教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

駐韓大使一時帰国、いつも以上に強烈な一手

2017-01-21 23:26:57 | 経済/経済/社会
駐韓大使が一時帰国した。
その後、韓国が改善しようとするそぶりも見せないということで、安倍は一時帰国させっぱなしにすることにした。

これにはわたしも驚いた。
どうせ1~2週間で戻すんだろうとしか思っていなかったからだ。

これは何が起きているのか?
順をおって書いていきたい。



まず大使の一時帰国。
これは、戦争状態、開戦まぎわ状態、開戦準備である大使召還につぐ対抗処置である。
いままで遺憾砲しか発動させてこなかった日本が、ついに遺憾砲よりデカい重火器を持ち出したということだ。

つぎに一時帰国させっぱなし。
実はこれ、単純にこれだけ考えると、大変な悪手に見えるものだ。

なぜ悪手に見える?

韓国が改善しないうちにこちらの大使を戻したら、安倍が一方的に負けを認めたことになる。
これはあのおバカな韓国大統領パククネが
「日本が〇〇してくれなければ日本の首相と会談しないもんねっ!」
と言っていたアレだ。
つまり、自分で自分の打ち手をしばる大変な悪手だということだ。

だが。
今回に限っては、わたしはそう考えていない。

なぜか?



ゲーム理論で考えたとしても、こういう手口は奇手の1つである。
たとえば
「こっちは最後の1兵になっても絶対に撤退しないもんねっ!」
と宣言し、退路を自らふさぐことで、相手にとって損害の大きい攻城戦を嫌でも強制させ、相手の戦意をくじくなど。
つまり、よほどうまくいく確信がないかぎり、また奇手に頼らないと戦況をひっくり返せないほど状況が悪くないかぎり、やらない。

では今回はどうなのか?

安倍は上記のように退路を自らふさいで何かを得ようとしたわけではないだろうし、上記のように戦況が悪いわけでもない。

これは、相手が罠にハマって抜け出せないことが確定したことで、こちらの手札を隠すことなくゲームを進めても絶対勝てると確信したからこそやっているのだと、わたしは考えている。



ふだん鈍重な日本の政治だが、今回の1手は速かった。
日韓慰安婦合意を締結した時点で、韓国は裏切る可能性が高いとふんで、韓国が裏切ったときの対抗プランをすでに準備してあり、そのプランどおりに粛々と進めただけだからだ。

韓国は裏切るとは大方の、いやほぼ全ての韓国ウォッチャーは予測していたことであり、そこまで準備してあることに関して驚きは無い。
驚きは、日韓が断交に入るという決断を安倍がいましたことだ。

なぜ今だったのか?

たぶん安倍とオバマは個人関係としてはソリが合てなさそうと思われるものはいくつか見てきた。
だが、日本を背負う者、アメリカを背負う者として、個人的な感情をあまり表に出さずにマジメに仕事をしてきた。
もちろん両者ともパククネのような個人的な好き嫌いで政治をやるようなマヌケではなかった。
ここは両者ともよくやったと思う。
だから安倍は、日本が今回のこの処置をやる直前に、アメリカの副大統領と話をつけてから手をつけた。

そしてトランプの時代がはじまる。
安倍はトランプが勝つとは全く想定していなかったフシがある。
だからこそ候補者の段階でヒラリーとだ会っていた。
わたしも読み間違ったが、安倍もまたしくじった。

けどね。
先の大統領就任演説であったように、トランプは国内経済に付随する問題の延長線上でしか外交に興味がなさそうである。
トランプになっても安倍のこの奇手は問題なく機能すると確信をもって放ったはずだ。

まずこれによって対米外交面の問題は回避した。

つぎに内政。
もはや日本の世論は韓国フザケンナで固まりつつある。
媚韓の巣窟である民進党代表の脱法ハーフの蓮舫でさえ、
「しかたがない」
と、安倍の強硬措置にお茶を濁した回答しかできなかった。
これだけ世論形成できていれば、韓国とは半世紀ほど外交断絶になっても安倍のせいだとはアタマの悪いシールズくらいしか言うヤツはいないだろう。

そもそも日本にとっては韓国と外交断絶になっても大して影響がない。
むかし
「韓国への輸出がなくなったら日本は不況になる」
というマヌケな記事を堂々とYahooビジネスにのせたバカがいるが、統計で貿易の物量をみればそんなん寝言であることくらい誰でもわかる。

また、貿易は、輸出がなくなるより輸入がなくなるほうが首が締まることのほうが多い。
これに関しても問題ない。
韓国製でなければならない必需品ってあんた何か思いつきますか?ということだ。



これから日本はどうなる?

断交にむけて粛々と進めるだけだ。

これから韓国はどうなる?

日本とは粛々と断交にむけて絶賛後退中。

アメリカとは次期大統領のTHAAD配備撤回と日韓秘密軍事情報保護協定破棄と慰安婦合意破棄により、米軍完全撤退が現実的に見えてくるほど悪化する。

ロシアは常に極東の政治から1歩引いていて矢面に立とうとしないので、韓国は消去法でロシアを頼るだろうが得るものはほとんどないまま空回りする。

北朝鮮はノムヒョンの時代にさんざん譲歩して何も得るものがなかったのと同様に、さんざん譲歩して何も得られずに大統領は任期をまっとうする。

唯一パワーゲームに参加するのが中国だが、中国は韓国が頼る相手が中国しかいないことを見極めてから、韓国にさらに理不尽な要求を突きつける。
たとえば、韓国国内に中国軍を常備配備させろ、プサンの軍港を99か年無償賃借させよ、中国軍は韓国を守ってやっているんだからみかじめ料を年100億ドルほどよこせ、などなど。

すでに米軍は一部撤退を完了しているが、完全撤退が見えてきた時点で身の回りの者を韓国には近寄らせないほうがいい。
出張でさえ紛争地域に行くものに等しいとこころがけよというレベルになり、観光にいくなどマヌケのすることと嘲笑されることになろう。



トランプ政権になってからもまたおもしろい。
たとえば、台湾に米軍基地を作るだとかいう、中国への史上最強のイヤガラセプランも既に登場している。

日本はそれに追従して
「日本としては大歓迎ですわwww キンペーが強烈な遺憾? なにそれおいしいの?」
とても言ってればよい。

だが、頼る相手が中国しかいなくなった韓国はどうするのだろうね?



韓国の未来はいつになく暗い。
韓国はこれまで常に綱渡りだったが、ついに日本という命綱は切れた。

本当にあった日本の技術力の空洞化

2017-01-18 22:27:16 | 科学
「製造業の空洞化がおきている」。
これは80年代から言われており、いまさらあえて言うようなことではない。
もはやこれは日本ではなく中国で発生している問題でしかない。

ただ昨今では、ビミョーにニュアンスが違う似たようなことが言われている。
「製造業の空洞化により製造ラインが日本国内からなくなることにより、モノ作りの現場の技術力が低下している」
という説だ。

これはどうなのか?

わたしは9割がた無関係なことだと思っていた。

なぜか?

科学が進歩すれば、どんどんオートメーションで製造できる範囲が広がるし、それによって工場からライン工が減るのは当然だ。
家内制手工業においてのモノ作りの現場のノウハウは忘れ去られても問題ないケースはどんどん増えている。

たとえば、真空管を製造する際のグリッドを巻き付ける自動巻線機の使いかたのノウハウなど、いまや日本では誰も必要としていない。
SAWフィルタが実用化されたいま、体積100倍でしかも調整を必要とするヘリカルフィルタの需要は30年前の1/1000にも満たないだろうし、その調整ノウハウがどれだけ役に立つかという話になってくる。
つまりそういうことだ。

製造業の空洞化と、技術力の低下は、たいがいは無関係である。
いやむしろ、ライン工がほとんどいなくなり、ライン工の人件費のほとんど発生しない、完全自動化工場が日本に帰ってくるときがきつつあるのだ。

…そう思っていた。

しかし!
大変残念ながらそうではなかったのだ!!



うちの会社にLSIの設計部隊がいる。
だがうちのうちの会社でLSIを製造しているわけではないので、バックエンド設計は他の得意な会社にアウトソースしている。

このバックエンド設計を投げた会社は、かつては自前で半導体を製造していたというどころか、トップグループにいたところ同士が合併してできたシステムLSI専業メーカーで、それだけ見ればドリームチームと言いたいようなところである。
だが今は自前で半導体を製造してはいない。
ルネサスではない。これだけ言ってしまうとわかる人にはわかってしまうと思うけど。

かつて10年前のまだ半導体工場を自前で持っていたころ、バックエンド設計を投げた向こうの担当者と話をすると、
「こんなレイアウトで〇〇まで性能出るわけねえだろ! せいぜい〇〇がいいところだ! こうやんだよ、よく見てろ!」
なんて、めっちゃふてぶてしいが腕利きの玄人衆がいて、めっちゃ頼りにしていたようだ。

しかしだな。
今は違うらしいのだ。

同様に担当者にいま話をしにいくと、
「それ、レイアウトしにくいからしたくないんですが…」
としか言わないらしい。
ここのレイアウトを変更するとどういうふうに性能が変わるから絶対ダメだと言っても、それを理解する知識がない。
どうやら高卒採用でツールの使い方だけ叩きこまれて仕事しているだけの派遣らしく、こちらの言ったことをそのまま言ったとおりに実行させる以外にLSI設計を任せられる状況ではないらしい。
もう次は頼むのをやめようかと言っている。

これがトップグループにいたところ同士が合併してできたシステムLSI専業メーカーのドリームチームの末路だよ!?



そしてうちの会社でもこれは同じことがおきていた。

わたしはときどきプリント基板を設計していて、うちの会社はバックエンド設計を専門部隊に任せている。
そしてそこには、むかしは
「この部品配置はうちの会社の設計ルールに違反するけど、うちのあのマウンタなら実装できるから問題ない」
と製造装置の性能まで見切ってやってくれる超有能なヤツとか、
「ここは高周波のパターンですから、こっちのパターンは避けておきました」
とエンジニアのミスを勝手に修正してくれる超有能なヤツとか、
「回路図を見たらこの部分が心配なんですが、本当にこれでいいんですか?」
と我々研究開発チームのやってることにまで踏み込んでくる超有能なヤツとかいたものだ。

だが、もうそんなヤツはほとんどいない。
高卒採用でツールの使い方だけ叩きこまれて仕事しているだけの派遣だ。
「うちの課のルールですから」
としか言わない。
なるべく自分たちの裁量が発生しないように、なるべく自分たちに責任がかぶらないように、なるべく言われたとおりにしか仕事をしないようにしている。
残念ながら外注のほうが頼りになるのだが、さらに残念ながら社内事情でそうもいかないという。
いまではこの部署に良い印象を持っているエンジニアを社内で見たことがないほどにまでなっている。

なぜこうなったのかという分析は難しいが、何度か来た不況のたびに非線形に状況が変化したことだけは間違いない。



かつて高い人件費で雇っていた超有能なヤツらは今どこに勤めているのだろう。
なぜいま日本のメーカーは新興国に押されているのだろうね…。

今期の天使は最悪で最高(ガヴリールドロップアウト)

2017-01-15 00:39:51 | オタネタ全般
前期2016年秋がそこそこよくできたアニメがけっこう多かった望外の豊作を体験したあまり、
今期2017年冬はいまいちノリが悪いようなという少々肩透かしをくらった印象であった。

だがそれはガヴリールドロップアウトを見るまでのことだったのだ…!





本来は最高位に位置し最も威厳のある天使であるガブリエル…じゃなかった、ガブリールが、いまや廃人。





本来は慈愛に満ちた3巨頭の一角の天使であるラファエル…じゃなかった、ラフィエルが、すばらしきドS。



いいね。
我輩はあっという間に引き込まれたよ。

敗者は勝者の気持ちがわからない

2017-01-14 22:42:36 | 経済/経済/社会
一般に風説が流布されているものとして、
「勝者は敗者の気持ちがわからない」
というのがある。
これはほとんど寓話に近い。

それに対して当記事は
「敗者は勝者の気持ちがわからない」
ということを記したい。

それだけ見ると
「なんという驕り高ぶったblog主なのか」
という話になるが、そうではない。
ぜんぶ読んでもらえればわかってもらえるはずだ、たぶん。



なにはともあれ、事の発端は以下のような話をしたことからである。

奴「うちの下の子は地元のサッカークラブに入ってるんだけどさ、近ごろの子は恵まれてるよ」
俺「それはボランティアで監督してくれる人がいるとかって意味で?」
奴「それもあるけど、ボランティアで送り迎えしてくれる人がいて、経費はむしろボランティアが負担することもあるし、試合とかも段取りをちゃんとしてくれる人はいるし、(以下略)」
俺「俺はもっと低いところで恵まれてると思ったよ」
奴「というと?」
俺「俺はさ、学校にいっても暴力もない、家に帰ればTVゲームで遊べる、それだけで近ごろの子は恵まれてると思うよ」
奴「そりゃまたずいぶんレベルの低い話だな」
俺「それを言った俺自身もずいぶんレベルの低い話だと思うわ」



これを読んだら
「まあなんと不幸な少年時代を過ごしたのかしら…」
と同情的になる人はいるかもしれない。
だが当の本人の我輩は同情してほしいとは全く思っていないし、そこは本日の主題でもない。
ただ当時は飢えない程度に幸せであるとしか思っていなかったのはたしかだが(笑)。
まあそれはいいとして。

でだ。
そういう人がオトナになったらどうなるだろうか?

人に同情しないのだ。

「たかがその程度で不幸自慢とかワロスwww」
としか思わない同情心の不足したオトナに育つのだ。



かつてニンテンドーDSが大ブレイクしたときのことだ。
とある記事に次のようなのがあった。

「うちは貧困に苦しんでいて子供にゲームソフトを買ってあげることもできない。学校で友達の輪からはみ出してしまうんじゃないかと心配だ」

だいぶ要約しているが内容はそんな感じである。

これを見て我輩はどう思ったか?

「たかがその程度で不幸自慢とかワロスwww」

ほらさっき言ったとおりでしょ。

比較対象が我輩でなくてもいい。
どっか外国から、毎日の食べるものにも困るような赤貧の家庭の母親をだれか連れて来て、さっきの自称貧困層と対談させたらどう思うだろうか?

我輩と同じく
「たかがその程度で不幸自慢とかワロスwww」
というだろう。
つまりそういうことだ。



キリスト教では
「人は持たざる者のほうが人の気持ちを理解できるから天国に近い」
と教える。

これはある意味で真実であり、ある意味で間違いである。
自分より程度の軽い不幸に見舞われた人に対して同情心を失うのが持たざる者、または持たざる者だった者の特徴の1つかと思われる。

日本は子供にTVゲームを買ってあげられないことを心配する自称貧困層がいる程度に裕福になったのは実に良いことだ。
むしろ我輩が同情するようなヒャッハーな学校など日本にはないほうが良いのだから。

制約、枷、儀式、呪い

2017-01-10 23:21:30 | オタネタ全般
「強いのですね まるで制約のよう」

「制約?」

「自身の言動に枷(かせ)をかけて、特別な力を得る儀式のことです。
厳しい枷(かせ)で縛るほど、強い力が手に入る。
その誓いはある意味…」

「呪いね」






これ、テイルズオブゼスティリアX、第6話のセリフである。
じつはこれと全く同じことをかつてわたしも考えていた。
↓これだ。



「祝福」と「呪い」、そして精神コントロール
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20090610



なお、魔法というのは必ずしもオカルトではない。
半分はオカルトであり、半分は精神工学的な知見である。

それはなぜか?

近年我輩が使った例を見てもらえばだいたいイメージがわくかと思われる。

電験二種は
「宅建とかは無理にしても、理系特化人間の我輩なら合格率2%の電験二種だろうが俺様がホンキになったらこれくらい取れないとガッカリだわ」
であり、これは呪いである。
そして大して苦しまずに合格した。

宅建は
「理系特化人間で法律は全くの無知な我輩だが、宅建くらいまでの難易度なら人の何倍かがんばればいつか何とかなるはずであり、苦手意識の克服になる」
であり、これは祝福である。
そしてけっこう苦しんで合格した。

この例だけでいっても、どちらも効果はあるものの、魔法としては「祝福」より「呪い」のほうが明らかに効果が強く優秀である。
ただし間違った方向にかけてしまっても強い効果が出るのが難点だが。






参考文献をば。
これを読めば魔法というものがどういう概念であるかというのを理解することができる。
興味がある人に対してだけ大変オススメ。




https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784915497605

出帆新社スピリチュアル・シリーズ
魔法入門―カバラの密儀
バトラー,W.E.【著】〈Butler,Walter Ernest〉/大沼 忠弘【訳】
出帆新社(2000/12発売)

駅弁不要論

2017-01-02 23:37:10 | 経済/経済/社会
幼稚園や小学校低学年のころ、よく祖父や祖母に旅行に連れて行ってもらっていた。

我輩たまに
「この路線には乗ったことがある」
とかいう話になったとき
「俺おまえほどいろんなところにいってない」
と返されることがあるのだが、けっこうな割合でこのころの思い出である。

当時、駅構内では食べるところが今ほどなかった。
立ち食いソバはあった。
ドリンクの自販機もなかったし、はじめて設置されたころは駅構内でしかそのサイズを見たことがないミニ缶ばかり置かれていた。

それでも、駅弁を買い、なぜか駅でしか売っていない半透明のプラスチック容器に入ったお茶を飲むと、もうそれだけで旅行気分が味わえてすごくうれしかった。

だが今はもうない。

なぜか?

当時あった半透明のプラスチック容器に入ったお茶は無いのはたしかだが、ドリンクの自販機はどこにでもある。
駅弁だってどこにでもある。

だが、違うのだ。
もはや駅弁を食いたいと思わなくなりはじめているのだ。



当時、我輩にとって駅弁はスペシャルなごちそうだった。
だが今は違う。

セブンやイオンの弁当とクォリティーは同等で値段は5~10割増、それが駅弁である。
しかも今日のような正月シーズンでは、たかが駅弁を買うのにいったい何分待たせるのかといった長蛇の列。
いらねえよこんなもん。

けっきょく行きは降りたあとに駅ビルのスタバにいき、バターミルクビスケットとアメリカーノ。
バターミルクビスケットはギトギトになるほどシロップをかけてバニラを1ふりするとじつにうまい。

帰りは乗る前に駅構内のパン屋でパンを買い、コンビニでウィスキーの水割りとナッツも買って車中で飲んできた。
これもなかなかうまい。

東京駅の地下で売っている駅弁街ではたしかにいいものがある。
あれはいいものだと認める。

だが。
東京駅の新幹線ホームで売っている駅弁。
あれ、いったいいつから同じもの出してるんだ??



かつてデパートの最上階では、大衆食堂とでも称してあらゆるテンプレメニュー、カレーおよびラーメンおよびうどんおよび何がしというメニューを出す巨大な敷地のレストランがどこにでもあった。
当時、子供心でさえ、たいしてうまいと思わなかった。

今、そんなものは無い。
それほど区画の大きくない専門店が多数あるか、またはフードコートになっているかのどちらかなのがふつうだろう。
なぜなら、子供心でさえたいしてうまいと思わなかったようなテンプレメニューのレストランが、今のこのご時世に生き残れるはずもないからだ。

じゃあ東京駅の新幹線ホームで売っている駅弁はどうなのよ??

べつにそれを食いたいヤツがいるかぎりはそこで売るのを拒絶したりはせんが、
バブル勃興以前のモノの不足していた時代から同じ商売しているような店なんぞつぶれてしまっても我輩は決して同情せんだろう。

地方にいくと80年代半ばから時間が止まっていて少しずつ衰退していくのを座して待っている地域がいくらでもあるが、東京駅でそれに近いものを感じようとは思ってもみなかった次第である。