろうと思えば38℃以上だせる。

それを聞いた友人が名付けた名前が「ホットテンプラチャー」。

少しコツがいるのだが、ある種の咳をすると、1回あたり0.1℃くらい体温が上がる。
そこで、体温を測っている最中にその咳を10回もすれば、みごとに仮病の完全犯罪が完成する。
これを仕掛けたあと、スーッとみるみる体温がひいていくのを感じるので、たぶんスタンドの有効時間は10秒くらいのオーダーしかないと思う。

高校のとき体育の授業を受けるのがかったりーとき、たまにスタンドを発動させていた。
保健室の先生のお墨付きなので、絶対に仮病だとバレはしない。
しかし、やりすぎて体温が上がりすぎてしまい、病院に連れて行かされそうになった事もある。

「策士、策にはまる」とはまさにこのことだ(笑)。



② スタープラチナ

ゲーセンでシューティングをやっていると、ゲームに集中しすぎるせいか時間の流れが遅く感じる。
(このへんのことは2009.07.07記事など参照)

それを聞いた友人が名付けた名前が「スタープラチナ」。

なんでDIOのザ・ワールドじゃないのかって聞いてみたら、
「ザ・ワールドよりスタープラチナのほうが時間を止める能力が低いから、遅く感じる程度の能力にはこっちのほうがふさわしいのでは?」
とのことだ。

もちろんオラオラはできまへん。
無駄無駄もできまへんけど。



③ ザ・イヤー

わたしは耳の鼓膜の内側の気圧をカンタンにコントロールできる。
というか、ふつうの人はできないの?って感じですらあるくらい自然にできる。

たぶん、
「耳がツンッとしたらツバを飲み込むと治る」
というやりかたの高度な応用(?)だと思う。
けど、ほかのひとができないらしいので事情は良くわからない。

よく新幹線がトンネルに入っときに鼓膜が変な感じになるが、わたしの場合はそうなった瞬間にコンマ数秒以内に元にもどしている。
けど使い道はせいぜいこんなもんで、地球上にいるかぎりほとんど役にはたたないスタンドな気がする。
宇宙世紀にもなればもっと人類は大きな気圧差のなかを頻繁に移動することになるかもしれないし、そのときはスタンド使いは猛威をふるうことになるだろう。
わたしは生まれるのが速すぎたのだ!

そしてこれを聞いた例の友人が名付けた名前が「ザ・イヤー」。

いやー、その名前のつけかたは何か変だよ(笑)。



追伸:

その男はいまジョジョ立ち(ジョジョのキャラたちがとる、何だか変だけど何だかカッコいいヘンテコポーズ(※2))に憧れているそうな。
家で密かに鏡を見ながら練習しようか、とか言っているのだけど。



【※1 スタンド】
> スタンド (ジョジョの奇妙な冒険)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%89_(%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%81%AE%E5%A5%87%E5%A6%99%E3%81%AA%E5%86%92%E9%99%BA)



【※2 ジョジョ立ち】
> 『ジョジョの奇妙な冒険』ジョジョ立ち教室
http://kajipon.sakura.ne.jp/jojo.htm

ルナティックドーンと悪党家業 (下巻)

2009-07-26 00:16:05 | オタネタ全般
(・・・前回からのつづき)



実はルナティックドーンにはもう1つ興味深い設定がなされている。

ルナティックドーンではモンスターを倒してもお金が入らない。
モンスターを倒しても経験値が入らない。
お金を支払って訓練所で鍛錬しなければ強くなれない。

お金はどうやって調達するか?

退治や救出のイベントをこなせばそれなりにお金が手にはいる。
しかし、そういったダンジョンへ潜る必要のあるイベントは、ダンジョンにいる強力な敵の前に阻まれる。
かなりゲームに精通した後でもないと、いきなりダンジョンへ潜っても全滅するだけだ。

宅配や護衛のイベントならばダンジョンへ潜らなくてもお金が手にはいる。
しかしフィールドは移動しなければならない。
フィールド上で敵に遭遇したら、はじめのうちは命にかかわる。

だったら、強い仲間を何人か集めて宅配や護衛のイベントをこなせばいい。
それならフィールドを移動するだけならわりと安全だ。
しかし何人も仲間がいて宅配をこなすだけでは、パーティーのランニングコストだけで儲けたお金のほとんどを食いつぶす。

ではどうするか?

宅配物を勝手に換金すればカンタンに大金が手に入る。
暗殺の依頼をこなせばカンタンに大金が手に入る。
誘拐をくわだてるという手もある。
それをもって訓練所で鍛錬すれば、すぐにでもそこそこ強くなれる。
しかしお尋ね者になる。

ルナティックドーンの世界には、生活に困ったものが悪事に手を染めていき、そうやって悪党が量産されていくのだ。

さらにおもしろいことがある。
ルナティックドーンの世界には悪党がことかかない。
誘拐もおきるし殺人もおきるし宅配物や旅行者だって狙われる。
だから誘拐された人を救出するイベントもおきるし、旅行者が無事にたどり着けるよう護衛のイベントだっておきるし、悪党の巣窟になったダンジョンの退治のイベントだっておきる。

ルナティックドーンの世界は悪党がいなかったら世界が回らない。
悪党がいなかったら冒険者のほとんどは食べていけないのだ。

これを見たある人はこう言った。
「このゲームは、世の中は悪人がいないと回らないことを端的に表現した、実によく考えられたシステムだ」
と。

この意見には一概には賛成しかねる。
しかし言いたいことは解らんでもない。

正義の味方を標榜する主人公と、世界征服を目論む悪の帝王の君臨する世界の、いわゆる豪華2点セットで構成されていた従来型RPG。
それに反旗をひるがえしたルナティックドーン。
善や悪をも超越し、プレーヤーがただ世界にありつづけるということを始めて表現できたルナティックドーン、当時これを遊べたことは大きな幸運だったと思う。



追伸:

ロマンシング・サガにしてもそうらしいが、とにかくルナティックドーンIIにはバグが多かった。
誕生日に宿屋か訓練所にいると一気に2歳増えるとか、退治の依頼を受けるまえに敵を倒すと全部退治しても退治したことにならないとか、80歳で天寿を迎えるのにその瞬間に宿屋にいると死なないとか、とにかくバグが多かった。
何でもできるという性質上、イベントなどのフラグの管理を正しくバグなしにやろうとしても、けっこうプログラミングが入り組んでしまい難しいのかもしれない。

しかし、何度もゲームをやりこんでバグを体で覚えて無意識に回避しながらそれでもゲームを遊び、そういったバグの多さにもかかわらず心の底からゲームを楽しんだ。
死ぬほど遊んだあとにも、セーブデータのバイナリーコードを手動で書き換えてまでさらに遊びつくした。

いまでは良い思い出である。

ルナティックドーンと悪党家業 (上巻)

2009-07-25 00:01:46 | オタネタ全般
「怪物と戦うものは、
 その過程で自分自身も怪物にならないよう、
 気をつけねばならない。
 深淵を除きこむとき、
 その深淵もこちらを見つめているのだ。」
 (IIオープニングより引用)



ルナティックドーンというRPGがある。
初代は1993年にPC-98用として発売された。

当時のRPG界ではいわゆる閉塞感があった。
とりあえずほんわかファンタジーで、とりあえずイベント数珠繋ぎのおつかいゲーで、とりあえずレベル上げで、、、という定番が確立されており、そこから誰もが抜け出せなかったのだ。

そんななか、チャレンジングな試みをおこなった勇敢なるソフトが現れた。
ひとつはロマンシング・サガ。
もう1つはこのルナティックドーンである。

ルナティックドーンは発想そのものはおもしろかったが、じつはゲームとしては甚だしく未完成だった。
まともに遊ぶにしては詰めの甘さが際立った。

そのアートディンクが満を辞して投入したのがルナティックドーンIIである。
(「ルナティックドーン 開かれた前途」という次作もある。だが、個人的にはこっちはあまり好きにはなれず、それ以降やっていない。なのでI, IIの話メインで進める)



このRPGには際立った特徴があった。
それを一言で言い表すとすれば
「好きにするがいいさ!」
ということだ。

とにかく自由だった。

ドラクエやFFでは、用意されたイベントをこなさなければ先へ進めない。
ルナティックドーンは違う。
自分がこなしたいイベントだけこなせば良い。
イベントをこなさなくても、いずれ時の流れとともに遷りゆく。

ドラクエやFFでは、職業チェンジというかたちでキャラクター強化の選択肢はあるが、キホン的には用意されたとおりにレベルが上がっていきキャラクターが強くなる。
ルナティックドーンは違う。
自分が強くなりたいと欲したところだけ強くなればいい。
自分が扱いたいと欲した武器だけ熟練すればいい。
そして自らの強さというのはその世界における絶対的な価値ではない。

ドラクエやFFでは、悪党というのは主人公たちに退治される運命にあり、主人公たちは正義を代表する絶対者である。
ルナティックドーンは違う。
自分は正義の味方にもなれるし、そして悪党にもなれる。

ドラクエやFFでは、はじまりの街は敵が弱く、そして進むにしたがって少しづつ敵が強くなってくるという、(いくらか辛口に評価すると)リアルさのカケラもない過剰なる親切設計がなされている。
ルナティックドーンは違う。
主人公に関係なく、ただ世界はそこにありつづける。
世界は主人公につらくあたる。
はじめのうちはタダの雑魚モンスターにさえ勝てはしない。
はじめてダンジョンを潜ったときには、きっとその敵の強大さに恐れおののくであろう。

ドラクエやFFでは、わりと迷子にならないよう窮屈感を感じないよう、適度な広さのフィールドマップが用意されている。
ルナティックドーンは違う。
とにかくフィールドが広い。
迷子になるとかそういったオーダーではなく、どれだけ歩いても世界の端へは到達できないような、とんでもない広さが用意されている。
そしてプレーヤーはその不親切なまでの広さのただ中にあり、世界の広大さとこれから起こる冒険の数々に心躍らせて邁進するのだ。

ドラクエやFFでは、とりあえず悪の手先や巨悪の帝王が出現し、とりあえずそいつらを倒すのが最終目標となる。
ルナティックドーンは違う。
最終目標は自分で決めれば良い。
世界の果てへ行ってみたいというのでも良い。
伝説の武器防具をフルで揃えたいというのでも良い。
最強の魔物を1人で倒したいというのでも良い。
一国の主になってみたいというのでも良い。
全ての魔法,全ての達人技をマスターしたいというのでも良い。
家を建てて世界のどこかにいる異性の誰かと結婚したいというのでも良い。
全ての街,全てのダンジョンを攻略したいというのでも良い。
そしてそれらは必ずしも同一直線上にある目標ではない。



さらにプレーヤーの心をときめかせるのは、その世界観の造詣にもある。
ドラクエやFFでは、世界は比較的ほのぼのとしたファンタジー世界にある。
ルナティックドーンは違う。
ファンタジー世界にあるのは共通だ。
しかしながら全くほのぼのとはしていない。
カンタンに全滅するし、敵は悪意をむき出しにするし、なにより世界は辛辣でかつストイックな印象が強い。
日本ではこんな洋ゲーのような世界観を出せる作品はほとんどないだろう。

「怪物と戦うものは、
 その過程で自分自身も怪物にならないよう、
 気をつけねばならない。
 深淵を除きこむとき、
 その深淵もこちらを見つめているのだ。」

オープニングにかくある。
これはニーチェの言葉の引用である。
かつてニーチェは神の死を嘆き、そして神に変わって超人による支配を信仰した。
そして神は成りを潜め悪党や怪物の跋扈する辛辣なルナティックドーンの世界。
そして、汝なすべしではなく我欲すであれ!と言ったニーチェに通じる、自己の欲するままに生き、自己の欲するままに目標を貫徹するそのプレイスタイル。
ニーチェの提唱した悲壮な世界観とルナティックドーンの世界は絶妙な噛みあわせでマッチしていることに、我々がオープニングを見終わった瞬間に気付かされる。



実はルナティックドーンにはもう1つ興味深い設定がなされている。



(次回へつづく・・・)

ロミオ×ジュリエットにみる国際結婚

2009-07-24 00:01:48 | オタネタ全般
「ああ、ロミオ、なぜあなたはロミオなの?」
で有名なロミオとジュリエット。
そしてそれにGONZO風のスーパー解釈を加えたロミオ×ジュリエットという作品がある。

この作品のなかみを多少うがった見かたで説明すれば
「暴力革命で成した軍事独裁政権のオヤブンのセガレ(男)と、旧政府系テロリストのオヤブン(女)とのラブロマンス」
といったところだろうか。



いまさらあえて言うほどのこともないが、この作品は立場の違いに苦しむ2人の愛の物語が描かれている。
まあ現代において、こんな王国中を巻き込むような大層なラブロマンスなど、そうそう身の回りで起きるはずはない。
あえて庶民レベルでこれに近いものを言うとすれば、国際結婚がそれにあたるだろうかと思う。

身の回りでも国際結婚した知り合いも何人かいる。
彼らにいわせれば
「愛があれば関係ないよ!」
とでも言うだろう。
当人たちが幸せならば、それに異論をさすつもりは全くない。

ところが!

婚約した相手が結婚直前まで自分の国籍を隠しとおしていて、結婚直前になってそれをしったらどう思うだろうか?

婚約した相手にまでヒミツにしなければならないほど重要なことなのだろうか。
わたしだったら、婚約をかわした相手が日本人だと偽り自分の国籍を隠しとおしていたとしたら、非常に強い不信感を持つ。
絶対に後ろめたい何らかの物を隠し持っているに違いないと、わたしだったらそう思う。

いまの世の中、こんなことがありえるのか?

ある。

東アジア以外の国から来たものは日本人とは顔だちが違うので、そもそも日本人であると偽ることはかなり難しい。
東アジアの国でも、中国人や台湾人たちは積極的に自らの国籍を名乗る。

しかし!

韓国籍や朝鮮籍のものたちは、みずからがそうであることを隠し通す傾向が極めて強い。
たとえば通名を使い本名を名乗らないなど、巧妙に日本人であるかのように偽りとおす。
わたしの身近に知っている話でも、婚約した相手が結婚直前まで自分の国籍を隠しとおしていて、それを発見して悩んだ末に婚約を解消した例がいくつかある。
そしてその全ては韓国籍か朝鮮籍の人たちなのである。

逆に、つきあいはじめてすぐの頃に国籍を知って、それでもつきあいを続けて、結局は結婚するにまでいたった知り合いもいる。
その人たちならば
「愛があれば関係ないよ!」
といい、この件を一笑に伏すだろう。

しかし、自分の国籍も明かせないような人に対して
「あなたを一生愛することを誓う」
と宣言できるか?
わたしだったら悩んだ末に宣言を断るほうを選ぶだろう。
この問題は、外国人だからではなく、韓国籍や朝鮮籍だからでもなく、婚約者に対して背信行為を働いているかどうかにかかわる内容だ。

なぜ自分の国籍も明かせないのか?

帰化手続きがめんどくさいから、という人もいるかもしれない。
そんなことを言うなら、結婚する際の事務手続きや親戚付き合いのほうが遥かにめんどくさい。
そのまえに、婚約相手に結婚を断られるのも辞さないほど面倒な手続きであるとも思えない。
これは理由として成り立たない。

差別されるかもしれないから、という人もいるかもしれない。
結婚してこれからの人生と全財産を共有しようという人に対し、差別されるかもしれない事を恐れる必要があるのだろうか。
仮に恐れる必要があるとしたら、その人が好きで結婚したいのではなく、その人のサイフの中身が好きで結婚したいのだというくらいしか考えられない。
結婚相手も信用せずに、いったいこれからどうやって生きていくというのだ。
こんなのが理由として成り立つはずもない。

今まで聞かれなかったから、という人もいるかもしれない。
しかし、国籍というものは聞かれなかったら答えなくてもいいくらいの些細な問題なのだろうか?
たとえばバクチ狂いで借金が1000万円あったとして、これは婚約者に聞かれなかったら答えずに黙っていても良い問題だろうか。このことを相手が黙っていても許すという人がいるとも思えない。

ついでに言うと、通名を使い本名を名乗らないたぐいの韓国籍や朝鮮籍のものたちのほとんどは何代も前に日本にきて住み着いているオールドカマーの人たちである。
そして何代も前から日本に来ているひとたちは「日本に特別な縁故を有する者」として、帰化に際して特別に優遇されている。
一般の外国人のひとたちが日本に帰化しようとすると大変敷居が高いが、彼らはカンタンに帰化できるのだ。

彼らは、
全ての財産は日本国内にあり、
祖国には財産も知り合いもおらず、
帰るつもりもなく一生を日本で過ごすつもりであり、
かといってカンタンに帰化できるにもかかわらず帰化もせず、
にもかかわらず周囲には国籍を明かさずに日本人だと偽り、
日本人だと偽ったことで婚約者に婚約解消されたとしたら文句を言いくさる。

わたしがこの婚約者の立場だったとしたら
「今の今まで国籍を明かさなかったことの納得のいく理由を述べよ!」
と問うし、だいいちそれにマトモに答えられるわけもないのである。

さらにヒドいのになると、
日本に帰化する気もないのに日本の参政権を欲しがり、
祖国には参政権を持つのに祖国へは投票しようとはせず、
一生を日本で過ごすにもかかわらず日本を陥れるための反日集会へ参加し、
祖国の誇りとかエラそうなことを人一倍くちに出すくせして本名を名乗らず通名で通し、
日本国政府の国民年金に加入できるにもかかわらず掛け金も払ってないしないくせに年金だけよこせと言い出し、
カンタンに帰化できるにもかかわらず日本国籍の者と同等の行政サービスを受けられないというだけですぐに「差別だ!」と言いくさる。

ここまでいくとわたしには全く理解できない。

我々日本人の祖国は日本しかないのであり、日本が沈没したら日本から脱出すればいいなんて話は通用しない。
我々は日本が沈没したら日本といっしょに沈没するしかないのである。
しかし彼らは違う。
日本が沈没したら祖国へ帰ればいい。
だから根本的に日本国籍をとる気もない者に参政権を与えるわけにはいかないし、日本国籍の者と同等の行政サービスを与えられて当然なんて勘違いも甚だしい。

だいたいにおいて日本国籍をとる気がないということは、日本国よりも韓国または北朝鮮のほうにより親しみを持つということを意味する。
そういう意味において、しょせん彼らは外国人である。
仮に日本国政府が彼らを日本人同等に扱ったとしても、彼らは日本国政府や日本人のことを自分たち同等と思うことは決してあり得ないのだ。
こういうのは、新郎か新婦の一方が在日の結婚式にでも行ってみるとよくわかる。
そういうのを経験すれば、彼らは日本人ではないということを痛感させられるだろう。

恐らくこの問題は、日本国政府が彼らオールドカマーに対して日本人にかなり近いレベルの行政サービスを提供しつづけてきたことから、彼らは自分たちのことを
「日本国籍を持たないが日本人同等の権利を持っていて当然の存在だ!」
とか
「日本人と韓国人(または北朝鮮人)の両方の行政サービスを受けられる特別に選ばれた存在だ!」
とか勘違いしている可能性もある。

たとえば、
国民年金に加入できたり、
「日本に特別な縁故を有する者」として帰化で優遇されたり、
一般の外国人は使えない通名を使うことを許可されていたり、
一般の外国人は懲役くらったら国外退去なところ国外退去にはならなかったり、
日本国の学校教育法に従っていない手前勝手な教育をほどこす各種学校相当にまで補助金を与えたり、
そういった特別扱いしていることに起因する。

だから彼らにどうして欲しいのかと問うと
「日本国籍はとりたくないが、日本国籍の者と同等の扱いをしてほしい」
という、フザけたことを平気で口にする。

かなりむかしの話だが、就職活動で本名を通名で名乗り、国籍を日本だと書き、そんなので就職活動し、入社直前でバレて内定取り消しを通告された大学生がいた。
いつもの彼らのように、彼はすぐさま「差別だ!」といいだして裁判ザタになった。
わたしに言わせれば、明らかに騙す意図があって虚偽の記載をし、不正な手段により内定をとったのであれば、内定取り消しはアタリマエだと思う。
利益を共有し共に戦う仲間となろう者が騙す意図があって虚偽の記載をしている時点で、それは自分たちの仲間には成りえない人物だということだ。



まあたしかに、わたしから見たら韓国籍や朝鮮籍として生まれてしまったのは可哀想だと思わなくもない。

しかし!

いいオトナになって、自分のカセギもできて、それでも日本に帰化しないこと。
自分の意思で本名を隠し通名を使い国籍を隠し、あげくの果てに土壇場になって国籍を偽ったことがバレて御破算になること。
それらはそいつの自己責任であることを忘れてはならないのだ!



さきのロミオ×ジュリエット。
ひところは2人は
「生まれや立場なんて関係ないよ!」
とでも言わんばかりに恋の逃避行まで試みたわけだ。
そして逃避行先でみつけた朽ち果てた協会で、2人だけで事実婚を果たすのである。

だがストーリーとは逆に、2人が事実婚を果たしたあとになって、その時点ではじめてジュリエットがテロリストのオヤブンだとロミオが知ったらどうするだろうか?

やっぱり
「愛があれば関係ないよ!」
と、教科書的な答えをだせるだろうか。

自分は敵対勢力のオヤブンのセガレであることを明かすという危険を冒したにもかかわらず、自分のことを黙っていて騙しとおしていたジュリエットに、強い不信感を持つのが普通ではなかろうか。

実はジュリエットは色仕掛けで敵対勢力の重要人物たる自分を懐柔しようとしているのではないかと、疑いの目で見てもしかたがないのではあるまいか。
はやい話がロミオは人質として最適な人物なのである。

100年の恋も醒めるとは、まさにこういうことを指すであろう。

現実をどこまで仮想しようか

2009-07-23 00:00:29 | オタネタ全般
某氏のblog(※1)にバーチャルリアリティーの記事がのっていた。
常々こういう命題には関心はあったので、ちょうどいい機会だから当blogもつられて書いてみることにした。



かつていにしえのファミコン時代、ゲームやグラフィックはリアルであればリアルであるほど良いとされた。
CPUの演算能力を強化し、記憶容量を増やし、どんどんリアルなものが再現できるようになっていった。
よりリアルなものはより市場に受け入れられた。

しかし!

最もリアルなものが最も優れているのだろうか?
リアルさの追求以外の選択肢もありうるのではないだろうか?

あるとき、そのことにハタと気付いたものもいた。
今日はそのゲームの進化の軌跡について記したい。



たとえばギャルゲー。
よりリアルにするには実写の女優を使えば良い。
かつてそういうチャレンジャブルな作品はあった。

たとえば「みつばち学園」がそうだ。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm147685

作者には少し失礼なのだが・・・
現在の感覚からしてかなりキモチガワルイのもそうだが、当時の感覚からしても到底ギャルゲーとして受け入れられるレベルのものではなかった。

当時を知るものの多くに
「やっぱ実写はダメだな・・・」
という印象を刻みつけ、そのまま闇に葬り去られた。
みつばち学園はハドソンの黒歴史のなかでも最強クラスに位置するのではなかろうかと思う。
当時ゲーセンの脱衣ゲーにもこれ系統の実写モノがいくつかあったように思うが、どれ1つとして有名になることはなく闇に消えた。

それに対し、もっとマシンパワーをふんだんに使って、いいところだけリアルにしようとした作品もある。
たとえばアイドルマスターがそうである。
完全に3D化しているが、実写さながらのリアルさを最重要項目として追求したキャラではない。
身振り手振りは実写さながらにリアルだが、ちゃんとアニメ絵のまま3D化していて実写のイヤなところは極力排除した。
そして商業的にも大成功した。



レースゲームでもそれはいえる。
この場合、見た目ではなくゲームシステムのほうの話になる。

ホンモノの車の場合、無理をしたらカンタンにスピンするし、いったん滑ったらシロウトにはコントロール不能になる。
ぶつけ所が悪かったらカンタンに動かなくなる。(たとえばラジエータから漏れ出したら、とりあえず走るがすぐオーバーヒートして固まる)

ゲームシステムでそれを忠実に再現したらどうなるか。
ちょっとでも変なことをしたらすぐコントロール不能になってコースアウトする、またはぶつかって大破する。

これは面白いだろうか。
実は面白くない。
ほとんど全てのレースゲームでは、操作をミスったら少しのペナルティーを科せられるだけでそのままプレイ続行ができるようになっている。
たとえばスピンしそうになったら逆ハン切れば立ち直るとか。
なかには可能な限りリアルにしたというレースゲームも稀に見るが、その手のゲームが売れたという話は聞いた事がない。

つまりレースゲームはカンペキに現物さながらにするのではなく、見た目やドリフト時の爽快感は実写さながらに、現物のコントロール不能になりやすいイヤなところは移植しない、そんな感じに作るのが最適なのである。



ガンシューティングとかもそうだ。
ガンシューティングの醍醐味は、スタローンやシュワルツネッガーの映画よろしく、悪いヤツらを次々にブチ殺すことにあるだろう。
もちろんわたしは悪いヤツをブチ殺した経験はないが、こういうところはきっと現物さながらに作られているに違いない。

ガンシューティングを現実さながらのリアルさにしたときの面白くないところは何だろうか。
ホンモノのガンシューティングのイヤなところは何だろうか。

案外ぱっとは気付かないかもしれないが、ものすごくイヤなところがある。
それは、殺人を犯すということだ。

もちろんやったことはないが、自分で銃を持って人を撃ち殺したら、それこそ死にたくなるほど後味が悪いに違いない。
だからこそ、そういうところはガンシューティングには移植されない。



これは重要な意味を表している。
「リアルさ至上主義でよいのか?」
という問いに対し、明確にNo!と市場は言ったのだ。

リアルさだけを追及する地点は遥かな過去に通り過ぎた。
だから我々は
「ゲームが現実と区別がつかないくらいリアルになった」
というのではなく
「ゲームは現実なみのリアルさを追求した地平線のさらに向こう側へ到達しようとしている」
と言うべきなのだ。

さて、その地平線の向こう側へ到達したのち、いったいそこに何が待っているのだろうか?

それは難しい。
だが手掛かりはなくはない。
少ない手掛かりからどうなるかを考察してみよう。



1つめの例のギャルゲー。
べつにこれにハマりすぎたとしても問題ない。
わたしのように
「現物の姉ちゃんより絵に描いた姉ちゃんのほうが好きだ」
とか言いだして、日本の人口統計に悪影響を及ぼす程度のプチ愚か者が増産されるくらいがせいぜいだ。

2つめの例のレースゲーム。
これもハマりすぎたとしても問題ない。
わたしのように高いカネ出して燃費の悪いスポーツカー買ってしまう程度のプチ愚か者が増産されるくらいがいいとこだ。
もっとハマったとしても、サーキットに通うとか、峠にドライブに行くとか、せいぜいそんなもんだ。

回りまわって他人をまきこんだ交通事故が増えるのかもしれないが、きっと風がふけば桶屋がもうかるくらいの相関度だろうし、そんな直接的な因果関係もハッキリしないようなものまで憶測で管理べきではない。
飲酒運転の罰金を増額したほうがよっぽど交通事故を減らすのにやくにたつ。

3つめのガンシューティング。
ガンシューティングに限らず、ハリウッド系のガンアクションものも含む。
これは危惧するものがある。
これをやってサバゲーに興味を持つくらいなら問題ないし、だれかを打ち殺してみたいと思うようなバカはそうそういるものではない。
だが、そういうバカは0人にはならない。
バカは人を打ち殺したときの爽快感だけを憶えて帰る。

このまま野放しだったらどうなるか?
恐らく、殺人の手はずについてさらにリアルになっていく。
だが殺人のキモチワルイところは一切移植されない。
このままだと、そうとは知らずに子供の頃から殺人の手はずを学んでしまうことになる。
まあ分別ある大人が片手間に遊ぶには問題ない。
人体のどこを刺したら、どんなふうに血がでて、どんなふうに苦しんで死ぬか、それを子供が映像で仮想体験するのはいかがなものか。
人を撃ち殺して動かなくさせることがどれだけ爽快かを、ゲームや映画でとうとうと語られるのはいかがなものか。

ほとんどの人はそうではないのは間違いないところだが、ほとんどに含まれない人がいるかぎり、何かしら対策を講じたほうが良いのかもしれない。
とはいえ、単に血がでるシーンを無くせばいいとかそんなカンタンにやれそうな規制で高い効果を得られるとも思えないので、規制の方法はかなり議論の余地がある。
日本人には血を見たら興奮するという性癖の持ち主はかなり少ないと思うが、少なくとも年齢制限には大賛成だ。



ちょいと矛盾するかもしれないが・・・
わたしは年齢制限には大賛成だが、全面規制には大反対である。

血を見たら興奮する人たちにとって、ガンシューティングやハリウッド系のガンアクションものは良いガス抜きになっているかもしれないからだ。
たとえば風俗を規制しすぎたら性犯罪が増えるのと同じことである。
(だからわたしはエロゲ規制には反対だ。そもそも性犯罪率が劇的に低い日本に対し、性犯罪増長でどうのこうのとか因縁つけられる筋合いはない。そのように因縁つけて愛好者全員を人格否定した民主党副代表の円より子の意見には大反対。)

人間の欲求にはガマンして耐えることはできるが、発生しないように元から絶つことは決してできない。
だから何かを規制して犯罪に走るバカが自然発生するのを防止しようとしても、それは確実に失敗する。
そもそもアメリカの禁酒法が大失敗だったことを認めないひとはいないだろう。

ガンシューティングやハリウッド系のガンアクションものはバカを増産する手助けをしてもいる。
だがガンハッピーは潜在的にガンハッピーなので、それが無くなるといままで我慢していた人がホンモノの犯罪者に切り替わる。
仮にハリウッド映画にて誰かが殺されて血が滴り落ちるシーンを見てオ○ニーするひとがいたとしたら、ちょっとそんな人には近づきたくはないが、その人が犯罪に走るのを防止できているという点でハリウッド映画は存在する意義はあったのだ。

我々は自分から見たらイヤなものでも、どうにか折り合いをつけて生きていくしかないのである。

我々は現実のリアルさを超越した仮想現実の地平線の向こう側へたどり着き、そこで現実でおこるとマズいものをひたすらそこで消費させるよう、なおかつ現実でおこるとマズいことになる隠された事実もそこで同時に理解していけるよう、そのように造られているのが理想である。
決して現実に波及しそうだからといって仮想現実を全面撤廃するような対策では、それにより最も愚かな結果を招くであろう。



【※1 某blog】
個人就活ブログ ...
http://japanimation.blog72.fc2.com/

秋葉原で見た、とあるイタい白人

2009-07-22 00:03:42 | オタネタ全般
30年前、秋葉原は家電や電子パーツの街だった。
20年前、秋葉原はPCの街になった。
10年前、秋葉原はオタの街になった。

そして今、秋葉原は聖地となった。



関東に住まうものにとってはどうってこともないが、かつてわたしは秋葉原に一度は訪れてみたいと憧れを抱いていた。
それは地方に住まうものだけではなく、外国にもそういう人たちがいくらかいるようだ。
そして欧米に住まう我らが同士のオタたちの一部とって、聖地のような扱いを受けている。

とはいえ・・・
欧米から秋葉原へ行くのはツライ。
地球を1/3周しなければならないし、英語でないどころかインドヨーロッパ語族ですらないし、スパゲッティなみに目眩がするほど発達した電車網を乗り継がなければならないし、敷居の高さはハンパじゃない。
にもかかわらず、いまでは続々と外国人観光客が秋葉原を訪れている。

秋葉原にくる外国人は何もオタばかりではない。
単なる一般人の観光客も多い、というか、ほとんどは一般人だろう。

彼ら一般人は見たらわかる。
とりあえずその辺にある店に入って
「ここは何の店だろう・・・?」
と、入り口付近で呆然と立ち尽くすような行動をよくとる。
ビミョーにジャマだと思うようなことも無くはない。

それもそのはず、同人誌ショップやレンタルボックス店なんか、そもそも英語訳することすら難しそうな店が多いし、そもそもそういった店は外国人相手に商売になるとも思っていないから、何の店なのかよくわからなくてもしかたあるまい。

しかし!

ごく稀にだが、ツワモノの外国人もやってくる。
我々の祖国のオタに比類するほどの高みに到達した者も現れる。

このまえ見た白人のアニキのことを書いてみたい。



キホン的に外国人は駅前かメインストリート付近にしかいない。
1本入った通りにまで行くものは少ない。
また狭い店の階段を上がって2階以上のフロアや地下フロアへ行くものも少ない。

その白人のアニキは、いわゆるかなり濃い店に類する食玩フィギュアショップの上層階で見かけた。
この時点でかなり珍しい。

その男は紙袋の手さげを2つぶら下げていた。
かなり軽そうだった。
エンカウントしたショップから推測するに、プラモか数1000円クラスのフィギュアが入っていてもおかしくない。
この時点でかなり怪しい。

おもしろいもので、オタ臭いかどうかは人種が違えども見たらわかる。
その男はそんな顔だった。

その男は店員を呼び、身振り手振りでショーウインドーの鍵を開けさせた。
おもしろそうだから、わたしはそれを傍から眺めていた。

キホン的にフィギュアショップというのは、商品に何の作品の何のキャラなのかという説明をいちいち書くようなことはしない。
箱が無ければ一般人には全くわからない。
しかしこれは怠慢ではない。
ちゃんと作品ごとに分類されているし、場合によってはパーツの欠品情報が記されている。
おそらく
「それを見て何の作品の何のキャラなのかわからないヤツは買いはしない」
と判断しているのだろう。
一般には通な客しか買い物できないのである。

その白人のアニキは違った。
開けさせたショーウインドーのなかから、アイマスだともキャラ名が何だとも書いていないにもかかわらず、アイマスのフィギュアだけをピンポイントにチョイスした。

『こっ、こいつデキる!』
わたしは驚愕を隠しきれなかった。

そもそもアイマスの英語版なんてありもしないのに、いったいどうやってこれにたどり着いたのだろうか。
我々はバイタリティーあふれる彼の人生に感服するしかない。
我々が英語オンリーのギャルゲーをするよりも遥かに敷居が高いはずだ!

ヤツが何を買ったか、全部は憶えていない。
だが、たしか “春香” と “律子” と “あずさ” は買っていなかった。
この3人には重要な共通点がある。
あとで調べたらやっぱりだった。

上記3人は、乳がデカいほうから順に3人だったのだ!

何ということだ!
あの白人のアニキは貧乳派だったのだ!!

『わたしではキミには勝てぬ・・・』
わたしは敗北を実感した。

超絶男らしくマッスルか、超絶女らしくセクシーか、欧米ではその2択で全てが説明できるものだと思っていた。
そうでなければロリにでも走るのかと思っていた。
ところがそうではなかった。

彼は欧米生まれるという地理的不利を克服しアイマスに辿りついた。
だれにも理解されることなく独り孤独に耐えつつ、それでも貧乳の良さに覚醒したという猛者であった。
さらには秋葉原にまでアイマスのフィギュアを買いに来るという離れ業をヤツはやってみせた。

我が日本のオタ文化における優位性はすでに損なわれつつあるのかもしれない。
彼のような猛者が多く現れたとき、日本はオタ文化における圧倒的先進国から転げ落ちる。

真空管を使えなくなった事での功罪

2009-07-21 00:00:45 | 科学
あらかじめ断っておくが・・・
わたしはリアルタイムに真空管があった太古の昔を生きていたほど年寄りではない。

しかし!

なぜか、トランジスタより先に真空管を触って遊んでいた。
大学時代のことである。

あたりまえだが、今とはってはわざわざ真空管を使おうとでもしないかぎり、真空管を使う機会などまず無い。
真空管を必要とする用途なんて、ギターアンプなど趣味の世界を除いたらほぼ壊滅したと言ってもいいからだ。
(大電力のマイクロ波を出す用途にだけまだ使われている。たとえば電子レンジとか。)

だから今、電子回路をやってみようという人たちにとっては、とりあえずトランジスタを扱ってみるしか選択肢がないのである。
というか、そんなことは今あらためて言うほどのことでもないな。

ところが!

トランジスタは大変敷居が高い。
真空管をあつかうことよりも格段に敷居が高い。
じつは真空管のほうが遥かにカンタンだ。

だから、電子回路をやってみようという人たちにとって、いまの時代はかなりとっつきが悪く、始めのほうでコケて入って来れない事態に陥っている。

幸か不幸か、わたしはトランジスタより先に真空管を触る機会に恵まれた。
だから電子回路の世界に入ってこれた。
今日はそんなわたしが真空管から入ることについてのメリットを語りたい。
(なんだかいつもより前置きが長くなったな~、、、まあいっか。)





トランジスタは値段が安い。
単品のトランジスタなら30円くらいから買えるし、最先端のLSIなら中にトランジスタが数十億個も入っているから1個あたりの値段に換算したらとんでもなく安い。

それに対して真空管は高い。
ふつうに買ったら最低でも1000円くらいはする。

ということは、素子をたくさん使って高性能な回路を作るという選択肢が取れないというシバリが発生する。
製品を作るという観点からすれば、他社との差別化が難しくなるという意味において、これはかなり痛いシバリだ。

だが!

逆に勉強がてら試しに遊んでみるというレベルでいえば、真空管の回路ほうが部品点数がかなり少ないので理解しやすい。

わたしがはじめてトランジスタか真空管を触ってみようと思ったとき、回路図を見比べて真空管のほうがカンタンそうだと思ったから真空管から入ったという理由もある。
当時のこの判断はあながち間違ってはいなかったと、今でもそう思う。
この判断のおかげで電子回路の世界に入ってこれたからだ。





トランジスタと真空管のどちらが壊れやすいかというと、そりゃー真空管のほうが壊れやすい。
真空管時代のTVやラジオなんて、真空管が故障してときどき取り替えなければならないのはアタリマエだったのだ。

ところが!

トランジスタは短時間でも定格オーバーしたらすぐ壊れるのに対し、真空管は短時間の定格オーバーにはめっぽう強い。
だから間違って配線して動かなかった場合、真空管回路ならばすぐ電源落とせばまだ壊れていないケースが多々ある。

これはトラブルシュートの腕前が未熟なうちは大変助かる。

なぜなら、間違って配線したから動かないのか、間違って配線して部品が壊れたから動かないのか、その切り分けをしなければならないのはけっこう厳しいものがあるからだ。





トランジスタにはnpnというタイプとpnpというタイプの2種類がある。
どう違うかを説明しはじめると長くなるから省略するが、使う側の観点からすればnpnは入力より出力のほうが電圧が高くなり、pnpは入力より出力のほうが電圧が低くなる、という制約がある。
その両方をうまいこと直結してつかえば、入出力で同じくらいの電圧で動かすことができるようになるというメリットが出てくる。

ところが!
真空管にはnpnに相当するものしかない。
(小難しくいうと、真空中をホールが飛んでいくなんて事はない、というのでこれを説明できる。)

真空管では直流から増幅できるアンプを作ろうとすると、かなりめんどくさいことになるということを表している。
(実際に回路図を書けるようになって試しに設計してみるとそのめんどくささが良くわかるのだが・・・)
というか、キホン的には真空管では直流から増幅できる回路構成には普通しない。

じつはこれには副次的なメリットがある。
回路と回路が直流的につながっていないので、どっかの回路の動作点がおかしかったとしても、それが回路全体には波及しない。
ということは、どこがおかしいのかの特定が非常にカンタンなのだ。

これはトラブルシュートの腕前が未熟なうちは大変助かる。

トランジスタの回路だとカンタンに直結で回路を組めるかわりに、どっか1箇所がおかしかったら全部がまるごと動かなくなる。
どこかがおかしいのは解るが、どこがおかしいのかが解らなくてお手上げ、そんな感じになりやすいのがトランジスタ回路の欠点だ。





トランジスタがなぜ動くのかを説明するのは案外めんどくさい。
量子力学やら材料物性やらも絡むからなおのことめんどくさい。
実際に回路屋でもバイポーラトランジスタやFETの動作を説明せよと言われて、それをちゃんと答えられるヤツは案外少ないだろうと思う。

それに比べれば真空管のほうが動作を説明しやすい。
ということは理解の助けになる。

それにpnpのほうが一般には頭のなかで動作を考えにくいので、その意味でも真空管のほうが楽に理解できる。
それに、ゼロからスタートするより、真空管を理解したあとにトランジスタを理解しようとするほうが遥かにカンタンだ。





真空管は機械的構造物なので眺めていて楽しいし、電源入れて光らせると嬉しくなる。
トランジスタはそういう楽しみ方をする要素がない。
アマチュアのうちは作って楽しいということが大変重要だ。





初学者にとって、電圧より電流のほうが理解しづらい。
キホン的に電流で動くトランジスタは初学者にはつらいものがある。

ところが!

真空管回路の場合はむりやりでも電圧だけで考えることが可能なのだ。
はじめて回路を設計してみようという場合には真空管を使うほうが敷居が低いのだ。





最近の部品はどんどん小型化が進んでいるのは御存知のとおり。
もちろん良いことだ。

しかし!

自分でハンダ付けしようとする立場のものからしたら、ハンダ付けがどんどん難しくなることを意味している。
たぶん50代の技術屋のほとんどの人は1005のチップ部品を自分でハンダ付けしきれないと思う。

それにくらべて真空管はデカい。
もちろん技術的には悪いことだ。
しかし自分でハンダ付けするなら真空管はデカいからカンタンなのだ。
ハンダ付けでミスってどうにもならんということは真空管のほうが起こりにくい。

はじめて自分で作ってみて動かなかったら、かなりヘコんでしまいヤル気を無くす。
そういう意味でも真空管から入るメリットは大きい。

GONZO株が買えず

2009-07-20 00:08:56 | オタネタ全般
GONZO株(証券コード:3755)はもうすぐ上場廃止になるが、まだ上場廃止になってはいない。
だがいつの間にか、わたしの使っている証券会社では現物買ができなくなっていた・・・。
オンラインで出てきた情報は以下のとおり。

現物買停止・信用新規売買停止・代用不適格(信用)・代用不適格(先物)・整理銘柄

「神を信じますか?」の意味がわからない

2009-07-20 00:01:05 | 科学
「あなたは神を信じますか?」

そう白人宣教師(?)の兄ちゃんから問われたことがある。
わたしは常々思うのだが、これの意味がよくわからない。
今回はこれの意味を非キリスト教徒の立場から考えてみようかと思う。

あらかじめ断っておくが、わたしは不信心な仏教徒ではあるけれども確固とした無神論者という立場ではない。
それに仏教徒とは言っても、新興宗教やとかカルトとか創ではないからね。



まず思うこと。
神の『何を』信じますかと問うのか?

どっちかというと、
「あなたは神を信じますか?」
というより
「あなたは神が実在すると思いますか?」
と問うたほうが良いような気がする。
いや、彼ら的には神の実在は自明であって、神が実在すると言っている彼らの主張を信用するかどうか、という意味なのだろうか。
仮にYES以外の答えがありうると思うならば、やっぱり「あなたは神を信じますか?」と問うのは不適切な気がする。

まず第一に神とは何だ?

人間はそれを説明するのに何千年もかけているが、いまだに説明しきらない。
逆に
「恐れ多くも人間には説明しきれるものではない」
という説明に終始しているものすらある。
わたしはそれでは説明したことにはなっていないと思う。

そもそも
「人間とは何だ?」
という問いにすら答えられないので、神が何かという妥当な説明をするのは当面のあいだムリだろうな。



これはあくまでわたしが思うところなのだが・・・

キリスト教よろしく一神教の神みたいな超越神がいたとしよう。
その神は人間臭い喜怒哀楽や倫理観を持ち合わせるだろうか?
人間は喜怒哀楽に個体差があるし、倫理観にしてはそれこそ個体差が甚だしい。

そもそも人間の持つ喜怒哀楽や倫理観というのは、ホモサピエンスというハードウエアがあるがゆえに、そしてそれに人間が入っているがゆえに存在するものだと思う。
もっと言うと、ホモサピエンスというハードウエアに人間を入れなければ、それは人間として機能しないのではないかと思っている。
つまり、例えば人間をPCに移植できたとすると、それはカンタンに人間の精神構造からかけ離れていくであろうと考えているわけだ。
これは幽霊のようにホモサピエンスというハードウエアから人間単体の分離に成功したとしても同じことで、だから幽霊がいたとしても一般的には人間臭いものではなかろうと考える。
(ちなみにわたしは、わたしの体に入っているソフトウエアこそが「わたし自身」だと考えている)

そこへきて超越神である。
あたりまえだが超越神はホモサピエンスというハードウエアには入っていない。
そういう意味から、超越神は人間臭い喜怒哀楽や倫理観を持ち合わせるとは考えにくい。
だから超越神がいたとしても、すべてにおいて人間の味方であり常に人間を見張っているというふうに考えるべきではなく、どちらかというとインド神話のように人間に関係なく神様の都合により勝手にウロついていると考えたほうが自然な気がするのだ。

そういったように考えていると、
「あなたは神を信じますか?」
と言われても
「神がいるかいないかで言えば多分いると思うけど、信じるか信じないかで言えば答えに困るとしか言いようが無い」
としか答えられないのである。



このあと、さきの白人宣教師(?)の兄ちゃんから
「日本人は先祖を大切にしますが、それはなぜですか?」
と、こちらの宗教観を聞かれた。

その場でとっさに
「欧米では神は1人しかいない。けど日本では死んだら神になる。だから先祖を大切にするんだ」
と答えた。

実際には・・・
仏教的には人が死んだら輪廻転生が続くわけで、生きているうちに善行をつんで真理にたどり着いたら輪廻転生から開放されて仏になれる。
だれか人が死んだら、きっとその人は善行をつんで真理にたどり着いたのだろうということにして、そして仏として祭るのである。
そしてこれを説明するには多神教における神の意味を説明しなければならないし、そして神と仏の概念の違いも説明しなければならない。
わたしが白人にそれを解るように説明できるとも思えなかったし、その場でとっさに口から出るとは思えなかったので、めんどうだからそうやって答えておいた。

兄ちゃんは
「それは正しくないのですが、意味はわかりました」
と言った。

神は1人しかいないという異教徒の理解が間違っていると言っているのか、死んだら神になるという仏教の教えがキリスト教的に正しくないと言っているのか、そこまでは不明だが。

まあ、異教徒との宗教論争の不毛さはきっと宣教師のほうが良く知っているだろう。
宗教論争はそんなところで終わりだった。

ドラゴンボール ナンバー2の悲哀

2009-07-19 00:05:03 | オタネタ全般
ドラゴンボール最強の地球人はだれか?

それがクリリンであることは皆が知っておろう。

では、地球人ナンバー2はだれか?

それはヤムチャに他ならない。

天津飯は宇宙人(三つ目族の末裔)という公式設定がついているので地球人には該当しない。
クリリンの鼻がないのは突然変異した地球人だという設定なのだろう。
もちろんサイヤ人とのハーフは地球人最強統計には含めてはいない。

さて、世間におけるヤムチャの扱いはどうか?

http://www.youtube.com/watch?v=tXunJ0BJ_0k&feature=fvst

↑これを見るといい。
ザコキャラのサイバイマンと相打ちになり、それから当面のあいだ(数10話くらい)お亡くなりになったまま出てきもしない。

ネットでもそれを題材にして
「ヤムチャくらい弱い」
というのが半ば慣用句として扱われている。

では、ヤムチャは本当に弱いのか?

http://www.youtube.com/watch?v=WNLvfu6jOeA&feature=channel_page

↑これを見るといい。
ヤムチャは、ベジータでも倒せなかったギニュー特戦隊のリクームを屠るほどの腕前を持っているのだ。

http://darkforth.hp.infoseek.co.jp/yamtya.html

↑このように、一説によるとヤムチャの戦闘力は20万程度あるという推測がなされている。
(注:地球人の成人男性の戦闘力は5)

ヤムチャは決してヘタレではなかったのだ!

ヤムチャは生まれた時期が悪かった。
天下一武道会ではついに1勝もできなかったが、世が世なら天下一武道会優勝は当然なのだ。
レッドリボン軍もピッコロもラディッツもベジータも余裕で倒せ、地球はヤムチャの手によって守られるという時代が来てもおかしくなかったのだ。

ではなぜヤムチャは日の目を見ないのか?

これはヤムチャが常に地球人ナンバー2の座をキープしていたからに他ならない。

世間ではナンバー1しか憶えてもらえない。

オリンピックで100m走の金メダルとった人は世界中で英雄として祭り上げられ、そして皆の知るところになる。
しかし、100m走の銀メダルとった人はだれなのか、それを憶えている者がいったいどれだけいるだろうか?

100m走で銀メダルとれる人は金メダルとった人とほぼ同等に偉大である。
なにせ、地球の人口68億人のなかで2番目に速いのだ。

しかしニュースにおける銀メダリストは完全にその他大勢あつかいである。
世間はナンバー2には興味がないのだ。

まさにクリリンに勝てないヤムチャがヘタレ扱いされるがごとく。

「ドルアーガ」の意味

2009-07-18 00:01:39 | オタネタ全般
GONZOでアニメ化もされているかの有名なレトゲ「ドルアーガの塔」。

この作品は随所に古代メソポタミアのギルガメッシュ神話のネタがちりばめられている。
たとえば・・・

ギルガメス → ギルガメッシュ(ビルガメシュ)
イシター → イシュタル
エンキ(の槍) → エンキドゥ(の槍)
マーダック → マルドゥーク
Aegis of Uruk → Urukは実在の都市

といった感じだ。
また、聖書で有名なバベルの塔も古代メソポタミアが元ネタであろうと言われているし、そしてドルアーガの塔はバベルの塔を強く意識しているのは間違いない。
(ちなみに、古代メソポタミアの遺跡のなかで、「ここがバベルの塔だったに違いない」と認定されかけた場所まである)

さて、「ドルアーガの塔」のうちドルアーガってどういう意味なのだろうか?

公式資料としては、ドルアーガという名前の悪魔(ラスボス)がいるということになっている。
しかし、ただの固有名詞でかたづけていいものだろうか?
きっと古代メソポタミア関連の特別な意味が与えられているのではないだろうか?

わたしはその仮定のもと、無謀にもドルアーガという単語の日本語訳を試みたわけである。



ドルアーガのスペルはDruagaとなっている。
当然ながら現地語スペルは無い。
手掛かりはかなり少ないと見た。

古代メソポタミアということは、きっとシュメール語かアッカド語に違いあるまい。
さて次はそれ系の本の入手が必要だ。

そして都合の良いことにそれ系の本というものが存在する。
「アッカド語 ~楔形文字と文法~」(※1)
という本だ。

準備はできたのでDruagaの中身の単語を1こづつ分解して日本語に翻訳していく。

d : シュメール語で神名につける限定詞
ru : シュメール語で「投げる」「落とす」
aga : シュメール語で「冠」「斧」「怒り」「北風」

いろんな訳し方がありそうだが・・・
「ドルアーガ」とは「投斧の神」。

公式設定では悪魔らしいので、その設定も追加すると・・・
「ドルアーガ」とは「投斧の魔神」。

そしてアニメ版ドルアーガでは、ドルアーガは神とも呼ばれる。
したがって神を表す “d” がつくのは文法として正しい。

なんだかけっこうソレっぽい感じになってしまったぞ(笑)。



追伸:

シュメール語の限定詞 “d” は発音しないらしい。
なので、Druagaの英語読みは「ドルアーガ」だが、現地語をカタカナにすると「ルアガ」になるかな??



【※1 アッカド語 ~楔形文字と文法~】
古代の歴史ロマン①
アッカド語 ~楔形文字と文法~
飯島 紀
国際語学社
ISBN4-87731-121-1

http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B31-%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AB%E3%83%89%E8%AA%9E%C2%97%E6%A5%94%E5%BD%A2%E6%96%87%E5%AD%97%E3%81%A8%E6%96%87%E6%B3%95-%E9%A3%AF%E5%B3%B6-%E7%B4%80/dp/4877311211