母が他界した。
脳卒中でいきなりぶっ倒れたらしい。
医者によると、助かる見込みが高いのが発生から4時間以内の治療ということで、かろうじてそれはクリア。
つまっていた脳の血流が半分ほど回復した。
半身不随と言語障害が発生したものの、意識はとりもどす。
この時点ではだれも命にかかわると思っていなかった。
しかし翌日に昏睡状態に突入。
べつの個所の脳の血管がつまったのだとか。
これにより大脳の半分は脳死。
脳細胞は死ぬと膨張するらしく、それにより正常に動いていた脳幹が圧迫され、体内の臓器の制御を失い、脳波も心拍も停止。
死亡確定となる。
父のほうが2度ほどぶっ倒れているのと、父のほうが多少年上なのと、母の両親が長生きだったため、母が先にいくとは我が家では本人もふくめて誰も想定していなかった。
何年か前は
「桜を見れるのはあと30回くらいかね」
なんていってたのにさ。
父はわたしが小さいときに1度目にぶったおれた。
このとき専業主婦の母は小さい子供2人をかかえてこの先どうなるかというのに極限まで恐怖したろう。
しばらくして
「こういうときは、あんたらが大丈夫だからって言ってくれるほど成長してくれればよかったんだけど」
と言っていた。
当時は真意がわからなかったが今ならわかる。
このまえの正月に帰省したさい、我輩は
「俺は資産は少しはあるかもしれんが、流動資産ほとんど持ってないので、金がいるときには前もって申告してくれ。でないと金がいるのに現金持ってないってことになるからさ」
と言ったことがある。
そのとき母は
「うちの子は私より大人になった」
といって大喜びしていた。
我輩は
「俺が言ったことの意味が伝わってねえよw」
と言ったものだ。
だが、母にとってはそうじゃなかったのだった。
わたしが小さいときの父がぶっ倒れたときに受けた人生最大のトラウマを克服できたのだ。
客観的に見ても母は幸せな人生だったろう。
それほど人生のどこかに嫌なことがあったようにも見えなかった。
父が定年退職してからも年2回ほど夫婦で海外旅行に行っており、
「そろそろ行きたいとこ無くなってボケたらどうすんだってことになるからペース落としたら?」
と冗談で言ってたくらいだった。
本人にも幸せだったと思ってもらえればよいのだが。
もうそれを聞くこともできず。
追伸1:
献花や弔電。
これ今までは単なる社交儀礼と思っていたのだが、自分が受け取る側になって実はそうでもないことがわかった。
では何なのか?
これは、弔われる者が社会的なつながりを持っていたことを葬儀に参列してくれた人たちに知ってもらえる場なのだ。
たとえば息子の会社から献花があるというのは、たとえばニートを育てたのではないということを意味する。
そういう意味でも弔電はありがたかった。
この場を借りてお礼申し上げる。
これはパブリックコメントで言ってるのではなくて、本音で。
追伸2:
次回予告。
ここまでパブリックコメント的なことを書いたが、つぎは本音のダークなことを書くつもりである。
脳卒中でいきなりぶっ倒れたらしい。
医者によると、助かる見込みが高いのが発生から4時間以内の治療ということで、かろうじてそれはクリア。
つまっていた脳の血流が半分ほど回復した。
半身不随と言語障害が発生したものの、意識はとりもどす。
この時点ではだれも命にかかわると思っていなかった。
しかし翌日に昏睡状態に突入。
べつの個所の脳の血管がつまったのだとか。
これにより大脳の半分は脳死。
脳細胞は死ぬと膨張するらしく、それにより正常に動いていた脳幹が圧迫され、体内の臓器の制御を失い、脳波も心拍も停止。
死亡確定となる。
父のほうが2度ほどぶっ倒れているのと、父のほうが多少年上なのと、母の両親が長生きだったため、母が先にいくとは我が家では本人もふくめて誰も想定していなかった。
何年か前は
「桜を見れるのはあと30回くらいかね」
なんていってたのにさ。
父はわたしが小さいときに1度目にぶったおれた。
このとき専業主婦の母は小さい子供2人をかかえてこの先どうなるかというのに極限まで恐怖したろう。
しばらくして
「こういうときは、あんたらが大丈夫だからって言ってくれるほど成長してくれればよかったんだけど」
と言っていた。
当時は真意がわからなかったが今ならわかる。
このまえの正月に帰省したさい、我輩は
「俺は資産は少しはあるかもしれんが、流動資産ほとんど持ってないので、金がいるときには前もって申告してくれ。でないと金がいるのに現金持ってないってことになるからさ」
と言ったことがある。
そのとき母は
「うちの子は私より大人になった」
といって大喜びしていた。
我輩は
「俺が言ったことの意味が伝わってねえよw」
と言ったものだ。
だが、母にとってはそうじゃなかったのだった。
わたしが小さいときの父がぶっ倒れたときに受けた人生最大のトラウマを克服できたのだ。
客観的に見ても母は幸せな人生だったろう。
それほど人生のどこかに嫌なことがあったようにも見えなかった。
父が定年退職してからも年2回ほど夫婦で海外旅行に行っており、
「そろそろ行きたいとこ無くなってボケたらどうすんだってことになるからペース落としたら?」
と冗談で言ってたくらいだった。
本人にも幸せだったと思ってもらえればよいのだが。
もうそれを聞くこともできず。
追伸1:
献花や弔電。
これ今までは単なる社交儀礼と思っていたのだが、自分が受け取る側になって実はそうでもないことがわかった。
では何なのか?
これは、弔われる者が社会的なつながりを持っていたことを葬儀に参列してくれた人たちに知ってもらえる場なのだ。
たとえば息子の会社から献花があるというのは、たとえばニートを育てたのではないということを意味する。
そういう意味でも弔電はありがたかった。
この場を借りてお礼申し上げる。
これはパブリックコメントで言ってるのではなくて、本音で。
追伸2:
次回予告。
ここまでパブリックコメント的なことを書いたが、つぎは本音のダークなことを書くつもりである。