今、ネット上で、安倍晋三首相の歴史認識についての話題が飛び交っている。
別に安倍さんを責めるつもりはないが、一国の総理としては不勉強だなとしか言いようがない。
確かに、この国の安全保障をこの人に任せておいてよいのだろうか、と思わざるを得ないところもある。
その辺を、少し整理したい。
*****
2005年、オピニオン誌『Voice』(PHP)の2005年7月号
安倍晋三議員 「ポツダム宣言というのは、アメリカが原子爆弾を2発も落として日本に大変な惨状を与えたあと、『どうだ』とばかりに叩き付けてきたものです。そんなものを持ち出して、あたかも自分自身が戦勝国であるかのような態度で日本の総理を責めあげる云々」
2015年5月20日 国会代表質問
志位和夫委員長 「(前略)こうしてポツダム宣言は、日本の戦争について、第6項と第8項の2つの項で、「間違った戦争」だという認識を明確に示しています。総理にお尋ねします。総理はポツダム宣言のこの認識をお認めにならないのですか?端的にお答えください」
安倍晋三首相 「ま、この、ポツダム宣言をですね、我々は受諾をし、そして敗戦となったわけでございます。そして今、え~、私もつまびらかに承知をしているわけではございませんが、ポツダム宣言の中にあった連合国側の理解、たとえば日本が世界征服をたくらんでいたと言うこと等も、今ご紹介になられました。私は、まだ、その部分をつまびらかに読んでおりませんので、承知はしておりませんから、今ここで直ちに、それに対して論評することは差し控えたいと思いますが、いずれにせよですね、いずれにせよ、まさに、先の大戦の痛切な反省によって今日の歩みがあるわけありまして、我々はそのことは忘れてはならないと、このように思っております」
***
かなり焦った答弁になっている。
さて、ポツダム宣言だが、保坂正康が書いた「日本原爆開発秘録」の中に、以下のような記述がある。
+++
ポツダム会談は1945年7月17日から始まったが、すでにこの前日にアメリカ大統領トルーマンはスチムソンから、原爆実験成功の報を受けているし、21日には詳しい報告を持った密使が来て、その威力を伝えている。
トルーマンはイギリスの首相チャーチルにこの事実を伝える。
むろんソ連の首相スターリンには伝えない。
だが、スターリンはトルーマンやチャーチルの会談での発言内容が急に強硬になったことでこれを感じとり、ホテルに戻って電話を取るや、モスクワの科学アカデミーに「原子爆弾の開発を急げ」と命じていたのである。
3人の間では、虚々実々の駆け引きが続いたのだ。
スターリンは、「日本がわが国を通じてアメリカ、イギリスとの終戦を望んでいる」と日本から和平交渉の打診があったが、日本の条件がはっきりしないので突き返したと、トルーマンやチャーチルに話している。
日本にはもう戦う余力はないというのは、3国の間で共通の認識となっていた。
ということは、原爆は戦後社会の枠組みを作るために、その威力が示されなければならない宿命を負わされていたということだ。
日本の息の根を止めるためというより、お互いが新たな勢力図を作るために、あるいは戦勝国としての優勢を保つために、日本に原爆を投下して、お互いの潜在的な対立を確認しあわなければならなかったのである。
+++
もし、戦後レジームという言葉があるとするのならば、私たちは、「ポツダム宣言」と「原爆投下」の意味をもっときちんと学習する必要があるのだろう。
その上で、沖縄・広島・長崎における大量殺戮と米軍基地問題をとらえない限り、戦後レジームからの脱却にはならない。
アメリカと日本の関係を考え直すきっかけを、安倍首相の国会答弁から得た気がする。
特異な過去を引きずる安倍さんには過酷かもしれないが、彼の言う「戦後レジームからの脱却」は「戦後レジームの隠蔽」のような気がしてならない。
***
2015年5月22日 戦後70年談話に関する有識者会議「21世紀構想懇談会」
中国や韓国、東南アジア諸国との戦後和解をめぐり、意見交換した。
会合後、西室泰三座長は記者団に、「いたずらに謝罪することを基調にするのではなく、これから先を考えて、未来志向を決して崩さない」と述べ、70年談話に謝罪の表現を盛り込む必要はないとの認識を示した。
***
この国は、幕末から明治維新にかけての一元論的な国家思想に浸り続けている。
一方、アジアの勢力図は大きく変わってきており、もはや一元論では誰もが満足できない状況に来ている。
多様な国家、多様な民族といった、異なる価値観を受け入れる素地は、今の若い世代にこそある気がする。
吉田松陰など長州を題材としたNHK大河ドラマがはやらないと同じように、戦後レジームからの脱却とは、「尊王攘夷」と言った一元論的な価値観からの脱却であるべきだろう。
そこに、我が国の生きるべき道が残されている気がする。