知床沖で遊覧船が沈没したというニュースが駆け巡っている。
とても悲しい話だ。
あってはならないことが、また起こった。
1987年4月に、私も同じような経験をした。
琵琶湖で調査に出かけた時のことだった。
当時は自前の調査船がなかったので、漁船をチャーターしていた。
彦根港を出港した時には穏やかだったが、昼過ぎに急に北西の風が強く吹き始めた。
船は大きな風波に翻弄され始めた。
ちょうど多景島と沖の白石の中間、琵琶湖のど真ん中だった。
すぐに調査を中止し、帰港を決めた。
次々と大きな波が来た。
突然、船首が割けた。
漁船はFRPでできている。
板になったところは強いが、貼り合わせたところは弱い。
そこが上下に割け、水が入ってきた。
船首が下へ傾き、前進もできなくなった。
私たちは、持ってきた調査器具を水中に投げ入れた。
少しでも軽くしたかったのだ。
幸運なことに、エンジンは無事だった。
船の隔壁があったおかげで、水はエンジンルームまで来なかったのだ。
そしてさらに幸運なことに、私たちは調査用の水中ポンプを持っていた。
たまった水をポンプで掻い出し、船首を上げた。
そこをブルーシートで囲んで、水が入らないようにした。
そして、ゆっくりと彦根港を目指した。
波よりも遅く、船を走らせた。
そうしないと水をかぶる。
水をかぶるとシートがはがれ、さらに水が入る。
頭の先から足先まで、全身がずぶぬれだった。
港に着いた時は、16時を回っていた。
普段なら1時間のところを、4時間もかかっていた。
大学の先生が1人、学生が2人、私と船頭、計5人は疲れ切っていた。
水温は12℃、本当に死ぬかと思った。
琵琶湖の恐ろしさを初めて感じた瞬間でもあった。
琵琶湖研究所に帰って、副所長に頼み込んだ。
死ぬところでした。
大きくて、安全な船を作ってください、と。
それから5年後、実験調査船「はっけん号」ができた。
この船に、当時考えつくあらゆる安全装置を組み込んだ。
双胴船にしたのもそのひとつだ。
2つの船体があれば、沈むことはない。
またどちらかのエンジンが作動するので、漂流もしない。
3層の隔壁も作った。
アルミ船なので、剝がれることもない。
波に対して安定している。
ただ、その後、琵琶湖には双胴船はない。
はっけん号が唯一の双胴船になってしまった。
単価が高いのと、作るのが面倒だからだ。
速い船は作るが、安全な船は作っていない。
2003年、はっけん号は、ヨット事故の救援に向かった。
今度は救助する番だった。
残念ながら琵琶湖には、沈んだ船を救助できる船は、はっけん号しかない。