ノルン+ノネットを見終わった。
このアニメ、とある点において非常に違和感があり、それは最初から最後まで常に払しょくされることがなかった。
それは何か?
それはだな。
まず第一に、
メインヒロインのこはる、こいつは新聞の投書欄を思わせるような常識的な発言に終始。
つぎに第二に、
メインヒロインの彼氏の駆(かける)、こいつはヒロインにダダ甘な優男のイケメソというだけ。
さいごに第三に、
その2人が相思相愛になる。
すると我々からはどう見えるかというと・・・?
メインヒロインのこはるは、
「インプットが○○のとき△△というアウトプットを出すのが十代後半の女性の代表的な行動です」
という条件付けをプログラミングされた生体コンピュータにしか見えず、異性どころか人間にすらも見えないほど個性が埋没しているように見える。
メインヒロインの彼氏の駆(かける)は、
「インプットが○○のとき△△というアウトプットを出すのが十代後半の女性に好まれる同年代の男性の適切な行動です」
という条件付けをプログラミングされた生体コンピュータにしか見えず、同性どころか人間にすらも見えないほど個性が埋没しているように見える。
そしてその2人が相思相愛になったところで、となりの国の統一なんとか教会なる自称キリスト教団体がテキトーにペアリングを決めたからカップルになっただけのようにしか見えず、
過程をすべて見た視聴者にもかかわらずそこに恋愛感情が宿るのを理解できない。
正直申し上げて、この娘だったらわたしは自分の命を危険にさらしてまで助けようとは絶対思わないし、このこの娘とお付き合いしたいとも絶対思わない。
なぜか駆(かける)はこいつと結婚したいようなのだが、わたしだったら親が決めた結婚相手がこいつだったら親子の縁を切ってでも結婚を拒否するだろう。
なぜこうなった!?
…と思っていたところ、ふと気がついたところがある。
それは、
男女を逆にするとテンプレだということだ。
まず第一に、
主人公、こいつは物語の中で川の流れのように生きる自我の希薄な没個性人間として故意に表現し、それによってプレーヤーが主人公視点で感情移入しやすくする。
つぎに第二に、
メインヒロイン、こいつはひたすら主人公に対して無限に優しいというだけの幼馴染であり、キャラが立っている変なヤツはサブヒロインとして登場させる。
さいごに第三に、
その2人が相思相愛になる、というか話を進めていくといつの間にやらなぜか相思相愛になっている。
ほら見ろ。
これはギャルゲのテンプレパターンじゃないの。
ノルン+ノネットは単にギャルゲの手法を少女マンガに移植しただけのことだった。
わたしはギャルゲやギャルゲ原作アニメをあまりに消費しすぎ、そこにあった違和感を忘れてしまっていた。
かたや少女マンガ原作アニメはわたしにとっては新鮮であり、そこに違和感を感じてしまっていた。
これはテンプレの使いかたの問題である。
テンプレを自分の中で違和感なく解釈できる層にのみテンプレは通用するのだ。
このアニメ、とある点において非常に違和感があり、それは最初から最後まで常に払しょくされることがなかった。
それは何か?
それはだな。
まず第一に、
メインヒロインのこはる、こいつは新聞の投書欄を思わせるような常識的な発言に終始。
つぎに第二に、
メインヒロインの彼氏の駆(かける)、こいつはヒロインにダダ甘な優男のイケメソというだけ。
さいごに第三に、
その2人が相思相愛になる。
すると我々からはどう見えるかというと・・・?
メインヒロインのこはるは、
「インプットが○○のとき△△というアウトプットを出すのが十代後半の女性の代表的な行動です」
という条件付けをプログラミングされた生体コンピュータにしか見えず、異性どころか人間にすらも見えないほど個性が埋没しているように見える。
メインヒロインの彼氏の駆(かける)は、
「インプットが○○のとき△△というアウトプットを出すのが十代後半の女性に好まれる同年代の男性の適切な行動です」
という条件付けをプログラミングされた生体コンピュータにしか見えず、同性どころか人間にすらも見えないほど個性が埋没しているように見える。
そしてその2人が相思相愛になったところで、となりの国の統一なんとか教会なる自称キリスト教団体がテキトーにペアリングを決めたからカップルになっただけのようにしか見えず、
過程をすべて見た視聴者にもかかわらずそこに恋愛感情が宿るのを理解できない。
正直申し上げて、この娘だったらわたしは自分の命を危険にさらしてまで助けようとは絶対思わないし、このこの娘とお付き合いしたいとも絶対思わない。
なぜか駆(かける)はこいつと結婚したいようなのだが、わたしだったら親が決めた結婚相手がこいつだったら親子の縁を切ってでも結婚を拒否するだろう。
なぜこうなった!?
…と思っていたところ、ふと気がついたところがある。
それは、
男女を逆にするとテンプレだということだ。
まず第一に、
主人公、こいつは物語の中で川の流れのように生きる自我の希薄な没個性人間として故意に表現し、それによってプレーヤーが主人公視点で感情移入しやすくする。
つぎに第二に、
メインヒロイン、こいつはひたすら主人公に対して無限に優しいというだけの幼馴染であり、キャラが立っている変なヤツはサブヒロインとして登場させる。
さいごに第三に、
その2人が相思相愛になる、というか話を進めていくといつの間にやらなぜか相思相愛になっている。
ほら見ろ。
これはギャルゲのテンプレパターンじゃないの。
ノルン+ノネットは単にギャルゲの手法を少女マンガに移植しただけのことだった。
わたしはギャルゲやギャルゲ原作アニメをあまりに消費しすぎ、そこにあった違和感を忘れてしまっていた。
かたや少女マンガ原作アニメはわたしにとっては新鮮であり、そこに違和感を感じてしまっていた。
これはテンプレの使いかたの問題である。
テンプレを自分の中で違和感なく解釈できる層にのみテンプレは通用するのだ。