(昨日の記事からつづく)
1994年末、プレイステーション, セガサターン, PC-FX, プレイディアと、次世代機がほぼ同時に発売された。なぜか任天堂だけは沈黙を守っていた。
プレイディアは明らかに子供だましの廉価商品であり、目の肥えたゲーマーを自負するメガドライバーにとっては軽蔑の対象だった。
PC-FXは明らかに宣伝が不足していてやる気が感じられず売りだす前から落ち目だったし、またギャルゲー専用ハードを自負していたため、はじめからメガドライバーの興味の対象から外れていた。
メガドライバーはプレイステーションを作るソニーの技術力は認めていたが、ソニーがゲームソフトを満足に作れるわけがない、ソフトの充実さはセガが勝るはずだとふんでいた。
ハード性能を至上とするメガドライバーにとっても、スーファミとの戦いで優秀なソフトの充実により勝負を決することは学習した、というか認めざるを得なくなっていたのだった。
メガドライバーにとって、ソフトの充実さとハード性能の総合力により、こんどこそセガが勝てると本気で思えたのだ。
実際、発売直後からしばらくはプレイステーションとセガサターンはいい勝負をしていた。勝てるとふんでいたメガドライバーにとっては少々不満ではあったが。
メガドライバーはセガサターンの目玉商品であるバーチャファイターのすばらしい移植とその注目度に酔いしれていた。そしてプレステの目玉商品であるリッジレーサーのことは見てみぬふり、というかなるべく関心を持たないようにしていた。ゲイルレーサーがあるからそれでいいじゃないかと仲間内と話していた。
プレイステーションとセガサターンは熾烈な争いを続けた。
まさに冷戦時代の米ソの争いを見るかのような熾烈さだった。
任天堂など一部を除くほとんどのソフトハウスは、どちらか勝ったほうとだけ末永くお付き合いしたいと思っていたわけだから、いつでも乗り換えられるように腰を浮かせて様子見を決め込んでいた。
ソニーとセガの会社と会社のガチンコ一騎打ちとなった。
このころは危ういながらもセガは希望に満ち溢れていた。
「セガはすばらしい! だからセガ大好き! セガ様バンザイ!」
も復活していた。
そして初期のプレステは故障しまくった。とにかく故障しまくった。サポートセンターの電話口がパンクするほど故障しまくった。
サターンは全く故障しなかった。
「ゲームの何たるかを知らないソニーが作るゲーム機を買うからこうなるんだ」
とメガドライバーは鼻で笑っていた。
そして
「メガドライブもサターンも信頼性は群を抜いて素晴らしい、さすがオレが選んだセガ!」
と皆で喜びを分かち合った。
ソニーもセガも、実はハードの性能に大きな違いはない。
ソニーもセガもハードの値段を下げる以外に取るべき策がなかった。
どんどんハードの値段が下がっていった。
大赤字になっても値段を下げた。
たった1社この相手をぶっ潰せば、あとは黙っていても金が入ってくるドル箱商売のバラ色な未来が約束されていた。この我慢勝負を逃げるわけにはいかなかった。
両者とも利益を圧迫した。
ついにセガは耐え切れなくなった。
セガの企業体力でソニーとガチで勝負して勝てなかったのだ。
相手が当時の任天堂ならセガが勝っていたかもしれないし、相手がNECならNECがそこまでするだけのリスクを取らなかっただろう。相手が悪かったのだ。
米ソに例えるならば、経済力で劣るソ連は軍拡競争で金を使い果たして自己崩壊したのである。
天秤がだいぶ傾いたとき、スクウェアがプレステでファイナルファンタジーの続編を出すと決めた。
そして勝負はダメ押しで確定した。
実はこの問題以外にもメガドライバーの気力を萎えさせる重要事項がある。
メガドライブの当初の設計思想はゲーセンの硬派なゲームをそのまま高品質に移植するためにあったようなものだった。
サターンはそうではなく全てのジャンルを対象にしていた。
メガドライバーの嫌悪するギャルゲーも続々と発売された。
だからといってセガやサターンを嫌悪するとまでは早々いかなかったが、メガドライブほどの愛着と信仰をサターンに注げなくなり、一人また一人と去っていくものもいた。
サターンを否定しメガドライブのみを愛する、メガドライバーたちの新たな始まりだった。
さらなる次世代ハード決戦でもセガのドリームキャストは敗れた。
セガがドリームキャストで勝負を挑んでくれることに嬉しいと感じるメガドライバーもいたが、ただ漠然とやっぱり勝てないだろうと諦観の念を抱いていたから、勝敗には驚きや興奮を感じなかった。
セガは次世代ゲームハードを作るのを止めると宣言した。
もはやメガドライバーにはセガの方針に対する信仰心は半ば尽きてはいたが、セガ自身が信仰の柱を捨てたことにショックを隠せなかった。
そして長い年月がが流れた。
セガがどこぞに買収されたらしいと聞く。
神は死んだそうだって。
(以上、三部作おわり)
1994年末、プレイステーション, セガサターン, PC-FX, プレイディアと、次世代機がほぼ同時に発売された。なぜか任天堂だけは沈黙を守っていた。
プレイディアは明らかに子供だましの廉価商品であり、目の肥えたゲーマーを自負するメガドライバーにとっては軽蔑の対象だった。
PC-FXは明らかに宣伝が不足していてやる気が感じられず売りだす前から落ち目だったし、またギャルゲー専用ハードを自負していたため、はじめからメガドライバーの興味の対象から外れていた。
メガドライバーはプレイステーションを作るソニーの技術力は認めていたが、ソニーがゲームソフトを満足に作れるわけがない、ソフトの充実さはセガが勝るはずだとふんでいた。
ハード性能を至上とするメガドライバーにとっても、スーファミとの戦いで優秀なソフトの充実により勝負を決することは学習した、というか認めざるを得なくなっていたのだった。
メガドライバーにとって、ソフトの充実さとハード性能の総合力により、こんどこそセガが勝てると本気で思えたのだ。
実際、発売直後からしばらくはプレイステーションとセガサターンはいい勝負をしていた。勝てるとふんでいたメガドライバーにとっては少々不満ではあったが。
メガドライバーはセガサターンの目玉商品であるバーチャファイターのすばらしい移植とその注目度に酔いしれていた。そしてプレステの目玉商品であるリッジレーサーのことは見てみぬふり、というかなるべく関心を持たないようにしていた。ゲイルレーサーがあるからそれでいいじゃないかと仲間内と話していた。
プレイステーションとセガサターンは熾烈な争いを続けた。
まさに冷戦時代の米ソの争いを見るかのような熾烈さだった。
任天堂など一部を除くほとんどのソフトハウスは、どちらか勝ったほうとだけ末永くお付き合いしたいと思っていたわけだから、いつでも乗り換えられるように腰を浮かせて様子見を決め込んでいた。
ソニーとセガの会社と会社のガチンコ一騎打ちとなった。
このころは危ういながらもセガは希望に満ち溢れていた。
「セガはすばらしい! だからセガ大好き! セガ様バンザイ!」
も復活していた。
そして初期のプレステは故障しまくった。とにかく故障しまくった。サポートセンターの電話口がパンクするほど故障しまくった。
サターンは全く故障しなかった。
「ゲームの何たるかを知らないソニーが作るゲーム機を買うからこうなるんだ」
とメガドライバーは鼻で笑っていた。
そして
「メガドライブもサターンも信頼性は群を抜いて素晴らしい、さすがオレが選んだセガ!」
と皆で喜びを分かち合った。
ソニーもセガも、実はハードの性能に大きな違いはない。
ソニーもセガもハードの値段を下げる以外に取るべき策がなかった。
どんどんハードの値段が下がっていった。
大赤字になっても値段を下げた。
たった1社この相手をぶっ潰せば、あとは黙っていても金が入ってくるドル箱商売のバラ色な未来が約束されていた。この我慢勝負を逃げるわけにはいかなかった。
両者とも利益を圧迫した。
ついにセガは耐え切れなくなった。
セガの企業体力でソニーとガチで勝負して勝てなかったのだ。
相手が当時の任天堂ならセガが勝っていたかもしれないし、相手がNECならNECがそこまでするだけのリスクを取らなかっただろう。相手が悪かったのだ。
米ソに例えるならば、経済力で劣るソ連は軍拡競争で金を使い果たして自己崩壊したのである。
天秤がだいぶ傾いたとき、スクウェアがプレステでファイナルファンタジーの続編を出すと決めた。
そして勝負はダメ押しで確定した。
実はこの問題以外にもメガドライバーの気力を萎えさせる重要事項がある。
メガドライブの当初の設計思想はゲーセンの硬派なゲームをそのまま高品質に移植するためにあったようなものだった。
サターンはそうではなく全てのジャンルを対象にしていた。
メガドライバーの嫌悪するギャルゲーも続々と発売された。
だからといってセガやサターンを嫌悪するとまでは早々いかなかったが、メガドライブほどの愛着と信仰をサターンに注げなくなり、一人また一人と去っていくものもいた。
サターンを否定しメガドライブのみを愛する、メガドライバーたちの新たな始まりだった。
さらなる次世代ハード決戦でもセガのドリームキャストは敗れた。
セガがドリームキャストで勝負を挑んでくれることに嬉しいと感じるメガドライバーもいたが、ただ漠然とやっぱり勝てないだろうと諦観の念を抱いていたから、勝敗には驚きや興奮を感じなかった。
セガは次世代ゲームハードを作るのを止めると宣言した。
もはやメガドライバーにはセガの方針に対する信仰心は半ば尽きてはいたが、セガ自身が信仰の柱を捨てたことにショックを隠せなかった。
そして長い年月がが流れた。
セガがどこぞに買収されたらしいと聞く。
神は死んだそうだって。
(以上、三部作おわり)