ベコの萩紀行は萩城下町を訪問中。
初日とは打って変わって、2日目は朝からドン曇りです。
ベコ 「ありゃー、雲行きが怪しいべこ〜」
ここは菊が浜。
美しい海岸が有名ですが、ドン曇りで残念。
気を取り直して本日の活動開始です!
まず最初にやってきたのは明倫学舎。
ベコ 「旧藩校だべこ!」
そう、ここはかつて長州藩の藩校・明倫館があった場所。
この建物は、明倫館の跡地に建てられた旧・明倫小学校の建物。
昭和初期の建築だけあって重厚ですな。
内部は昭和のレトロな雰囲気。
ほー、これは雰囲気満点ですね。
廊下の窓からはお隣の2号館が見えます。
格子窓がいい感じです。
ちょうど、教室の様子が再現されていたのでちょっと見学です。
ベコ 「廊下に立ってろだべこ!」
なはは、先生に怒られたことを思い出しますね。
木造の校舎は珍しいですが、これだけでも訪れる価値がありそうです。
ちなみに、この建物は全体がミュージアムとなっています。
幕末から明治にかけての社会や政治の展示室もあれば、
萩周辺の地質の展示室などもあって興味津々。
明倫学舎の見学で、萩のことをよく勉強できました。
しかも、その間に空に晴れ間が!
おー、これはラッキー。
このまま町歩きを続けましょうか。
どのように歩いたのか分かりませんが、再び武家屋敷の町並みです。
地図をよく見ながら歩かないとね。
そして、やって来たのは明倫学舎からほど近い木戸孝允の生家。
ベコ 「木戸孝允とは桂小五郎だべこ!」
そうそう、そうだったね。
外観からは分かりづらいのですが、内部は結構広いお屋敷でした。
掛け軸の「今日」は、幼少期に書いたものだとか。
子供の書いた字とは思えません。
それにしても、広いお屋敷ですな。
部屋がたくさんあって迷いそうです。
ここは中庭でしょうか。
ベコ 「南国風だべこ」
南国っぽい木が植えられています。
さあ、お天気も回復して気分も上々。
中庭の夏みかんも食べ頃のようです。
引き続き城下町散歩を続きましょう!
つづく
<ベコたびinformation>
明倫学舎
かつての長州藩の藩校「明倫館」の跡地に立つミュージアム。昭和初期に建てられた旧・明倫小学校の木造校舎を改修して、平成に開設されたそうです。
建物はご覧の通り味わいのある木造校舎で、外観・内装とも古き日本の面影を感じる施設でした。
内部には旧・明倫館や明倫小学校の展示室をはじめ、幕末から明治にかけての産業遺産や生活様式の展示室、そして萩周辺の地質の展示室まで充実した内容。
特に、萩が明治期の日本の発展に果たした役割の大きさにはビックリ。世界遺産に登録されたのもうなづけます。
なお、建物は本館と2号館がありますが、本館は無料で2号館は有料。せっかくなので有料エリアも訪問されるのがオススメです。
木戸孝允旧宅
幕末に活躍した木戸孝允の生家で、父親である藩医・和田氏の邸宅。木戸孝允が江戸に出るまでの20年間を過ごしたようです。建物は大正時代に木戸家から萩市に寄贈され、昭和初期に国指定の史跡に。
ご存じの通り、木戸孝允は尊王攘夷派の長州藩を率いて明治維新に活躍した一人。青年時代には藩校・明倫館で吉田松陰と出会うとともに、松下村塾の高杉晋作や伊藤博文などと親交を深めたようです。
長州藩の要職についた後は、薩長同盟を結び倒幕に尽力。明治維新後は新政府の中心人物として、五箇条の御誓文、版籍奉還、廃藩置県などの実現に貢献しました。
ちなみに、木戸孝允はもともと和田の姓でしたが、幼少期に桂家へ養子に出されて桂姓へ。明治維新後には当時の藩主から木戸姓を賜ったそうです。
一方、名は小五郎や孝允以外にも貫治、準一郎も使っていたそうです。幕末に命を狙われることが多く、その都度名前を変えていたようです。歴史の勉強にはちょいと厄介かも。