教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

今年1年を振り返る

2010-12-31 00:57:54 | オタネタ全般
去年1年での主たる出来事。
それはもちろん、アイドルマスターの如月千早に会った事だった。

では今年1年での主たる出来事。
これは、千早メインでニコニコに投稿するようになった事だろうか。
最近は投稿ペースがかなり落ちてるなぁ、いかんいかん。



今年は年の瀬のドタンバで良いニュースが入ってきた。
GONZOが黒字化したらしいとの事なのだ(※1)。
(前回も黒字ではあったが債務放棄があったからこその黒字であり、ホンモノの黒字は今期から)

いま実家にいるため、株主宛へ決算書が送られているのであろうと推測することしかできないのが悔やまれる。



来年はどうなるのだろうか。
とりあえず千早の MASTER ARTIST 2 (キャラ別の音楽CD) と COLOR SANCTUARY (中の人のアルバム) は買ったが、故(※2)あってアイマス2のゲームそのものは様子見することにした。
おまけにニコマスのPも続々と引退していき動画の再生数も全体的に目に見えて減っていっている現状が熱狂的アイマスユーザー全体のコミュティーに影響しないわけがない。
だから来年も千早を愛でて暮らすことができるのかどうかという一抹の不安はそこにある。



願わくば、わたしだけでなく多くの人にとって良い年でありますように。



ps:
年末年始は一時更新が滞る見込みですので。m(..)m




【※1】

【GONZO/IR】中間決算は黒字へ 業績回復傾向
http://japanimation.blog72.fc2.com/



【※2】

アイマス2の男キャラについての反対意見
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100920

アイマス2のリストラについての反対意見
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100921

アイマス2で1人プロデュースができない件
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20100927

アイマス2でPを引退すべきか
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20101011

たどり着いた者だけのためのモノ

2010-12-30 00:02:33 | シューティング
ときどき「虫姫さまふたりVer.1.5」をやっている。

いまはマニアックモードしかやっていない。
ちなみにいまのわたしでは4面ボスが到達限界だ。



このマニアックモードの4面が実に楽しい。

まさにこれこそ弾幕系シューティング。
そう断言できるほど弾幕が激しい。

弾幕系シューティングの多くでは、案外弾速が遅いものも多く、意外に避けやすい。
ところがどっこい、マニアックモードの4面は弾速が速いうえにしかも弾幕が濃密である。

とてもじゃないが避けきれない狂気の世界がそこにある。
でも避けれてしまう。

それが楽しい!

難易度の高い、しかし辛うじて避けるのが不可能ではない、そんな世界のことだ。



実はもう1つ楽しいところがある。

昨今ではそもそもゲーセンでシューティングをやる者など希少生物でしかない。
しかも「虫姫さまふたりVer.1.5」でマニアックモードの4面まで到達でき、しかもその狂気の世界のただ中で酔いしれることを許される者は、その中のいったいどれくらいの割合だろうか。

これは財力をかけてコンティニューを繰り返して到達したとしても、そこで酔いしれることは決して許されない。
その領域を知るには、自分の腕でその領域に到達しなければならないからだ。
(逆にそれがシューターの人口を減らす要因にもなっていそうな気はするが、まあそれはいいとして。)



シューターはその領域に到達できたことに酔いしれる。
誰もは到達できないその領域で戦える自分に酔いしれる。

これはナルシズム意外のナニモノでもない。
しかし、ナルシズムも感じることのない人生に何の意味があろうか。

久々のエスプガルーダ

2010-12-29 00:06:55 | シューティング
久々にエスプガルーダ(初代)をやる機会があった。

かつてはラスボス到達で限界だったのだが、今回は1ミスでラスボスへ到達することができた。
いつの間にやらわたしの腕前も鍛えられたのだろう。
ステージ4までは記憶にある感覚とは違って意外にヌルいもんだという気までしていた。

しかし!

ラスボスは強かった。
最終形態は撃っても撃ってもライフゲージが減らないし、ボムを当てたら逆に気が滅入るほどライフを回復しやがる。
これは今の実力では勝てないな・・・と痛感した。

それでフラフラになるほど遊べたので、けっきょく1コインだけの投入で満足して帰ってしまった。
たまに100円2プレイのゲーセンもあるが、そこで2回も連続して戦うだけの気力はまずないだろう。
ゲーセンは金ばっかかかると言うヤツがいるが、決してそんなことはない。



シューティングの中には覚えゲーになっているものも少なくない。
しかし、シューティングの本質とは、避けることである。
避けることとは、ある意味で脳の危険回避機能をフル回転させることでもある。

避けるためには、反射神経が必要なのだろうか?

これは概ね否である。
実はわたしは反射神経がないほうなのだ。
しかしそれでもエスプガルーダのラスボスの最終形態までは到達できる。

反射神経ではないとすると、そのつど考えて避けるのだろうか?

これも概ね否である。

考えて逃げ道を探せるほど悠長な時間はない。
シューティングで戦っている最中に考えてしまうようであれば、それは既に被弾している。

では何なのか?

これは熟練である。
この熟練とは、武道における熟練に少し近いかもしれない。

武道とは、あらかじめ敵のあらゆる攻撃を想定し、敵が動いた瞬間をとらえて体で覚えた対抗策をくり出して勝つものである。
そして、敵のどんな動きに対しても考える前に体が動くように、その動作を練習して熟練するものである。
そこにシューティングに通じるものがある気がするのだ。



かつて長嶋茂雄は
「ビューッと来て、バシンと打つ」
というバッティング指導をした。

・・・はっきり言って意味がわからん。

しかし、それをシューティングに置き換えればよくわかる。
シューティングとは、
「弾がビューッと来たら、パッと避ける」
だけなのだ。

体で覚えたものを口で説明するのは難しい。
その境地に到達したものだけが、その意味を語らずとも共有できる。
そういうものだ。

ようやくマトモになった実写ギャルゲー

2010-12-28 00:01:01 | オタネタ全般
ギャルゲー業界では
「やると必ずしくじる」
と呪いのように言い伝えられる不文律がある。

それは実写のギャルゲーである。



かつて実写ギャルゲーが勃興し、実際に市販されていた時期もある。
1990年頃のことだ。

世界初の実写ギャルゲーは、恐らく1988年に発売されたハドソンの「No・Ri・Ko」であろう。
これは世界初のCD-ROMコンシューマーゲーム作品であり、世界初の音声再生つきゲームであり、ゲームではなく「ギャル」の部分が中身のほぼ全てとなっている初のゲームであり、もちろん世界初の実写ギャルゲーでもあった。(註:わたしの記憶によれば)

CD-ROM^2は初期にはヴァリスIIがあったくらいで作品に恵まれておらず、初のキラータイトルたるイースI・IIが発売されるまで一度もその潜在能力をフルに発揮することがなかったこともあり、「No・Ri・Ko」は誰にも知られないまま歴史の闇に葬り去られることとなった。
「No・Ri・Ko」が売れなかったのは、実写ギャルゲーという形態が受け入れられなかったからなのか、単にギャルゲーとして完成度が低かったからなのか、CD-ROM^2の普及台数の問題が支配的だったのか、起用したアイドルが微妙すぎたせいなのか、ハドソンがまだCD-ROM^2を使いこなせていなかったせいなのか、それは今もってして定かではない。
実写ギャルゲーとしてリアルタイムの姿を多くの人が知る作品としては、その2年後に発売されるとある作品の登場を待つこととなる。
そう、その時代における実写ギャルゲーの代表作は、何をおいてもやはり同じくハドソンの「みつばち学園」をおいて他にはない。

それがどんなシロモノだったかというと・・・
それはご自身の眼で確認いただくのがよろしかろう。



[PCE] みつばち学園
http://www.nicovideo.jp/watch/sm147685



一応のところ、これはギャルゲーの体裁は整っている。
だが、本質的にギャルゲーとして間違っている。

なにが間違っているかは誰が見ても一目瞭然だ。
もしどこが間違っているのか分からない人がいたとしたならば、それはきっとギャルゲーの良さが理解できない可哀想な人であろう。

この時期に発売された実写ギャルゲーのことごとくの失敗をして、実写ギャルゲーはやってはならない企画の代表例としてソフトハウスに周知徹底される結果となってしまったのだ。
それがハドソン屈指の黒歴史と言われる所以である。



ところが!

2010年の末になり、その事情が大きく変化することとなった。
みなさんご存知の「AKB1/48アイドルと恋したら…」である。

ギャルゲーの女の子と人生を共にする事をかかげている我輩としては、たとえ実写であろうとハナから無視するわけにはいかないだろう。
さすがにカネだして買うのはバカバカしいので、YouTubeにてソレを見てみることにした。



感想。

酷くはない。
「みつばち学園」にあったアレな感じはさほど受けない。
たしかにこれなら売れてもおかしくないのかもしれない。

そう、実写ギャルゲーは20年以上の歳月をかけて、ようやくモノになるものができるようになったのだ。
「みつばち学園」は驚くかな20年も生まれるのが早すぎたオーパーツであり、それは20年も時を経なければ理解できないものをそこに表現しようとしていたのだ。



「AKB1/48アイドルと恋したら…」は確かに実写ギャルゲーとしてはじめてマトモに売れた作品である。
しかし、それは既に遥か20年も前に「みつばち学園」が通った道でもある。
我々は20年の時を経て、改めて「No・Ri・Ko」や「みつばち学園」の先見性の明の優れていたことに震撼することになったというわけだ。



追伸:

でもやっぱり実写はちょっとアレだねぇ…。
絵に描いた女の子ほどかわいくはないじゃん。
まあ、人それぞれということで。

神のみぞ知るセカイを垣間見た気がする

2010-12-27 00:00:04 | オタネタ全般
「神のみぞ知るセカイ」の今期最終回を見ただろうか。

まさに神だった。
神の住まう世界では、神から見ると世界はこのように見えるのかと、オドロキをもって観賞した。
桂木桂馬、さすが我輩の尊敬する人物(※1)である。



恐らく、あの最終回を見た者の感想は2つに分かれる。

1つ。
ひがな1日ずーっとゲームばかりして遊ぶだけの、そこいらにいそうな社会的落伍者。
それが単なる痛いヤツにしか見えない人。

1つ。
吐きそうになりフラフラになってもそれをやめようとはしない、中毒といっていいほどのその熱中っぷり。
それを見て、そこまでの情熱を捧げられていない自分を恥ずかしく思う者。

前者は一般人。
そして後者はこちら側に住まう我々。

さて、あなたはどちらだろうか。
わたしはもちろん後者の感想を抱いた。



実際、ある分野においてプロとなった人物の多くはそういう人物である。

べつにゲームばかりしているという意味ではない。
吐きそうになりフラフラになってもそれをやめようとはしない、中毒といっていいほどのその熱中っぷりを過去に経験し、それでいつの間にやら熟練した者たちだ。

スポーツの世界でトップに君臨する人は誰であってもそうだろう。
単なる遊び半分でスポーツをしていたのではなくて、寝ても醒めてもそればかりなんていう、ホンモノの○○バカと呼ばれるような人たちである。

如月千早だってそうに違いなく、そしてトッププロになったではあるまいか。



わたしはギャルゲーのねぇちゃんが好きだ。

しかし!

桂木桂馬ほど、寝ても醒めても、吐きそうになりフラフラになっても、それでもギャルゲーをやるかというと・・・。
さすがにそこまでの情熱はない。

わたしにはそれが恥ずかしい。

それがわたしと桂木桂馬との実力の差であり、
だからわたしは桂木桂馬のいる神のみぞ知る世界に到達できず、
だからわたしは桂木桂馬ほどにはギャルゲーに愛されていない。



【※1】
落とし神を崇める
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20101204

クリスマスだと気付かなかった

2010-12-26 00:04:56 | オタネタ全般
今年は途中までクリスマスだと気付かなかった。

昨日の記事のように投資のことでアタマがいっぱいだったので、目の前をサンタの格好をしているヤツが歩いていても
「なんだかクリスマスみたいな格好しているな・・・」
くらいにしか思わなかったという(笑)。



そういえばサンタってなぜか赤いよな。
あのトナカイは3倍の速さでソリを引っぱるんだろうか。

いや、きっとトナカイがすごいんじゃなくて、あの赤い服がすごいんだよ。
フィンランドのレッドスーツはバケモノか。

サンタがやってくるヤツとやって来ないヤツの違いは何だろうか。
ああ、坊やだからか。

実のところサンタを信じていたってのは、ちょっと大きくなった子供にとっては恥ずかしい過去なんだよね。
認めたくないものだな、自分自身の若さ故の過ちと言うものを。

マンション買いました

2010-12-25 00:00:45 | オタネタ全般
不動産を買ってしまった。
住まないマンションを。
しかも福岡に。

それで急きょ福岡に行くことになった。
行く前は、ヒマがあれば知り合いにでも声かけてメシでも食いに行こうだとか誘おうとしたのだが、時間がなかったし体力を使い果たしたので、現地では本当にビジネス的な用事だけしかできなかった。
実はかつて住んでいたことがあるので、幸いにも観光できなくてガッカリなんてことは特に無い。



なぜ不動産を買ったのか?

目的の1/3はインフレのヘッジである。

いま日本はデフレで苦しんでいる。
だからインフレの心配をするなどバカじゃあるまいか。

・・・かつてはわたしもそう思っていた。
しかし今は考えを改めた。

近年の国家予算を見てみよう。
民主党政権になってから特に、バラマキ福祉により国債の増発が甚だしい。
社会保障費は建設国債とは違っていったん増やすと減らすという判断は容易なことでは実現しない。
この国債の増発と使い道はいつか還せなくなるとわたしに信じ込ませるに十分である。
(ちなみにわたしは民主党のことを大衆迎合的なだけの単なる無能な烏合の衆だと思っていて、政策立案能力では自民党などより遥かに信用していない。)

では日本国政府は倒産するかというと、そうではない。
還せなくなったら万札を刷れば良い。
でも万札を刷っただけインフレになる。
あのシャレにならん国債の残高の分が万札の増刷で還されるとしたら、シャレにならんくらいインフレになる。
だからインフレのヘッジは必須だと判断した。

インフレのヘッジにはいくつか方法がある。

1つは株式。
しかし株式は短期的にはむしろ今やるべきではないと判断した。
前に書いた(※1)ように。

1つは外貨や外債や外国株。
しかしそれは既に多少の仕込みがある。
しかもこれらはヘッジ目的にしては変動が大きすぎるため、あまり大きく積み上げるには向いていない。

1つはコモディティー。
しかしコモディティーそのものは収益を生まない。
それを投資と考えるのにも多少の疑問が残る。
しかも多くのコモディティーでは既にかなりの値上がりをみせた後だ。
今これを買うのもどうかというものだ。

ということで、インフレのヘッジには不動産が正攻法なのだ。



なぜ住まないマンションを買ったのか?

これは投資用である。

今わたしが住んでいるところはかなりの田舎である。
そんな年寄りがたくさん住んでいる田舎で自宅を買って、はたしてこの先々その資産価値を保てるだろうか。
おまけに自宅を買うと転職リスクを抱えることにもなる。
だから自宅を買うべきではないと判断した。

投資用不動産融資のほうが自宅用不動産融資よりも金利が高かったり管理関連で余分な出費が必要だったりと、多少不利な面も少なくない。
しかし本質的には、自宅を買って家賃相当だった出費でローンを返すのと、自分は賃貸に住んで別途マンションを持っている分の賃料収入でそちらのローンを返すのでは、実態として同じことだ。
だったら資産価値が保てる場所に不動産を買うほうが場合によっては正しい。

目的の1/3はインフレのヘッジだと述べたとおりだが、1/3は自宅を買わないという選択をしたことに対するヘッジであり、1/3は投資目的である。
ちなみに我が家の家賃の月額よりもこのマンションから得る月々の家賃収入のほうが多い。
収入は右から左へ返済に回すので、それが現金として懐に入るわけでもないのだが。


そもそも、なぜ福岡なのか?

投資用としての物件の流通があるだけの大都市であること。
人口が減る現在の状況でもしばらくは人口が増える都市であること。
数十年たって客がつかなくなるほどボロくなったら老後の自分が住んでも良いと思える都市であること。

その条件下では、いまのところ東京か横浜か福岡しかない。

しかし東京は物件価格が高い。
高いということは、背負う借金が増えるか、狭くなるか、ボロくなるか、そのどれかになる。
その代わり土地代の割合が高いので価値の目減りも緩やかだし家賃も取れるが、その分だけ借金が膨らむのだから考えものだ。

それに引き換え福岡なら、そこそこの予算でそこそこな物件を買える。
横浜なら東京と福岡の間くらいな感じだな。
どれがベストというものもないが、あまりリスクを取りたくないので福岡にした。



選択肢としては都心部のマンションではなく構外のアパートというのもありうると思う人もいるかもしれない。

しかしそれは農業をやめた地元民がたてたアパートと競合しなければならないので、運が悪いと需要を無視した異常な供給過剰になり、局地的にめちゃくちゃ酷い空室リスクに悩まされる恐れがある。
たとえば広島大学が移転した直後など、農家がわれ先にとアパートをたてまくったおかげで首をつるヤツが現れるほど酷いことになった。
おまけに木造アパートというのは鉄筋コンクリートのマンションほど建物の寿命がないから物件価値の減りが早いのもデメリットになる。



また、福岡にだけ存在するメリットがある。

福岡は地震が少ない。
しかも大地震は2005年に済んだからもう当分無い。
それに引きかえ、東京と横浜はいつか大震災がくると言われている。

実際、東京では地震保険は入るのがバカバカしくなるほど掛け金が高い。
しかし福岡では面倒だから30年分前払いしてもいいくらい安い。
REITにしても、ちゃんと地震保険に入っているのはたぶん福岡リートしかない。

それから、福岡はまだ立地を選びやすい。
端的に言えば、投資用なら天神近辺か博多駅近辺かの2箇所しか買うところがない。
横浜も似たようなものがある。
それに引きかえ東京では、広いだけに街の流行り廃りを読むのはかなり難しそうに思う。
また福岡はひところ住んでいたので地の利があり、悪徳不動産屋がトンデモな立地の物件を持ってきたとしても、あまりに酷いものなら見破れる自信はある。

また、税金対策にもなる。
確定申告のときに交通費も費用にのせていいことになっているので、遠方の物件になればなるほど節税効果が高い。
中には行ってもいないのに交通費をのせるヤツもいるようだが、すぐ近くの物件なのに多額の交通費をのせてると、税務署にインネンつけられたときにマジメにもっともらしいアリバイを答えるのは不可能だろう。
逆に地元の人は買わないほうがいいのかもしれないね。

また、物価もだいぶ違う。
九州圏内でいうと福岡はかなり高いのだが、東京と比べればかなり安い。
老後に自分が住むことをアタマの片隅にいれるなら、まあ福岡も悪くない。



そもそも投資用マンションってマトモに儲かるのか?

ふつうは儲からない。
新築をフルローンで買うと絶対に損する。
これは「多分」ではなく「絶対」だ。
物件価値の目減りにローン残債の減りが追いつかないからなのと、新築であるというプレミアムがついていて割高になっているからだ。
でもサラリーマンは不動産屋の口八丁に踊らされて買ってしまう。
(これは自宅を買うときにでも同じことが言えるのだが)

エクセルで月ごとの資産価値や残債をグラフにして可視化してみれば、それがダメなのは一発で見抜ける。
しかし、そこまで財務分析できるサラリーマンはほとんどいない。
だからサラリーマンは騙される(わたしも一介のサラリーマンなんだけどさ)。

細かいことをいうと、買うときと完済時点しか考えず途中の推移を見ていないとか、築年数が進めば家賃が下がり維持費が上がりオマケに物件価値も下がるのを無視しているとか、節税効果なんて最初だけなのにそれに踊らされて実情よりも過大評価しているとか、中古であることのリスクを過剰に脅かされすぎているとか、新築をフルローンで買うと損をする理由をあげるといくらでもあがる。
わたしのマンションも新築当時の販売価格と前のオーナーの借入金額を教えてもらったのだが、わたしが買ったときの不動産屋の取り分を0円としても、もうかわいそうになるほどの巨額の大損をして売っている。
世間一般のマンション投資なんてそんなもんなのだ。

ではどうすれば良いかというと・・・。
それはカンタンで、中古にして頭金をそこそこ入れればよろしい。
それならば、いろんなリスクを織り込んだとしても十分勝てる勝負になるとグラフでわかる。
家賃保証の手厚い業者を選べば、空室リスクや滞納リスクもほぼ確実にヘッジできるので、立地に競争力があるかぎりそれは問題にはならない。
逆に、新築にこだわる潔癖症的な人だとか、頭金を全く入れられない資金的余裕がない人だとか、人の話を信じやすいうえに自分で検証する気もない人だとかは、本来は不動産投資などすべきではないのだ。

築年数がたてばたつほど建物の価値がなくなるから物件価格も安くなり、そして利回りが上がるから借金を返しやすくなり、ようするに儲かりやすい。
とはいえ、築年数がいっている物件は隠れた瑕疵があるかもしれないわけで、しかし素人にはそれを見抜けない。
だから中古とはいえ、10年の瑕疵担保責任だとか建築中の監査義務だとかがつくようになった2000年の建築基準法改正後に建った物件にしたほうが良かろう。
そもそも、いま築30年の物件と、いまほぼ新築の物件の30年後では、建物としての性能に大きな違いがあるはずだから、古すぎるのは考えものだ。

不動産屋とイロイロと話をしたのだが、そこまで自分で財務分析をして判断できるお客はわたしを含めて今まで2人しかいないと言っていた。
営業トークの口八丁で買わせることができないから営業冥利につきる部分が全くなくて売れても達成感がないらしいのだが、逆に情報を渡せばお客のほうで勝手に判断してOK/NG出してくれるから売るほうとしてはラクチンだと言っていた。
第一、キャッチセールスで電話営業かけてくる不動産屋なんて、前に書いた(※2)ように財務分析の結果を話しても半分以上のヤツが意味を理解できないくらいなのだから、素人の買うほうのサラリーマンにそれを理解しろというほうが無理があるのかもしれない。
ようするに、そういうことをやるヤツがいないからこそみんな損するのだ。

ちなみに。
買ったとこの不動産屋にそのことを話したら、
「ホントはそのほうが良いのはわかってるんですけどね~」
なんて言われてしまった。
べつの不動産屋にそのことを話したら、
「あなたのやりかたはセミプロのやりかたですよ。それ自分でその方法に辿りついたんですか?」
なんて言われてしまった。

なんでわたしに限ってそんな分析ができるのかというのには3つの理由があるように思う。
1つは、その前から株をやっててREIT(不動産投資信託)のファンダメンタル分析をしていたこと。
1つは、わたしの職業が技術屋で、アタマのなかで独自モデルを考えてそれを数字で検証するのに慣れていること。
だから不動産に関しては素人とはいえ、きっとてごわい素人であろうと思う。
1つは、既に知り合いが投資用マンションを持っていてイロイロと教えてくれたのだが、そいつのやり方でホントに大丈夫なのか興味があって検証したことがあること。

つまるところ。
不動産屋の言うことを鵜呑みにせず、ちゃんと自分で財務分析して儲かるのを確かめることができるなら、投資用マンションは損をしない。



わたしはインフレのヘッジを済ませた。
老後の住居も確保できた。
投資として悪くないリターンを得られる見込みだ。

実際、借金を背負うというのは経験しないとわからないようなプレッシャーがかかる。
しかし、これは損をしないとソロバン弾いてわかっているからこそ、怯えるほどのプレッシャーではない。
そんなに長期のローンではないので、完済したら次のを買ってもいいかもしれないとも思っている。

わたしのやりかたでは大もうけはできない。
本になって出版されるような一攫千金の成功事例には絶対ならない。
しかし損はしない。

さあ!
わたしと同じく福岡にマンションでも買ってみてはいかが?






【※1】
日本株から手を引きます
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20101222

【※2】
アニオタにも負けた不動産屋 (上巻)
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20090320

アニオタにも負けた不動産屋 (中巻)
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20090321

アニオタにも負けた不動産屋 (下巻)
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20090322

草食系男子という言い回しに反論する

2010-12-23 00:04:27 | オタネタ全般
さいきんは草食系男子という言葉がよく使われる。

半世代前とくらべると確かに違うところがある。
半世代前の男はもっとハッチャケててアタマのおかしなヤツが多かったし、もっとギラギラしていた。
たぶんわたしはその最後くらいの世代にあたる。

それと比べるといまの男はおしなべて大人しくて素直な良い子的なヤツが多い。
そういう善良になったという意味では悪い意味ではないはずだ。

しかし!

草食系男子という言葉を悪い意味で使うケースもままある。
かくいう恋愛事情についてだ。



女は言う。
「草食系男子と呼ばれるいまの男は積極的に恋愛をしたがらなくなった」
と。
それはまるで、自分がもてないことを成層圏の上まで棚に上げて、自分を恋愛対象として見ない男のほうが悪いとでも言う有様だ。

別にこの恋愛ざたに限らない。
自分のあるべき姿と現状のギャップについて人のせいにする事がどんなにバカかという事は、それは良識ある大人なら誰もが気付きそうなものなのだ。
だが、そうでもないらしい。

本件の真の原因は男にあるのではない。
男が見た女の商品価値の値段と、女が自己判断した自分の商品価値の値段の間に、あまりにも大きなギャップがあり、取引が成立しないのだ。



何かの婚活アンケートにあった。
女の望む結婚相手の年収は600万円を希望するケースが多いのだと。
そして専業主婦になりたがる女もまた多いのだと。

では男はどうか。
年収が600万円ある男はそんな女など眼中にない。
そんな年収にうるさい上に専業主婦してグータラする気マンマンな女をわざわざ養ってさしあげる義理などこれっぽっちもないと考えている。

だから容易に結婚は成立しなくなった。
その証拠に、いまではお見合いパーティーでも女はダブつくのに男が足りない事態になっている。



婚活に限らず恋愛ざたについても同様のものがある。

男は単にエッチができる相手が欲しいだけというケースがかなり多い。
かつてはそれが彼女を作ることだった。

しかし今は違う。
家に居ながらにしてマウスをクリックすれば女の裸などいくらでも出てくる。
あまりにもラクチンだ。

それに引き換え、彼女を作ることの労力の大きさといったらどうだろうか。
しかも労力をかけたところでロクな女は転がってもいない。
だったらその労力をつぎ込む時間だけ趣味に当てたほうがよほど有意義な人生を送れる。

もはや女は裸の価値すら失いつつある。
裸の価値を失った女にまだなお価値を見出してくれるような、そんな聖人君主のような男がいったいどれだけの割合で存在するか考えても見たまえ、というところなわけだ。

女に金をかける男が減った反面、アダルトグッヅは比較的良い売上を計上していると聞く。
それも彼女という女に裸の価値がなくなっていることの1つの証明だと思う。



見た目についての問題もまだある。

若い女むけファッション誌をチラ見してみればいい。
それはあまりにもビッチ臭い。

今の女のファッションは、そういうノリがよくて解放的で気軽に遊べそうな尻軽女な雰囲気をこれ見よがしに表しているものが大多数だろう。

では男はどうか。

たしかにそういう女が大好きな連中もいるにはいる。

その反面、尻軽女にガッカリする者も少なくない。
そういう人たちは、もっと清楚で男の子とは手もつないだこともなさそうな可憐な人のほうに目がいく。
そういう人たちは、いかにファッション誌にのるほどかわいいツラをしていようと、そんなビッチ面した女に手を出してみようと思う心もおきやしない。
おまけに、そんなビッチ面のファッションだとなおのことアタマが悪そうに見えるから、なおさらゴメン蒙りたく考える。

アニメやゲームでも見てみればよろしい。
ファッション誌にのっているような、そんないかにもなビッチ面した女がどれだけいるだろうか。
めったにいないのは当然だし、いたとしても単なるイタいネタキャラの扱いしか受けていない。
単にエッチしたいだけならともかくとして、恋愛対象として考えるならば、男の大半は本質的にそういう女はこれっぽっちも好きではないのだ。
だから明らかに女の思うありたい姿と男の思うあってほしい姿の間に大きな乖離が生じているわけなのだ。



仮にそういう大きな需給ギャップを乗り越え、告白まで至ったとしよう。
そしてフラれてしまったとしよう。

さてどう思うか。

かつてならば、男はフラれたなら悲しんだ。

しかし今はそうではない。
そんな商品価値もないような女に、大して欲しくもないのに気の迷いで告白してしまい、挙句の果てにフラれてしまった。
そんな状況にフラれて悲しめというほうが無理がある。
そんな女に声をかけてしまった自分に対して憤るだけである。

バカバカしいから次からこんなことはすまい。
そう思い恋愛市場から退場するのだ。

そして事情を知らぬ女から草食系男子などと呼ばれる運命になったわけなのだ。



それを端的に示す証拠がある。

らきすたゆかりの久喜市でオタ向けのお見合いパーティーをやったそうだ。
普段ならお見合いパーティーなど男が足りんことで有名だが、そこでだけは逆に男が数倍も集まってしまったという有様だ。

無駄な努力などするほどのものでもなく、そういう気軽に捕まえられそうな内容であれば、いかな草食系男子でも狩りに出てみようかと思う者はまだ少なくないのだ。

まあ、当blog主の我輩からすれば
「そんな程度で三次元のほうへ浮気するなど笑止千万! 貴様の誓ったヒロインへの愛はそんな程度でしかなかったのか!」
とでも説教垂れてやりたいところではある。
とはいっても皆がその域に到達できるわけでもないので、我々もその辺は大人の対応でスルーしてあげようではないか。



これを解決するにはどうすれば良いか?

答えは1つしかない。

男から
「バカバカしくて相手にしてらんねぇ」
と思われない程度にまで女が閾値を下げればよろしい。

多分たったそれだけで解決する。

問題は男が草食系男子になったからではないし、それを咎めたからといって問題が解決する可能性は全く無い。
女そのものに価値が下がっていることに気付きもしない事が本質的な問題なのだ。

日本株から手を引きます

2010-12-22 00:03:03 | 経済/経済/社会
日本株からはもう手を引く。

完全撤退するとおもしろくないのでちょっとだけ残してあるんだけど、もうほとんどを現金化した。
理由はいくつかある。

・去年1年に比べたらあまり儲からなくなってきた
・証券税制の優遇処置をやめるだとかの話がチラホラ
・日経平均は1万2000円までいくとか強気の発言が多すぎる
・REITの利回りの時価総額加重平均が5%を切るほどにまで戻した
・夏まではハイテク企業の業績回復がすごかったが既に頭打ちになったように見える
・沸落レシオやオシレーター系という観点だけで見れば、どう見ても最近上がりすぎ

というので潮時だと判断した。

REITとハイテク株はけっこう儲かったな。
逆にETFは儲からなかったし、銀行株や内需株はかなり手痛く負けた。
リーマンショックで損した分を株で取り返したようなもんなので、実のところそれほど儲かったわけでもないから自慢になるようなほどではない。

株などの投資のいかんところはギャンブル中毒化するところだろう。
資金を投入するに値しないほど値上がりしているのにポジションをかかえたままにし続けてしまい、そしてそのうち暴落して大損する。
だからやめたほうが良いと判断できるときには積極的に撤退すべきなのだ。



株からの撤退はほぼ完了した。
とはいえ、少しだけ注目しているものが2つある。
これは今買う気にはならないが、数年単位で考えればそのうち絶好の仕込み時がきそうなものだ。



[国際のETF VIX短期先物指数(1552)]

これは S&P 500 の VIX恐怖指数に連動するETFだ。
VIXとは、説明によれば

> 数値が高いほど投資家が相場の先行きに不透明感を持っているとされます

というものだが、ようするに S&P 500 指数オプションのインプライドボラティリティー連動証券ってぇことでだいたいあっているんじゃあなかろうか。
オプションのストラドルスプレッドにちょっと似てるが、オプションのように外れたときに掛け捨てにはならない。
だからわたしのようにバイアンドホールドでほったらかしたい上に当面は株価の値上がりにも期待していないような者にとってちょうどいい。
逆にここまで読んで意味がわからない場合には手を出さないほうが良い。

いいときに買って数年単位で持っていれば、いつか株価が上がらない時期に数倍くらい突然儲かるなんて事も十分ありうる。



[上場インデックスファンド海外債券(Citigroup WGBI)毎月分配型(1677)]

これは外国債に連動するETFだ。
たしか中身の半分は米国債で、のこりの半分のほとんどはヨーロッパの国債だったと思う。

ヨーロッパはいまイロイロと国が倒産するんじゃないかってぇ所でもめているので、あっちこっちの国の国債が暴落していてかなり安いんだが、それを個人で直接買う方法はかなり限られる。
米国債も夏にプチバブルといわれる状態だったところから戻しているし、逆にアメリカも経済が苦しいので金利の上昇余地も限られているから下値もたかが知れている。

大もうけはありえないが、ヨーロッパのソブリンリスクが沈静化したころを見計らって買えば悪くないものになりそうな気がする。
毎月配当を配るのが少々気に入らんのだが。

イスラムでは72人の処女を与えられるらしいが

2010-12-21 02:11:26 | 経済/経済/社会
イスラムの世界では、テロリストは自爆の実行犯に対して
「このバクダンかかえて殉教すれば、天国で72人の処女を与えられて、永遠にハッピーに暮らせるぞ」
と教え込むのだとか。

わたしはあまり事の顛末を知らんのだが、そのまま額面どおり受け取ってみて、これを少々考察してみようか。



まず言えること。
バスト72の貧乳は欲しいが、72人も処女はいらん。
そんなに大勢いて何をしようというのだね。
・・・いや、ナニをするにしても、72人は多すぎやしないかいな。

ふつうに考えたら、何人もいたとしたら好きな娘とどーでもいい娘とに自分的カテゴライズができてしまうはずだ。
ギャルゲーにハマッたことのある同志諸君なら必ずこれは解るはずだ。

とあるギャルゲーのヒロイン全員に対して、全く均等に分け隔てなく
「おまえが一番好きだ!」
と言えるだろうか。

誰か1人だけ特別好きで、他のヤツはキホンどーでもいい、そんなふうになるのが普通ではなかろうか。
ヒロインが72人もいたら、酷いのになると名前も覚えてないようなくらいどーでもいいヤツが中には現れるのは間違いなかろうて。

わたしだったら
「おまえが一番好きだ!」
なんて、多くてもたった1人に向けてしか言わない。
それにBカップ以上の過半数以上の女の子のおっぱいには触りたいと思う事すらもしないだろう。

だとしたら。
72人のうち残りの71人には大変失礼に値する天国になる。
全員が幸せではない天国は、それは天国ではない。



実はその際たるものがある。
例のAKB48のギャルゲーではなかろうか。

http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-3495.html

> プレーヤーがAKBの全メンバーから好意を持たれるという設定で、お気に入りではないメンバーを次々と振っていく。
> そして、最終的に選んだ1人とめでたく結ばれるというファンには夢のようなゲームだ。

自分をふくめて49人いるうちの47人にとって都合の悪い未来。
そんなものが果たして「夢のような」と言えるのだろうか。



逆に考えてみよう。

とりあえず自爆テロが良いかどうかはおいといてだね・・・。
仮に滅私奉公の行いをして本当に滅私した聖人のような女の子がいたとしよう。
そしてそいつが天国にいったとする。

そこでだ。
神さまから、そいつに72人のイケメンを与えられたとしよう。
そしてそのイケメンの中には自分も含まれているとする。
この際まあ、自分がイケメンかどうかは棚の上に投げておく。

そうするとどうなるだろうか?

わたしならきっと、その女の子はほとんどガン無視し、毎日アニメを見てマンガを読んでゲームしてネットを徘徊して、自分だけで勝手に楽しく暮らすに違いあるまい。
天国ならキホン暇なはずなので、向こうから話しかけてきたときくらいは相手にしてやってもいい。

その女の子は果たして幸せだろうか?

まあきっと幸せだろう。
72人のイケメンのうちのお気に入りの1人か若干名だけとイチャイチャして暮らせば、それはそれできっと幸せだろう。

・・・しかし。
72人のイケメンのうち大多数からは愛されて暮らすことはできない。



さてイスラムの72人の処女。
これも同じことが言えやしないだろうか。

72人の処女のうちの大多数からは、暇なとき声をかければ会話を相手してもらえる程度でしかないような生活になりはしないだろうか。

自分としても相手に対して興味もない。
相手も自分に対してさした関心を持っているわけでもない。
タダのご近所の顔見知りさんという程度だろうか。

それのいったいどこが天国なのかね?



仮にわたしが殉教したとして、アッラーに72人の処女を与えられかけたとしよう。
そうなりかけたとしたら、わたしなら反論する。
「72人も処女はいらん。72人と引き換えにして良かったと思えるくらいの、とびきりの女を1人よこせ。もちろん貧乳で」
と言うだろう。

そういうものこそが天国ではなかろうか?

人とは見えているモノが違う

2010-12-20 00:09:51 | オタネタ全般
ニコマスを見ているとよく思うことがある。
同じアイドルマスターの二次創作でも、アイドルを見ても人によって見えているモノが全く違うんだなって。

ある千早は、踊るすがたの笑顔がよく似合う。
ある千早は、Pを冷ややかに見る9393な顔がよく似合う。
ある千早は、ツンツンしていて時にデレるそのセリフがよく似合う。
ある千早は、ひとり苦悩しひとり答えを導き出すその姿勢がよく似合う。
ある千早は、かってに飛ばしてかってにハマる痛いキャラなのにそれもよく似合う。

ちなみにわたしのノベマスを自己分析してみると、照れ怒りしている千早が好きでああ描いているんだろうと思う。

どれも同じ作品の同じキャラからの派生である。
しかし、そのどれもが全く違う。
にもかかわらず、全く違うのに違和感がそこにはない。

これはなかなかに不思議なことだと思わないだろうか。



多分どれもオリジナルの千早を忠実に再現しているのだと思う。

しかし、ニコマスの作者が魂を魅入られ好きになった部分は人によってそれぞれ違うのだろう。
だからどれも千早として違和感がないにもかかわらず、そのどれもが似ても似つかないほどに違ったものが出来上がるのだろう。



千早はかわいい。

しかし、どこがかわいいかをここで説明しきるのは困難を極める。
だから我々は胸に秘めた言葉にできないその何かを表現しようとして動画を作る。

投稿者はニコマスを作ることで、自分がかわいいと思った千早のその姿を最大限に表現しようとした結果、意図せずして他の人ともオリジナルとも違う千早が出来上がったに違いあるまい。

そして我々は人の作品を見て、自分の気付かなかった千早の別の側面から見た魅力をみつけてより魂を魅入られる。



いつか寿命を迎えて天国にいけたとしたら。
多分わたしはそこで千早と暮らしたいと神に頼む。
それと同じことを言う愚か者は我輩以外にもいるに違いあるまい。

しかしそこで具現化した千早は、わたしの傍らにいる千早と、わたし以外の傍らにいる千早とでは、きっと違う人がいるはずだ。

なぜ姉弟や兄妹ではいけないのか

2010-12-19 00:13:19 | オタネタ全般
「どうしていけないの?」

・・・とは、よく言われる。
例えばヨスガノソラなど。

何のことかというと、姉弟や兄妹で恋愛沙汰になってはいけないのかという件だ。

アニメやギャルゲーや小説の中では、別にそれは大した意味を持っているわけではない。
問題は、例の都の条例(※1)の件で、それに便乗して姉弟や兄妹で恋愛沙汰になっているヨスガノソラのようなアニメ作品を袋叩きにしようとしている連中がいるということである。



まず言いたい。

近親者間の恋愛について禁止を標榜するなら、それに何かしらの根拠があるはずだ。
わたしはそれを明確に説明することを要求する。


ひょっとしたら
「法律で禁止されているからダメだ」
とでも言うのだろうか。

それは違う。
法律で禁止されているのは近親者間の婚姻だけであって、恋愛は禁止されていない。
つまり、婚姻届を出さなければ問題ないという事で納得していただきたい。


ひょっとしたら
「迷惑なことをしてはいけないから」
とでも言うのだろうか。

それは違う。
当人たちがそれで良ければ外野には関係ない。
自分たちがそれを見て不愉快だから迷惑を蒙った・・・などとヘリクツでも弁舌するつもりなのだろうか。


ひょっとしたら
「社会的にダメなものだからダメなのは当然だ」
とでも言うのだろうか。

それは違う。
それがダメだと思っていない人に対しての説明としては全く意味がない。
それではまるで、クラスメイトが何かしでかしたら先生にチクりを入れるのを生きがいにしている小学生がそのまま大人になっただけのヤツが語る程度の説得力しかそこにはない。

これは殺人のような犯罪とは性質が異なる。

殺人がダメな理由は明白に説明できる。
自分が殺人しても許されるとすれば、自分が他人から殺害されることを受け入れなければならない。
もし殺人したいのであれば、今日にでも自分が他人から殺害されるかもしれないようなリアル北斗の拳の世界に移り住むか、自分が他人から殺害されたくない人たちから制裁として殺害されるのを待つか、そのどちらかを選びなさい・・・という事で説明できる。
これは、殺人は赤の他人にまで影響を及ぼすからに他ならない。

しかし近親者間の恋愛は違う。
当の本人たちで完結してしまうので、その殺人禁止の論法ではそれを説明することはできないのだ。


ひょっとしたら
「不道徳だから」
とでも言うのだろうか。

それは違う。
それが不道徳とする価値観は、単なるキリスト教的な偏狭な価値観でしかない。
イスラム圏の人から見れば黒の覆面をしていない君たちが大変に不道徳に見えるはずで、当然それに従って生きるべきである。

それに天皇家だって近親婚が多かったのは周知のとおりではないか。
主張を貫徹する意味をこめて、ぜひとも天皇家は不道徳な者の巣窟であるとの声明を発表していただきたい。


ひょっとしたら
「障害児が生まれやすいから」
とでも言うのだろうか。

それは違う。
たしかに近親者間の子供は遺伝子の誤り訂正が機能しなくなる可能性が高まる。
しかしそれは同じ村の中で結婚を繰り返す風習がある閉鎖的な村でも同様の理由にてダメ出しができてしまうし、極論すれば日本人と結婚するよりも外国人と結婚すべしという話にまでなりかねない民族主義者的な危険思想ではあるまいか。

血縁がどれくらい近いとどれくらい遺伝子の誤り訂正の失敗が発生し、許容値をいくつに設けたとすると何親等以下の結婚は望ましくない・・・とでも説明してもらわなければわたしは納得しない。
姉弟や兄妹はNGでイトコはOKとする明白な根拠を説明していただきたいものだ。

それに、そもそも子供をつくるということと恋愛をするということを同義に考えるのは間違いだ。



・・・ここまで見てわかったろう。

近親者間の恋愛についてダメだと言える明白な根拠は存在しない。
しかもそれを、実写のドラマはよくて、非実在青年のアニメやマンガだけダメだという理由はさらに輪をかけて根拠が存在しない。

自分たちの道徳的価値観を人に押し付けるべきではない。
規制賛成派のヤツらにとってわたしの道徳的価値観を押し付けられたくないのと同様に、だ。



ヨスガノソラを見ればわかる。
穹は兄が好きになった自分を、遥は妹を好きになった自分を、各々が真剣に苦悩した。
そして、兄と妹で恋愛するというイバラの道をあえて選んだ。

規制賛成派のヤツらは、その2人を前にして、どうやってそれがダメであり、どうやって納得して分かれるべきと、2人を説得できるだけの根拠を提示することができるのだろうか。

わたしはそれが不可能であり、規制賛成派のヤツらのほうが間違っているという結論を得た。

それがダメだとする根拠であれば、石原慎太郎都知事の小説のほうが、万倍もの説得力をもってダメな理由を提示できる。



【※1】
非実在犯罪をマンガとアニメでだけ規制するんだって
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20101207

インフレ怖いって・・・

2010-12-18 00:05:00 | 経済/経済/社会
「インフレになるのが怖い!」
というヤツがいた。

そいつが言うにはだね・・・
国の借金が大きいからそのうち国家破産するかもしれないではないかというのだ。

ギリシャと違って日本は国家破産は絶対ない。
自分の書いた紙きれで借金しているのだから、どうしても困ったら万札を刷りまくればよろしい。
でも、それで悪性のインフレは起きるかもしれん。

その男は妻子がいて、多額の自宅のローンまで抱えていた。
実はそういうヤツほどインフレが望ましい。
インフレになると一番の勝ち組になるのはそいつらであり、むしろ負け組は「銭の運用先がないから株でも買ってみようか…」などと言っているような独身貴族の我々のほうである。
望ましくない高いインフレは言い換えれば富の再配分であり、ようするに我々の持つ銭の価値がそいつらと国の借金の帳消しに回るのだ。

多額の自宅のローンまで抱えているヤツらにとって最も怖いのはデフレである。
自宅の価値が下がり、収入は減り、なおかつローンはそのまま。
これをローン地獄と言わず何と言おう。
そしてデフレでの一番の勝ち組はしこたま現金預金を溜め込んでいるヤツらなのだ。

・・・そういうことをその男に説明したのだが、
「だってインフレ怖いじゃん。銀行の預金の価値がゼロになるんだよ!」
の一言で片付けられてしまった。

あんた、自宅のローン抱えてて借金に比べたら預金なんてそんなにないはずでしょうに。
それといっしょに借金の価値がゼロになったほうが良くないかい?



「経済学など役にたたない。もしそうじゃないなら経済学者が大金持ちになるはずでしょ」
という意見はよく聞く。

しかしそうではない。
何がおきれば何がどうなるというツジツマを理解しているのとしていないのとでは大きな差がある。
さきほどの男のように。

進化したアメリカのギャルゲー

2010-12-17 00:00:45 | オタネタ全般


http://www.impulsedriven.com/shiraoka
http://jin115.com/archives/51737279.html



かつてアメリカには、ギャルゲーをギャルゲーとも思わないようなトンデモ作品があると紹介したことがある。(※1)
それと同時にタイのギャルゲーも紹介したわけだが、そのアメリカ人のゲームプロデューサーににタイ人のツメの垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいの出来映えだった。
アメリカのギャルゲーは日本より20年以上は遅れていると断言できる出来映えだった。

しかし!

そこはさすがのアメリカ人。
1度敗北を喫すれば、必ず敗北した理由を分析し、次は必ず負けないように周到かつ狡猾に準備してくる。
それがアングロサクソンの最も優れたところだ。

そう、アメリカのギャルゲーは生まれ変わった。
ギャルゲーらしくなって帰ってきた。
すでに20年のうち半分は取り戻したであろう出来映えを引っさげて帰ってきた。

それが「Shira Oka: Second Chances」なのだ。



トレーラームービーを見てみよう。

さすがに我が祖国の英知を結集したギャルゲーには多くが及ばない。
しかし、それはギャルゲーのキホンをおさえて作られている。
清楚な正統派ヒロイン風、ハデなライバルヒロイン風、年上のお姉さん風、近所に住む幼なじみの同級生風、口数の少ない年下のツンデレ風・・・もはやヤツらはギャルゲーの何たるかを魂で理解したと判断しても間違いない。

かつて作られたエイリアンかのごとき顔をしたヒロインのギャルゲーとはうって変わり、なかなか可愛らしくできているではあるまいか。
少なくともわたしが描いたよりはマシな絵をしているではないか。



日本が独走的地位にあるものはほとんど唯一無二となってしまった最後の砦である萌え産業。
それすらも白人国家でさえ理解し自ら作ってみようとしている。
これがどれだけ日本にとって重要なことなのか、予測するだけでも難しい。

・・・なのに石原慎太郎ときたら、マンガやアニメばかりを敵視して積極的に排斥しようとするなんて、あまりにも愚かなるかな。



【※1】
アメリカのギャルゲー, タイのギャルゲー
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20090806