DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

風(43)

2020-05-27 17:38:42 | ButsuButsu


風が吹いて
ちょっと見なれないカタツムリが現れた。

危ない!
思わず踏みつけるところだった。

大学からの家路
渡辺昭宏の『仏教』という本を読みながら歩く。

この道を通って
ずいぶん沢山の本を読んだ気がする。

*****

仏陀世尊が、実子ラーフラに次のように戒めた。
「戦闘用の象が鼻まで武器として使うようになれば破れかぶれであるが、それと同じように、虚言を言って恥じないものは、どんな悪事でもやりかねない」

これはパーリ語『中部経典』第61経、漢訳『中阿含』の第14経に記載されている。
まさに紀元前5世紀に釈迦が説いた妄語の戒めである。

現在の政治家が、日々、妄語にまみれているのを見聞すると、悲しくてならない。
彼らは2500年前の人にも劣るではないか。

*****

人間は長い月日を生きてきたのに
何も学習していない。
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風(42)

2020-05-12 16:04:28 | ButsuButsu


私の50歳の誕生日は、チベットのラサで迎えた。
現地の人々と、同行の人々が共に祝ってくれた。
この日から、私は、陀来鳩摩と名乗ることにした。
不遜な話だが、何だかそんな啓示を受けた気がしたからである。
ちょうどその日に、ポタラ宮殿へ行って、心が高揚していたのかもしれない。
それ以外に、特に意図はない。
ゴロが良いし、言葉の意味が気にいっただけである。
ダライとはモンゴル語で、大きな海というのだそうだ。
だから陀来鳩摩は、大きな海のように深い知識を持つ人のことだ、と同行していたモンゴル人が語った。
そうなのか、と何となく気に入ってしまった。

鳩摩というのは、熊にかけてある。
だが本当は、鳩摩羅什からとっている。
この名を聞いて、ああそうかとうなづく人は、かなりの西域オタクである。
知らない人でも、日本でもよく知られた「摩訶般若波羅蜜経」をサンスクリット語から漢語に翻訳した人と言えば、肯首するかもしれない。
いわゆる般若心経である。
鳩摩羅什は、初代、三蔵法師とも言われている。
四世紀の人である。
良く知られた三蔵法師は、七世紀に唐からインドへ渡った玄奘だろう。
つまり、三蔵法師というのは複数いたのだ。
三蔵とは、仏典である経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶のことである。

というわけで、どういうわけか50歳で私は陀来鳩摩となった。
最初はカタカナで書いていたのだが、仏教哲学の先生に叱られてしまった。
彼は北海道大学文学部の教授で、私の高校時代の同級生だった。
偶然、ネットでダライ・ラマの文献を検索していて、なんとダライ・クマをヒットしたのだ。
それが私だと知った彼は、親切にも不遜であると忠告してくれた。
そこで私はダライ・クマから陀来鳩摩になった。
特に、使用前と使用後で変わったところもないが、何となく今の名前を気に入っている。
とかく、西域という言葉には、ロマンがある。
いつの日か、鳩摩羅什が生まれ育った場所に、行ってみたいものだ。
新型コロナウィルスのおかげで、海外へ行きにくい日が続いている。
早く収束して欲しいものだ。



というわけで「#検察庁法改正案に抗議します」を応援することにした。
特に意味はない
ただどんな生き方をするにしても、姑息でありたくないと思っている。
人間は弱い動物で、失敗もするし、成功もする。
間違ったら、素直に謝ればよい。
自分のミスを他人のせいにしないことだ。
誤りを正していくと、やがて大きな成果という果実がなる。
これは鳩摩羅什の時代からの真理だ。
マイナスをできるだけ少なくし、プラスをできるだけ多くする。
こうして人間は生きている価値を持つことができる。
他人からの信頼を得ることができる。
そうしないと、墓場までみじめな人生になってしまう。
だから残り少ない人生を後悔しないために、他人を欺くような馬鹿なことはしない方が良い。
懲りない政治家への忠告でもある。
正々堂々と生きたいものである。

「我が所伝(訳した経典)が無謬ならば(間違いが無ければ)焚身ののちに舌焦爛せず」(鳩摩羅什)
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風(41)

2020-05-10 17:11:10 | ButsuButsu


5月に入り
夏の風が吹き始める
人通りが絶えた
自粛ムードの中で
あっという間に
季節が変わる

7日には
フラワームーンが
夜空を飾り
周りの野山には
そこかしこに花が咲き
新緑が映えた

何と言うことだ
もう夏か
春の心地良さは
バタバタと過ぎ去った
ウィルスの影におびえ
季節は去っていく

11日の日が来て
僕はまた年をとった
本当は
もっとゆっくり
来てほしかった
5月の風と共に
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