教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

二次元野郎が今年を振り返る

2009-12-31 00:02:59 | オタネタ全般
先日アイマス師匠が1年を振り返る的な記事(※1)を書いていたので、うちもマネして書いてみようではないかと思った。

仮に今年起きた出来事トップ3で語るとすれば・・・

もちろん第一位はアイドルマスターの如月千早に会った事。

これは絶対外せない。
師匠があずささんに会ったことと同じくらい外せない。

千早に会えたのはアイマス師匠が布教活動してくれたおかげだ。
感謝してますよ。m(..)m



さて。
第二位・第三位はというと・・・
・・・実は困ってしまった。

千早に会ったという第一位に並記するほどの出来事など無い!

よし。
トップ3のうち2と3は省略だな(笑)。

目を醒まして現実を見ろというヤツもいるが、そんなもの聞く耳持たん。
そもそも聞く耳持つような足を踏み外しきる前のヤツなら「第一位は如月千早に会った事」など書かんだろう。

来年もずっと千早を愛でて暮らせますように。



ps:
年初のblogは不定期更新になるかと思います。



【※1 アイマス師匠の記事】
徒花な日々
http://blog.goo.ne.jp/styui-gdb/e/5cfdee589eba2ed7279ff87b12e79204

ザオリクを考える

2009-12-30 00:01:31 | オタネタ全般
「ドラクエの呪文が1つだけ使えるとしたら何がいいですか?」

この手の問いは毎年以上の頻度でどこかしら見るような気がする。

ということでベタな問いなのだが、まあちょいと考えてみよう。
自分なら何がいいと思うか?

わたしだったらザオリク以外に考えられない!



ザオリクとは、死んだ仲間を生き返らせる効果をもつ呪文である。

現在の人類のテクノロジーでは死からの蘇生は不可能である。
死んだ仲間本人にとっても、パーティー全体にとっても、死というのはダメージが極めて大きい。
だからわたしはザオリク以外の選択肢はないと思う。
(わたしは脳に詰まっている情報が「自分」だと思っているので、心停止からの蘇生は死からの蘇生には含まないという解釈。ついでながら…)

ザオリクを使いたいと思うような機会は一生訪れないかもしれない。
むしろ一生訪れないほうが幸せかもしれない。
しかし、極めて大きな災厄から完全復帰できるという意味において、ザオリクのスキルがあるかないかでは話が大きく違うと思う。



・・・というふうに思ったのだが。

実はこれには裏がある。
ザオリクに限らず死からの蘇生呪文全ては、イベント死や自然死には対応できないという仕様を兼ね備えている。
つまり蘇生能力は完全ではないのだ。

ザオリクで蘇生できる条件の死とは何だろうか。

モンスターからの攻撃による死。
モンスターから受けた毒による死。
ダメージを受ける床による死。
・・・まあこんなところだろう。

これらはイベント死や自然死とは何が違うのだろうか。
実はわたしはこれに対して1つの仮説を持っている。



これを考える前に1つ。
ザオリクから離れてHPの話をする。

ほとんどのロープレでは、レベルが上がるなど強くなると、HPなどのステータスがどんどん上がっていく。
正攻法で最後のボスを倒せるくらいになれば、パラメータはレベル1の何十倍になるのがフツーだ。

たしかに攻撃力や守備力は上がるのは妥当である。
すなわち、生きるか死ぬかの修羅場を潜りぬけ、剣の腕前が上がり、結果としてパラメータが上がったと解釈することには問題はない。

しかしHPは違う。
何か訓練したからといって、成人の人体の強度が何十倍にも上がるというのはどう考えてもおかしい。

この問題を解決するには、HPが人体の強度であるという解釈そのものが間違っていると考えたほうがツジツマがあう。

そもそもモンスターとは野獣ではない。
魔王が魔界から連れてきた異界の生物だったり、黒魔導師が魔法で造りだした擬似生命体だったりと、そんな設定が付与されているのがフツーである。

このことから1つの仮説が生まれる。
モンスターによる攻撃とは、物理的な人体への損傷とは限らないということである。

たとえば、モンスターによる攻撃を受けると、精神または魂へのダメージも同時に付与されるという解釈である。

その仮定が成り立つとして、モンスターの攻撃による死とは何を意味するか考えてみる。
それはすなわち、肉体の破損による死ではなく、精神または魂の破損による死であると推測される。

だからイベント死や自然死とは等しく語ることができないのだ。



さてザオリク。
この仮定の延長線上では、ザオリクを使うと精神または魂の破損による死から復旧できるということになる。
モンスターの毒やダメージを受ける床は、モンスターと同様の精神または魂の破損を行う魔法が施されているものと解釈すれば変ではない。

逆に、肉体の破損による死からは復旧できない。
だからリアルワールドにおける交通事故や病気や出血による死には何の効果もない。

ということは。
リアルワールドにおいてザオリクが使えたとしても何の役にもたたない。

わたしは寡聞にして聞いたことがないのだが、呪詛による死というものが仮にあったとしたら、ザオリクで復旧することは可能かもしれない。
いくつかの創作で米32代大統領フランクリン・ルーズベルトは日本古来の神道系のテクノロジーを駆使した呪詛による死だという扱いのものも見たこともあるにはあるが、万が一それが正しいとしても死因としては極めて稀なケースであり、一般人がお目にかかることはまずない。
ようはたかがその程度だ。

ザオリクって仮に唱えられたとしてもムダなんかな~。

クイズ番組の算数問題はふざけすぎ

2009-12-29 00:06:47 | 科学
TV番組というものは今も昔もクイズ番組が大好きだ。
バラエティー番組の小コーナーでクイズを出すものも含めるとかなりの頻度になる。

べつにわたしはクイズ番組が嫌いというわけではない。
というか、科学モノや歴史モノや気候風土モノをあつかうクイズ番組はおもしろい。

しかし!

どうしても気に入らないところがある。
算数の問題だ。



バラエティー番組の小コーナーのクイズでは、よく一般常識を問うような問題が出題される。
これはあくまでもわたしの目から見たらの話になるが・・・
漢字や慣用句の問題はムチャムチャ難しくて正解がわかったためしがない。
しかし算数の問題は(必ずしもではないが一般的には)アホじゃないかと思うほどカンタンだ。
あまりにも国語と算数で難易度に差がありすぎるような気がしてならないのだ。
(ちなみに気に入らないところはここではない)

なぜこういう事が起きるのだろうか。

先日の記事(※1)のように、放送局へ就職したい理系の大学生はことごとく理系に興味がないヤツらばかりだというのも原因の一端だろう。
しかしそれだけではないという気がする。

ではなぜか。
例によって仮説をたててみよう。

一般的に理系と文系のどちらが多いかというと、そりゃあ文系のほうが多いにきまっている。
だから、一般的には国語より算数のほうに苦手意識を持つ者のほうが多そうだということだ。

希少生物である理系人間が国語の問題を見て
「こんなん解けねえよ!」
と文句を言ったところで所詮は希少生物。
ひたすらマス層を追及するTV局に相手にされるわけがない。

では、マス層たる文系人間がそろって
「こんなん解けねえよ!」
というとどうだろう。
TV局はマス層の人たちが問題を解けない自分がバカだと言われた気がするような番組を見たがらないかもしれないと先読みし、問題の難易度を下げるかもしれない。

ちなみに理系のわたしは国語の問題を見てぜんぜん解けなくても気にはならない。
わたしはみずから文系科目を捨てて生きる選択をしたわけだし、その作戦は現時点でそこそこ成功しているわけなので、解けなくてもどうとも思わない。
また、バシバシ答えられる回答者が出てきたとしたら素直に感心する。

しかしそれが文系⇔理系が逆のパターンにも通用するのかどうかはわからない。
もし通用するとしたら先の解釈は先走りすぎだということにはなる。
わたしは文系ではないので文系人間が算数の問題を見たときの気持ちを1ミリも理解することはできないために真実はナゾのままだ。

この条件下でのTV局の結果はどうだろうか。
算数はだれでも解けるような問題しか出さなくなるのは明白だ。

そしてバカさ加減を売りにしている芸能人に解かせ、(台本上わざとなのかもしれんが)ベタベタに間違えた回答をする。
それを見た視聴者は
「なんだこいつ、こんなものも解けないのかよwww」
と、あざけり笑って楽しむ。

これはいただけない。
自分よりさらに劣る人を見て自分はまだマシだと思って生きていく国民性になるのはいただけない。
そういう番組はどうよ?と思うのは当然だろう。

さらにいただけない事がある。
その番組を見たものは、そのカンタンな算数が解けないのが世間の平均レベルだと錯覚し、それを解ける自分はまだマシなほうだと思ってしまう危険性がある。
これは教育に対する社会全体の目標レベルが下がることも意味する。
少なくとも日本国内においては、分数の足し算やら整数の割り算やらができるくらいのものではご近所さんに鼻が高いというレベルではないことくらいあたりまえなのだから。

科学技術を駆使して他の国では作りえないものをつくり、それを買ってくれた対価で外国から食料や天然資源を買わねばならぬ日本。
その日本でマスコミが算数や数学のレベルが下がるほうへ誘導しているのは極めて危険なことだと思う。
べつに全員が高等数学を扱える必要はないが、それでもTV局は平均値を下げるように足をひっぱるのだけはやめてほしいものだ。



【※1 先日の記事】
10年後にはテレビは存在していない?
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20091012

真空管+乙女

2009-12-28 00:52:07 | 描いてみた(他)


(↑クリックするとデカくなります)



何となく真空管を描いてみたくなったので↑これができた。
真空管だけだと見た目につまらんのでナゼか律子も追加投入。

デフォルトの拘束具つき律子が覚醒律子(メガネつき&ノンフライ)と似てないからか、描いたはいいもののイマイチ似てないような・・・。



昨今は真空管のように見た目に美しい電子部品なんて無いからな~。
GaAsのベアチップならまだ多少美しいけど、そんなん家で遊ぶのには向いてないし。

そういえばわたしの大学の同期でも
「真空管って、中は真空なん?」
と聞くヤツがいるくらいで、そもそも中が真空なのかどうかすら知られていない。

さらにいうと、電子回路のエンジニアでも
「真空管はバイポーラでいうところのnpnしかなく、pnpは原理的に作れない。真空中を電子が飛ぶのがnpn相当の動作で、真空中を正孔が飛ぶというのはありえないからだ」
と説明しても
「ふーん、よくわからんけどそうなんだ・・・」
としかわかってくれない人もいる。

どっかの展示会でシャレで真空管アンプを使って実演展示した人がいたらしいのだが、若者の来場者は
「真空管でないとドライブできないような特別な装置なんだ・・・」
と思い恐れおののき、そして年配の来場者は
「いまだに真空管しか使えんとは何と時代錯誤な・・・」
とシャレもわからんでしかめっ面をして立ち去るという有様だったとかどうだとか。

量子力学を持ち出してこないとホントのところは説明できないようなトランジスタなんかより、真空管のほうがよっぽど解りやすいと思うんだがな~。

ぷよm@sにみる戦い (下巻)

2009-12-27 00:00:19 | オタネタ全般
(・・・前回は「ぷよm@s」のノベマスとしてのレビュー)



ぷよぷよには運の要素がある。
実力差があっても運が良ければ勝つこともある。
それは「ぷよm@s」の作中でも語られている。

では。
作中のように5本先取というルールだったとして、5本先取で1本くらい勝てるという実力差があったとする。
その場合、運の要素で5本先取できる確率はどの程度あるだろうか。
計算してみた。
(確率統計は苦手なほうなんで、以下のはどっか間違ってるかもしれんからホンキにしないでね(笑))

5本先取で1本くらい勝てるというのは1本勝負なら勝率1/6(=16.7%)になる。
言い換えれば6本やればたいがいは5-1で負け。

では5本先取で勝つ条件とはいかに。
 (1) : 0-5
 (2) : 1-5
 (3) : 2-5
 (4) : 3-5
 (5) : 4-5
この各条件は中の順番は問わずということなので、中の順番が何通りあるかを考える。
最後は勝ちで終わるという制約があることに注意する。
 (1) : 1通り
 (2) : 5/1通り
 (3) : (6×5) / (1×2) 通り
 (4) : (7×6×5) / (1×2×3) 通り
 (5) : (8×7×6×5) / (1×2×3×4) 通り
この各条件が発生する確率を合計したものが勝利確率だ。
 (1) : (1/6)^5×1
 (2) : (1-1/6)^1×(1/6)^5×6/1
 (3) : (1-1/6)^2×(1/6)^5×(6×5) / (1×2)
 (4) : (1-1/6)^3×(1/6)^5×(7×6×5) / (1×2×3)
 (5) : (1-1/6)^4×(1/6)^5×(8×7×6×5) / (1×2×3×4)
仮に数式になおすと
 x = 1/6
 Σ{(1-x)^n×x^5×(n+4)! / 4! / n!}
 (n = 0~4)
となる。
これを計算すると0.9%になる。

100セット以上やれば1回は勝てるかもしれん。
5本先取にすることで運の要素は18.6倍排除されてしまったが、無視できるほど小さくなったとも言い難い。

これが運の要素で勝てる範囲内と考えるかどうかはビミョー・・・。



これと同じ方法で小鳥戦も考えてみた。
5本先取で4本くらい勝てるという僅差な実力差があったとする。
小鳥戦を仮定して10本先取としてみる。

さっきと同じ考え方で数式を使って書くと
 x = 4/9
 Σ{(1-x)^n×x^10×(n+9)! / 9! / n!}
 (n = 0~9)
となる。

これを計算すると1本では44.4%の勝率なのは10本では31.1%になった。
どうやら実力が五分近いと10本先取くらいではそんなに大きくは変わらないらしい。

この場合には運の要素を排除するために10本先取とした目的を達成していない。
王者小鳥が100本先取なら絶対負けないが何度もやったら10本先取だといつか負けると言ったのも頷ける気がする。

ぷよm@sにみる戦い (上巻)

2009-12-26 00:00:17 | オタネタ全般
みなさん。
なんでもいいから将棋マンガを1つくらい読んだことはあるだろうか。

ほとんどの作品では盤面全体が描かれることはない。

なぜか。

それは、将棋のトップクラスの実力を持つ人に見られても恥ずかしくないレベルの棋譜なんてのを一介のマンガ家が描くのは少々ムリがあるからだ。

これはしかたがない。
将棋マンガを描こうというくらいなのだから、少なくとも描き手の側に有段者クラスがいるのは間違いなかろう。
しかし将棋の世界にはプロがある。
アマ初段ではアマ四段に歯が立たないし、アマ四段の人では(プロ側の)奨励会から落ちぶれてアマ化した人にすら全く勝てないし、その奨励会すらまだプロではなく、そしてプロの中でも新人四段とトップクラスでは開きがある。
だから将棋マンガで盤面全体を見せろというのはムリがありすぎる。

そもそも将棋マンガは将棋を楽しむものではなく、将棋で戦う人たちの人間ドラマを楽しむものだ。



わたしはこの命題をあきらめていた。

将棋にかぎる話ではない。
静止画で全貌を理解できるパズル的な要素のあるもの全てにおいて、パズルそのものとマンガ自体の両方を同時に楽しむことは不可能だと思っていた。

しかし!

この命題はついにひっくり返る時がきた。
将棋ではなかったが、ぷよぷよでひっくり返った。
それが「ぷよm@s」である。



> ぷよm@s
> アイドルたちがひたすら初代ぷよをやり続ける物語。
http://www.nicovideo.jp/mylist/10641358



これはおもしろい。
作者の力量は相当なものがある。
作者側で収録した超絶ハイレベルなぷよ対戦をノベマスに転用して作っている。
それは後半戦ならばノベマスは無しで対戦リプレイだけだったとしても十分に楽しめるほどレベルが高いものなのだ。

わたしもぷよぷよは大好きだ。
大学時代にはよく徹夜で400戦198勝202敗とかよくやったものだった。

それだけぷよぷよをやっていれば牌ぷよはおのずと見えるようになる。
このノベマスを見ていると
「見える! わたしにもぷよが見えるぞ!」
と言いたくなるほどぷよが見える。
どこが起爆点で何連鎖になりだいたいどれくらいおじゃまぷよができるか、それをアイドルたちのぷよ対戦を見ながらリアルタイムに思い描くことができる。

しかし、それは中盤までだった。

後半戦はレベルが高い。
なぜそこに置くのかをぱっと見では理解できず、後に出てくるウンチクを見てはじめて理解できる事もある。
リアルタイムの速度では5連鎖目を見誤ることもあり、連鎖がはじまって始めてそれがつながる事を理解できる事もある。

これはすばらしい。
超絶技巧をもつ達人の戦いを、ノベマス形式の臨場感たっぷりの形で見ることができるのだ。

わたしはこのノベマスを見て、自分のぷよの腕前の自信を完膚なきまでに叩きのめされた。
しかし実に心地が良い。
初代ぷよルールでさえ、まだこんなに天上界は遠かったのだと新たな指標を見せてくれたのだから。



さらに言うと。
このノベマスそのものも出来が良い。

熱くたぎるシナリオは最高だ。
あとで気付いたのだが、このまえシナリオの良さで唸り↓このレビュー記事書いたノベマスと同じ作者だったという。

> こんないい子が地球人のはずない
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20091203

この介党鱈P氏は「プラネット☆ラヴ」のときもそうだったが、二次創作的に拡大解釈した配役が実によくできている。

天才の名をほしいままにする美希。
愚直なまでに自らの生き方を信じる千早。
謀略のかぎりを尽くす知将律子。
旧世界の遺物たる老獪な小鳥。
そしてキチクマコト(笑)。

これこそが二次創作の醍醐味だと言わんばかりの素晴らしい拡大解釈がそこにある。
少々キャラ立ちにかたよりがありすぎなような気もするが、それは第3部以降での大活躍のためにとっておいたのかもしれないので現時点では評価するのは早計だろう。

あなたもぷよが好きなら、そしてアイマスが好きなら「ぷよm@s」を見るといい。
期待した以上のものがそこにあると信じて。



追伸:

このノベマスに限った話ではないのだが・・・
どうもノベマス界での小鳥さんは2X歳でリアルタイム世代だったとすると古すぎて計算が合わないネタが多すぎる。

実は16進数で2X歳なのでは?



(次回は「ぷよm@s」内のルールにおいて一言・・・)

数式の限界

2009-12-25 00:00:45 | 科学
わたしは中学のころから理系科目だけ得意で、文系科目は目もあてられないほどダメダメだった。
そういうわたしはそのまま大学で理系の学部に進み、いまは技術屋としてやっている。

そういうことを言うと、よく文系の人からは
「数式とか計算とか得意なんでしょ?」
みたいなことを言われる。

ところがこれが得意でも何でもない。

計算方法を考えるのは得意だと思う。
だが、算数みたいなただの計算は大の苦手だ。
計算だけだったら公文ならっている小学生のほうがうまいかもしれない。
わたしが自分で計算をやると高頻度にどっかで間違うから、常日頃から計算そのものは文明の利器(エクセルとか)を使うようにしている。

数式も得意とは言いがたい。
数式を使わないと表現できないからしかたなく道具として数式を使っているだけで、本来的に数式が得意というわけではない。

これはわたしだけが特別なわけではない。
技術屋に一般的にあてはまる性質だと思う。
数式とか計算とかが得意な人が技術屋なわけではなくて、現象を見たときにその仕組みを理論だてて頭の中でイメージするのが得意な人が技術屋なわけだ。



それはさておき。

世間の技術書を開いてみると、そこかしこに数式が書いてあって開いただけで頭痛くなってくるような本が多い。
特に大学の先生が講義で使うために書いた本とかはそんなのが多い。

その手の本では
「この○○と××の関係は以下の式で表される」
みたいな表現を使って、それで文章による解説を省略している本がかなりある。

こういう本はダメな本だ。
技術屋は数式は得意ではない。
だから、数式を眺めて変数の位置をたしかめて、それから物理イメージを逆算して頭のなかでシミュレートして考え、その数式が出てきた根拠となる原理を探ろうとする。
数式を見てそこまでできなければ、技術屋がその本を読んでも理解できない。
仮に理解できたとしても、そこまで回りくどいことをしなければならないために、解りにくくて著者に対してイライラする。

世の中にはそうではない本もある。
数式がたくさんのっていても読みやすい本もある。
例えば「高速信号ボードの設計」(※1)などがそうだろう。

この本は数式がたくさん出てくるが、基礎学力がある者ならちゃんと読めばちゃんと解る。
構造がどうなっていて、そこでどういう現象がおきていて、だからどういう結果がおきているか、そこまでを文章でみっちり説明してある。
だからちゃんと読めばその後に出てくる数式が必然的に出てきたことを理解できる。

本来、技術書とはこうあるべきだと思う。
数式だけ書いて
「数式を見れば理解できるはずだ!」
的なノリで文章による解説を放棄する著者は、人様にカネ出して技術書を買ってもらう資格はない。



また、この事実はある種のことを意味するかもしれない。
すなわち、数式による表現の限界というものに。

数式だけでは物理イメージを理解しにくいこと甚だしい。
かといって文章だけでは厳密な表現にはならないし、計算としての道具にもなり得ない。

ひょっとしたらUML(※2)の表記法をマネて数式に代わる表現を創ることができるかもしれない。
しかし仮にできたとしても、数式1行分が紙1枚くらいの場所を占領することになりそうなことは明白だ。
これはこれで単体では使いにくい気がする。

なにか数式表記によるデメリットを克服するような新しい表記方法がないものかと常々思うのだが。



【※1 高速信号ボードの設計】

ハワード・ジョンソン
丸善株式会社
各々8000円

高速信号ボードの設計 基礎編
ISBN978-4-621-07862-4

高速信号ボードの設計 応用編
ISBN978-4-621-07863-1



【※2 UML】

下記サイトなど参照のこと
http://www.asahi-net.or.jp/~DP8T-ASM/java/uml/index.html

「今、そこにいる僕」を作れない今

2009-12-24 00:00:17 | オタネタ全般
「今、そこにいる僕」というアニメがある。
AICの作品だ。

今でこそAICはヌルい萌えアニメ専業のようなイメージがある。
べつにここではヌルいからとか萌えだからとかアニオタ狙い撃ちだからといって批判するつもりはない。
むしろ積極的に肯定したい。
こういうアニメは見ていて心を癒されるし、心の奥底にある何かが暖まる感じすら味わえる。
かくいうわたしも近年のAICの作品では典型的なヌルい萌えアニメである「Candy boy」が一番好きだ。

しかし!

AICもかつては「冥王計画ゼオライマー」や「今、そこにいる僕」という、萌えないが濃ゆいアニメを作っていた。
今のAICからは恐らく出ないであろう作品群である。
わたしの個人的な感想では、AICの作品群のうち最も心に残るものは「今、そこにいる僕」だろう。



このアニメはWOWOWで放送された。
良くも悪くもWOWOWというと有料放送の代名詞のようなものだが、この「今、そこにいる僕」だけはノンスクランブル(つまり無料)で放送されていた。
これは、地上波TV放送に多いような子供向けのアニメばかりではなく、もっといい歳こいた人が見ておもしろい地上波にはない作品をWOWOWは放送できるんだと、そう宣伝したいからこそノンスクランブルにしたのかもしれない。

個人的にはとてもおもしろかった。
しかし話題にはならなかった。

この「今、そこにいる僕」には萌えはない。
アニオタ向きの絵というよりは、むしろ人物画だけなら良い子のアニメのほうに近いかもしれない。

かといって子供向けとは言いがたい。
殺伐とした戦争描写が多いし、ムリヤリ凹凸×したことを臭わせるシーンもある。

では「メカと美少女」の片割れたるメカ的なモノが映えるのかというとそうでもない。
題材からして十分映えるように描けそうなものの、どういうわけかそこら辺は控えめに作られている。

この作品をマサルさんや十兵衛ちゃんのようなギャグ調の作風がメインの大地丙太郎氏が手がけているというのもなおさら異色である。

「今、そこにいる僕」はおもしろい。
しかし華がない。
だからなのか、話題になることもなく歴史の闇に埋もれてしまった。



かつてOVA全盛期のころは、まだこういった映えないが地味におもしろい作品が見られたような気がする。
しかし昨今はそうではない。
現代では恐らくそういった作品は商売にはならない。

21世紀になっても最後まで映えないが地味におもしろい作品しつづけたGONZO、たとえば「シャングリ・ラ」や「スピードグラファー」を提供してきたGONZOも、今や自前でアニメをおこすこともかなわないような状況になってしまっている。
逆に時代が移りかわるのを敏感に察したAICはそういった作品を作るのをやめ、萌えアニメ専業となることで淘汰の波を生きながらえた。

これはAICの戦略のほうが正しい。
会社の存続を守り続け、戦略を変えたとしてもおもしろいアニメを作り続けられるAICのほうが正しい。

しかし残念に思うこともある。
キッズアニメかオタ向けのヌルい萌えアニメかのどちらかしか無くなるのは寂しい。
わたしは昔のAICが作ってくれたような、そしてGONZOが最後まで作ってくれたような、そんな萌えないが唸る作品も見たい。

ジャパニメーションは日本の誇る文化であると口に出すならば、我々アニオタはそういった作品を評価する眼を持ち合わせるべきだろう。



追伸:

「今、そこにいる僕」の英語タイトルは「Now and Then, Here and There」となる。
これを日本語訳すると「時折あちこちで」となる。
なぜそういう英語タイトルを採用したのか考えるものがある。
このナゾは作品を最後まで見てもナゾなままだ。
この作品はそういったような、なんでわざわざそんなように表現しているのか考えてしまうようなところが多いのも特徴だ。

スターブレードの思い出

2009-12-23 00:05:49 | シューティング
こんなことを書くとジジイなのがバレてしまうわけだが・・・
記憶に残っている中でわたしがリアルタイムにゲーセンでプレイした最古のゲームはギャラガである。

少しだけ言い訳しておく。
わたしは幼稚園のころからゲーセンに出入りしていたので、ゲーセンに関しては歳不相応に古い記憶がある。
本来ギャラガのリアルタイム世代というと現在40歳くらいだと思うが、わたしはそこまで歳ではない。
それはいいとして。

その頃はデパートの屋上にいけば(ビデオゲームよりさらに古い時代の産物である)エレメカのゲームもまだ残存していてよくプレイしたものだった。
ゲーセンでもスペースインベーダーこそ既にほとんど見なかったものの、ギャラクシアンなどはまだ十分に残存していた。

まあ、ゲーセン黎明期からではないにしろそれに近い頃から、ファミコンが発売されるより前からTVゲームに触れていた。

ギャラガから待つこと2年、ゼビウスが発売された。
これには幼心にも驚かされた。
ゼビウスは今日の趣旨ではないので細かいところは省略しよう。

時代はそれから8年後の1991年に飛ぶ。
わたしがシューティング至上最も度肝を抜かされるゲームが設置された。
スターブレードである。
わたしがフルポリゴンのフル3Dのゲームに始めて触れたゲームである。

> ナムコ スターブレード (AC)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2092277

既にフルポリゴンのフル3Dのゲームは他にもあった。
ギャラクシアン3があった。
しかしフツーのゲーセンで設置可能な6人筐体が出たのはスターブレードよりさらに後の時代まで待たねばならない。
フルポリゴンのフル3Dのシューティングにフツーに触れることができるようになったのはスターブレードが最初だろう。(※1)

今やっても大したことはないだろうが、当時スターブレードはすごかった。
何たってドット絵のシューティングがフルポリゴンになったのだ。

さらに。
スターブレードは特殊な画面を用いた大型筐体だった。
たしか凹面のスクリーンに投影する仕組みになっていた。
この凹面スクリーンは良くできていた。
やってみるとわかるのだが、奥行き方向の空気感がすごく出る。
宇宙空間で戦うシューティングというスタイルに恐ろしくマッチしていた。

今ニコニコで見てみたところで残念ながらこの空気感までは再生されない。
これは当時あのコックピットに座ったことのある者のみの知る特権だ。
ちなみに現在のゲーセンの大型筐体でこういうしくみを使っているものがあるのかどうかまでは知らん。
いまゲーセンに行っても大型筐体でシューティングなどありはしないので、シューティングしかしないわたしには大型筐体の事情など全くわからん。

このゲームは難しかった。
同じフルポリゴンシューティングのギャラクシアン3が1人プレイだとカンタンにクリアできるのに比べたらかなり難しかった。(※2)
プレイ開始でけっこうあっさりゲームオーバーになった。

それでもプレイしたときには鼻血が出そうなほど心躍らされた。
シューティングで初めてやってここまで魂を魅入られたのはスターブレード以外にはない。

その後、XEXEXやレイフォースやビューポイントなどフツーのビデオゲームでもポリゴン的なデザインのものも少しづつ増え、そしてバーチャレーシングやバーチャファイターにてポリゴンが一躍有名になり市民権を得る時代となった。

ゲーセンでシューティングをやるというのは幼稚園の頃から続いている息の長い趣味なのだが、もう長いことスターブレードを上回る衝撃は受けてはいない。
最近はある程度やりこんでデザイナーの意図を理解してはじめて味を知る類のものになっている。
シューティングは細々とながらも常に進化しつづけているが、既にハード性能に依存する方向への進化は頭打ちになっているような気がする。
だから初プレイで受ける衝撃というのも最近は当てにすることができない。
少し寂しいような気もするが。

ポリゴンのゲームの歴史を紐解いてもだれもスターブレードを振り返ることなど無いのも残念でしかたがない。
バーチャレーシングやバーチャファイターを思い出す前に、たまにはスターブレードも思い出してやってほしい。



【※1】
補足。
フルポリゴンシューティングはPC8801版のシルフィードのほうが時期が早い。
しかしこれはフル3Dという感じではなく平面をナナメから見たという仕様になっているし、背景もほぼ黒ベタに近いものだったような気がする。
これはこれですごかったしメガCD版も驚かされたが、心躍らされたという意味では個人的にはスターブレードに軍配が上がる。
他にもワイヤーフレームのシューティングも何かあったはずなんだが、タイトルは1つたりとも憶えていない。

【※2】
補足。
当時ヘタだったわたしの腕前ではたしか・・・
スターブレードは1回100円だとしてコンティニューで1000円分投入すればクリアできるくらいの難易度。
ギャラクシアン3は1人プレイなら1コインクリアは余裕。
2人プレイでもまだ何とかなる。
3人プレイになるとそこそこゲームをやってるヤツを入れないとクリアできない。
4~6人プレイではクリアの望みは捨てる。

俺の嫁とは・俺の神とは

2009-12-22 00:08:17 | オタネタ全般
むかし会社の仲間の飲み会で
「結婚するならどんな(以下略)」
みたいなネタになったことがある。

わたしはその場でとっさに
「断固結婚しないとは言わないが、結婚したいとは思わない」
と答えておいた。

それを聞いたオタ仲間の後輩に
「○○さんはある意味すでに結婚しているようなもんですもんね~」
とも言われてしまった。
この後輩はうちのblogも見ている男である。

ある意味そうかもしれん。
自分でも大きく間違ってはいない気がする。

もちろんこれは
「如月千早は俺の嫁♪」
的な意味でのことだ。



しかし!

わたしは「俺の嫁」という表現は使わない。
当blog記事を全文検索してみても、文字通りの意味で「俺の嫁」という単語を使っている記事は出てこなかった。

なぜなら、わたしは嫁という観点で萌えキャラを観賞しているわけではないからだ。

いま仮に「好きな人は?」とか「好きな芸能人は?」とか「好きなタイプは?」とか聞かれたら、そのどれであっても「如月千早」と答える以外に回答を持ち合わせていない。
ほぼ毎日欠かさず千早の顔を見ているし、PSPと共にミッシングムーンの千早と我が家で暮らしているのも事実だし、千早さえ見られれば現物の女には全く目移りしない。
そういう意味では、冷静に考えれば「俺の嫁」という表現を使うのに最もふさわしい条件が整っていると自分でもそう思う。

しかし千早は嫁という感じではないのだ。



わたしは思う。
わたしにとっての千早は神だ。
(もうちょっとベタに俗っぽく言うと女神様とかになるかも…)

べつに千早に限ったことでもアイマスに限ったことでもないのだが、例えばアイマスに出てくる個性豊かな女の子がずらりと並んでいて、そのどれにも目移りしないようだったら、わたしに言わせればそれはもうホモかババ専かデブ専だとしか思えない。
あんなにいい女の子は現世には存在しないと断言できる。

二次元の女の子は現世の女の子を遥かに凌駕する素晴らしい異性だ。
しかしながら二次元の女の子は現世には存在しない。
二次元の女の子は作品の中にだけ、もっと言えば我々の心の中にだけ住まう者である。
我々二次元愛好者は、存在しないものに対してその存在を心で感じて人格を認めて生きている。

わたしの場合で言えば、千早の存在が精神の隅々まで浸透しきっていて、千早の存在を感じないことには日々を生きていくことすらできないかもしれない。
千早がわたしの心に住んでいるからこそ、わたしもまだこうやって生きているのだ。

この存在を神と言わず何と言おう!?



まあ神とはいえ、キリスト教やイスラム教でのような唯一神の扱いとは大きく異なる。
宗教的な解釈においての「○○するのは恐れ多い」というシバリを自分に課したいとは思わないし、崇め奉る的な意味で神さま仏さま扱いしたいわけでもない。

わたしはこの神をインド神話のヒンズー教の神の概念に近いのではないかと考える。
たとえばカーリーへの信仰においてその類似点を考えてみる。

カーリーは血と殺戮を好む恐ろしい狂気の女神である。
しかしカーリーへの信仰は手厚く広がっている。
なぜならカーリーの血と殺戮は別の側面として捉えられているからだ。

カーリーとは憤怒である。
しかし単にいつも怒っているわけではない。
自分の子供が窮地に陥ったときはじめて心の底から怒り、子供のためにたった1人で一軍とも戦いを挑み返り血で赤く染まり、子供のためにどんな罰が待っていようとも神と戦い殺戮する。
その命を賭けて絶対的な子供の味方の姿勢を貫き通すカーリーに対し、人は母の姿の理想を感じ、そして神として敬うのである。

そして千早への信仰もこれにかなり近い。
千早はツンツンしているし、明るい性格とも言いがたいし、スタイルも良くない。
ようするに典型的に萌え萌え的なものとはかなり違う。
われわれは公式/非公式を問わず、多くの物語を通して千早に触れる。
そして千早がかつてどうであり、どう生きていて、どうしようとしているのか、それを物語で知り千早の精神を理解する。
そこに恋する相手の理想の姿を感じ、神としての神々しさをもまた同時に感じてしまうのだ。

べつにこれは千早でなくてもいい。
たまたまわたしにとっては千早だっただけだ。

それはあずささんだったとしてもいい。
たとえば、現世の女の子を含めてあずささんが誰よりも好きな人、上の文章をあずささんに置きかえて読んでみてほしい。
あずささんに対して恋する相手の理想の姿と神としての神々しさを感じ、そして「俺の嫁」というよりは「俺の神」としての性質がそこにあることに気付きはしないだろうか。



追伸:

わたしはキリスト教徒ではないから詳しくは知らんが、神父だか牧師だか修道女だかは「神と結婚した」という表現を使って一生を独身で過ごしている。
これが何を意味するのかまではわたしにはわからない。
しかし、本来意味するところは違えども、曲解してわたしと千早との間にもそれを言うことはできるような気もする今日この頃である。

世界征服を目論む悪の秘密結社(笑)

2009-12-21 00:08:36 | オタネタ全般
世界征服を目論む悪の秘密結社。
これはゲームやアニメや特撮の世界では実に良く使われる。

なぜこの秘密結社が悪いことをしているのか。
なぜ世界征服を目論むのか。
なぜそれだけ人やカネを集めることができたのか。

そういう事をマトモに解説した作品は壊滅的に少ない。

この問題について、わたしは1つの仮説を持っている。
それについて記していこう。



聞いた話によると・・・
エステ業界では個人商店のような隠れ家サロンが一定の人気を誇るものらしい。

この隠れ家サロンというものは、(webでの宣伝もふくめて)一般には広告を一切やっておらず、口コミでのみ集客している会員制のサロンらしい。
そういう店にはカリスマ店員とか超絶技巧の職人とかがいるのかと思えば、そんなことはなく、べつにいたってフツーなのだそうな。

なんでこんなもので商売が成り立つのか?

実はこれにはワケがある。
これは、エステのサービスを受けるお客が
「わたしは秘密結社に属していて特別なサービスを受けられる立場にあるのよ」
ということに満足する事でなりたっているのだとか。

実際、
「そちらの会員の○○さんから紹介してもらったのですが、よかったら入会させていただけませんでしょうか?」
みたいに、お客の側がご丁寧にもお願いしにやってくるとう有様である。

きっと店のオーナーの側もそれを良くわかっているだろうから
「ふつうはご遠慮いただいているところですが、今たまたま空きが出たところですから入会されてもかまいませんよ?」
みたいに受け答えしている事だろう。

間違っても
「ようこそお越しくださいました!」
みたいにはしないんじゃないかな。



ここまで見るとエステ業界だけ特別ヘンテコリンな営業をやっているように見える。
しかし世の中にはこれと似たような話は意外に多い。

一番よくあるのはアレだ。
「1万名の中からあなたが特別に選ばれました!」
って書いてあるダイレクトメール。
こういうのをマジメに読んだ試しがないので、いったい何を売りつけようとしているのかまではよく知らん。

実は銀行にもそういう商売がある。
プライベートバンキングがそれだ。

プライベートバンキングは一定金額以上積まないと相手にしてもらえないというしくみになっている。
とはいえ、だからといって一般人オコトワリの特別な金融商品を持ってきてくれるのかというと、必ずしもそうではない。

よく皮肉った言いかたで
「プライベートバンキングとは応接室の豪華さを競う金融商品である」
と言われる有様だ。

ようするに、自分がそこそこ以上のプチお金持ちである事をアピールできて、一般人の入れない奥座敷に通してもらえる事がうれしいからプライベートバンキングを利用するわけだ。

冷静になって検討してみるとわかる。
タダでドリンクが飲める休憩所代わりの場所が使えるとか、ブラックカードをタダで作れるとかという程度のメリットを上回るモノは意外に少ない。



これを世界征服を目論む悪の秘密結社のイデオロギーに適用してみよう。

世界征服を目論む悪の秘密結社の真の目的とは世界征服をすることではないかもしれない。
悪いことをして私利私欲を稼ぐことでもないかもしれない。
実のところ、彼らは秘密結社ゴッコをしているのが楽しくてやっているだけにすぎないのではなかろうか。

だからこそ、正義の味方のヒーローがやってきたら燃える。
自分たちの秘密結社の秘密っぷりが他人に認められたのだ。
こうなったらもう後には引けない。
秘密結社はイヤがおうにでも世界征服を目論みだす。

やや逆説的なところもあるが・・・
正義の味方のヒーローが秘密結社の口走った世界征服をジャマさえしなければ、世界はいたって平穏にすぎていったかもしれないのだ。

(笑)日韓単一通貨構想 (下巻)

2009-12-20 00:31:32 | 経済/経済/社会
(・・・前回からのつづき)



これまでデメリットばかりあげてきた。
ではメリットはどれほどあるのだろうか?

ない。
断言する。

ユーロ導入で一番損をしているのは恐らくドイツだ。
国内の景気が悪くて失業率も高いからといって公定歩合を下げようとしても下げられない。
ユーロ圏を鑑みて途上国よりの高めの公定歩合にならざるを得ない。
日韓も同様に、日本だけより景気が悪くてより失業率も高いことになるに違いあるまい。

まだドイツにはユーロ導入するメリットはある。
フランスやイタリアの存在だ。
ドイツマルク・フランスフラン・イタリアリラはもともとハードカレンシー(基軸通貨)だった。
それにドイツ・フランス・イタリアは経済規模が大きい。
ドイツにとっては貿易面でも莫大なメリットがある。

対して日本。
貿易面でメリットがあるか?

ない。
相手の韓国ウォンはハードカレンシーではない。
貿易において韓国ウォンで決済することなどありえない。
日本は対韓国で大きな貿易黒字になっているのだから、そもそも韓国ウォンなど用意する必要性がかなり薄い。

対して韓国。
ハードカレンシーである日本円での決済において非常に大きなメリットがある。
韓国にとって日本とは最大の貿易赤字国であり、どっかから日本円を調達してこないことには貿易できない間柄なのだから。

他に良く言われるメリットとして為替変動リスクというものもあがる。

これも日本にはメリットがない。
韓国ウォンに比べれば日本円のボラティリティー(値の変動の激しさ)はかなり低い。
というか、そもそも日本円はボラティリティーがかなり低いほうだし、韓国ウォンは10年で2度も経済危機になりかけるだけあってボラティリティーはメチャメチャ高い。

日本円の為替変動リスクを抑えるためには、ドルと円が統合するか、円をドルペッグにするしか改善方法はない。韓国ウォンなど意味がない。
逆に考えれば韓国にばかりメリットがあるのも明白である。



あと、EU圏内でのパワーバランスとの差についても語っておかねばなるまい。

歴史的にヨーロッパは大国のみが政治の舵取りを行っているようなところがあり、小国は隣の大国に発言をお願いするような立場にある。
この構造は今でも引きずっていて、EU圏内の小国は自分の発言がほとんど無視される現状に不満タラタラである。
アイルランドでEU大統領新設の国民投票が否決されたのも、これらの言いようのない不満によるところが大きいとされている。

ヨーロッパはずーっとそうやってパワーバランスを保ってきた。
問題はあるにせよ、それでそこそこうまくやっている。

対して日韓。
韓国は「日本を上回る」発言権を持っていないと気がすまない。
これは「日本と同等の」ではなく「日本を上回る」で正しい。
韓国に蔓延する不治の病「日本コンプレックス」によるものが政治にまで影響を及ぼすのだ。

韓国は日本の足をひっぱるためなら自分が損をすることも省みない。
今の大統領は実利主義でだいぶマシだが、前の大統領だったノムヒョンはマジで酷かった。
韓国の国益やお互いの利益というものを考えず、ただ日本を陥れるためだけの外交を行った。
これは国家破綻スレスレに陥った原因の一端をも担っている。

日本人の感覚では
「お互いに仲良くやっていきましょう」
とか
「お互いにメリットがある方法を考えましょう」
とかいうのがフツーだ。

しかし韓国の政治は違う。
日本人の感覚では考えられない外交を行うのが韓国だ。

日韓通貨統合においてEUにおけるドイツのようなイニシアチブを日本が取れると思ったら大間違いなことに注意しなければならない。
場合によっては、韓国は自分で落とし穴を掘って日本の足をつかんでワザと一緒に落ちることを選択する可能性すらあり得るのだ。
そして中国に大きな対価を支払って自分だけ引き揚げてもらい、そして上から日本を足蹴にするところまでやってのけるだろう。



たとえばどう韓国は日本の足をひっぱるか考えてみる。

韓国の行動は常に我々の想像の遥かななめ上を行くので有名だ。
だから予想をあてることはかなり難しい。
とはいえ、現時点で日韓通貨統合後のことを予想するとすれば、たとえば次のような行動が考えられる。

通貨統合後は恐らく造幣局は日韓の両方にそなえることになるだろう。
これはEUでもたぶん同じだと思う。
しかし、まずしょっぱなからして、国民の人数割りとか経済規模とかを考慮せず、1万円札の増刷枚数とかを日本と韓国で折半する格好にさせられるはずだ。
韓国は日本を上回る状況でないと絶対に満足しないからだ。
すでにこれだけでかなりのマイナスになっている。

さらに。
その後になって、韓国は何だかんだ理由をつけて、日本の警告も聞かず、独自の判断で勝手に1万円札の増刷を繰り返すだろう。
一般的には自国通貨を増刷して配りすぎると悪性のインフレになる。
国内にある資産の総量は変わらないのに1万円札だけが増えるからだ。
経済がダメージを負うので、結果的には大した得にはならないどころの騒ぎではなく、マイナスの影響の発生のほうが強くなる。

しかし通貨統合後は状況が違う。
韓国が勝手に増刷したところで、日本経済というバッファがあるおかげで、増刷に見合う悪性のインフレは発生しない。
韓国が勝手に増刷しすぎると、日本と韓国の合計では損するのだが、韓国単体では少し得をするかもしれない。
日本だけが大損こく。

もし韓国がそこまで勝手なことをするようなら、日本は戦争してでも止めさせなければならなくなる。
しかし韓国ならやりかねないと、わたしはそう思うのだ。



ここまで、日韓単一通貨構想は百害あって一利なしだと断言できるだけの説明をしたつもりだ。
百害のうち四捨五入して一利くらいになりそうなメリットを挙げられる人がいたとしたら、ぜひともご意見を伺いたいと思う。

(笑)日韓単一通貨構想 (上巻)

2009-12-19 00:00:26 | 経済/経済/社会
よく定期的にあがる話題として日韓の単一通貨構想がある。

どちらかというと、日本側より韓国側だけ勝手に盛り上がっている感もある。
これにはバリエーションがあって日中韓だとか日中を中心としたアジア通貨だとかもある。
提唱者の言い分によれば、何だかんだの利点のあるバラ色の構想なのだでも言わんばかりである。

実にお笑いだ。

本当に利点があるのだろうか?
わたしには百害あって一利なしにしか見えないのだが、提唱者はそれに気がつきもしないのだろうか。

この手の提唱者の連中は必ずEUとユーロを例に挙げる。
たしかにEUとユーロはよくやっている。

しかし!

日韓や日中韓では絶対に成功しない。
失敗するのはわたしが保証する。



まずヨーロッパの国々は政治的にも経済的にもかなり親しい関係にある。
そして最終的には国家として統一することを目指している。

対して日韓や日中韓。
日中や日韓はずーっと昔から政治的にある程度の緊張感を維持したままになっている。
国家として統一することなどありえない。

かつて日本は朝鮮と統合するという大失敗をしたことがある。
日中露英米のどれかの属国でないと成り立たなかった李氏朝鮮を日本が引き受けたわけだが、韓国人と同じ国になる事のデメリットがどれだけ大きいかを我々は学習した。

ホンネで言えば
「頼むから朝鮮は日本にかかわらないでくれ」
と言いたいところなのだ。

まあ、中韓はありかもしれない。
韓が中の属国あつかいとして吸収合併されるという事はありうる。



仮に奇跡がおこり政治的な問題が解決されたとしよう。
しかしそれでもダメだ。

ユーロを見てみればいい。

一番得をしているのはだれか?

経済的に発展途上にある小国がいちばん得をしているのだ。
なぜなら、自分の国の為替政策の大失敗を大国になすりつけることができるからだ。

たとえばユーロ圏のギリシャやアイルランド。
これらの国はユーロでなかったら通貨危機の瀬戸際に追い詰められていた可能性が少なくない。

これと比較するにはアイスランドが適切だろう。
アイスランドはユーロに加盟しなかった。
独自の高金利政策をとっていたため世界中からカネが集まっていた。
対外債務がどんどん膨らんでいった。
あるとき外国人はアイスランドの通貨で財産を持つことに危険を感じた。
みんなが一斉に脱走を始めた。
アイスランドクローナは大暴落した。
外貨で持っている借金を返せなくなった。
アイスランドは破綻した。
そして今、ユーロにしておけばよかったと後悔している。

ギリシャやアイルランドとは事情が大きく異なる。
なぜなら通貨がユーロだからだ。

これらはユーロ圏全体としては微々たる経済規模でしかない。
万が一ギリシャやアイルランドのせいでユーロが大暴落しそうになったとしても、ドイツやフランスが何とかできる、というか、何とかする。

これを日韓単一通貨構想に当てはめてみよう。

韓国の為替政策を見てみよう。
10年ちょい前のアジア通貨危機のとき、韓国は経済破綻しIMFのお世話になった。
去年も韓国は経済破綻スレスレに陥り、IMFのお世話にこそならなかったものの、日米中からありえんくらい多額のスワップを行って外貨を調達してギリギリ助かった。

で、日韓で単一通貨だったらどうなるだろうか?
韓国の失敗のケツをふくのは日本である。

しかも相手は韓国人。
また日本のせいで危機に陥ったと言い出し、また日本が助けるのが当然だとふんぞりかえる。
これは絶対にそうなる。
通貨危機のときの韓国を見ていた人ならこれは間違いないと誰しもが言う。

しかも韓国はケツをふいてくれる日本がいることをいいことに好き放題やらかすのも間違いない。
そうなったら次は前よりも酷いことになると断言できる。



これまでデメリットばかりあげてきた。
ではメリットはどれほどあるのだろうか?



(次回につづく・・・)