【レビュー】最後の資本主義
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784492444405
最後の資本主義
ライシュ,ロバート・B.【著】〈Reich,Robert B.〉/雨宮 寛/今井 章子【訳】
価格 ¥2,376(本体¥2,200)
東洋経済新報社(2016/12発売)
当記事はこの本のレビューなのだが、実はこれを読むまえにとある予備知識があったほうが望ましい。
まずそちらから説明する。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784822246419
Nikkei BP classics
資本主義と自由
フリードマン,ミルトン【著】〈Friedman,Milton〉/村井 章子【訳】
価格 ¥2,592(本体¥2,400)
日経BP社(2008/04発売)
その予備知識とやらがこの本「資本主義と自由」である。
最近はだいぶ下火になっているが、かつてアメリカを中心にリバタリアンという人種がいた。いやまだいるけど。
リバタリアンは、日本語では新自由主義者と訳されている。
究極の自由を標榜している人たちのことだ。
英語のリベラルの日本語訳は自由主義のことであり、一見よく似た言葉だが、日本にいる自称リベラルはほぼ全員が中韓マンセー主義者であり、語源が似ているリバタリアンとは全く違うことに注意されたし。
アメリカでも、リベラルは民主党、リバタリアンは共和党のなかでも極端に共和党的な人たちなどになり、アメリカでも全く似てない。
まあそれはいいとして。
リバタリアンは、あらゆる規制を排除すべきと語る。
市場原理まかせのほうが人間(たとえば日銀)がコントロール(たとえば通貨流通量をコントロール)するよりうまいところにバランスすると語る。
民法でいう契約自由の原則そのままの思想に近い。
で、その教祖様の1人が上記のミルトン・フリードマンである。
なんとこの本では医師の免許すらいらねえとまでほざく。
ひところアメリカが日本に対し規制緩和しろとしつこくしつこく言ってきたのも、この市場原理至上主義的な考えが背景にある。
ここまでがざっくり予備知識。
でだ。
その結果どうなったよ?
それが今のアメリカで起きていることだ。
たとえば労働組合が極端に弱体化し、公正労働基準法がザルになったことで労働者の権利は大幅に希薄化した。
その結果、GDPでみれば成長し続けているが、中間層の実質所得はぜんぜん増えていないという、いやなんかそれ違うでしょ!みたいなことになってしまった。
これはリバタリアンのいうとおりにしたらえらいことになった例の1つである。
そういった事例がこの本「最後の資本主義」にへひたすら書かれている。
いまアメリカでもリバタリアンはひところほど元気ではないだろう。
でなければ2008年の金融危機の再来を防ぐために作られたボルカールールなんて規制もリバタリアンなら絶対しない。
そしてさらにはトランプ登場にいたり、何でもいいから全部ひっくり返せ!なんていう2009年の民主党政権誕生の悪夢を彷彿させることがアメリカでもやられはじめた。
なぜこうなった?
ようするに規制緩和マンセー主義者の唱える宗教にしたがったのは大失敗だったということだ。
たとえば、ミルトン・フリードマンは医師の免許すらいらねえとまでほざく。
これは本当に正しいのか?
この本を一読しても、どれだけ規制緩和マンセー主義者から説明を受けても、大いに賛成とは言いがたい一抹の不安が必ず残る。
それは何なのか?
それは、わたしはスティグリッツのいう情報の非対称性にあると思っている。
リバタリアンは、ダメな医者は評判が悪くなったら廃業に追い込まれるから問題ないとしている。
だが、ダメな医者かどうかはわかりにくい。
ダメな医者だと近所に悪評が広まるまでに治療を受けた人は大変困る。
不動産でもそうである。
不動産屋は、規制がなければ瑕疵をナイショにして売ることができる。
だが、シロウトは一生に1度しか不動産売買しないので、隠れた瑕疵を見抜くのはまず無理であり、百戦錬磨の詐欺師な不動産屋にはほぼ必ず食い物にされる。
それを防ぐために、日本では宅建業法などが整備されたことで、情報の非対称性による悪弊は大幅に緩和されている。
だがリバタリアンの宗教はそれすら否定する。
リバタリアンの教義によれば、それは中途半端に一部分だけ規制緩和されたから市場のひずみが増幅されたのげ原因であり、真に規制緩和すればなぜかそんな問題は起きないことになっている。
けどね。
その結果が今のアメリカだよ!
「最後の資本主義」にはほとんど描かれていないことだが、いまのアメリカのザルさ加減にいたった根本的な思想は「資本主義と自由」にあることだ。
「最後の資本主義」では大企業の金儲け至上主義によるロビー活動の産物みたいなふうに書かれてはいるが、必ずしも韓国ドラマに出てくるテンプレ日本人のような銭持った悪党が跳梁跋扈した結果で善悪二元論的にそうなったというわけではない。
その上で「最後の資本主義」を読めばさらによくわかる。
この2冊はセットで買うべし。
追伸:
わたしは自称自由主義者とは言っているが、リベラルとは言いたくない。
さきに述べたように日本の自称リベラルはほぼ全員が中韓マンセー主義者である。
たとえば中韓にとって都合の悪い主張は規制しようとするだとかの、極めて共産主義的、全体主義的、かつパターナリズム傾向が強く、本来的な意味においてのリベラルとはとても言いがたいからだ。
わたしの出身中学に大勢いた中韓マンセー主義者の教員たちの、生徒の行動を可能な限り束縛させて自分たちの思うとおりに盲目的に従わせることが教育だと自己陶酔する様には心底うんざりする。
わたしは、政治的主張や個人の行動については自由主義が望ましいと考えており、いわゆる日本の自称リベラルとは全く相いれない。
我々は、日本の自称リベラルとは違い、SEALDsの主張は受け入れないが主張できる自由には全力で賛成する。
差別なり人権侵害なりとヘリクツをこねて論敵を言論統制しようとするSEALDsは話にならん。
だが、宅建業法や医師免許まで廃止せよという経済の新自由主義、いわゆるリバタリアンともまた全く相いれないのであった。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784492444405
最後の資本主義
ライシュ,ロバート・B.【著】〈Reich,Robert B.〉/雨宮 寛/今井 章子【訳】
価格 ¥2,376(本体¥2,200)
東洋経済新報社(2016/12発売)
当記事はこの本のレビューなのだが、実はこれを読むまえにとある予備知識があったほうが望ましい。
まずそちらから説明する。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784822246419
Nikkei BP classics
資本主義と自由
フリードマン,ミルトン【著】〈Friedman,Milton〉/村井 章子【訳】
価格 ¥2,592(本体¥2,400)
日経BP社(2008/04発売)
その予備知識とやらがこの本「資本主義と自由」である。
最近はだいぶ下火になっているが、かつてアメリカを中心にリバタリアンという人種がいた。いやまだいるけど。
リバタリアンは、日本語では新自由主義者と訳されている。
究極の自由を標榜している人たちのことだ。
英語のリベラルの日本語訳は自由主義のことであり、一見よく似た言葉だが、日本にいる自称リベラルはほぼ全員が中韓マンセー主義者であり、語源が似ているリバタリアンとは全く違うことに注意されたし。
アメリカでも、リベラルは民主党、リバタリアンは共和党のなかでも極端に共和党的な人たちなどになり、アメリカでも全く似てない。
まあそれはいいとして。
リバタリアンは、あらゆる規制を排除すべきと語る。
市場原理まかせのほうが人間(たとえば日銀)がコントロール(たとえば通貨流通量をコントロール)するよりうまいところにバランスすると語る。
民法でいう契約自由の原則そのままの思想に近い。
で、その教祖様の1人が上記のミルトン・フリードマンである。
なんとこの本では医師の免許すらいらねえとまでほざく。
ひところアメリカが日本に対し規制緩和しろとしつこくしつこく言ってきたのも、この市場原理至上主義的な考えが背景にある。
ここまでがざっくり予備知識。
でだ。
その結果どうなったよ?
それが今のアメリカで起きていることだ。
たとえば労働組合が極端に弱体化し、公正労働基準法がザルになったことで労働者の権利は大幅に希薄化した。
その結果、GDPでみれば成長し続けているが、中間層の実質所得はぜんぜん増えていないという、いやなんかそれ違うでしょ!みたいなことになってしまった。
これはリバタリアンのいうとおりにしたらえらいことになった例の1つである。
そういった事例がこの本「最後の資本主義」にへひたすら書かれている。
いまアメリカでもリバタリアンはひところほど元気ではないだろう。
でなければ2008年の金融危機の再来を防ぐために作られたボルカールールなんて規制もリバタリアンなら絶対しない。
そしてさらにはトランプ登場にいたり、何でもいいから全部ひっくり返せ!なんていう2009年の民主党政権誕生の悪夢を彷彿させることがアメリカでもやられはじめた。
なぜこうなった?
ようするに規制緩和マンセー主義者の唱える宗教にしたがったのは大失敗だったということだ。
たとえば、ミルトン・フリードマンは医師の免許すらいらねえとまでほざく。
これは本当に正しいのか?
この本を一読しても、どれだけ規制緩和マンセー主義者から説明を受けても、大いに賛成とは言いがたい一抹の不安が必ず残る。
それは何なのか?
それは、わたしはスティグリッツのいう情報の非対称性にあると思っている。
リバタリアンは、ダメな医者は評判が悪くなったら廃業に追い込まれるから問題ないとしている。
だが、ダメな医者かどうかはわかりにくい。
ダメな医者だと近所に悪評が広まるまでに治療を受けた人は大変困る。
不動産でもそうである。
不動産屋は、規制がなければ瑕疵をナイショにして売ることができる。
だが、シロウトは一生に1度しか不動産売買しないので、隠れた瑕疵を見抜くのはまず無理であり、百戦錬磨の詐欺師な不動産屋にはほぼ必ず食い物にされる。
それを防ぐために、日本では宅建業法などが整備されたことで、情報の非対称性による悪弊は大幅に緩和されている。
だがリバタリアンの宗教はそれすら否定する。
リバタリアンの教義によれば、それは中途半端に一部分だけ規制緩和されたから市場のひずみが増幅されたのげ原因であり、真に規制緩和すればなぜかそんな問題は起きないことになっている。
けどね。
その結果が今のアメリカだよ!
「最後の資本主義」にはほとんど描かれていないことだが、いまのアメリカのザルさ加減にいたった根本的な思想は「資本主義と自由」にあることだ。
「最後の資本主義」では大企業の金儲け至上主義によるロビー活動の産物みたいなふうに書かれてはいるが、必ずしも韓国ドラマに出てくるテンプレ日本人のような銭持った悪党が跳梁跋扈した結果で善悪二元論的にそうなったというわけではない。
その上で「最後の資本主義」を読めばさらによくわかる。
この2冊はセットで買うべし。
追伸:
わたしは自称自由主義者とは言っているが、リベラルとは言いたくない。
さきに述べたように日本の自称リベラルはほぼ全員が中韓マンセー主義者である。
たとえば中韓にとって都合の悪い主張は規制しようとするだとかの、極めて共産主義的、全体主義的、かつパターナリズム傾向が強く、本来的な意味においてのリベラルとはとても言いがたいからだ。
わたしの出身中学に大勢いた中韓マンセー主義者の教員たちの、生徒の行動を可能な限り束縛させて自分たちの思うとおりに盲目的に従わせることが教育だと自己陶酔する様には心底うんざりする。
わたしは、政治的主張や個人の行動については自由主義が望ましいと考えており、いわゆる日本の自称リベラルとは全く相いれない。
我々は、日本の自称リベラルとは違い、SEALDsの主張は受け入れないが主張できる自由には全力で賛成する。
差別なり人権侵害なりとヘリクツをこねて論敵を言論統制しようとするSEALDsは話にならん。
だが、宅建業法や医師免許まで廃止せよという経済の新自由主義、いわゆるリバタリアンともまた全く相いれないのであった。