みなさま
「地方創生って興味ある?」
って聞かれたらどうお答えか?
そういうとき、かつてわたしは
「興味ないよ。俺は無理だと思ってるから」
と答えた。
なぜか?
そんなん我輩のように瀬戸内地方の過疎地域出身のヤツならいちいち「なぜか?」なんて問う必要もない。
瀬戸の花嫁で見たように、海が見えているのにいきなり登坂というほど平地がないため、大型のショッピングモールや工場を誘致できるような土地は限られる。
既存のモールはメインターゲットとなる中高年女性のアパレルだけに特化していき、それで買うモノがなくなりますます人が来なくなるという悪循環をひたすら繰り返しつづける。
地方の特産品や名産品と自称するモノがときどき出現するものの、これ作った本人でさえどーでもいいとしか思ってないよねと感じるほどにくだらないし、二度は見たためしがないほど一瞬で消滅する。
学校は地方創生についてはどっから湧いて出てきたのか郷土愛などという謎の美徳をもって説明する。
田舎なら農業だけは栄えているのかと思いきや、山ばかりで平地が少ないため1戸あたりの耕作面積が狭く、マトモにこれで一家の生活が先進国の文明水準を保てるのかと他人事ながら心配になるほど羽振りが悪そうに見える。
美術館にいけば地元の人の作品が飾られることもあるものの、海外のスクープ写真をまんまモチーフにした想像力の欠如した抽象画が散見し、当然のように客が来ないのでその補てんとして近所の公立小中学校の生徒が強制動員させられ、その存在を無視される以上の害悪を世間にまき散らす。
建物のほとんどは80年代半ばから時が止まったかのように変化せず、ただただゆっくりと衰退してゆくのを座して待っているかのような、ベッドに横たわり老衰死を待つ老人を彷彿させる世界。
それが地方である。
もちろん、これが例えば東北なら自然環境は厳しいものの米の生産者にとっては状況は多少マシだとか、細かい違いはあるだろうが、テンプレな地方とはたいがいこんなもんだろう。
それを知っている人が誰かから
「地方創生って興味ある?」
と聞かれたとき、どう答えるかはだいたい想像がつこうというものだ。
まあ、中には
「地方は仕事がないからみんな東京に出てくるんだよ! だからご覧のありさまなんだよ!」
という人もいる。
だがそれは半分しか当たっていない。
地方の田舎の人間は(地方の田舎からの脱出を選択した)我々からすると理解に苦しむほど地元志向が強い。
だから本来の田舎の実力からしたものより遥かに人口の流出を抑えられている。
しかもその状況下でご覧のありさまなのだ。
わたしが前から何度も言っているように、わたしの出身中学校の校区内にいまだに自宅も職場もあるような同級生の人生には同情すら覚える。
でだ。
そんななか、地方創生と称して補助金がバラ撒かれる。
しかし、極左の教員と同じ発想で出てきたのかと見まごうほど、目標だけは大変美しく、施策だけは超くだらん、そんな一過性のものに使われて消えていった。
民主党時代の福祉バラマキにより生活保護で明け暮らす人の数を増やすだけの施策より、
これでも自民党の公共事業バラマキによりケインズでいう穴掘って埋めるためにスコップを持ち汗水たらす人にバラまいたほうがまだマシか、
そんなくらいには考えていた。
わたしにとって地方創生とはそれだけであり、故郷と自分が心中するのは愚の骨頂といってはばからない。
前置きが長くなった。
さて本題に入ろう。
実はだな。
そんな地方創生に対して超絶悲観的極まる見解の我輩ですら、はじめてマトモと思える議論に遭遇した。
それが↓これだ。
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784023314955
ぐっちーさんの政府も日銀も知らない経済復活の条件
山口 正洋【著】
この本は地方創生に対してかなり力を入れて書いてある。
いままでの地方創生がなぜことごとく失敗してきたか、どうしたときだけ成功しうるのか、それが初めてマトモに議論されている。
さきにわたしが記した、民主よりまだマシとして目をつぶっていた公共事業バラマキの弊害についてもかなり納得のいく説明がされている。
この著者は岩手県紫波町の地方創生をやってのけた人だ。
これは興味深い。
ネタ的にはわたしの興味の及ぶ範囲外と思っていたが、しかし読んでよかった。