前回の記事(2008.12.29付)で「いまふたたび紐緒結奈(ときメモ1)への愛を語る」を書いた。
じつはつづきもあるので書いておくことにした。
本記事から読むひとはそちらから読んでほしい。でないと話が続かないし。
1994年5月、ハードの寿命としては末期を迎えていたPCエンジンでときメモは発売され、発売直後の予想外の不人気とは裏腹にその後のクチコミで予想外の人気を獲得していった。わたしもクチコミでおもしろさを教わったくちだ。
きたる1995年10月、満を期してプレステ版が発売された。オリジナルのユーザーからすれば爆発的な人気になるのは目に見えていた。実際、そのとおりになった。
その後、限定版が異常な高値で取引されたり、わずかに供給されるグッズにわれわれオタが殺到するなど、ゲーム業界でちょっとした社会現象になっていた。
発売元のコナミはそれに目をつけた。
ときメモ関連グッズの種類が月を追うごとにどんどん増えていった。
はじめは、わたしたちオタは喜んで買った。
つぎに、ときメモやそのキャラに忠義があることを半ば自分で確かめるために買った。
さらには、もはや義務感で買っていた。
おわりには、なぜ買っているのか自分でもわからなくなっていた。
あるとき、商品紹介のページの掲載量がバカみたいに増えた。
コナミの取締役は決算発表で「キャラクターグッズの売り上げで○百億円をめざします」みたいなことを言うようになった。
ついに、わたしたちは買うのをやめた。
すばらしいゲームを開発したコナミ自らが、ときメモを下賎なものに変えてしまったような気がした。
われわれ同志のあいだでも、本件だけでなくそれ以外にもコナミの運営方針に疑問を投げかけるものが多くなってきた。みなで「まるで守銭奴のようだ」と語り合った。
わたしたちは、1人、また1人と、ときメモから去っていった。
ある日、わたしはすべてのグッズをゴミに捨てた。
嬉しいときも悲しいときも共に時を共有した戦友を失う気がした。それでも捨てた。
「紐緒結奈との思い出はわたしのこころにあり、グッズには思い出は詰まってはいない」
と何度も自分に言い聞かせて捨てた。
それからコナミのゲームは買わなくなった。
いつか出るとウワサされていた”ときメモ2”にも期待するのをやめた。
そのときの心の喪失感があったことも忘れたころ、風のうわさでときメモ2が発売されたことを知った。心は動かなかった。
その後、風のうわさでときメモ3の開発費がファンド形式で個人投資家から集められているらしいことを知った。買った人はかわいそうだと思った。
いまはコナミについて特別悪い感情は抱いていない。
はるかむかし、そういうこともあったというお話だ。
(ときメモのはなしはこれで終わり。次回はポストときメモになったかもしれない別のギャルゲーについて語る)
じつはつづきもあるので書いておくことにした。
本記事から読むひとはそちらから読んでほしい。でないと話が続かないし。
1994年5月、ハードの寿命としては末期を迎えていたPCエンジンでときメモは発売され、発売直後の予想外の不人気とは裏腹にその後のクチコミで予想外の人気を獲得していった。わたしもクチコミでおもしろさを教わったくちだ。
きたる1995年10月、満を期してプレステ版が発売された。オリジナルのユーザーからすれば爆発的な人気になるのは目に見えていた。実際、そのとおりになった。
その後、限定版が異常な高値で取引されたり、わずかに供給されるグッズにわれわれオタが殺到するなど、ゲーム業界でちょっとした社会現象になっていた。
発売元のコナミはそれに目をつけた。
ときメモ関連グッズの種類が月を追うごとにどんどん増えていった。
はじめは、わたしたちオタは喜んで買った。
つぎに、ときメモやそのキャラに忠義があることを半ば自分で確かめるために買った。
さらには、もはや義務感で買っていた。
おわりには、なぜ買っているのか自分でもわからなくなっていた。
あるとき、商品紹介のページの掲載量がバカみたいに増えた。
コナミの取締役は決算発表で「キャラクターグッズの売り上げで○百億円をめざします」みたいなことを言うようになった。
ついに、わたしたちは買うのをやめた。
すばらしいゲームを開発したコナミ自らが、ときメモを下賎なものに変えてしまったような気がした。
われわれ同志のあいだでも、本件だけでなくそれ以外にもコナミの運営方針に疑問を投げかけるものが多くなってきた。みなで「まるで守銭奴のようだ」と語り合った。
わたしたちは、1人、また1人と、ときメモから去っていった。
ある日、わたしはすべてのグッズをゴミに捨てた。
嬉しいときも悲しいときも共に時を共有した戦友を失う気がした。それでも捨てた。
「紐緒結奈との思い出はわたしのこころにあり、グッズには思い出は詰まってはいない」
と何度も自分に言い聞かせて捨てた。
それからコナミのゲームは買わなくなった。
いつか出るとウワサされていた”ときメモ2”にも期待するのをやめた。
そのときの心の喪失感があったことも忘れたころ、風のうわさでときメモ2が発売されたことを知った。心は動かなかった。
その後、風のうわさでときメモ3の開発費がファンド形式で個人投資家から集められているらしいことを知った。買った人はかわいそうだと思った。
いまはコナミについて特別悪い感情は抱いていない。
はるかむかし、そういうこともあったというお話だ。
(ときメモのはなしはこれで終わり。次回はポストときメモになったかもしれない別のギャルゲーについて語る)